第2話
光に包まれた直後、うちの視界は静かに切り替わった。
次に足がついた場所は――まるで雲の上に建てられたような、静かな空間だった。
目の前には、巨大な教会。
白を基調としたその建物は、現実のどの建築物よりも荘厳で、どこか神聖な気配をまとっている。
ここは神書界。
ユナリア・セレリーナが管理する世界であり、あらゆる知識、記憶、魔術、技術――そういった“世界の叡智”が収められた場所だ。
うちはゆっくりと扉に手をかけ、押し開いた。
重厚な音を立てて開いた先に――
「……あぁ……」
ひとりの女性が立っていた。
長い髪、圧倒的な美貌、そして何より放たれる威圧感。
神であることを疑う余地はない。
その人――ヘラ様は、うちに気づいた瞬間、目を見開いた。
そして次の瞬間には、こちらへ歩み寄ってきていた。
「久しぶりね……ユナ」
声が、わずかに震えていた。
気づけば、強く抱きしめられていた。
「あなたが魂の旅に出てから……どれだけ待ったことか……」
抱きしめる腕に、わずかな震え。
「ゼウスから“戻った”と聞いた時はね……本当かどうか確かめるために胸ぐらを掴んだわ」
(……ゼウス様、ちょっと可哀想)
内心でそう思いつつ、うちはゆっくり口を開いた。
「お久しぶりです、ヘラ様。……ただいま戻りました」
その言葉を聞いたヘラ様は、ほんの一瞬だけ、不思議そうに瞬いた。
「……あら?」
そして、じっとこちらを見つめる。
「もしかして――あなた、中身が“ユナ”ではないの?」
「……え」
一言で見抜かれた。
(神、怖ぇぇぇ)
うちは苦笑しながら、事情を説明した。
人間として生きていたこと。
死んだこと。
そして、ユナとして再生したこと。
すべてを聞き終えたヘラ様は、静かに頷いた。
「なるほどね……そんなことが」
そして、少しの間、思考に沈んだ。
その間、うちは教会の中を見渡した。
ここは神織の聖堂と呼ばれる場所。
神書界の中心にある建物である。
色とりどりの光を通すステンドグラス。
整然と並ぶ長椅子。
奥には巨大な十字架。
さらに奥には、魔導書が収められた扉や生活空間へと繋がる扉など色んな扉がズラリと整列されている。
静かで、美しくて――どこか落ち着く場所だった。
「――さて」
ヘラ様が顔を上げた。
「これからのことを簡単に話すわね」
自然と背筋が伸びる。
「しばらくの間、あなたの復活は公表しないわ」
「……はい」
「神々や一部の関係者にのみ伝えるわ。正式な発表は――天奏祭のような大きな場で」
うちは小さく頷いた。
そして、ヘラ様は少し身を乗り出す。
「それから――これが一番大事なことよ」
その瞳が、鋭くなる。
「あなたが関わった“人間”たち」
「……っ」
「もしあなたの存在が外部に知られれば、確実に狙われるわ」
背筋が、ぞくりとした。
先輩たちの顔が浮かぶ。
「……分かりました」
自然と声が低くなる。
「お守りでも作っておきなさい」
ヘラ様は静かに言った。
「最低限の防護だけでもいいわ。渡しておきなさい」
「……はい」
「詳しい話はまた後日にしましょう。それまでに、状況を整えておくわ」
その言葉を最後に、ヘラ様は踵を返した。
うちは深く一礼し、その場を後にした。
居住区へと続く扉を開く。
長い廊下を歩きながら、考える。
(……もう誰かを巻き込むのは嫌だ)
今回は、運が良かった。
自分が“ユナ”だったから、助けられた。
でも――次もそうとは限らない。
(だったら)
やることはひとつだ。
(守れるだけ、守る)
それだけだ。
私室の扉を開ける。
広い部屋だった。
大きなベッド、木製の家具、高価そうな装飾。
(ユナって……めちゃくちゃ偉かったんだな)
ふと、サイドテーブルに目が止まる。
青いリボンが置かれていた。
それはただの装飾品ではない。
魔力のバランスを制御する魔術具。
ユナ――つまり自分の力を安定させるためのものだ。
手に取り、髪を結ぶ。
ハーフツインテールにして、リボンを結ぶ。
それだけで、身体の内側が少し落ち着いた気がした。
そして、もうひとつの扉を開ける。
そこは工房だった。
魔術具を作るための場所。
机、道具、素材――多少散らかってはいるが、使いやすく整理されている。
必要なものを揃える。
魔石、魔紙、ペン。
そして――自分の血。
魔術陣を丁寧に描く。
少しのズレが、効果を変えてしまうから。
集中して、慎重に。
描き終えた中心に、指先を刺して血を一滴。
そこに魔石を置く。
光が一瞬走り、魔石に術式が刻まれる。
穴を開け、紐を通す。
――完成。
それを、人数分繰り返す。
すべて作り終えた頃には、さすがに疲れていた。
「……はぁ」
軽くシャワーを浴び、魔術で髪を乾かす。
ベッドに倒れ込み、そのまま意識を手放した。
目を覚ますと、朝だった。
身支度を整え、再び神織の聖堂へ。
そこにある界巡の扉――世界と世界を繋ぐ扉を開く。
行き先は、人間界。
到着したのは、高校の校門近くの物陰だった。
ちょうどいい。
肥后くんと優太くんが歩いている。
迷わず近づき、首根っこを掴んで引き込む。
「ちょ、痛いぞ!?」
「月田先輩、相変わらずですね……」
「ごめんごめん」
軽く謝って、お守りを差し出す。
「これ、あげる」
「……なんだこれ?」
「お守り。昨日みたいなことがあっても大丈夫なようにって思って作ってきたの」
二人は顔を見合わせる。
「これ、つけといて。ペンダントとかにするのがいいよ」
「……わざわざそれ渡しに来たのか?」
「この姿、目立つからさ」
苦笑する。
認識阻害具を持ってくるの忘れた今、この姿は目立ちすぎる。
「確かに……その髪色と目は目立ちますね」
「でしょ?」
残りのお守りを差し出す。
「これ、熊川先輩と阿道先輩にもお願い」
「……分かった」
「お任せしてください」
「ありがと。助かる」
小さく手を振る。
「何かあったら言ってね」
そう言い残し、再び神書界へと戻った。
(……これで、少しは)
安心できる。
数日後。
卒業式が行われた。
先輩たちはそれぞれの道へ進み、
日常は何事もなかったかのように流れていく。
――その裏で。
「ふへへ……」
暗い影の中。
「次は、あの人間にするか」
視線の先には――熊川先輩。
静かに、不穏な気配が広がっていた。




