side:Hime 其の弐
大気汚染により、地上からでは全く見えなくなってしまった星々も、上空千mも空へ上がってしまえば、まるでプラネタリウムに映し出された映像のように鮮明に確認出来る。あたしは今乗っているジェットヘリの窓から上を見上げ、生まれて初めて鮮明に見えた星々を眺めていた。
そのジェットヘリは、現在富士山の真横くらいを飛んでいる…そうだ。
そういうのも、現在は夜であり、空の星を眺めることはできても、光の存在しない地上の大自然を眺めることは不可能だから。現在地は、随時目の前のシートに座っているフライトサポーターさんが教えてくれた。このジェットヘリも神滅課の管理らしく、このフライトサポーターさんはあたしの姿が視認できるようだった。
あたしと八雲は今、神滅関西支部から大急ぎで新塔京の総本部へ向かっている。関西支部の支部長である近藤暁彦さんがこのジェットヘリを手配してくれていなければ、あたしと八雲はまだ、愛知県名古屋市辺りの高速道路をバイクで疾走していたはずだ。でもお陰で、連絡をもらってから二時間くらいで新塔京まで戻ることができる。
あたしの隣では八雲が、相変わらず口をへの字に曲げて座っている。そして、足はかくかくと貧乏揺すり。
「まったく…、いつまでしかめっ面してるのよ」
その貧乏揺すりをしている足を掌でぺちんと叩いた。
「そうは言うけどな…」
「とにかく、塔京に着かないと何もできないんだから、どっしり構えてなさいよ」
ふたたび八雲は、口をへの字に曲げてしまう。
「間もなく、新塔京の上空に入ります。着陸時間を含めて一〇分くらいで、スカイツリーに到着しますよ」
目の前のフライトサポーターさんが教えてくれた。窓から地上をのぞき込むと、排気ガスでちょっと煙ってはいるけどネオンの光が見える。
そのとき、下から光の筋がジェットヘリの横を恐ろしい速さで通過した。
「…なに、今の?」
あたしは、再び地上をのぞき込んだ。
しばらく時間をおいて、二度目の光の筋。それは一度目とほぼ同じ位置を通過する。八雲もそれを確認したらしく、シートベルトを外して窓に寄り、地上へと目を凝らす。
そして三回目。今度は、窓ぎりぎりを通過する光の筋。プロペラ周辺で、ちゅいん!という何かが掠ったような音が聞こえた。機体が左右にブレる。
「…これは…超電磁銃の狙撃だ…!操縦士さん、狙われてるぞ!」
言われて、操縦士さんが操縦桿を切る。機体が揺れ、旋回を開始する。今度は反対側の窓の脇を通過する光の筋。
「速水さん、シートに戻ってベルトを付けてください。航路を外して旋回しつつ、スカイツリーに向かいます!」
操縦士さんが叫ぶ。八雲がシートに戻り、シートベルトを装着する。
「どうしたの?」
あたしは、更にしかめっ面になった八雲に声を掛けた。
「…見間違えるものか…。携帯型の超電磁銃は今のところ、国内では二団体にしか配備されてない」
それで、あたしは八雲の言わんとしている事を察した。
「一つめは国内陸・海・空自衛隊。もう一つは…」
「…内閣調査室特務部…神滅課…だね」
八雲が頷き、続ける。
「自衛隊が、オレたちを狙うわけがない。だとすると、神滅課しかない。それも、神滅課に配備されてる超電磁銃は、一丁のみだ。」
「盗まれた…ってこと?」
「自衛隊から盗まれたのなら、今頃大事になってるだろう。それに神滅課がどこにあるのか、比女も知ってるだろう。関係者以外が入れるはずがない。だが、関係者なら…」
八雲は言いながら、携帯電話をポケットから取り出してタップし、耳に当てる。おそらく、連絡先は木村庄司…。
「八雲、スピーカーにして」
それに頷き、八雲は耳から外してスピーカーのスイッチをオンにする。発信音がしばらく続き、ぷつっと音がしておやっさんの声が聞こえた。
『もしもし、木村だ』
「おやっさん、今どこだ?」
『おお、八雲か。今は現場に出てるが…どうした?』
「すぐに神滅課に戻ってくれ。おそらく、荒らされているはずだ…」
それを聞いて、おやっさんの声のトーンが上がった。
『どういうことだ?』
「今、関西支部の好意で、ヘリでそっちに戻ってるが…、塔京上空に差し掛かった辺りで、超電磁銃の狙撃を受けた」
『超電磁銃だと、お前らは大丈夫なのか!?』
おやっさんが叫ぶ。
「なんとかこっちは無事だが。神滅課には今誰もいないのか?」
『伊邪那岐様と伊邪那美様は、今日お出でになる予定がないから、部下が五人だけだ』
「しまったな…。とりあえず、オレたちももうすぐ着く。おやっさんもすぐに戻ってくれ。そして、救急車の手配を。多分…その五人は殺されてるだろう…」
『…わかった。すぐに戻る。伊邪那岐様と伊邪那美様にも連絡を入れておく』
そして、通話は終了した。
八雲が顔をしかめて考え込んでいる内容…それは、あたしにも解るつもりだった。そして、同じ事を考えて、絶望している。神滅課で超電磁銃を使う人、それは…
「なぜだ…」
そして、空を見上げて絶叫する。
「なぜなんだ、アキラぁぁぁぁぁっ!」
八雲の予想したとおり、神滅課総本部は酷い有様だった。
あたしと八雲が到着すると同時に、おやっさんと三人の職員さんも到着したが、地下に降りてエレベーターのドアが開いたとき、漂うその血の臭いにあたしは思わず口と鼻を手で覆い、吐きそうになった。
事務所までの通路に、二人の神滅課職員さんの遺体。全て身体が大きな何かに押しつぶされている。壁には相当数の弾痕があり、ここで何らかの戦いがあったのは間違いない。
事務所のドアは開けっ放しになっていて、室内に更に三人の遺体。遺体の状況は通路の二人と同じで、事務室内の机や棚までも、数多く破壊されていた。武器保管庫は鉄製の分厚いドアに大きな穴が穿たれており、中では銃弾や特殊弾が床に散らばっている。
総じて、目を背けたくなる程の大惨事だった。那美ちゃんと凪くんがいなかったのが幸いだったとしか言えない。
入り口から救急隊員が担架を担いで入ってきた。そして、遺体をひとつひとつ、丁寧に搬出していく。
「まさか、ここがやられるたぁな…。」
おやっさんが室内の状況を見回しながら呻いた。
「明がいなくなった時点で、予想しておくべきだった。神憑に取り憑かれたでもしないと、アイツが勝手にいなくなる訳がないからな」
八雲がその台詞に頷く。
「怪我をしていて、神力も消費している。神憑にとって、これほど取り憑きやすい状況はなかっただろう…。それに…」
八雲がしゃがんで、床に開いた大穴を触る。
「この攻撃痕は、多分八岐大蛇だ。明は、二体目の八岐大蛇に取り憑かれたのか…」
そして、歯を食いしばって俯いた。
「若しくは、あたしの身体も一緒だったか…だね。本当にごめんなさい…」
あたしは、床にしゃがんでいる八雲に優しく抱きついた。小さく、八雲の嗚咽が聞こえる。
「とにかく、伊邪那岐様と伊邪那美様の到着を下で待とう。片づけは、部下に任せる。もうすぐ、数名が帰還してくるはずだ」
あたしと八雲は抱き合いながら、その台詞に従った。
そして三〇分ほど経過し。
二柱の社には、あたし、八雲、おやっさん、巫女姿の那美ちゃん、神祇服姿の凪くんと、五人がそろっていた。全員が全員、その顔には影がある。
「ここが襲撃されるなんてね…。それも、襲ったのが明さんだなんて」
凪くんが呟く。
「でも、本当に明お兄ちゃんだったのかな」
「それしか考えられねぇだろ…。ここに入る方法を知っている、超電磁銃の存在を知っていて、それを扱える…」
八雲が床を拳で殴った。おやっさんが、それに無言で同意する。
「部下を塔京中に散らせて探させてはいるが…未だに見つからねぇしな。八雲と嬢ちゃんが襲撃されたところを見ると、おそらく神奈川との県境ぐらいにいたんだろうが…今部下を向かわせても、もう移動しているだろう」
「僕が明さんの神力を感知しようとしても、全然わからないんだ。何かにカモフラージュされてるのか、完全に神力を消す方法を知っているのか…」
「でも、八雲お兄ちゃんと、ヒメお姉ちゃんを襲った理由は?」
那美ちゃんが、あたしに問う。
「えっと、それは…八雲が、神剣天羽々斬を手に入れたことを知ったからじゃないかな。あたしと八雲は、素戔嗚様の力と稲田姫の力を継いでしまったから、それを感じたとか」
それを聞いて、那美ちゃんはあたしと、八雲の顔を交互に見る。
「ほんとだ。ヒメお姉ちゃんと八雲お兄ちゃん、神力の質が変わってる。それに、すごく力強い…」
それはそうだよね。あたしにはどう変わったか解らないのだけれど、今の八雲は素戔嗚様そのもの、そしてあたしは、稲田姫だといっても過言ではないし。でも、だからこそ、八岐大蛇に感づかれた…んだろう。過去に自分を倒した相手が現世にいる。何とかして消したいと思っても間違いではない。ということは、明さんの神力は、八岐大蛇の眷属だったってことなんだろうか。
「今の八雲さんを見てると、懐かしい感じになるよ。素戔嗚尊は、言ってしまうなら僕とバカ那美の息子だからね。これから、息子って呼ぼうかな」
めずらしく、凪くんが冗談口を叩いた。それを聞いて、八雲が憮然とする。
「冗談言ってる場合じゃねぇだろ…」
「う、ごめん…」
凪くんが八雲に謝る。
「だが、どうやって手を打つ?相手の居所は分からない。伊邪那岐様たちも感知できないなら、ワシらとしてお手上げだぞ」
おやっさんが、両手を広げた。
「いえ、あたしたちがいます」
その場の全員が、あたしの顔を見た。
「えっと、あたしと八雲が、囮になるって意味…です。明さんは、おそらくまだあたし達を狙ってくる。そして、八岐大蛇は残り六人の女性を狙うでしょう。神滅課の人たちには、引き続き稲田姫の神力を持つ人たちを護衛してもらって、明さんは、あたしと八雲で何とかするのが一番だと思った…だけ…です……よ?」
言いながら、あたしは自信をなくした。声がどんどん小さくなる。っていうか、あたしは神滅メンバーじゃないのだから、この意見は差し出がましい。
「なるほど…嬢ちゃんの言うとおりだ」
おやっさんが言うが、それを凪くんが否定する。
「でも、ヒメ姉ちゃんは神滅メンバーじゃない、一応とはいえ一般人だ。八雲さんを信用してない訳じゃないけど、ヒメ姉ちゃんにとってはリスクが大きすぎるよ」
確かに、凪くんが言うことはごもっとも。でも、ここまで巻き込まれて、おまけにあたしの身体が諸悪の根源で、見て見ぬふりができるわけがない。そして、八雲が小さく呟いた。
「いや、いい案だ。心配するな凪、比女はオレが護る。かつて、素戔嗚が稲田姫を護り続けたように…」
続けて、
「それに、オレ自身、明を一発殴らねぇと気が済まないしな。んで、元の明に戻して、一生コキ使ってやる」
あたしは、それに頷いた。そのあたし達を見て、凪くんがため息をつく。
「なるほど、今生でも、やっぱり夫婦ってことだね」
「ふっ…!?」
あたしと八雲の顔が真っ赤になる。
「わかった。こっちは、全力で八岐大蛇の行動を防ぐ。残り二組の神滅メンバーも動員してもらって、全力で八岐大蛇を追おう。だから、そっちはヒメ姉ちゃん達に任せるよ」
頷くあたしと八雲。でも、この件にあたしが名乗り出たのは、もう一つ大きな理由があるわけで。あたしは、くすりと笑う。
「じゃあ、任せてもらったところで、ちょっと内緒にしていたことを発表します!きっと、八雲が一番驚きます!」
暗い雰囲気を吹き飛ばすがごとく、大きな声で宣言して、あたしは立ち上がる。
全員があたしの行動を見守る中、あたしは、胸の前で両手を合わせ、二回柏手を打った。掌に神力を集中させて、声高らかに、"夢の中で"教わった歌を詠った。
「八雲立つ…出雲八重垣…妻籠に…八重垣造る…其の八重垣を…。出でませ…」
その時点で、八雲と凪くん、那美ちゃんが仰天した。きっと、あたしの神力の高まりが見えていたんだろう。
「…神刀、草那芸之大刀!」
そして更に一回、柏手を打ち、その両手を広げた。
あたしの目の前に、まばゆい緑色の光が集約していき、やがて剣の形を取る。それは少し刀身の反り返った、薄い緑色の神力を放つ、刃渡り八〇㎝ほどの片刃の鋼の刀。あたしは右手でその刀の柄を握り、みんなの目の前で振ってみせる。神剣天羽々斬と同様に、緑色の軌跡が空中に残像として残った。
それを見て、最も目を丸くしていたのはやっぱり八雲だった。その次くらいに、凪くんだろうか。
「あはは、出た出た。夢で教わっただけだったし、八雲の見様見真似だから、顕現できるかは半信半疑だったんだけどね。だけど、やっぱ八雲と同じかな。結構疲れる~」
あたしは草那芸之大刀を肩口にひょいと担いで、笑って見せた。
八雲が口をぱくぱくさせながら、ようやく声を出す。
「お、教わったって、誰に…?」
その問いに、あたしはかる~く答えた。
「ん、素戔嗚様だよ」
「い、いつ…?」
「ああ、さっき、関西支部で八雲が寝ちゃった後かな。素戔嗚様とあたし…稲田姫が、須賀の地にたどり着くまで、草那芸之大刀は稲田姫の腰に結ってあったらしいのね。その後は、天照大神に献上されちゃったらしいんだけど。んで、あたしが身につけてたんだから使えるんじゃないかって、素戔嗚様が祝詞教えてくれたんだよ」
そして、八雲が更に口を大きく開けて、呆然とする。
「な、何を考えてやがんだ、素戔嗚…。比女を戦わせられるわけねぇだろが…」
「うん、戦わないよ」
その声に、あたしはさらりと応えた。
「だって、これは"自分で"使うならの防衛の為だけにしろって素戔嗚様が言ってたからね。それに、もう八雲は、あたしが神力を視なくても戦えるだろうし?」
あたしが指摘すると、八雲は言葉を詰まらせた。
あはは、やっぱり図星。出雲で素戔嗚が八岐大蛇と戦ってたとき、そんな素振りを見せてたからね。
「だから、あくまでもあたしは八雲の補助ってことで。もう何回も戦ってる場所に居合わせてるんだもん、いいかげん、あたしも肝が据わるわよ。それにね、はい。」
あたしは、その草那芸之大刀を八雲に投げて寄越した。八雲があわててそれをキャッチする。
「これ渡せるんだよ、素戔嗚様だけには。だって、本来は素戔嗚様が手に入れた刀だからね。要するに、八雲は天羽々斬と草那芸之大刀、二本手に入れたも同然ってこと。あたしはヤバくなったら、八雲と合一して消えるから大丈夫大丈夫」
そして、あたしは柏手を打つ。すると、八雲の手にあった草那芸之大刀が、霧散して消える。
八雲はその後もあんぐりと口を開けたままだったが、やがて観念したように口を開く。
「仕方ねぇな。でも、危ないことは絶対するなよ。」
「わかってま~す。ってか、八雲が護ってくれるんでしょ。信頼してるから」
その状況を見ていた凪くんと那美ちゃんは、ずっと呆然としていたけど、その後に喝采の言葉が出る。
「す、すごいよヒメ姉ちゃん!日本で最強最高に分類される神力を持つ剣を二本も…!」
「ほんとに、ヒメお姉ちゃんはイナダちゃんだったんだね。すごいすごい!」
あたしはちょっとだけ胸を張って見せたが、その途端に、膝が笑ってかくんと身体が崩れ落ちる。
「あ、あれ?」
それを見て、八雲が苦笑した。
「ほれ、言わんこっちゃない。昼間のオレの状況を見てただろうに…。鍛えてるオレでも一杯一杯だったんだぞ、お前がそんなに長く、神力を維持できるわけないだろが」
あたしは、あははと照れ笑いした。
「コレを見ると、草那芸之大刀は本当に最後の手段だな…。比女も無闇に顕現させんなよ」
「う、ごめんなさい…」
そして、ずっと蚊帳の外だったおやっさんが口を開く。
「まあ、これで明の件は八雲たちに任せてもいいって事が解ったわけだ。ワシらは、八岐大蛇に集中しよう。二人は、動けるようになったらとりあえず家に戻って休め。どのみち明が神憑となったのなら、活動時間は夜だろうからな。」
あたしと八雲は、こくりと頷く。
「じゃあ、今日はこれで解散しようか。僕とバカ那美も、いい加減家に戻らないと、お父さんとお母さんが何て言うか。まあ、寝てる事になってるから大丈夫だと思うけど」
そう言って凪くんが締めた。そして、おやっさんが頷いて立ち上がり、上の事務所に戻っていく。凪くんと那美ちゃんも、あたしと八雲に手を振ってお互いに手を繋ぐと、その場から一瞬で"消えた"。
…うん、もう、何が起きても驚くまい。
残されたのは、あたしと八雲だけ。
「ったく、そんな隠し球、もっと早く言えよ…」
しばらくの沈黙の後、いきなり八雲が足を開き、大の字に転がった。
あたしは這いながら八雲の横にいき、その横に転がる。
「ん~…ホントは、八岐大蛇と戦うときが来るまで言うつもりなかったんだけどね。でも、明さんの件で、あの三人を説得するには、一番いい方法かな~って思って。まあ、早く試してみたかったってのもあるけど」
「まあ、いいさ」
八雲が上半身を起こす。そして、何を考えたのか、あたしの手をぎゅっと握った。
「お前は、必ずオレが護ってみせる。そして、身体も取り戻す。何があってもやり遂げて見せる。あの素戔嗚のようにな」
その言葉に、あたしは赤くなりながらも頷いた。
「うん、信じてる」
…あたしの、愛する旦那様…。
心の中で言葉を続け、あたしは、その手を両手で握り返す。
そしてそのまま、あたしは、生まれて初めて愛する男性と唇を重ねた。




