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暗闇ヲ駆ケル花嫁  作者: 喜多見一哉
話之肆〈二羽語-夜幣賀岐 (フタバガタリ・ヤヘガキ)〉
16/35

side:Inada-Hime 其の壱

 あれ、あたしはどうしたんだっけ。

 胸がひどく痛い。目の前も真っ暗だ。たしか、前にもこんな事がなかった?

 あたしは、目を瞑ってるの?目を開ければ、何かが見える?

 身体がふわふわして、まるで宙に浮いているかのよう。

 そもそも、なんでこんな事になってるんだろう。

 思い出さなければ。

 でも、何を思い出せばいい?

 あたしは、何をしているの。

 あたしは…

 あたしは…誰?

 なんで、胸が痛いの?

 なんで、真っ暗なの?

 前に、こんな事が本当にあった?

 頭の中が、真っ白だ。

 (…マッシロデ、ヨイ)

 誰の声?

 (…ソノママ、ネムレ)

 眠っていいの?

 (…ソウスレバ、ラクニナル)

 楽に…なる…。

 「ダメダ!」

 男の人の声…。

 「メヲ、アケロ!」

 心地よい、声…。

 そして、愛しい、声…

 あたしは…誰?

 思い出さなきゃ。

 あたしの…いえ、わたしの名を。

 「ソウダ、思イだせ!」

 そう、わたしの名は……!


 「大丈夫か、目を開けろ!」

 耳元で、殿方の声が聞こえる。わたしは一体どうしたんだろう。身体が重くて動かない。

「おい、目を開けるんだ、女!」

わたしはゆっくりと、力を振り絞るようにして目を開けた。

瞳に入ってきた光景は、私の顔をのぞき込む、凛々しい顔立ちの殿方。そして、遥か彼方に高くそびえる、崖。

「よかった、気が付いたか。自分がどうなったか思い出せるか」

どうなったか…とは?

そうだ。わたしはどうなったのだろう。思い出さなくては。

たしか、母上に処方するための薬草を採りに、山へ入って…それから…。

(ソウダ、ソノキオクダ)

再び聞こえる、何者かの声。

先ほどから、一体誰の声だろう。ずっと頭の中に響いている。

「わたしは、薬草を採りに山に入り…猪に追いかけられ、崖から…」

「そうか、目を覚まさないから、もう助からないのかと思ったぞ」

殿方が優しく微笑んだ。

「女、自分の名は言えるか」

「私の名は…」

(イナダダ)

稲田(いなだ)、でございます」 


 わたしは、その男性に背負われ、山道を下っていた。

 川に落ちたので、全身はずぶ濡れだったけど、幸いにも目立った怪我はなく、すぐに動けるようになった。だが、この殿方が村まで送ると聞かなかったのだ。

 しかし、慣れた山道のはずなのに、猪ごときに追いかけられ、更に崖から足を踏み外して転落するなんて、不覚極まりない。考えてみると、今日のわたしは朝から何かおかしかった様な気もする。何がおかしかったのかと断定することはできないが。

「この方角でいいのか」

「はい、ありがとうございます。もうすぐ、わたしの村が見えてきますわ」

わたしは背負われたまま、殿方に声を掛けた。

 ここは出雲の國。気候もよく、海に近く山もあるので、食料の確保には苦労しない。大変住みやすい國だ。ただ最近は、山に物の怪の類が出現する。それは八つの首を持つ大きな蛇であり、人々はその物の怪を"八岐大蛇ヤマタノオロチ"と呼んだ。そして、その八岐大蛇こそ、わたしの姉妹を全て飲み込んだ、忌むべき相手。

 七つの年にわたってわたしの姉妹は、一人づつ、生け贄として七人を順に飲み込んだ。今年は私の番だとも言われている。

 だから、わたしが山に入るのを父上は酷く反対したが、病に冒された母親に効く薬草を採るために、押し切ってやって来たのだ。

 だが、結局はこの有様だ。薬草の確保には成功したのだけれど、見ず知らずの殿方に迷惑を掛けることになってしまった。

 山が開け、目の前に田畑が見えてきた。麦や米等を育てる、黄金色の大地だ。そして、続く道の先に、小さな集落が見える。そこがわたしの暮らす村だ。小さな集落ゆえに名前はないけど、私を含めて二〇人ほどの人々が暮らしている。

 殿方はわたしを背負ったまま、足並み乱れることなく、どんどんと歩いてゆく。かなりの体力を持っているようだ。身につけている物も、緋色の甲冑に、腰には長めの直剣。足には胴と同様の色の具足。かなり位の高い兵士様だと思われるが、なぜこのような山中にいたのか。

「しかし、ずいぶんとお転婆な女もいたものよな。薬草など、村の男共に採りに行かせればよかろう」

言って、はははと大声で笑う。

「わたしの身内のことでしたので。実は、母が病に冒されているのです。既に三日三晩熱が下がらず、熱に効く薬草をと」

「なるほどよの。しかし、結局お転婆には変わりあるまい」

「そ、そうなのでしょうか…。わたし、昔から思い立ったらすぐ動いてしまう質でしたので…」

 確かに、その通りだ。薬草など村の衛兵にでも言えば、すぐにでも取ってきてくれたはずだ。後先考えずに動くのは、きっとわたしの悪い癖なのだろう。この時代の女は、家事をするか、田畑で収穫をするか、家の奥にかしこまっているものだ。

……この時代?何を言っているのだろう、わたしは。

 顔から火を噴きそうなくらい、わたしは赤面していたに違いない。その状況を察したのか、殿方は更に大きく笑った。

「ははは、気に入ったぞ。どうだ、我の妻にならぬか!(なんじ)と共に生きるなら、きっと退屈はしまい。」

 …妻?

 想像もしない答えが返ってきた。きっと冗談だとは思うけど、なぜだか悪い気がしない。

「そういえば、貴方様のお名前を伺っておりませんでしたわ」

「我か。我の名は、素戔嗚(すさのお)という。高天原(たかまがはら)の生まれだが、とある事情で今は放浪しておる」

 素戔嗚…様。

なぜだろう。初めて聞く名前ではない気がする。なんというか、懐かしい響きのする名前だ。

(オモイダシテハ、イケナイ)

…そう、きっと気のせいだ。なにせ、今日はじめて会ったのだから。

 素戔嗚様とわたしは、黄金色に光る畑を横目に、私の住まう村までやって来た。入り口横の垣根で、素戔嗚様は私を背中から下ろす。

「送っていただいて、ありがとうございました」

わたしは、深く頭を下げる。

「なに、構わぬ。今の我は根無し草ゆえ、どこへ行くも、どこに寄るも自由だ。おまけに、このような美しい女と出会えたのだからな。我としても、悪い気はせぬ」

その言葉に、わたしの心がわずかに躍ったような気がした。

 それは、決して美しいと褒められたからではない。きっと、もっと心の奥に秘める何かが踊ったのだ。

「あ、あの、素戔嗚様!」

自然と、わたしの手が動き、立ち去ろうとした素戔嗚様の左手を掴んでいた。

「助けていただいたお礼を致したく思います。お急ぎでなければ、是非わたしの家においでくださいませ!」

 素戔嗚様は、わたしに捕まれた左手と、私の顔を交互に見た。そして、にこりと微笑み、

「では、そうさせてもらおう」

と頷いた。

 わたしと素戔嗚様は、並んで衛兵が護る村の入り口をくぐった。


 わたしの家は村の一番奥にある。父上と母上は、この村の実質の責任者で、すなわちわたしは、立場上はこの村の"姫"ということになっている。住まう家も、他の者の家に比べれば大きく、人一人、泊めるくらいの空き部屋もあった。

 そして今、わたしと素戔嗚様は、見世(みせ)にて父上の前にいた。

「帰りが遅いので、心配したぞ稲田!」

さすがに、父上の顔が青ざめている。それもそうだろう。八岐大蛇がわたしを狙っているというのに、わたしは勝手にも一人で村を出て、山に入ってしまったのだから。

「申し訳ございません、父上。少し騒動に巻き込まれてしまい、こちらの殿方に助けていただいたのです」

 聞いて父上は素戔嗚様に向き直り、深々と頭を下げた。

「まことに感謝に堪えませぬ。稲田の父、足名椎(あしなづち)と申します。お見受けするに、かなりの位の御方と思いますが…」

素戔嗚様はあぐらをかき、再びはははと笑った。

「感謝には及ばぬ。我が好きでやったことなのでな。我の名は素戔嗚、生まれは高天原、母と父は伊邪那美(いざなみ)伊邪那岐(いざなぎ)である。故有り、今は放浪しておるが」

と、自慢げに話してみせた。

 それに、父上が目を輝かせた。伊邪那美、伊邪那岐といえば、わたしたち人間全ての父と母と言っても過言ではない存在だ。その直系の子となれば、日の本の皇子といっても間違いではない。高天原出身だとさきほど聞いたけど、まさかこれほど高貴な御方だったとは。

 父上が目を輝かせた理由、それはわたしにも想像がついていた。おそらく、八岐大蛇の討伐を、素戔嗚様に願い出るつもりなのだろう。

「その御血筋を見込んで、是非ともお願いがございます!」

父上が切り出す。続いた言葉は案の定…

「この地には、八岐大蛇という物の怪がいるのでございます。八岐大蛇は、私の娘を毎年生け贄に差し出さぬと、この地にて暴れると脅してまいりました。ゆえに、私共夫婦は、泣く泣く娘を差し出してこの地を護ってきたのでありますが、今年がこの末娘、稲田の番なのでございます」

「ほう…」

素戔嗚様は、その話に興味を持った様子だった。

「最後の娘を差し出して、八岐大蛇がおとなしくこの地を去るとは思えませぬ。ですので、素戔嗚様に是非とも、八岐大蛇を倒して戴きたく!」

そして、更に深々と頭を下げる。

素戔嗚様はしばらく考え込み、そののちに口を開いた。

「なるほど、話は解った。この地に我が降り立ったのは、きっと何かの縁であろう。」

そして頷いた。

「それでは、素戔嗚様!」

父上が喜びの声と共に頭を上げる。

「ただし、こちらとしてはその見返りを求めたい」

そして、素戔嗚様はわたしの顔を見つめた。

「ここにおる稲田姫、この娘を、我が妻として迎えさせていただく。これが条件だ」

 そうか、心が躍ったのは、わたしにはこの返答が解っていたからだ。

素戔嗚様のこの低い声に安心を感じるのも、愛しさを感じるのも、全てはこの時のために。

わたしは、近いうちにこの御方の妻となる。

でも、なぜわたしの心は、このことが解っていたのだろう。同じ事を、いつか、経験したような…

(オモイダスナ)

頭に声が響いた。

そして、わたしの頭に、鈍く痛みが走る。

わたしは片手で軽く頭を押さえた。

「私は異存ございませぬ。我が娘でよければ、是非ともお連れください」

そして、わたしの顔を見る。答えを聞きたいのだろう。けれど、既に心は決まっていた。

「素戔嗚様の、御心の儘に…」

 わたしは、素戔嗚様に頭を下げた。愛する方の想いに、応えないわけがないではないか。

 素戔嗚様は、再びわははと大声を上げて笑った。

その笑いはなんとも心強いものだった。

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