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暗闇ヲ駆ケル花嫁  作者: 喜多見一哉
話之肆〈二羽語-夜幣賀岐 (フタバガタリ・ヤヘガキ)〉
17/35

side:Inada-Hime 其の弐

 その夜、わたしの村では素戔嗚(すさのお)様の来訪を歓迎する宴が催されていた。

 村の中央の篝火の周りには、おおよそ五〇名を超えようかという人々が近隣の村よりも訪れ、歌い踊り、そして食事を楽しみ、話に花を咲かせていた。

 主賓はもちろんのこと、日の本の皇子である素戔嗚様だったが、私の父より、素戔嗚様が八岐大蛇(やまたのおろち)討伐に名乗り出てくれたこと、そして、わたしがその後に素戔嗚様に嫁ぐことが告げられると、ひときわ大きな歓声が上がった。近隣の村の人々も、八岐大蛇の噂を聞きつけ、恐れていたのだろう。

「うむ、これは美味いな!」

 わたしが素戔嗚様の杯にお酒を注ぎ、それを彼は一口で呷ると、感嘆の声を漏らした。

「出雲の國は稲作が盛んで、とてもよいお米が採れるのです。ですからこうして、素晴らしいお酒を造る事ができるのですわ。お気に召されましたか」

わたしはもう一杯、杯に注ぎながら言った。

「なるほど、高天原(たかまがはら)の酒も大概良い酒だと思っていたが、この國の酒は更に格別だ。よい土地よのう」

「お褒めいただき、光栄ですわ」

わたしが微笑む。

 二杯目のお酒を素戔嗚様は呷り、ふっと、考えるような仕草をした。そして、素戔嗚様を挟んで、私と反対側に座っていた父上に、何かを耳打ちする。

 父上は大きく頷くと、すぐに近くの村人を数名呼んで、更に耳打ち。村人は、そのまま酒蔵に駆けていった。

「…どうか、されたのですか?」

聞くと、素戔嗚様は大きく笑い、

「なに、八岐大蛇を討伐するのに、うってつけの良い方法を思いついた。折角これほどの美味い酒があるのだ、使わぬ手はあるまい」

と、不敵に微笑む。

なるほど、八岐大蛇は酒好き。毎年捧げられるお酒も、きれいに平らげている。素戔嗚様は、そのことを知っていたのだろうか。

そのとき、ふっと素戔嗚様が自分の頭を右手で押さえた。なんだろう、体調でも悪いのだろうか。

「どうか、されましたか」

わたしが声を掛けると、素戔嗚様は微笑んだ。

「なに、大事ない。汝と出会ってからだがな、時折、こうして頭に痛みが走るのだ。理由は分からぬが」

素戔嗚様もわたしと同じに…?

「わたしもでございます。素戔嗚様に出会ってから、度々そのように。そして、頭に声が響くのでございます」

(キニヤムベキデハナイ)

言ったそばから、頭に響く声。

今度は、私と素戔嗚様が、同時に頭を押さえる。

「ふむ、どうやら我と汝は、何か共通するものがあるようだな」

「そのようですわ」

お互いに顔を見合わせて笑った。

 わたしと素戔嗚様は、しばらく歓談と食事を楽しんだ。酒に酔ったのか、素戔嗚様はずいぶんと饒舌で、生まれた地である高天原の話、姉弟の話、なぜ放浪することになったのかなど、わたしにずいぶんと語ってくれた。中でもわたしが特に興味を引いたのは、素戔嗚様が討伐した"神"の話。

「…でだな、その神は、人に取り憑いて悪さをするというものであったのだ。奴を倒すのは苦労したぞ。奴の拳の後にな、遅れて見えぬ拳が飛んでくるのだ。見えぬ奴の拳を避けるのに、我は巫女の力を借りてな……」

なぜだろう、その話は、私も聞いたことがあるような。

「巫女の指示通りに、我は攻撃を避け続け、隙を見て剣を突き入れ、やっとのことでその"神"を討伐したのだ。あのような"神憑(かみつき)"は初めてだった。」

"神憑"?その言葉を聞き、わたしは頭のどこかに引っかかる何かを感じる。

「素戔嗚様、その"神憑"とは…」

「ああ、神憑きとは、そうやって人に取り憑く神の総称で、オレはその神憑を浄化する団体…に……」

言いながら、素戔嗚様は頭を押さえる。

それに、今の話し方…なぜか、今までの素戔嗚様の話し方とは印象が違って感じた。

「…何を言っているのだろうな、我は。そのようなこと…この世にあるわけが…いや…この神の時世に……」

素戔嗚様が頭を押さえ、そのまま歯を食いしばる。額には、脂汗が流れるのも見て取れた。

「素戔嗚様、大丈夫ですか。もう、お休みになった方が…」

「う、うむ、そうだな。では済まぬが、そうさせてもらおう」

わたしは素戔嗚様に肩を貸し、立ち上がる。

「素戔嗚様、どうされたのですか」

父上が、立ち上がった素戔嗚様を見て、心配そうに声を掛けてきた。

「いや、どうやら美味い酒に酔ったようだ…。済まぬが先に休ませてもらう」

「左様で。では稲田、素戔嗚様を(ねや)に案内して差し上げなさい」

「かしこまりました」

わたしは頷くと、素戔嗚様を伴って家に向かい歩き始めた。

 閨に入った後、素戔嗚様の様子は更に悪化した。頭を押さえ、脂汗を流しながら、時折呻き、何かを呟く。わたしはそのまま彼を寝台へと寝かせ、額から流れる汗を手ぬぐいで拭き取りながら、様子を見守る。

「大丈夫ですか、素戔嗚様」

私が顔を覗き込むと、素戔嗚様は力なく笑った。

「先ほどから、我の頭の中で、我ではない"我"と、知らぬもう一人がささやくのだ…。何かを忘れたくない我と、それを忘れさせようとする何者か…。一体どうしたのだ、我は。解らない…」

そして再び呻く。

「忘れてはならない何かとは、なんだ…。何を忘れさせようとしている。我は…オレは、一体何をしようとしている?何をさせようとしている!」

再び、素戔嗚様がご自分の事を"オレ"という。

「お水を持って参りますわ。すこし、安静になさっていてくださいませ」

立ち上がろうとしたわたしを、素戔嗚様の腕が制した。

「いや、いい。お前はオレのそばに…いてくれ。そうだ、ずっと、オレのそばに…ヒメ…」

素戔嗚様は気を失うが如く、目を閉じ、寝息を立て始めた。

 わたしは、そんな彼の汗をぬぐいながら、じっと眠る顔を見つめた。

 素戔嗚様が最後に呟いた"ヒメ"と言う言葉。誰のことを言ったのだろう。確かにわたしはこの村の姫ではあるが、この言葉はわたしを指して言ったのではない気がする。他の誰か、わたしによく似た人と重ね合わせたのだろうか。

 (ヒメだって。会ってからずっと、あたしのことを名前で呼んだことなかったくせに)

ふっとよぎる台詞。

…誰の言葉だろう。それに、わたしは、こんな事を以前にもしたことがある気がする。隣で眠る彼を、わたしは横で見つめ…

(ソノキオクデハナイ)

頭の中に、昼間から聞こえる何者かの声が響く。わたしはまた、軽い頭の痛みに苛まれる。

(ほんと、無茶ばっかりするんだから。でも、それでこそ彼ってかんじ)

そう、無茶ばかりする。そんな彼を、"あたし"はずっと見てきた。

…あたし?

…ずっと見てきた?

わたしと素戔嗚様は、今日の昼に出会ったばかりで…。

(ソウダ、デアッタバカリダ)

再び響く声。

(ずっと見てきたよ、彼を。だってコイツ、あたしがいないと今はろくに戦えないじゃない)

一体、誰の声?わたしと、頭の中でささやく"あたし"、それに…。わたしは、両手で自分の頭を抱える。

(ワスレロ)

(忘れちゃダメ、あたしには、この人を忘れることはできない。わたしは、比女は…)

誰、だれなの、わたしの頭の中で語らないで!わたしは稲田"姫"よ、比女ではない!

(ソウダ、オマエハ"イナダ"ダ)

(ちがう、あたしは"比女"よ!思い出して、あたしがここにいる訳を!)

頭痛がどんどん酷くなる。わたしは、頭を抱えたまま蹲る。

やめて、頭の中で鬩ぎ合わないで!

 そして、耐え難いほどの激痛が、わたしの頭を襲った。


 わたしは、真っ暗な場所に立っていた。

 見渡すと、そこは出雲の國ではない。見たこともない背の高い大きな黒い建物の影が何本もそびえ立ち、その合間から見える空には、ほのかに光る月があるのみで、星明かりが一つも存在しない。それでも周囲を見渡せるのは、灯籠よりも明るい、棒の先に灯った光が数多く存在するからだ。その光が、その先にいる二人の人影を照らし出している。

 その二人は、どうやら戦っているようだった。二人とも見たことのない衣服に身を包み、片方は右手に剣を、もう片方は素手で、お互いに激しく重なり合っている。

 誰なのだろう。わたしは、もっと近くまで、そして、二人の邪魔にならない距離まで歩み詰める。そして、剣を握っている人影を確認した。

 あれは、素戔嗚様!?

 髪型や、雰囲気こそ素戔嗚様と相違なるところがあるが、顔立ちは素戔嗚様そのものだった。その男性は、もう一人の男の懐で、小さく剣を振るい続ける。

 そして、その素戔嗚様に似た男性に重なるように見える、一人の女性…。しきりに叫んで、どうやらその男性に助言を送っているようだ。

 長い髪を振り乱して、大声で男性を鼓舞する女性、それは…

「わ、わたし…ですの?」

 そこには、わたしと瓜二つともいえる女性がいた。

 そして、風景が一変する。

 目の前には素戔嗚様に似た男性、そして、わたしに似た女性。その二人の見る先には、衣服を乱したもう一人の"わたし"…

 男性が剣を構えて走っていき、衣服を乱した"わたし"が咆哮する。すると、その彼女の周囲に八本の巨大な光の筋が現れ、その一本が素戔嗚様に似た男性に突き進む。

(だめ!横に跳んで八雲!)

わたしが言ったのか、それとも、目の前の男性に重なる女性が発した声なのか。男性は、その声に従って横に飛び退く。

 光の筋はそのまま後ろにそびえる樹を激しい音を立てて数本なぎ倒す。

「なんだよ、こりゃぁ…」

男性が呻いた。

(また跳んで!後方に1m以上!!)

再び、男性が指示に従って飛び退いた。もう一本の光の筋が、その場所に突き立ち、地面を砕く。

 そうだ。わたしはこうして、目の利かない彼を手伝った…気がする。彼は力を見ることができなかった。だから、わたしがそのかわりに…。

 男性が、尻尾に見える光の筋になぎ倒され、そのまま樹に激突する。そして、男性にゆっくりと歩み寄る、光の筋。

「オマエ、ハチバンメ」

それは、男性に重なっている"わたし"に向けられた言葉だった。

「イマ、タベナイ。スサノオ、ワカレロ、スサノオコロス。オマエ、ハチバンメ、タベル」

よく知った言葉が出てきた。素戔嗚…。姿は違えど、やはり男性は素戔嗚様だったんだ。では、八番目と言われた女性は、わたし…。それに、その八つの光の筋を持つもの、あれは、八岐大蛇…。ここでも、素戔嗚様は八岐大蛇と戦っていたのか。

 さらに、風景が変わる。

 小さな倉の中に立つ、三人の男性と二人の女性。そのうち二人は、わたしに似た女性と、素戔嗚様。そして、目の前で光を発するのは、素戔嗚様の持っている"剣"。

『…主の力を感じる……そは汝か』

剣から声が発せられる。その声は、昼間から私の頭に響く声と同じだった。

「そうだ、素戔嗚尊だ!だから、力を!」

素戔嗚様が叫んだ。

『汝から力を感じる…が、汝は弱い…』 

「弱い、だと?」

『その通り…弱い。汝が主だと申すのならば、力を顕現せしめよ…』

そして、その剣は、鋭い切っ先を素戔嗚様に向ける。

「…だめ!」

わたしは叫んだ。そして、わたしとわたしに似た女性は、すさまじい速さで飛んでくる剣の前に身を躍らせる。

「素戔嗚様ぁぁぁー!!」

わたしと、"あたし"が同時に絶叫する。しかし、その剣は、無情にもわたしたちの胸を貫いた。胸から鮮血が飛び散り、あたしと、素戔嗚様…八雲が、その場に崩れ落ちた。

(ソノキオクハ、チガウ)

剣から声が聞こえた。


 風景は暗転、わたしは再び、暗闇の中にいた。

 そうだ。全部思い出した。

 わたし、いえ、あたしは、名椎(なづち)比女(ひめ)…。いまは、八雲と運命を共にする者。では、この記憶は、稲田姫の物だったのか。

 いや、違う。これは、あたしの記憶。あたしは、稲田姫だったのだ。

(そうだ、あたしはヒメ)

あたしの目の前に、もう一人のあたしが光を帯びて降り立つ。

「わたしは、"あたし"…」

(あたしは、神剣"天羽々斬(アメノハハキリ)"に八雲と共に貫かれ、この時代に来てしまった)

「八雲の手助けをするために…」

(八雲は…素戔嗚様は、いま天羽々斬に力を試されている。天羽々斬を持つ者に相応しいかどうか。あたしは、八雲を手伝うことができる)

「そう、八雲にはこの時代から元の時代に…西暦二〇六二年に戻らなければいけない。あたしは、その手伝いをしなければ」

(テヲダスナ)

そして、あたしのとなりに、一振りの剣が浮かび上がった。

"あたし"が剣に向き直り、叫んだ。

(そろそろ認めなさい、八雲こそが、素戔嗚だと!天羽々斬、貴方は、もう解っているはず!)

(ミトメヌ)

静かに、天羽々斬が呟く。

「この分からず屋!」

わたしとあたしが、当時に言う。

(あたし稲田姫と、素戔嗚尊が揃ったのよ、貴方が手を貸さない理由はないでしょう!あたしの身体を取り戻すだけじゃない、この後も、貴方の力は、神憑を浄化するのにきっと八雲の役に立つわ。だから、いいかげんに認めなさい!)

(ミトメヌ…!)

すさまじい神力が天羽々斬より発せられ、あたしとあたしは、思わずたじろぐ。

"あたし"はあたしの肩を両手で掴んで言った。

(稲田姫、いい?八雲は…素戔嗚は、もう記憶を取り戻しかけている。八岐大蛇との戦いで、あなたは八雲に記憶を取り戻させて!どんな方法でもいいわ!八雲が本来の力に目覚め、"天羽々斬"で八岐大蛇を倒せば、きっと天羽々斬(こいつ)も、力を認めるはず!)

あたしは、その話にこくりと頷く。

(がんばるのよ、そして、必ずあたしの時代に戻ってきなさい、八雲と一緒に!)

(ミトメヌ…!!)

再び天羽々斬より発せられる強烈な神力。

あたしとあたしは、その力に飛ばされ、引き離された。

あたしとわたしとか、あたしとあたしとか、書いていて訳がわからなくなりました(笑)

つぎは、八岐大蛇と決戦です。でも、酒に酔わせて寝たところを切り刻んだ…ではつまらないですよね。

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