side:Hime 其の肆
あたしたちがスカイツリーから出ると、既に周囲は深夜の沈黙に包まれていた。
今夜は新月の上、新塔京は大気汚染と、まぶしいほどに光るネオンライトにより星が一切見えないので、現在あたし達の周りは、街灯のほのかな明かりしかない。塔京スカイツリーも、接触防止灯が定期的に点滅するのみで、すなわちあたしと八雲は、真っ暗な闇の中を歩いているも同然だった。
スカイツリー前の大時計を一瞥すると、既に三時三〇分を指している。ついさっき関西支部を出てきたような感じがするが、いつの間にこんなに時間が経過したのだろう。先ほどまであたしたちのいた二柱の社は、ずいぶん神秘的なイメージの場所なので、「神の力で時間を超越してました」みたいなことを言われても、きっと疑問も持たずに受け入れてしまうだろう。だが、実際にそんなことはなく、ただ、あたしたちが長時間話し合っていただけなのだ。
あたしと八雲は、街灯を頼りに、今は八雲のバイクが"空輸"されてきた駐車場に向かっている。時間ができたときにでも送り返す、と近藤支部長は言っていたが、まさかこんなに早くバイクが戻ってくるなんて思いもしなかった。
けれどお陰で、新塔京でも今まで通りに活動することができる。やはり支部長を名乗り、おやっさんの元部下ってところなんだろう。
事務所の出際に、おやっさんから教わったその場所は、あたしが初めてこの神滅課に来たときに停めた駐車場とは別の場所だった。そんなに大した広さではないものの、現在は一台も車が停まっていない。ただその空間に、ぽつんと八雲のバイクが置いてあるだけだ。
八雲が小走りにバイクへ近寄り、バイクの周囲を確認する。おそらく、危険物とかを探しているんだろう。そして、ボディに何かを見つけたらしく、それを右手でぴっと剥がした。
遠目には、それは封筒のようにみえた。八雲はそれを、街灯に透かしてみたり、小さく振ったり、耳を当てたりして、そして封筒の口を開けた。中身を取り出し、その"手紙"に目を通すと、苦笑した。
「どうしたの?」
あたしはようやくバイクにたどり着き、ニヤニヤとにやけている八雲に尋ねた。
「近藤支部長からの手紙が貼ってあったんだ。ほら」
そう言って、あたしにその手紙を手渡す。
「なになに…。"この荷物は着払いで送ったので、その代金は来期予算編成の時に関西支部に加算して頂くようにと、木村課長にくれぐれも伝えてくれ"……?」
あたしは読み上げ、頬を引きつらせながら苦笑いした。
「標準語を喋っていたけど、やっぱりあの人も関西人だったってことだろ。予算配分が少ないっていうのは、本当だったんだな」
バイクに跨りながら、八雲が苦笑した。ヘルメットをサイドカーから取り出して被る。
「な、なんか、世知辛い世の中だねぇ…」
あたしも釣られて苦笑いし、サイドカーに乗り込む。
八雲が起動キーを差し込み、イグニッションスイッチを押した。もう、このバイクに乗るのは何度目だろう。いい加減聞き慣れてきた排気音が闇夜の駐車場に響く。八雲が足先でギアを入れた。
「あ、手紙の下の方に、追記があるよ。」
あたしはその手紙の下の方に、小さく丸文字で書いてある文章に気が付いた。
「なんて書いてある?」
「えっとね…。"近々ウチが、総本部に研修で出向するらしいから、塔京案内よろしく"…だって。きっと、弥生さんだね」
「なるほど、こっちも賑やかになりそうだな」
そして、スロットルを握り込んだ。
スカイツリー周辺は静寂に包まれていたが、さすがに銀坐までくると、こんな時間であるのにもかかわらず、まだ雑踏が途絶えていなかった。ここの人たちは、この都会の裏側で、人知れずこんな事件が起きているなんて考えもしないんだろうな。
バイクが信号待ちで停まる。
あたしは二柱の社で明さんの件を話し合っていたときから、ある方法を思いつき、それについてずっと考えていた。
「ねえ、八雲…」
「なんだ?」
その考えた末に浮かんだ疑問を、あたしは八雲に聞いた。
「今のあたしって、精神体…幽霊なんだよね。この状態で、元のあたしの身体に戻るには、どうしたらいいんだろう」
「ん~…とりあえず、お前の身体から八岐大蛇を倒すなりして、出さないとダメだろうな。その後、身体からお前の残留神力が消える前に、凪か那美に頼んで、今のお前とくっつける…それくらいだろう」
赤信号を注視したまま、八雲が呟くように応えた。
「ずっと、考えてたことがあるの」
あたしもその赤信号を見ながら、そして一息置いて続ける。
「今のあたしと八雲は、合一すれば感覚も、視覚も、痛覚も共有するんだよね。それって、今の八岐大蛇に応用出来ないのかなって。あたしがあたしの身体と合一する…全ての感覚を、あたしがあたしの身体と共有するなら、それはあたしが、きちんとあたしの身体に戻るのと何が違うんだろうって思ったの」
信号が青になった。八雲は再びギアを入れ、スロットルを握る。そして、先ほどよりも大きめの声で返してくる。
「理屈としては、間違ってないと思う。でも、どうなんだろうな。肉体と精神の結びつきが、そんな方法で永久に維持できるのか…。それに、例え実行したとして、万が一失敗したときが危険だ。八岐大蛇の"エサ"であるお前を、無防備にヤツの前に差し出すことになっちまう。喰ってくれと言ってるようなモンだ」
「でも、あたしが仮にでも身体に戻ることができれば、八岐大蛇はあたしの身体から弾き出されるんでしょ。その後に、凪くんと那美ちゃんに頼めば…」
「それも、弾き出せるって確証があるわけじゃない。会った初日に言ったろ、前例がないと。もしかすると、同じ身体にお前と八岐大蛇が共存することになっちまうかも知れない」
八雲の眉間に、しわが寄ったのが見えた。やっぱ、無理な話なのかな。でも、あたしが早くあたしの身体に戻るために、色々やってみるべきだとは思う。その度に、八雲に迷惑が掛かるのはわかっているんだけど。
でも、あたしは八雲の妹の話を彼から聞いて、急がなければ行けないと感じた。もちろん、八雲も同じ気持ちでいてくれてるとは思う。あたしを必ず護るって言ってくれたのと、早く元の身体に戻すって言ってくれたのは、ウソではないと思うし、あたしも信じてるけれど、なんか、あんまり時間がない気がするんだ。
だから、あたしは無理を承知の上で、もう少し八雲に食ってかかった。
「だけどさ、あたしが八岐大蛇に取り憑かれたとき、現にあたしは弾き出されてるんだよね。その逆も可能なんじゃないの?次に機会があったら、試させてほしいの」
あたしは八雲に向かって両手を合わせた。
「…考えておく…」
八雲の眉間からしわが消えないまま、その話は終了した。
でも、なんで不機嫌になるんだろう。あたしが、あたしの身体に戻れる。それは、八雲の目的でもあったんじゃないのかな。
なんか、八雲の気持ちが分からなくなった。
八雲は家に着くと、会話も満足にせずに自分の部屋に戻ってしまった。
不機嫌が続いているのは、心からあたしのことを心配してくれてるからなのか、それとも、何か別の理由があるのか。
満足に男性と付き合ったことがないあたしにとって、今の八雲の行動は全く理解出来なかった。確かに危険が伴うけれど、あたしが元に戻れるなら、八雲は賛成して協力してくれると思っていた。
「バカ八雲…」
あたしは、八雲の部屋のドアに向かって呟き、隣の部屋のドアを開けた。
八雲の、妹さん…速水みづきさんの部屋。ずっと神憑になったまま、そのままいなくなってしまった人の部屋。
"次に会ったとき、それはみづきの形をした、全くみづきではないものになってるかも知れない"
八雲が言ったその言葉が、ずっとあたしの心の中に残っている。
だからこそあたしの身体をそのままに、あんまり時間をかけてはいけないことも理解しているはずなのに…。
あたしはベッドに腰掛け、服を脱いで下着姿になる。神力で服を顕現させたり脱いだりすることも、当たり前のようにできるようになった。もちろん、他の人と触れ合うことも。
八雲とキスしたあの時、あたしの心は温もりで包まれていた。少なくとも、八雲も同じ気持ちでいてくれていることが解ったから。でも、今のあたしの心は、真冬の空のように冷え切っている。
もしかして、八雲はあたしを失うことを怖がっている…そう考えるのは、あたしの自惚れだろうか。そうであれば凄く嬉しいのだけれど、それならなおのこと、あたしはこんな精神体ではなく、生身の身体で、あたし本来の姿で八雲の隣に立っていたい。彼と触れ合っていたい。彼と重なりたい。
こんなにも、男性に夢中になるのは初めてで、まったく制御がきかない。恋って言うのは、凄く難しいものなんだな。
夜が明けたら、八雲がいつもの八雲でありますように。
あたしはそう願いつつ、ベッドに横になって布団にくるまった。
再び、暗闇の空間。
おそらく、あたしは今夢を見ている。
もう慣れっこになってしまったこの暗闇の空間を、あたしは真っ直ぐに歩いていた。目の前には、小さな光が見える。この状況は、あたしが八岐大蛇に身体を取られた時と似ている。
ということは、あの光はまた、何かしらの光景を見せてくれるはず。確証はなかったけど、そういう自信があった。
あたしの足は、いつの間にか走り出していた。しかし、その光は大きくなったり、小さくなったり。一向にその光に近づいた感じがしない。
でも、諦めるわけにはいかなかった。その光景を見ないと、後悔すると感じたから。あたしは一度立ち止まると、ステップを踏んでつま先で地面を数回、こんこんと叩く。あたしが、陸上の大会で決勝スタートの前に必ず行う儀式。
あたしは屈んで、両手を肩幅に広げ、地面につけた。そして右足を前に、左足を後ろに、クラウチングスタートのポーズをとる。
「…あたしに、陸上短距離走で勝てると思うなよ…」
どこかで聞いたような台詞をつぶやく。そして、心の中でスタートのブザーを鳴らせた。
そして、両足を蹴り放った。
光に向かっての全力疾走。両手を大きく振り、足は膝の角度を九〇度になるまで上げる。その光まで何メートルあるかは解らなかったが、力の続く限りあたしは走り続ける。
そして、やがてその光は大きくなり、あたしの目の前に、両手を広げた位の大きさになったところで、光は逃げなくなった。
あたしは両膝に手を付け、肩で大きく息をしながら、その光の中を見守る。
そこに見えたのは、やはり塔京都内であろうビル群。ネオンが光る明るい大通りから、少し暗い路地に入ったところだろうか。
そこには、倒れている一人の女性を抱きかかえて号泣する男性を、背後から写した映像。
その男性の姿に見覚えがある。髪型に見覚えがある。そして、その泣き叫ぶ声にも。
それは、間違いなく、八雲の姿。抱きかかえている女性は、あたしと、同じ高校の制服を着ていた。
「…速水、みづき…さん?」
でも、みづきさんは行方不明のはず。こんな光景はあり得ない。
いや、違う。後ろからではよくわからないが、その雰囲気は…。
「あたし…なの?」
もっと近づけば、顔なども確認できるだろうか。あたしは、その映し出されている二人の人物の前に回り込もうとしてみた。光はその通りに動き、風景が回転する。
体を横たえてぐったりとしている女性、それは間違いなく、あたし…。
どうしてこんな映像が映し出されているの?前にこの状況があった時は、事実、その場所その時間に起きた事案だった。でも、いまあたしは八雲の家で、みづきさんの部屋で眠っているはず。こんなことはあり得ない。
(そう、あり得るわけがない映像。でも、ある人の心の中では、あり得るかもしれない映像)
後ろから声が響いた。
あたしはその声に振り返ると、そこには、成城高校の制服に身を包んだ女の子が立っていた。
「みづき…さん?」
確認するかのように呟くと、その女の子は静かに頷いた。
(初めまして、名椎さん)
「はじめまして…。でも、どうして。貴女は神憑に…」
(その通りです、私は今も神憑に憑依されています。私はこの部屋に残る残留思念。そして貴女が今見ているのは、眠っている兄さんの、心の内)
やっぱり!そうじゃないかって思った!八雲は、あたしを失うのを怖がってるんだ。だから、さっきみたいな態度をとったんだ。
どうしよう、すごく嬉しい。
でも、八雲はどうして怪我とかの空想でなく、一足飛びであたしが倒れて…いや、死んでる光景なんかを想像してるんだろう。こうしてみづきさんが出てきているところをみると、彼女が神憑になった事件と関係あるんだろうか。
「なんで八雲は、ここまでひどい結末を想像しているんだろう…。もしかして、みづきさんの一件と関係があったりするの?」
その問いに、みづきさんは表情を曇らせた。
(そうです。これからお話します)
みづきさんは、ゆっくりと語りだした。




