side:Girl 其の参
「コーヒー、淹れ直してくるよ。ちょっと落ち着いてもらわないと、次の話が出来ないからね」
言って、明はそそくさと部屋から出て行った。
明の声で、はっとする。頭の中を整理しなきゃ。両手で、自分のほっぺたをぺしぺしと叩いてみる。
…よし!
おそらく、こうやってショックを受けていても、次には進めない。もう、すでに"起きて"しまった事なのだから。夢だと思うのも、やめにしよう。あたしは身体に布団を巻き直し、卓袱台の前に腰を下ろした。
要するにあたしは、何らかの事件に巻き込まれ、身体を"何者か"に乗っ取られてしまった。そのあたしの身体を乗っ取った"何者か"は、明と、そこで眠っている八雲が追っていた目標であって、2人はあたしと、祥子に起きるであろう事件を知り、助けるためにあの場所に到着した。けど、すでに"何者か"は、祥子を殺してて、2人は被害をこれ以上大きくしないために、"何者か"を倒そうとした…。ここまでが、昨日の夜に起きた事よね。
気がつくとあたしは、八雲の部屋にいて、あたしの身体はそのまま"何者か"が操ったまま逃げていて、幽霊になってしまったあたしを消さないために、ここに運んで何らかの方法で命を繋ぎ止めてくれた。そして、今に至る…。
こんなところかな。不明な点が多すぎるなぁ。
でも、結論的には、あたしじゃなかったにせよ、あたしの身体が祥子を殺しちゃったことには変わらないんだ。
はぁ~…、この歳で殺人者だなんて。それも、被害者が親友の祥子だなんて。いや、何歳でも、殺人者はよくないけど!
祥子が可哀想だ。ニュースを見る限り、殺しではなくてひき逃げになってるっぽいけど。これが、明の言っていた「オジサンの失敗した後始末」の結果なんだろうな。
…ん?
じゃあ、後始末が「成功」していたら、どうなっていたんだろう。
祥子が生きてるとか?昨日の事件が、無かったことになってるとか?
そもそも、幽霊のあたしを"助けるために"って言った。ってことは、あたしは元の身体に帰れる可能性があるってことでいいのかな。もし、元の身体に帰れるなら、祥子の分までキッチリ生きないと。
よし、もっと詳しく、明に聞いてみよう。ここまで巻き込まれて、状況説明までしてくれてる。隠し事はしないはず…だよね。
あたしは、フンっと鼻で息をついて気合いを入れた。
「落ち着いたかい?」
明が部屋に戻ってきた。今度はトレイに、2つのカップが乗っている。八雲の分は淹れなかったようだ。また、卓袱台の前に座って、あたしに湯気の立つカップを渡してくれた。
「取り乱してすみませんでした。えっと…天神さん…」
「明でいいよ」
「はい、じゃあ、明…さん。もっと詳しく教えてください。あたしも、覚えてる限りのお話をさせていただきます」
そうだよね、歳上っぽいもの。呼び捨てはだめだめ。
「そのつもりだよ。じゃあ、話を続けようか。まず、ヒメちゃんの身体を勝手に動かしてるヤツらの名前。それを"神憑"っていうんだ」
「かみ…つき…?」
「そう。神様の"神"に、幽霊とかが取り憑く"憑"で、神憑さ。その名の通り、神憑の正体は日本に八百万いると言われてる神様・仏様なんだよ」
…はい?
って、ええええぇぇぇぇぇぇぇ!?
神様ですか!?アマテラスとか、ツクヨミとか、スサノオとかの神様!?
あたしは、あんぐりと口を開けてしまった。きっと、ずいぶん間抜けな顔をしていたんだろう。明さんが、口に手をあてて声を殺して笑っている。
「ああ、笑ってゴメン。驚くよね、神様が人間に取り憑いて、悪いことやってるんだから。本来なら、神様は人間を護ってくれる人たちなんだからね。でもね、今の神様にとって、人を操ること、人を殺すこと、人を貶めること、これは、それぞれの神様の"正義"に基づいてる事なんだよ」
人を殺すこと、操ること、貶めること、これが正義?
「どういうことですか?」
「ヒメちゃん、今のこの世界をどう思う?科学は発達してきてる。人類は、地球から宇宙にまで飛び出している。人々は科学力に依存し、今や科学なしでは、この世界はやっていけないよね」
「はい」
「そうなった世界、科学力の発達により、逆におろそかになってしまった古来の伝統があるんだよ。何だと思う?」
科学の発達により、おろそかになってしまったもの…古代の伝統?
なんだろう。科学があれば、この上なく自由に暮らせる。科学と反する事?きっと、神様に関係のあることなんだろうけど…。
「わからないかな。それはね…」
明さんが、コーヒーを一口すすった。あたしもつられて、口にする。あ、今度はブラックコーヒーじゃなくて、お砂糖が入ってるや。
「あ、今度は砂糖入りね。さっきのコーヒーお気に召さないみたいだったから」
え?十分、ブラックコーヒーも美味しかったけど…。お砂糖入りしか飲んだことがないの、顔に出たのかな。
「えっと、それはね、神様、仏様に対する"信仰心"なんだよ。昔は、科学が無かった時代は、人頼みよりも神頼みだったんだ。人間と神様はお互い隣にいて、常に人々は、神様や仏様を崇拝してきた。だけど、今はどうだい。神頼みよりも科学頼み。神様たちは、人々の隣人ではなくなってしまった。これはさすがの神様も、妬っかもうってところかな」
「なるほど…」
「その状況に耐えきれず、狂った神様たちがいたんだ。で、この現在の状況を、逆手に取った人々がいた。神社、お寺に祀ってある狂った神様や仏様をそそのかして、再び世界に信仰心を取り戻そうとした人々がね。その人々は、そそのかした神様を利用して、人々をあやつって超常現象を起こさせ、世間にふたたび神様、仏様の存在をアピールしてるんだよ。」
「アピールって…。人を殺すことがアピールなんですか?操ったりすることが?アピールするのはいいとしても、手段が間違ってる…」
あたしは驚いた。そんな馬鹿な事をしている人がいるなんて。
昨日までのあたしなら、笑い飛ばして、相手にせずに終わっていたかも知れないけれど、今のあたしは"当事者"だ。笑い飛ばすことも、無視することもできない。
「そう。間違ってるんだ。目的は兎も角、手段は許されるべき事じゃない。だから、ボクらがいるってわけさ」
続けて、
「ボクらは、神滅って言う集団の一員。その間違った手段を正すために、間違った事をしている神様や仏様を、人知れずに元あった状態に戻してるんだ。でも、神様を正すだけではいたちごっこになってしまう。ボクらの最終目標は、神様・仏様をそそのかした人々を捕らえることなんだ」
あれかな、人知れず暗躍する、正義の味方ってところなのかな。でも、あんな風に激しく闘ってたりしてたら、人々にも目撃されるだろうし、ニュースにもなりそうなもの…。
あ。
今度はあたしのターンだ!
「そういえばさっき、オジサンたちの失敗って言ってましたよね。あれは何なんですか」
「ああ、祥子さん…だっけ。あの事件がひき逃げになってた事を指してるんだよね。オジサンたちの失敗は、その祥子さんの事件を隠蔽出来なかった事なんだよ。本来なら、あの事件は人知れず、世間に公表されることが無かったはずなんだ。ボクらも、少人数で動いてるわけじゃない。当然、不都合や、隠しておきたいこともある。神様が人を殺しました~って世間に言っても、笑い飛ばされるだけだろうけど、必ずそれは人々の心中に印象として残り、事件が蓄積すれば集団パニックに陥ることもありえるからね。ボクらの後ろには、そういったことに対応する補助集団がいるんだ。それが、ボクの言った"オジサンたち"さ」
「でも、祥子の親族に亡くなった説明とか、あるんですよね。それって、噂みたいに世間に広まりませんか?広まれば、神滅の存在も…」
「いいツッコミだねぇ。えっと、これも、じつはあまり許されるやりかたじゃないんだけど」
そう。過去に、見えない殺戮者のスレッドでネットを騒がせた程だ。世間に広まっていない訳がない。今も、解決していない事件として、扱われてるんだもの。
「えっとね。隠蔽とは、その事件についての記憶を、その存在を、人々から消してしまうことなんだよ」
記憶を消してしまう?ニュースになるほど、ネットに流れるほどの事件、そんなの、どうやって消してしまうんだろう。
「目には目を、歯には歯を、神様には神様を…ってね。ボクらの元締め、それは、凄く強い力を持った神様なんだ。その神様が、神の力をつかって、人々の記憶を改竄してるんだよ。オジサンたちの後始末が失敗して、今回はニュースになってしまったけれど、いずれはこの世の中から、祥子さんの存在は消されてしまう。いや、消すじゃないな。存在しないことになってしまう」
それって…。それって、許されることじゃないんじゃない?あたしの親友が、祥子が生まれてから17年の存在が、誰かの勝手で無くなってしまうってことでしょ。
あたしは、それを聞いてふつふつと怒りが込み上げてきた。
「それ、すごく酷くないですか。祥子がいないことになるなんて。きっと、過去にもこういった事件があったってことですよね。そのたびに、その神様が、人々の心を勝手に弄っていたって事ですか。」
「うん、酷いよね。ボクもそう思う。でもね、世の中には、10を助けるために、1を犠牲にしなければいけないことだってあるんだ」
「それって、詭弁です!」
あたしが反論する。
「詭弁…そう思われても仕方ないよ。でも、そうとでも考えないと、ボクらはいつまでたっても前に進めない。この世界を、元のカタチに戻すために、そう割り切るしかないんだ。ヒメちゃんは、今回の事件の当事者で、祥子さんが亡くなったという記憶がある。でも、過去の事件はどうだい。被害者も当然出てる。その被害者は、もしかしたらキミの関係者だったかも知れない。その記憶は、あったんだけれど無くなっていて、それにキミは気づいていない。それに、違和感を感じるかい?知ったからこその違和感であって、知らなければそれは違和感ではないよね。それは、人々が幸せに暮らしていく為の手段として、大の為に小を切り捨てる。割り切るしかないんだ…」
「祥子が…可哀想だ……」
「だったら、祥子さんのことは、キミが覚えているといい。ずっとね。少なくとも、それで祥子さんは、ヒメちゃんの心の中では生き続ける事ができるんだから」
「でも、記憶を消されるって…言いましたよね。あたしの中の祥子も、いなくなってしまうんじゃないんですか」
「キミは、覚えていられるハズだよ。なぜなら…」
明さんが、カップに残っていた最後の一口を飲み干した後に続けた。
「ヒメちゃんは、さっき"見えない殺戮者"の話をした。実はその見えない殺戮者の事件は、とっくの昔に、人々の記憶から消されているんだ。ネットでも、すぐに騒がれなくなったでしょ。あれは、ボクらの神様がそれらの事件の存在を消したから。でも、キミは覚えてた。恐らく、キミには、ボクらの神様の神力が通用しないんだろうね。」
あたしには、神様のちからが通用しない…。なぜだろう。あたしは、ごくごく普通の女子高生で…。
でも、これで祥子の事を忘れずにすむ。そう考えると、ちょっと罪悪感が薄れる。
「先ほど言っていた、あたしが稀な存在…って、どういうこと」
この問いには、明さんが返答に躊躇したようにみえた。明さんは、ちょっとだけ視線を宙に泳がせ、唸った後、ティーカップを口に運んで、既に空っぽなのに気がついて焦って卓袱台にカップを置き直す。
「……ボクや八雲と、同じ力…神力を持ってるってことだよ。ボクがちょっと神力を注いだだけのカップを手に取れる、コーヒーを飲むことができる。その、身体に巻いている掛け布団もそう。それは、ヒメちゃんが眠れるように、ベッド全体に八雲が力を注いだ結果。普通の人が精神体になっても、そんなふうに触れないはずはんだ。それに…」
言って、明さんは、あたしの足下を指さした。
「よく、見てごらん。キミには、キミの足先から伸びているものが見えるかも知れない」
あたしは、言われて自分の足先に視線を動かした。じっと、そこを見つめてみる。するとどうだろう、あたしの右足、親指の先から、金色に光る紐のようなものが伸びてきて…
…ベッドで眠る、八雲の左足先に、ぴたりと繋がった。
「八雲に、金色の紐が…繋がってる…」
「やっぱり、見えるんだ。それは、ヒメちゃんの命を現世に繋ぎ止めるための紐だよ。今のキミは、八雲の命を吸って存在している。」
それは、出会った直後に明さんの言っていた"命を消失しないようにする"方法。
あたしは、交互に明さんと八雲の顔を見比べた。
「その紐が八雲に繋がっている限り、キミはこの世界に存在することが出来る。でも、万が一、八雲が神憑に殺されてしまったりしたときは、その途端にキミの存在も、この世界から消えてしまう。神憑きの身体のみが世間を跋扈し、いずれはボクらの仲間に倒され、その存在すらも抹消される…」
ベッドの上の八雲が、ごろりと寝返りをうつ。
「この方法を提案したのは、八雲自身なんだよ。身体を取り逃がしたのは、オレのミスだからって。何としても、元の世界に帰してやるんだってね。だから、八雲の事をヘンタイって呼んじゃだめだよ。ボクと八雲は、必ずキミの身体を取り返してあげる。ボスに頼めば、乖離している精神と肉体を、元の状態に合一させることも可能だろう。だから、希望は捨てないで」
「…はい」
しばらく、部屋に沈黙が訪れた。
あたしは沈黙に耐えきれず、カップに残った、冷えたコーヒーを音を立てて喉に流し込んだ。
その途端に、明の胸からピピピピッと、アラームのような音が聞こえた。
「アラーム、ですか」
明さんは、胸のポケットから携帯電話を取り出し、アラームを止めた。
「うん、そう。っと、ごめんね。この続きは、夜に八雲が目覚めてからにしよう。その間、ヒメちゃんはこの部屋でゆっくりしているといいよ。ボクは、学校に行ってくるから。夜になったら、状況を報告するためにボスのところに行くから、一緒してくれるかな?」
「学校?ボス?」
「そうだよ。こう見えてもボクは、真面目な真面目な大学生だからね。学校には行かなきゃいけないの。それに、実はこの一連の出来事は、まだボスに報告してなくて…やったこと全て、八雲の一存なんだよ。」
言って、彼は立ち上がった。
「八雲はきっと、夜まで起きないだろうから。外に空気吸いに行ってもいいよ。ただし、その光る紐に気を付けること。あんまり八雲と離れると接続が切れてしまうかも知れないからね」
外の空気。えっと、いまのあたしは、全裸なんですけど…
「ああそうか、服を着てないんだったね。でも大丈夫。素養のない人々に、今のキミは視認できないはずだから。なんせ、"幽霊"だしね」
「素養のある人には、見えるってことですか?」
「そうだよ。そういう人々は、キミが平然と全裸で街中を歩く恥女にみえてしまう」
言って、くくっと怪しく笑う。
そんなの、イヤに決まってる!
「じゃあ、ボクが帰ってくるまでの宿題をあげようかな。さっき言ったように、ヒメちゃんは強い神力を持っている。神力で、服の顕現もできるはずだから、色々と試してみるといい。ヒントは、"イメージ力"です。退屈しのぎにはなると思うよ。」
明さんは、ドアの脇に置いてあった、小さなポーチを手に取った。
「じゃあ、行ってきます。頑張ってね」
「あ、はい。いってらっしゃい」
ドアから、明さんの姿が消えた。
再び、あたしは1人になってしまった。あたしは八雲のねているベッドにもたれ掛かり、八雲の顔をじっと見つめた。
八雲は、寝ながらにやにやと、口元をほころばせている。幸せそうな寝顔、いい夢でも見てるのかな。
しかし、改めて考えると、とんでもないことに巻き込まれてしまった。こんな珍事、人生の中で1回あるかないかだと思う。明さんの言うことも、ホントに嫌いな超常現象この上ないし、直ぐに信じろって言われても無理な話だと思う。
いけないなぁ。ネガティブになってきてる。あたしの取り柄は、何でもポジティブに考えることができるところなハズなのに。昨日の晩から、どうも調子が狂う。
ここまできたら、ジタバタしても仕方がない。あたしは、ベッドにもたれ掛かったまま、目を閉じた。
きっと、夜には全ての真実が明らかになるんだろうな。ボスって人にも、色々聞いてみたいし。
あたしは、今日訪れる2度目の睡魔に、身をゆだねた。
<話之一 二人言 side:girl 完>