side:Hime 其の弍
「…ヒメちゃん、ヒメちゃん!」
呼ぶ声にあたしは気がついて、はっと目を開けた。目の前に並んでいるのは、八雲と明さんの顔だった。ゆっくりと上半身を起こすが、どうにも頭がぼーっとしている。数回、頭を左右に激しく振って、意識をはっきりさせようと試みた。
周囲を見回してみると、八雲の部屋だった。どうやら、またベッドを占領したようだ。
「あたしは…」
言って気がつく。布団を被っているものの、また全裸だ。
何が起きたんだっけ。たしか、どこまで行ったら接続が切れるか試してて、表に出て、その後は…
「…っのバカ野郎がっ!」
隣で、いきなり八雲が怒鳴った。
「折角拾った命を、自ら散らそうとすんじゃねぇ!3度目は助けてやんねぇぞ!」
「ちょ…いきなり怒鳴らなくてもいいじゃないか、八雲」
明さんが、今にもあたしに掴みかかりそうな八雲を抑えた。
あまりの八雲の剣幕に、あたしは身を縮ませる。明さんがあたしに向き直り、「一体、何があったんだい」と聞いてきた。
「コイツ、自分で接続を切りやがったんだよ」
「八雲には聞いてないよ」
その一言に、また八雲が顔を赤くして、そっぽを向く。
あたしは、未だはっきりしない頭をフル回転させて、ぼそぼそと喋る。
「色々、確かめてて…。神力の使い方と…接続中の可動範囲と…どこまで行ったら、接続が切れるのかを…」
「で、誤って接続を切っちゃった…と。なるほどね」
「ごめんなさい…」
あたしは、項垂れて謝罪した。
「朝は説明不足だったかな。簡単に言うとね、今のヒメちゃんと八雲の関係は、八雲がコンセント、ヒメちゃんが電源プラグなんだよ。コードの長さの範囲なら、ヒメちゃんは自由に動くことができるけど、それ以上は、八雲から電源プラグが抜けてしまう。ヒメちゃんはバッテリー内蔵型じゃないから、すぐに電力不足になって止まってしまうんだ。まあ、この場合の"止まる"っていうのは、"消える"っていうのと同義なんだけど」
明さんが、苦笑いしながら説明してくれた。
「オレが接続切れに気づいて、すぐ繋ぎ直したからよかったが…消えていても不思議じゃなかったんだぞ、お前」
返す言葉もない。あたしは、項垂れて小さくなることしかできなかった。
「次はないぞ、マジ気をつけろ」
八雲が、びっしりとあたしに指を差しながら宣言した。
「はい…気をつけます」
素直に謝ったのが意外だったのか、八雲は2度顔を赤らめて鼻を鳴らした。
あたしは、再び周囲を見回した。
カーテンからは光が漏れていない感じを見ると、もう日は沈んだようだ。それは、明さんが大学から帰ってきていることでも分かる。卓袱台の上には、小型のタブレットPCと、湯気を立てているカップが2つ。あれ、あんなPC、朝にあったっけ。
「コーヒー、淹れ直してくるよ。その間にヒメちゃんは着替えておいてね。"色々試した"のなら、もうそれくらいはできるでしょ。いつまでも裸でいると、そこの飢えた狼に襲われるよ」
「襲わねーよ!ってか、襲えねーだろが!」
八雲が間髪入れずに反論する。
明さんは声を出して笑うと、卓袱台の上にあったカップを両手で持ち上げ、部屋を出て行った。
あたしと八雲の間に、耐え難い沈黙が流れる。
な、何を喋ったらいいんだろう。何かを喋らないと。明さんは喋りやすかったけど、八雲は、気楽に世間話とかできる雰囲気を醸し出してないし。なんか、明さんと比べると、まるで正反対で…。
「…ど、怒鳴って済まなかったな」
切り出してきたのは、八雲の方だった。
「う、ううん。あたしこそ、ごめん…。ちょっと気楽に考えすぎてた。えっと…八雲、さん」
「呼び捨てでいいぜ」
「うん、じゃあ、八雲…。ちょっとあっち向いててもらえる。服身につけるから。」
「お、おう」
八雲がくるりとあたしに背を向けた。
あたしは、昼間の要領で、足下から服を顕現させてゆく。服といっても、相変わらずの高校制服だ。
「もう、そこまでできるようになったのか」
あたしに背を向けて、八雲が呟く。
「うん、意外と簡単だった」
「そうか、素質あるんだな」
再び流れる沈黙。
身体を制服に包んで、あたしは「もういいよ」と八雲に声をかけた。八雲があたしに向き直る。
「やっぱり、その制服は成城高校の制服だったのか。昨日の夜に、ちらっと見ただけだったが、やっぱりな」
八雲が、あたしの制服を眺めた。その目は、何か懐かしいものを見るような優しい目だった。
「やっぱりって?」
「あ~、うん。いや、気にするな。独り言だ」
「そ、そう」
あたしは、ベッドから降りて、卓袱台の前に座り直した。そして、八雲に頭を下げる。
「昨晩は、助けて頂いて、ありがとうございました!」
いきなりの事に、八雲がド肝を抜かれたようだ。すこしたじろいだのが分かる。
「お、オレが助けたわけじゃね~よ、言い出したのは明で…」
「明さんは、八雲が言い出して聞かなかったって言ってたけど?」
八雲の台詞を遮って、あたしが言う。
「な…っ」
八雲が3度目に顔を赤らめて、そっぽを向いた。意外と、表情がころころ変わって面白い。
「ど、どっちでもいいだろ、そんなもん!2人で助けたんだから、かんけーねーよ!」
「はいはい」
あたしは、口に手を当てて、声を殺して笑った。それを、憮然と八雲が見やる。明さんの言っていた通り、あまり悪い人じゃないみたいだ。
「ちょっとは、仲良くなったかい」
明さんが、ドアを開けて入ってきた。彼は卓袱台の上に、3つのカップを置いて座る。
「相変わらずのコーヒーで済まないけどね」
あたしはカップを1つ手にとって、中の液体を口に少し流し込んだ。今度も、お砂糖が入ってる。
「いえ、美味しいですよ、明さんのコーヒー」
「それはオレも認めてるぞ。サ店開ける腕だよな」
「うん、そう思う」
あたしは、八雲の声に相づちを打った。
「それは嬉しいね。さて、元締めのところに行く前に、夕飯はどうしよう。外で食べる?」
「外だと、コイツが食べれないんじゃないか」
「あ、そうか」
つづけて、あたしが口を開く。
「っていうか、あたし今、幽霊なんですよね。幽霊って、お腹減るんですか」
八雲と明さんが、あたしの顔をまじまじと見つめた。
「あ…っと、どうなんだろ。」
「前例がないからなぁ。お前がハラ減ったってんなら食えばいいんじゃないか」
「減ってる気もするし、減ってない気もするんだけど」
あたしは、自分のお腹を押さえる。
「それに…食べれるのかな。物に触るだけでも、神力を注がないといけないのに」
「う~ん……。とりあえず、今日はここで料理作って、食べられるかどうか試してみようよ」
言って、明さんが立ち上がった。
「あ、あたしも手伝います。料理は得意なんですよ」
「うん、よろしく」
あたしと明さんは、キッチンへと向かった。
明さんが棚から出してきたのは、3束入りのパスタだった。パスタの袋には、イタリア語がびっしりと書いてある。きっと日本製ではなく、本場製のパスタだ。
「この後も、スケジュール控えてるからね。簡単なもので済まそう。ヒメちゃん、寸胴鍋を用意してくれるかな。そこの棚の下に入ってるから」
あたしは、言われたとおりに棚を開けた。大きめの寸胴鍋がそこにはあり、あたしは取っ手を両手で掴む。両手に淡い緑色の光が宿り、あたしは鍋を持ち上げた。
「朝に出した宿題は、パーフェクトみたいだね」
「ええ、おかげさまで。でも死にかけましたけどね~」
言って、苦笑い。反省しないとなぁ。
あたしはシンクの蛇口を捻り、寸胴鍋になみなみと水を入れて、電気コンロにかける。 コンロのホロコンソールをタップして呼び出し、火力を最大にした。そして、鍋にフタをする。横を見ると、明さんが缶詰のトマトソースを開けているところだった。缶詰にも、イタリア語が記載されている。パスタも本場ならば、缶詰も本場かぁ。ってゆーか、そういうのを用意するのは八雲の趣味…じゃないよね、きっと。海外製は、値段が安いのかな。今では、日本で"日本製"として販売されてるものの原材料は、ほとんど海外からの輸入でまかなってるらしいんだけど、それって、海外製と変わらない気がする。ただ単に、日本で作ってるってだけなのに。なんかヘン。
寸胴鍋のお湯が、ぐつぐつ音を立てて沸騰してきた。あたしは、パスタを1束づつ、鍋の縁に沿うように散らして放り込む。そこで、お塩をひとつまみ入れ、パスタフォークを使ってお湯に沈めて、くっつかないようにかき混ぜていく。
明さんも、玉葱をスライサーで薄切りにし、熱したフライパンに放り込む。ジューといういい音と、香ばしい香りが広がる。トングでかき混ぜながら、黒胡椒とお塩、コンソメを投入。見てると、結構な手際だった。調味料の量とか、かき混ぜ方が絶妙。もしかしたら、料理は人並み以上にできるのかもしれない。玉葱に焦げ目がついたところで、トマトソースをフライパンに流し込む。トマトのいい香り。この香りを嗅いだだけで、お腹が減ってくるイメージがある。
パスタを鍋に入れて、5分ほど経過。あたしは1本をトングでつまみ上げて、部屋の蛍光灯に透かしてみる。パスタの真ん中に通る1本の筋。う~ん、アルデンテ!横から、すっと明さんが笊を出してくれた。あたしはシンクに笊を置き、寸胴鍋の中身をぶちゃけた。直ぐに、オリーブオイルを適量かけ、混ぜ合わせてゆく。オリーブオイルまで用意されてるなんて。いいキッチンだわ。
プレートを3枚出し、パスタをつけ分ける。その上からあつあつのトマトソースをかけて、香り付けにバジルパウダーをちょっと散らして完成!
「いいお手並みですね。普段から、料理するんですか?」
あたしは手についた水分をタオルで拭き取りながら、明さんに尋ねた。
「知り合いの女の子が料理好きで凝っててね。自然に覚えてしまったよ」
女の子…?カノジョさんかな。でも、カノジョさんなら、"知り合い"なんて言わないだろうし。う~ん?
「さて、八雲がハラ空かせてるだろうから、持って行こうか」
「はい!」
部屋に戻ると、八雲が卓袱台の上に置いてあったタブレットPCをいじってるところだった。あたし達に気がつき、卓袱台の下にすっとそれを仕舞う。
「お待たせ、八雲」
「おまたせー!」
あたしと、明さんの声が、ほぼ同時に被った。
「おう、サンキュ!早く食おうぜ」
卓袱台に3皿並べ、3人で囲むように座る。
そして全員で手を合わせて、「いただきます」の唱和をする。八雲が「小学生かよ!」と突っ込んだ。
やっぱり、誰かと話しながらの食事は楽しい。
今のあたしは幽霊で、見える人にしか見えないし、話すことも自由に出来ないけど、やっぱり、こういう雰囲気はいい。八雲と明さんの会話は、分からない専門用語が羅列されることもあったけど、あたしは話に乗れるだけ乗ってゆく。冗談口を交わしながら、笑っての食卓だ。
ふっと、昼間のエレベータの件が頭をよぎり、パスタを3分の1くらい平らげたところで、あたしはフォークを止めた。
「ん、どうした」
パスタの一杯に詰まった口をもごもごと動かしながら、八雲が、あたしの顔をのぞき込む。
あたしは八雲の顔を見ながら、
「昼間のことを思い出しちゃって」
と、力なく微笑む。
「昼間?」
明さんが問うた。
「うん、昼間。エレベータで1階に下りたときにね、このマンションの住人と入れ違ったの。あたしはその人達にはやっぱり見えてなくてね、無視されちゃったように…なんか…それが、すごく寂しくて……道路に出ても…誰も、あたしに、気がついてくれなくて…」
あたしの目から、涙が一筋こぼれ落ちた。
「お、おかしいよね。きちんと割り切ったハズなのに。あたしはポジティブが…取り柄なのに。こんなので、泣く…なんて…!」
無理に微笑もうとするんだけど、どうにも涙が止まらなかった。やっぱり、あたしは寂しがり屋なんだ。このエレベータの件にしても、その場では何も感じなかったはずなのに、こんな食卓が実現した時点で、こんなにも寂しくなるなんて。流せたと思ってたのに、やっぱりショックだったんだわ。
明さんが優しく微笑み、八雲は赤くなって、苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、嗚咽を漏らすあたしに向かって、真っ先に口を開いたのは、意外にも八雲だった。
「泣きたきゃ、思いっきり泣けよ。今は泣いてもいい。オレは、お前を見捨てるつもりもねぇし、必ず元いた世界へ帰してやる。そんな泣きたい気持ちも、二度と抱かせねぇ。これは、絶対だ。だから…今は泣け」
「そうだよ。ボクらは全力を尽くす。時間はかかるかも知れないけど、必ず帰してあげるよ。これは、ボクらとヒメちゃんの約束だ」
あたしは、止まらない涙を無理に袖でぬぐって、交互に2人の顔を見合わせた。まだ知り合って間もないけれど、なぜか、この2人だったら信じられる気がした。2人が、無言であたしに頷いた。
それを見て安心したのかはわからないけれど、あたしは大声を上げて泣きじゃくっていた。
食事が終わって、あたしの気持ちも落ち着いていた。あたしは結局、泣きながらも1皿のパスタを平らげてしまい、2人を唖然とさせた。
「落ち着いたかい」
明さんが、食べ終わったプレートを重ねながら聞いてきた。
「うん。ごめんなさい、取り乱して」
「謝ってばっかりだね、ヒメちゃん」
そういえばそうだ。3人揃ってから、もう既に何回の謝罪をしただろう。あたしは、ごまかしに微笑んでみる。
「結局、平らげやがったか。ってか、きちんと食えるもんなんだな」
そういえばそうだ。何気なく口に運んでただけだったけど。うん、人間味を無くさないように、極力食事は摂る事にしよう。
「よっし、コイツも落ち着いた事だし、元締めんトコ行くか。もういい時間だろ」
明さんが、携帯電話を取り出し、時間を確認する。
「19時半か。確かに、いい時間だね」
「あの…」
あたしが口を開く。
「夜に訪ねて大丈夫なんですか?もう、お仕事時間終わってるんじゃ…」
普通の企業なら、17時が定時退社時間なのは当たり前だし。
「言ったでしょ。元締めは神様だって。神様には、時間なんて関係ないのさ。それに…」
明が、八雲の顔を見た。八雲が無言で、それに頷く。
「実は、元締めって、一見普通の人なんだよ。それもね…」
なんだろ、やけに勿体ぶるなぁ。明さんが、口元をほころばせる。
「小・学・生、なんだよねぇ。」
と言って、声を上げて笑った。
ふ~ん、小学生かぁ。
って、しょうがくせい!?
あたしの聞き間違いじゃないよね、たしかに、今、小学生って言ったよね!?
「は、はぁ~!?」
あたしは、素っ頓狂な声を上げる。これには、さすがの八雲も大笑いだ。
あ、あれ、騙された!?
「そうそう。ホントに男の子と女の子の小学生なんだよ~。だから、昼間は小学校に通ってるの。御目見えしようと思ったら、夜しかないわけなんだよ~」
明さんまで、声を出して笑った。八雲に至っては、笑いのツボにハマったのか、お腹を抱えてベッドの上で転げ回っている。
「ま、マジですか…」
あたしは、ちょっとだけ行く末に疑問を感じた…。