清少納言の恋
「ー清少納言」
「はい、隆家様」
清少納言は照れたように答えると、隆家がいきなり抱きしめてくる。
清少納言は緊張しながら困っていると、隆家は耳ざわりの良い声で、囁いてくる。
「私の可愛い人。口づけしてもいいかな?」
「え…!! そ、それは、その…」
「もう遅い」
隆家が顎に触れてきたので、清少納言はぎゅっと目を瞑る。
ー私は…。私は…!!
「駄目…!!」
がばりと清少納言は起きると、布団を掴む。
最初、どこにいるのか分からなかった。
ー落ち着け、落ち着くのよ、私。
胸はうるさいほど、どきどきしていて、胸の前で手を合わせる。
「清少納言様…? どうかなさいまして?」
「な、何でもないわ。大丈夫」
女房を下がらせると、ようやく清少納言の頭が動き始める。
「…ゆ、夢…?」
夏でもないのに、額に汗をかいている。
それほど、あってはならない状況だった。
ー私、隆家様のこと…。
口づけられそうになった場面を思い出し、一人で悶える。
忘れなさいと自分に言い聞かせ、ようやく自分の部屋にいるのだと気づく。
ーそれにしても、あまりにも現実的な夢だった…。
額の汗を拭うと、布団から出、頭を冷やそうと回廊に出る。
手すりに両手を置くと、月を見る。
静かな空は清少納言の心を癒してくれるので、ほうと息を吐く。
雪の積もった庭は暗闇に飲まれ、大人しくしているが、冷たい感触だけは伝わってくる。
清少納言の火照った身体には、ちょうど良かった。
「…ふう。私の気持ちを代弁してくれているみたいだわ」
月を隆家の分身とすると、雪は清少納言であり、隠れよう、隠そうとしている心を表しているようだった。
見てはいけない、見られてはいけない、そんな心境に、清少納言は泣きたくなってくる。
ーいいえ!! 私は強い女でなければ。定子様に嫌われてしまいますわ。
定子は今頃、一条天皇がやって来ているだろうかと、推測する。
愛されているらしく、清少納言の誇りでもあった。
「あー!! ふう…」
意味不明の声を発すると、両手で顔を覆ったり、飛び跳ねてみたりする。
誰にも言えないし、言うこともなかった。
ーでも、本当は…。
唇に手を持っていくと、清少納言は動きをぴたりと止める。
庭へ下りていくと、雪の柔らかな感触がありがたかった。
手に取り、丸めてみると、そっと雪の上へ置く。
子どもみたいな行為だが、今は何も考えたくないので、ちょうど良かった。
ーあ…。段々と落ち着いてきた。
ようやくほっとしたのだが、月はやはり隆家の分身のようで、清少納言を許してくれない。
「ー清少納言、何をしているんだ?」
「はい? …こ、これは隆家様!!」
とてもびっくりして、声が裏返らなかったか、心配してしまう。
まさか今まであなたのことを考えていましたとも言えなかった。
その場に膝をつこうとすると、隆家が「よい」と言葉を発する。
「ありがとうございます、隆家様」
隆家の視線を感じ、清少納言は月が作ってくれた陰に感謝する。
おそらく赤くなっていく肌を、見られることはないだろうと、恐る恐る彼に近づいていく。
回廊に上がると、距離を取りながら、質問する。
「あの、隆家様。今、何しに…?」
「いや、定子の部屋に行こうとしたんだけれど、一条天皇様がおいでだったのでな。すぐに下がってきた」
「まあ!! それは素晴らしい」
清少納言は自分のことのように喜ぶと、隆家はははっと笑う。
「そのうち可愛い御子が生まれるかもしれない」
「楽しみですわ」
ほほと清少納言も笑うと、少し落ち着いてきた。
ー私の心はばれてはいけないもの。隠さなくては。
胸を撫でると、清少納言は迷った末に言う。
「私の部屋で良ければ、中にお入りになりますか?」
「おや。それは求愛かな? あはは」
「え、あ、あの…」
清少納言は失言だったかと、後悔する。
男性を招くといったら、隆家はそういう考えなのかと思い知る。
どうしようかと頭に手を当てると、隆家がその場に座り込む。
「あの、隆家様…?」
「ここでよい。清少納言も一緒に酒を飲め」
隆家は酒を持ってきたようで、一人で注ぐと、美味そうに飲む。
どうやら少し酔っているようだった。
「あの!! お酌なら、私が…」
手を伸ばすと、隠され、逆にお猪口を手渡される。
「ほら、清少納言も飲め。今宵は良い日だ」
「え。私もお酒を…?」
「嫌か?」
「いいえ!! いただきますわ!!」
勝ち気な性格を思い出し、強く言うと、隆家がふふと笑ってくる。
お猪口に酒を注がれ、清少納言はぐいっと飲み干す。
「…ふう。いかがでしょうか、隆家様?」
「気持ちの良い飲みっぷりだ!! あはは。これは、これは、おみそれした」
「そんなことはありませんわ。隆家様こそ、気持ちの良い飲みっぷりですもの」
酒を飲んだことで、身体が更に熱くなり、清少納言はこっそりと息を吐く。
お猪口を隆家に渡すと、清少納言は「あ」と口にする。
「何だ、清少納言? どうした?」
「その…失礼かもしれませんが」
前置きすると、清少納言は酒を注ぎながら言う。
「酒に映った月は美しく、儚い光を放っていますわ。まるで隆家の力を欲しているような…。それを口にするということは、隆家様が月を飲み込むほど度量のある御方ということで、立派と喜ばれることでしょう」
「…なるほど。月を飲む男か。あはは」
隆家は上機嫌に笑うと、酒をあおる。
清少納言は側に控えると、隆家を凝視する。
彼は豪快に酒を飲み、月に向かってお猪口を差し出す。
「月を飲んでやったぞ!! 天に見られても罰を与えないということは、我が家の安泰を意味すること。これは、これは、心地の良いことだ」
「そうですわ。隆家様は月にお勝ちになりましたの。そのうち眩い出来事が起こることでしょう」
「そうか。それほ上々。お前も飲め」
「では私も一口。失礼いたします」
お猪口を手にすると、隆家のほうを向く。
「どうした? 何か意味があるのか?」
「我が国の行く末を左右させる御方と確定しまして、祝いに一口、いただきますわ」
「おう。飲め」
「…ぷはあ」
清少納言は酒を飲み干すと、隆家にお猪口を渡す。
「私も微力ながら、お手伝いいたします」
「それは心強い。もっと飲め、もっと飲め」
「いいえ。もう十分ですわ」
清少納言はそう言うと、唇に触れる。
お猪口を介して、隆家と口づけていると、今になって気づいたのだった。
ー私ったら、もう鈍いんだから。
酒が回ってきて、心地良い気分となってくる。
隆家も気持ち良さそうに庭を見ながら、酒をあおる。
「うん、美味い!! 清少納言のお陰だ」
「まあ。それは嬉しい御言葉ですわ」
ほほと笑い、袖で顔を隠すと、隆家に聞く。
「おつまみは庭の雪見でよろしいでしょか? 静かに、隆家様を立派な御方だと見ていらっしゃいますのよ?」
「そうか。それはいい気分だ。お前らも飲め」
隆家が雪に向かって酒を振る舞う。
もったいないとは思わず、清少納言は付け加える。
「ああ、雪が喜んでいますわ。月よりも眩く、力強い御方だと認めているようでございます」
「褒め上手だな、清少納言は」
「そうでしょうか。事実を伝えているだけですわ。ほほ」
清少納言は溶けた雪を見、心がいっぱいとなる。
ー隆家様はもっと偉くなる御方。私のことで、足を引っ張るわけにはいきませんわ。
自分を戒めると、心が痛んだが、叶わない恋につられるよりも、今、二人きりの状況を楽しみたかった。
「清少納言」
「はい、隆家様。何でしょうか?」
「お前がいてくれて良かった。定子がどうりで聡明になっていくはずだ。感謝する」
「そ、そんな…!! 頭をお上げになってくださいませ!!」
清少納言は慌てて、隆家の肩に触れると、ふわりと夜の艶めいた香りがする。
どきりとしたが、心を隠し、清少納言は立ち上がる。
「お酒を持ってきますわ。ゆっくりと景色を愛でてくださいませ」
「おう。ありがとうな」
「はい。失礼いたします」
清少納言は失礼のない程度に下がると、回廊を踏みしめていく。
それはまるで、自分の心を強固に隠していくような、足取りだった。
ーいつもの私に戻りましょう。
そう決めると、顔を引き締めたのだった。




