side:Girl 其の壱
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
暗闇に響き渡ったのは、確かにあたしの声だった。
見ると片手だけではなく、あたしの両掌が真っ赤に染まっていた。
これは、間違いなく…血。
四つんばい状態の身体が、携帯電話のバイブレータのようにぶるぶると小刻みに震える。
まるで、はいずりが出来るようになった赤ん坊のように、あたしは両手で見えない闇の中をわなわなとまさぐる。
「いや…いやぁぁぁ!」
震えつつも周囲を探る手が、何かにこつんと当たった。
視線を、"それ"に向けてはいけない。警鐘がけたたましく脳内で鳴り響く。"それ"を見たが最後、きっとあたしは後悔の念に苛まれる。なぜか、そんな確信を抱く。
しかし、人間の好奇心のなんと惨いことか。
あたしは、"それ"にゆっくりと視線を動かしてしまった。
そこに見えたのは…
「手」
手だけではない。手首、腕、肘、二の腕、そして肩。
ベージュ色の衣服に赤いシミのついた、人間、もしくは造形の良く出来た人形のパーツ。
指は、本来人間が動かせる範囲外の方向に曲がって固まり、肘からは衣服を突き破って、灰色の棒状のものが飛び出している。もちろん、肘も角度がおかしい。そこから、真っ赤な液体がしたたり落ちていた。
恐る恐る、どんどんと視線をずらしていく。
肩から胴体へとパーツは繋がり、胴体も所々が拉げて、灰色の棒が突き出ている。
この突き出ている棒は、おそらく「骨」。
胴体は下半身へと繋がり、腰から下に本来あるはずの両足は、腿辺りで無くなっている。ここで、あたしは気がつく。
この"造形の良く出来た人形"は、あたしと同じ衣服を着ている。
ベージュ色のブレザー、胸にはあたしの通う高校「成城高等学校」の校章、ちょっと短めの、チェック模様の赤いスカート。白いワイシャツに赤いリボン。
あたしは、順番に人形と、あたし自身が身につけている制服を見比べる。
間違いはない。成城高等学校の制服。毎日来ている制服だもの、見間違えるはずがない。
あたしの制服も、その人形と同じく、まるで赤い絵の具を頭からかぶったかのように真っ赤に染まっている。
どうして、あたしも真っ赤なの?
あたしの身体に、痛いところなどはない。身体が重く動かしづらいだけで、五体共に正常…に感じる。
更にゆっくりと、その人形の首から上へと視線をずらす。
そこには、小柄な頭がついていた。
髪は薄く染めた黒茶色、ちょっとだけ伸びたショートカット、小さな鼻、そして、苦悶に満ちた、何処を見ていたかも分からないような瞳。歯を食いしばった、口。
「うそ…」
不意に、あたしの眼から涙がこぼれ落ちる感触がした。
いや、確実に、今のあたしは涙を流している。なぜなら、その"造形の良く出来た人形"と形容していたモノは…。
「祥子…?」
そこに横たわっていたのは、あたしの親友「大友祥子」だった。
どうして、どうして祥子が死んでるの!?
どうして、あたしは真っ赤なの!?
今あたしがいる暗闇の中には、あたしと、祥子だけ。
あたしは血で真っ赤に染まっていて、目の前には無惨にも命を散らした祥子の亡骸。
ここから考えられる事は?
「あたしが…殺した…?」
あたしは、その場にぺたんと座り込み、ゆっくりと両手を自分の頬に当てる。きっと、頬も血で真っ赤に染まったことだろう。
涙は止めどなく流れ続けている。
心は既に、絶望の淵に立っている。
「どうして…どうして…、なんで、こんなことに…。祥子ぉ…!」
嗚咽を漏らすあたし。重く動かない両手で、髪の毛をぐしゃぐしゃと掻きむしる。
あたしが、祥子を殺すはずがない。そもそも、殺す理由がない。高校に入学してからほぼ二年、彼女との付き合いはそれからだけど、一緒に遊んで、一緒に悩んで、ケンカして、本当に親友と呼ぶに相応しい間柄だった。
それに、今日は彼女と一緒に家路についたんじゃなかったか。
記憶は相変わらず朧気だが、間違いないように感じる。彼女があたしの隣にいて、微笑んでいた気がする。
本当に、見てはいけなかった。
この、まだ生暖かい血。頬を伝う涙。あたしが嗚咽を漏らす声。
夢にしては、リアルすぎる。
いや、これはもしかしたら、今流行りの仮想空間かもしれない。五感の直接同期数値の高い、高性能サーバの中にいるのでは。造形能力が超精密にできたプログラムなのでは。
…あり得ない。
電脳世界に感覚をフルダイブ出来る時代だとはいえ、あたしはそんな高価な機械は持っていないし、祥子も同様。
もしそんな可能性があるのだとしたら、あたしと祥子が、もしくはあたしのみが誰かに拉致られたとか。そして、眠らされるとかして、無理矢理仮想空間にダイブしてるとか。
そんな縁はないし、恨まれるような覚えもない。祥子にそんな事が出来る知り合いがいるなんて、聞いたこともない。あたしは健全に、生まれてから17年間生きてきたと思う。
祥子のイタズラとか…。
それこそ、あり得ない。祥子はそんな子じゃない。祥子は控えめで、いつもあたしの隣でニコニコと微笑んでいる様な子だ。いたずらにしては、度が過ぎている。
色々と考えているウチに、ちょっとだけ冷静になれた感じがする。
あたしは、祥子を殺してない。
これは、夢か、何かの幻想、若しくは超常現象だ。相変わらず、気持ちは海溝の底に沈んでいるかのようだけれど。
あたしは、辺りをゆっくりと見回してみた。相も変わらず、見渡す限りの漆黒の空間が広がっているのみだけれど、何かをしていないと落ち着かない。
そのとき、ふっと視線を流した先に、何かが見えた。
それは、小さく、キラキラとした、
「光…?」
そう、光だ。その光は、どんどんとあたしに近づいてくる。
いや、近づいているのではない。大きくなっているのだ。
その光は、たっぷり30ほど数える時間の後に広がり、あたしが1人が通れるくらいの大きさの円になった。
目が、その光の強さに慣れてくる。
光の円の中に見えたのは、狭い路地と、建ち並ぶビル群。そして、路地の先に静かにたたずんでいる、人影。
ネオンと月明かりの逆光で確認しづらいけれど、その人影は男性のように見えた。その男性は、両足を肩幅に開き、右手で持っている長い棒を、肩口に担いでいる。左手に持っているのは…小型のタブレットPC?
あたしの身体が、あたしの意志に反して、ゆっくりと動いた。立ち上がり、腰を曲げ、両手をだらりと身体の前に垂らし、まるで猛獣が獲物に襲いかかるかのように、視線は男性を睨み付ける。
あたしが一生懸命抑制しようとしても、身体は言うことをきかない。何かに遠隔操縦されている感じって、こんなものかと思う。
身体は、一歩一歩、祥子の遺体を踏みつけ、じりじりと男性に近づいていく。
なぜだか、あたしの頭の中に、得も知れない意志が流れ込んでくる。
『喰イタイ…喰イタイ…喰イタイ…』
え、食べるの!?
相手は人間、あたしも人間。あたしに、そんな趣味はない!
止まって、あたしの身体!
一生懸命、脳が全身に抑制の信号を送るけど、身体は言うことを聞いてくれない。
もう、男性までの距離は10メートルもない。男性が、肩口に担いだ棒を、ゆっくりと身体の前に構えた。
この距離なら分かる。
あれは…白銀に鈍く輝く、剣。
いや、正確には、太刀?
「キシャァァァッ!」
あたしの口が叫んだ。
人間の声ではない、身の毛も弥立つほどの、化け物の叫び。子供の頃に観た怪獣映画のモンスターが、たしかこんな声を上げていた。
剣を青眼に構えた男性は、何かを喋っているようだけど、あたしにはそれが聞き取れない。耳が、耳としての機能を発揮していない。どうやら、あたしの身体は、もう完全にあたしの身体ではなくなっているようだった。
男性が、何かを叫んだ。
それが、この"戦いの開始の合図"だったんだと思う。
あたしの身体は、一直線に男性に飛びかかっていく。男性は身じろぎもせず、青眼に太刀を構えたままだ。そして、あたしの拳が男性の胴に当たる刹那。
男性の構えていた太刀が、文字通り横薙ぎに「一閃」した。
あたしの身体は、捻ってその一閃をすれすれのところでかわす。地面に四つんばいで着地し、埃をまき散らしながら再び、男性に飛びかかっていく。両手を大きく広げ、狙っているのはその男性の「首」。
まるで、3D映画を観ているかのようだった。あたしに迫り来る太刀をひらりと避けて離れ、また近づいて攻撃を加える。
互いに火花が飛び散るかのような、緊迫した雰囲気のアクション巨編映画ってところかな。
男性の太刀は、横薙ぎ、縦斬り、斬り上げ、そして柄を利用したフェイント攻撃と、次々にあたしの身体に繰り出してくるが、あたしの身体もそれを寸前でかわしている。随時場所を細かく移動し、あたしの身体と男性の影が交差し続ける。
ふっと、男性が体勢を崩した。
足下にあった、祥子の遺体に躓いたようだった。
その途端にあたしの両手は男性の首に"巻き付き"、絞めににかかる。
男性が絶叫した。
悲鳴じゃない。誰かを呼んだ…?
そのとき、あたしの身体と、首を絞められている男性を囲む感じで、アスファルトに4つの楔が上空から打ち付けられた。
楔それぞれが、上部から4枚に開き、中から出てきた端子のようなものが発光する。その端子から、四方に稲妻のようなものが発せられ、あたしの身体と男性の身体を包み込んだ。
「キシャァッ!」
2度目のあたしの身体の絶叫。手から男性を取り落とし、男性はバックステップでその稲妻から逃れる。
身体が痺れる。意識が遠のく。
雷に打たれるのは、こんな感じなのかな~なんて、巫山戯たことを考えつつ…。
あたしは、意識を完全に失った。