side:Hime 其の壱
「さて八雲くん、これからどうするんだね」
石上神宮の大鳥居をくぐり、セダンの停めてある第二駐車場まで来たとき、近藤支部長が八雲に問うた。
「あ…っと、どうしようか…」
八雲が腕を組む。
あたしと八雲は、布都斯魂大神より、無事に神剣天羽々斬の神力を賜うことに成功した。予定通りなら、このまま千葉県の香取神宮まで行って経津主神に会うっていうルートなんだろうけど。
「とりあえず、関西支部まで戻りましょう。どのみち、オレのバイクが停めっぱなしですし、ちょっと考えたいこともあります。できれば、もう一日置いて頂けると嬉しいのですが」
近藤支部長は頷いたが、ふっと思い立ったように続けた。
「それは構わないが…。でもいいのかい、なるべく早く関東に戻らないと、八岐大蛇が活動を再開するかも知れないよ」
「もし、活動再開が見受けられれば、オレの携帯電話に連絡が入ることになっています。そして今日は新月です。一日くらいは、大丈夫だと思いたいですね」
なんかおかしいな。せっかく天羽々斬が手に入ったのに。八雲のことだから、すぐにでも行動を起こすと思ってたんだけど…。
「八雲、あんた…」
あたしは八雲の肩に手をかけて、小声で語りかけたが、八雲はその手を握り返し、あたしの顔を見て微笑んだだけで、何の返答も返してこなかった。
その力ない微笑みを見て、あたしの頭に、布都斯魂大神が言った一言が過ぎる。
"顕現には相当な量の神力を必要とする。それだけは覚悟しておいて"
…なるほど、そういうことなのね。
今の八雲が必要としているのは、"休むこと"なんだ。
おそらく、さっき神庫の外で天羽々斬を顕現させたとき、予想以上の神力を消費してしまったに違いない。きっと、考えたいことがあると言ったのも方便なんだろう。今こうやって平静を装っているのは、近藤支部長や弥生さんに、心配をかけたくないから。
ほんと、不器用なヤツだなぁ。同じ神滅で身内も同然なんだから、疲れたって素直に言えばいいのに…。
あたしは、そんな八雲を見て、肩を落としてため息をついた。
「ほら、比女ちゃん、いくで~!」
近藤支部長のセダンの横で、弥生さんが手を振っていた。
「はーい、今行きまーす」
叫び返し、あたしは車まで駆けていった。
三〇分後、あたしたちは関西支部まで戻ってきていた。
玄関を開け、近藤支部長と弥生さんが中に入っていく。あたしと八雲はそれを見送り、一足遅れて玄関脇の二階へ続く階段に向かった。
八雲の顔を見ると、あたしの思ったとおり、少し青ざめている。額からは脂汗も流れていた。
あたしは八雲に寄り添うと、彼の腕を肩にかけ、右手を腰に回した。
「キツイ?」
八雲の顔を見る。すると、八雲はめずらしくも素直にこくりと頷いた。そして、ゆっくりと階段を昇ってゆく。
八雲の部屋のドアを開けて室内に入り、照明を点け、ベッドに彼を寝かせた。
「どうする、お水でも持ってこようか」
「いや、いい…。傍にいてくれ…」
その台詞に、彼の顔が素戔嗚様の顔とダブった感じがした。
なんか、出雲の國の件を経験してから、八雲からちょっと角が落ちた様な気がする。
あたしは八雲が寝ているベッドに腰をかけた。
「くっそ、布都斯魂大神め…なにが"相当な量"の神力だよ。"ほとんど"の間違いだろうが…」
そして、大きく息をつく。
「あたしが稲田姫の力を継いだように、八雲は素戔嗚様の力を受け継いだんでしょ。それでもこんなに消費するんだ。さすがは、神剣ってところ?」
八雲に布団を掛けながら聞く。
「ああ。出雲で素戔嗚が使った天羽々斬は、神格化前のただの鉄剣だったが…神が宿ると、こんなにも違うモンなんだな。この感じだと、顕現できるのは一日一回が限度っぽいな…」
八雲が、自分の右手を見て呟いた。
「上手に、今までの武器を併用していくしかないね。イザって時だけ天羽々斬は使うようにしないと。でも、八雲なら多分大丈夫だよ」
あたしは、八雲顔を見つめて、微笑んだ。
「ん、どうした?」
八雲がそれに気が付いてこっちを向く。
「ん~ん、なんか、ずいぶんと長い間アンタといる気がして。実際には、まだ出会って四日目なのにね。やっぱり、稲田姫の記憶を経験したからなのかな」
「それでも、体感時間で一〇日そこそこなんだけどな。でもオレも同感だ。お前と…比女と、ずっと一緒にいたような気がする」
…比女。
なんでだろう、八雲に名前を呼ばれる度に、胸の奥が暖かくなる。
「ようやく、名前を呼んでくれたよね。なんか、嬉しかった」
「ん、今まで呼んでなかったか?」
「うん。ずっとお前とか、コイツとか。そんな感じ」
「そうか…」
あたしは、稲田姫の記憶を経験して、思ったことがある。
ずっと心のどこかで否定し続けていたんだけど、稲田姫として素戔嗚様と一緒になって、八岐大蛇を討伐して、この気持ちは本物だって気が付いた。やっぱりあたしは、間違いなく稲田姫の化身なんだ。稲田姫が素戔嗚様に抱いていたものと同じ想いを、今は八雲に感じている。あたしは名椎比女であり、稲田姫であり…。
この気持ちは、きっと、恋…なんだよね。生まれて初めて持った愛おしい気持ち。
あたしは、微笑みながら八雲の顔を見続ける。
「な、なんだよ。お前、おかしいぞ、どうしたんだ」
「ん~ん、なんでもない」
でも、まだ言ってあげない。
だって、素戔嗚様の気持ちは兎も角、まだ八雲の気持ちが、イマイチ掴めていないもの。それに、自覚もないみたいだしね。きちんとあたしを見てくれるまで、それはお預け。
あたしと八雲が、再びこの時代で出会ったのは、きっと運命だったんだね。
「さ、八雲。少し寝なよ。あたしはここにいるからさ」
「そうだな。悪いけど、そうさせてもらうわ…」
八雲は目を閉じた。
あたしは布団をかけ直してあげると、そこから降り、もたれ掛かって天井を見上げた。そして、あくびをひとつ。
稲田姫の追憶…。そのせいか、案外あたしも疲れていたのかも知れない。
八雲に習い、あたしもゆっくりと目を閉じた。
目の前に、草原が広がっている。緩やかな優しい春の風が髪を凪ぎ、あたしは左手でその髪を押さえた。
あたしは、その緑一色、美しい草原を眺めながら、隣に立ち、同様に風景に見惚れている男性へと微笑みを向けた。そして、その男性へと寄り添う。
その男性は…素戔嗚様。
あたしは再び、稲田姫としてこの地に立っていた。
だけど、目の前の草原。あたしの住んでいた村の周囲に、このような草原があるという記憶はない。出雲の國のどこかであることには間違いはなさそうだけれど、素戔嗚様と共に、新天地へとやってきたのだろうか。
隣に立つ素戔嗚様が、声高らかに、歌を詠んだ。
「夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁…」
そうか、こここそが須賀の地。あたしと素戔嗚様が、この後永遠を共にする地。
あたしは、素戔嗚様の詠んだ歌を繰り返し呟いた。
「八雲立つ…出雲八重垣…妻籠に…八重垣造る…其の八重垣を…」
あたしは、耳元で何かが動く気配に気が付き、目を覚ました。同時に耳に入ってくるのは、八雲の携帯電話から流れる、「トゥーンミュージック」の音楽。窓を見ると、外は既に日が沈んで暗くなっている。
八雲は横になったまま布団の中からごそごそと、けたたましく鳴る携帯電話を取り出すと、受話スイッチをタップした。
「もしもしぃ…、ああ、おやっさんか。ああ、天羽々斬は手に入れたよ。それよりどうし…」
そこまで話して、いきなりベッドからがばっと起きあがる。なんかあったのかな。
あたしは寝ぼけ眼のままに、その光景を見守る。
「ああ、わかった。すぐに戻る。」
真剣な眼差しだ。
「どうかしたの?八岐大蛇が動き出したとか…?」
あたしが尋ねると、八雲が受話スイッチをオフにしながら言った。
「いや、そうじゃねぇが…。塔大病院から、明がいなくなったらしい。いま、神滅課が総動員で捜索してるらしいが…。あいつ、肋骨折ってるくせに…」
八雲はベッドから降りて立ち上がると、壁に掛けてあったコートを着込んだ。あたしも、その言葉を聞いて、脳みそを無理矢理フル回転させる。
「比女、すぐに戻るぞ。アイツが何の意味もなく勝手に動くなんてあり得ねぇ。何かあったに違いないんだ」
ぎりりと歯ぎしりをする。
「うん、わかった。でも、もう身体はいいの?」
「昼間よりはマシになった。でも、そんな場合じゃねぇからな。近藤支部長に挨拶して、すぐ出よう」
「うん…!」
あたしは立ち上がると、八雲と共に部屋を出た。
そして階段を駆け下り、一階奥のドア脇にある開閉スイッチをタップ、事務所に雪崩れ込んだ。
「近藤支部長!」
あたしが、事務所の奥に座って書類整理をしていた支部長に声を掛けた。
「おや、慌ててどうしたんだい」
近藤支部長はペンを止め、こちらを向く。
「すみません、本部で異変があったようなので、これでお暇させて頂きます!」
八雲が早口で叫んだ。その態度を見て、近藤支部長が続ける。
「ふむ、急ぎの様だね。八岐大蛇が動き出したか?」
「いえ、そうではありませんが…重傷の明…いや、パートナーが、病院から姿を消して、行方知れずだと連絡がありました。何かの騒ぎに巻き込まれた可能性がありますので…って、あああもう!急いでるのに!」
「ほら、ちょっと落ち着きなさい」
足をばたばたと足踏みしながら慌てる八雲に、あたしは横からつつく。
近藤支部長は少し考えた末、言った。
「ふむ、ここから新塔京まで、高速を使って八時間くらいか…。よしわかった。ヘリを手配してあげよう。大阪からここに到着するまで二〇分ほどかかるが、飛べば一時間ちょっとで新塔京にたどり着ける。すぐ近くに、ヘリが降りられる大きさの公園があるから、そこへ行ってくれ。弥生!」
近藤支部長が、鳥居の奥に向かって叫んだ。その奥から「なんや~?」という弥生さんの声が小さく返ってきた。
「八雲くんと比女さんを、例の公園に案内してあげなさい。」
弥生さんがスポーツウェアのまま鳥居から顔を覗かせる。相当汗をかいているところを見ると、トレーニング中だったのは間違いなさそう。
「ん、ヘリやね。でも、八雲さんのバイクはどないするん。総本部にもどるんやろ?」
「時間ができたときにでも、送り返すさ。着払いでね。急いでいるみたいだ、すぐに行ってくれ」
いいながら、電話の受話器を取り、電話番号を素早くタップしていく。
「わかったわ。ほんじゃま、八雲さん、比女ちゃん、いこか~」
相変わらずののんびり口調である弥生さんだったが、目には鋭い光が灯っているのが見て取れた。
八雲とあたしは、弥生さんと共に走り出す。そして、関西支部をでて、住宅街の中を疾走する。
「その公園、遠いの!?」
走りながら、弥生さんへ疑問を飛ばす。
「五分くらいやね、全力疾走で!」
「ぜ、全力疾走で!?」
「そうやよ、全力疾走で!…あ、ってか、ヘリが来るまでに着けばええんやから、走る必要ないやんか!」
そう言って急ブレーキ。う、こんな時まで、関西人のノリだ…。あたしと八雲は肩で息をしながら顔を見合わせた。
「いやぁ、すまんすまん。おとんの声が、えらい緊迫した雰囲気やったもんで、それに流されてしもうたわ!」
あはは、と照れ笑い。あたしもそれに釣られて苦笑すると、そのまま三人で歩き出す。
「でも、関西支部はヘリなんて使うんだね。やっぱり、守備範囲が広いから?」
あたしが隣で歩く弥生さんに問う。
「そうやよ。いっつもその公園にヘリが降りんねん。おかげで、地元の子供達からは、その公園が"ヘリ広場"っていつの間にか呼ばれるようになってやなぁ」
そんな話をしているときも、八雲は何かを思い詰めるような顔をしている。あたしは、八雲の脇腹をつついた。
「思い詰めてもしょうがないよ。まずは新塔京に着くことだけを考えよ。全てそれからだよ」
「解ってはいるんだが…。」
そして、さらに顔をしかめる。
夜空の遠くから、ヘリのプロペラ音が小さく聞こえてきた。
「ん、もうすぐ来るみたいやね。もう、公園は目の前やで。間に合いそうや」
その言葉通り、その路地の先に、ちょっと大きめの児童公園が見えてきた。あたし達がその公園に入ると、その上空にヘリが滞空する。弥生さんがポケットからペンライトを取り出し、上空のヘリに向かって、それで大きく円を描いた。
ヘリが降下を開始し、あたし達はそれに走り寄る。そしてヘリは着地、ハッチが開いて、搭乗員が手招きした。
「ありがとう弥生さん。近藤支部長によろしくお伝えください!」
叫ぶくらいじゃないと、ヘリのプロペラ音に声が掻き消されてしまう。あたしは弥生さんに頭を下げた。
「気にせんでええよ!でも、そうやな。今度ウチがソッチ行ったとき、新塔京案内してや~!」
「うん、どこ行きたいか、考えておいて!」
「了解や!さあ、八岐大蛇しばき倒してき!ガツンといわせなあかんで!」
弥生さんが右拳を、あたしに突き出した。あたしも拳をつくって、それに合わせる。
あたしと八雲がヘリに乗り込むと、ハッチが音もなく…聞こえなかっただけかも知れないが閉じ、ふわりと浮かぶ。そして、みるみる弥生さんの姿が小さくなる。弥生さんは、ずっとペンライトを大きく振っている。
「さあ、戻ろう八雲」
あたしは、シートに身を沈めて言う。
「ああ…これからが本番だ」
八雲が新塔京方面をにらんで、強く頷いた。
月の光のない夜空を、あたし達を乗せたヘリは、疾駆し始めた。




