side:Hime 其の肆
柔らかな日差しの中、あたしと八雲は塔大病院の中央棟を出た。
時間としては、一一時を過ぎたあたりだろうか。太陽はほぼ真上まで昇っており、三月にしてはちょっと気温が高い。
ふっと街路樹の桜を見上げると、その枝には小さなほころびを付けていて、まもなく、本格的な春が訪れるのを感じさせた。きっとここは、四月になれば素晴らしい桜並木になるんだろう。目の前には塔京大学の憩いの場であるという噴水のある広場があり、今日も数多くの学生たちが、春の日差しの中、会話に華を咲かせていた。
あたしたちは、その学生たちを横目に見ながら広場を突っ切る。うまくあたしの身体が戻れば、来年にはあたしも大学生だ。日本最高の塔京大学に入学出来る程の学力はないけれど、なんとかどこかの教育学部に入学して、小学校の先生になる。これがあたしの夢でもある。といっても、遥か昔からこの夢を抱いていたわけじゃない。この夢を見たくなったのは、つい最近、去年の事だ。なにか、きっかけがあった気がするけど、そのきっかけを今は思い出せない。
そもそも、このまま身体がもどらなければ、この夢は水泡に消えてしまう。現在あたしの在学してる成城高校は、進学校で、出席日数と単位に厳しすぎるほど厳しい。これで、あたしは既に三日間無断欠席してることになる。二年生の一年間は、一応皆勤で来てるから、三日くらいはどうってことはないだろうけど、これが一週間、二週間、更に春休みに食い込んでしまったら、あたしの進級はなくなってしまうのは間違いない。それだけは食い止めたいので、こうして八雲に協力してるわけだけど。もちろん、これ以上神憑の被害者も出したくはないんだけど、なんか公私混同で申し訳なく思うときもある。
『~~♪、♪』
駐車場でヘルメットを被っていた八雲のポケットから、ちょっと激し目のロックが聞こえてきた。あ、これ知ってる。今、結構人気のある関西のバンド「トゥーンミュージック」の最新シングルだ。ヴォーカルがあたしと同じ、一七歳の女の子だっけか。一七歳でメジャーデビューとか、凄すぎると思う。
八雲がポケットに手を突っ込んで、携帯電話を取り出し、受話ボタンをタップした。
「もしもし…ああ、おやっさんか。いまから出発だ。…ん、わかった」
言って、八雲は携帯電話をあたしに投げて寄越す。
「もしもし、比女です」
『おう、ワシだ。八雲に言っても、すぐ忘れるだろうから、嬢ちゃんに伝えとくぜ。関西支部の神滅メンバーが、今回の案内役を買って出てくれた。奈良駅西口で、一九時に合流してくれ。名前は、近藤弥生。関西支部の神滅メンバーのトップだ。嬢ちゃんなら、きっと見れば分かる。こっちの容姿は伝えてあるから、上手くやってくれよ』
「弥生って…女の子なんですか?神滅メンバーに女の子が?」
驚いた。神憑と戦ってる人たちの中に、女の子がいるなんて。
『いるぞ、いっぱいな。塔京総本部にも、今入院してる美貴と陽子、二人いるしな。全国の支部全部合わせたら、一〇名を超える。』
「へ~…」
ってことは、あたしにも……いや、あたしは平凡な高校生で十分!何考えてんだ、あたしは!
『とにかく、伝えたぜ。気をつけて行けよ』
一方的に電話が切れてしまった。
「おやっさん、なんだって?」
「ん~…」
あたしはサイドカーに乗り込み、答える。
「一九時に奈良駅西口で、関西支部の神滅と合流しろ、だって。近藤弥生さん。案内してくれるらし~よ」
「ふ~ん、覚えておいてくれ。ってか、一九時だと、あんまり時間ないな。早いとこ出発するか」
「そんなに、時間かかるの?」
八雲がイグニッションスイッチを押しながら答える。
「あ~、名古屋通過くらいで、六時間弱くらいかな。そっから三重越えて、奈良に入るなら一九時ギリだ」
「じゃあ、八雲がノンストップで走るっていうことで!」
「無茶言うな。バイクで高速トばすのは、結構疲れるんだぞ。途中、どっかで二回くらい休憩を取ろう」
そして、ハーリー・ダビットソンは走り出した。
首都高速を代官町から乗り、環状線を通って三号渋屋線へ。そして、海老名ジャンクションから塔名高速道路へ乗り換えた。さらに塔名高速道路を一時間ほど走り、現在、足柄サービスエリアにあたしたちはいる。
「メシにすっか~」
八雲がバイクに跨ったまま、両手を上に伸ばした。
「お疲れ様。結構疲れた?」
「いや、まだまだ。ハラ減ったから寄っただけだ。時間も一二時過ぎてるし、昼飯には丁度いいだろ」
「ん~確かに、お腹減ったかも。でも、あたしフードコートとかで食べれないよ」
「ああ、パンかなんか、買ってきてやる。オレも腹一杯食う気はないしな。まだ走るんだし、軽めにしとく。何が食いたい?ビッグマーメイドのカレーパンとか、絶品だぞ」
ってか、カレーパンって全然軽めじゃない気がするのはあたしだけだろうか。
「バゲットとかあったら、ほしいな。カレーパンは…興味あるけど、いいや」
「バゲットって、フランスパンの?何もつけずに食べるのか?」
そりゃ、バターとかあったら欲しいけどさ。でも、八雲は知らないんだね、ホントに美味しいバゲットは、何もつけなくても美味しいんだよ!
「まあいいわ、了解、飲み物はコークでいいか」
「アイスティーね。お砂糖あり」
間髪入れず答える。
「わ、わがままなヤツ。ちっと行ってくるから、待ってろ。」
言って八雲はバイクから降り、建物の中に駆けていった。
そして、待つこと一〇分ほど。両手で紙袋を抱えて、八雲が戻ってきた。紙袋からは、小さめのバゲットの頭が覘かせている。
「おまっとさん、ほらよ」
バケットの入った袋が、投げられてあたしの膝にぽすんと音を立てて落ちた。中には、三〇センチくらいの長さのバゲットと、カレーパン、カップにフタのされたアイスティーが入っていた。八雲はバイクに跨り、ヘルメットを被る。
「もう行くの?ってか、このカレーパンは八雲の分かな」
「いや、オレはもう食った。カレーパン二つな。そのカレーパンは、お前の分だ」
「二個も食べたの?あたしはいらないって言ったのに…」
「まあ、食いたきゃ食え。マジ美味いから。ってか、背ぇ低くして食えよ。他人に見つかったら、それこそ超常現象だからな」
笑いながらエンジンを始動させ、あたしたちは再び走り始めた。
追い越し車線を走りながら、あたしはサイドカーに深く座って、バケットをちぎって口にした。咀嚼し、ごくんと飲み込む。うん、美味しい。ビッグマーメイドってサービスエリアのチェーン店だって聞いたことあるけど、結構いいパンを焼くんだなぁ。
アイスティーを飲みながら、なんだかんだと言って結局、あたしはバゲットを一本平らげていた。お腹が一杯になると、襲ってくるのは眠気。あたしはおおきくアクビをすると、そのまま目を閉じた。
「おい、休憩だぞ」
八雲の声がする。
あたしが目を覚ますと、もう空からは日が沈み始めている時間だった。さすがに、ちょっと肌寒く感じる。
「ここどこ?」
あたしは目をこすりながら、八雲に尋ねた。
「ああ、静岡の浜名湖サービスエリアだ。ここからは奈良まで、ノンストップで行くからな。寝てるなら、そこのボックスに毛布が入ってる。被ってろ。」
「は~い」
あたしは寝ぼけ眼でごそごそと毛布を取り出すと、身体に巻き付ける。そして、再び夢の世界へ旅立つ。
「浜名湖くらい、見てから寝ればいいのに…」
意識の遠くで、八雲の呟く声が聞こえた。
そして、さらに何時間ほど経っただろうか。冷たい夜風に頬を打たれ、あたしが目を開けると、そこは既に高速道路ではなく完全な市街地だった。
遠くに、大きなお寺らしい建物のシルエットが見える。
「起きたか、結局、ずっと寝てたなお前。」
あたしは大きく伸びをした。
「だって、退屈だったんだもん。それに、お腹が膨れれば眠くなるのは、人間の自然の摂理よ。もう、奈良に入ったの?」
八雲が頷く。丁度交差点の信号が赤になり、スロットルをゆるめる。
「もう一〇分くらいで、奈良駅に着くはずだ。なんとか、時間に間に合ったな。後は、そのなんとかってヤツがすんなりみつかればいいんだが」
「近藤弥生さん…だっけ。あたしが見れば、すぐにわかるっておやっさんが言ってたけど…。どういうことだろ」
「まあ、とにかく行ってみるか。でも、結構疲れたわ。今日、石上神宮へ行くのは無理だなぁ」
信号が青になり、八雲がスロットルを握り込む。どこかで、お寺の鐘を突くおとが聞こえた。奈良とか京都は、お寺ばっかりだって聞いたことがあるけど、塔京では既に聞けなくなった鐘の音を聞くと、なんか感慨深いものがある。ああ、他県に来たんだなぁ。
昔、中学校とか、小学校の修学旅行の定番が、この奈良・京都だったらしいけど、なんで塔京の学校はそれをやめちゃったんだろう。今では、ちょっと遠出しても日光とか、下手すると都内で済ませる学校もあるくらい。こういう他地域に来るのも、結構勉強になっていいと思うんだけどな。
あたしは流れていく夜景を見つめながら、そんな取り留めのない事を考えていた。
目の前に電車の高架橋が見えてきた。右手に見える大きな建物が、きっと奈良駅なんだろう。
八雲がその高架橋をくぐり、交差点で右折する。すると、さらに右手に、大きめのバスターミナルが見えてきた。複数ある停留所にはかなり長い人の列ができている。帰宅する人々だろうか。送迎の自家用車なども数多く止まっており、雑踏のにぎわいを見せていた。
八雲は、その車の列の一番後ろにバイクを着け、エンジンを切った。ヘルメットを取り、周囲を見渡す。
「結構な人がいるな。この中から一人を見つけろって、結構キツくないか」
ポケットから携帯電話を出し、電話をかける。
「ああ、オレだ。今着いたよ。…わかった、探してみる」
短い会話だった。あたしはサイドカーから降りて、八雲と同様に周囲を見渡してみる。
あたしが見れば分かる…。あ、もしかすると。
あたしは、頭を切り換え、道行く雑踏の神力を観察しはじめた。関西支部神滅のメンバーのトップだって言うくらいだもの、相当大きな神力を身体に宿してるはず。
はたして、あたしは一際大きく輝く、黄色の神力を見つけた。その神力の持ち主を見てみると、なんとびっくり、あたしと同い歳か、それ以下に見える女の子だった。茶色のショートヘアと、薄手のダウンジャケット、デニムのタイトスカートにハイソックス。足には黒色の革ショートブーツという格好のその子は、ほぼあたしと同時くらいに、あたしたちの姿を発見したようだった。手を大きく振りながら、その子はあたしたちに駆け寄ってくる。
「来たよ、八雲。相手もあたしたちを見つけたみたい」
あたしが指を指す。八雲がそっちを見ると、流石に驚いたようだった。
「お前と…そんなに歳が変わらないように見えるんだが…。あれが、関西支部のトップだってか」
「でも、相当強い神力持ってる。八雲にはちょっとだけ追いついてないけど…」
「見かけによらないんだな、人ってぇのは」
そして、
「アンタらが、本部からきた人たちやね!」
と、女の子が話しかけてきた。アンタ"ら"と言うからには、きちんとあたしの姿も見えてるみたい。
「えっと、近藤…弥生さん?」
あたしが問うた。
「そうやよ!イッパツで判ったわ~、いやぁ、強い神力持っとるんね。ウチの何倍も強いやん!さすが、総本部のお人やわぁ。えっと、速水八雲くんと、名椎比女ちゃんやね?」
すっごい早口。おまけに、よく舌が回る。関西の人って、みんなこんな風に喋るのかな。あたしと八雲は、何かに中てられたのようにコクコクと頷いた。
「とりあえず、つもる話は後にしよか。まずウチらの支部に案内するわ。そこに部屋も取ってあるから、今日はそこで休みぃ。ちょっと原チャリ取ってくるから、ここで待っとってぇな!」
言って、確認も取らずに、直ぐ走り出してしまった。なんて言うか、忙しい子だなぁ。
しばらくすると、後ろの方から、パルパルパルと原付特有の軽く乾いた排気音が聞こえてきた。その原付はあたしたちのハーリーの横に止まる。
「さあ、行こかー!ついてきてなー!」
ヘルメットのバイザーを上げ、弥生さんがニカリと笑う。
呆気に取られる間もなく、あたしは急いでサイドカーに滑り込み、八雲がイグニッションスイッチを押す。弥生さんが走り出し、その後にあたしたちが続いた。
時速四〇キロで走る原付を、一〇〇〇cc越えのバイクが追いかけるという異様な光景は、周りの人の目を引いたみたいだった。所々で視線を感じるし、中には笑っている人もいる。何か、へんな感じ。
奈良駅から走ること一〇分。周囲は市街地から、完全に住宅街へと変わっていた。寒空の中の中央線すらもない道路を、薄暗い街灯が照らす。それぞれの住宅からは夕食時間なのか、美味しそうな匂いが漂ってくる。そして、とある建物の前で弥生さんの原付が止まった。
原付から降り、弥生さんが指を指す。
「ここが、ウチら神滅課関西支部の事務所やよ!」
あたしがその建物を見上げると、そこには、築二〇年以上経とうかと思われる、ボロそうなアパートがあった。
他県へ移動する状況を文章にする…難しいですね。初挑戦で、豪快に失敗した感じです。それに、関西弁なんて出すんじゃなかった!名古屋弁なら解るのに…(泣)




