5話 “ミルク”というバグ
5話:それは“商品”じゃない
――最初に異変に気づいたのは、俺たちじゃなかった。
◇
「……おかしい」
男は、足を止めた。
旅装の商人。名をグレイン。
各地を渡り歩く、目利きの男だった。
「この辺りに、こんな“匂い”はなかったはずだ」
鼻を鳴らす。
甘い香り。
だがそれだけじゃない。
力の匂い。
魔力を帯びた何かが、風に乗って流れている。
「魔物の巣か……いや、違うな」
こんな“整った匂い”は、自然には生まれない。
むしろ――
「“作られている”匂いだ」
男は笑った。
「面白い」
足を向ける。
森の奥へ。
匂いの源へ。
◇
「……で、こうして来たわけだ」
男は、牧場の前で立ち止まった。
柵。
整った土地。
魔物たちが、静かに作業している。
「……は?」
理解が追いつかない。
魔物が。
働いている?
争わず、逃げず、人に従って?
「なんだこれは……」
呟いた、その時。
「止まれ」
低い声が飛ぶ。
振り向くと――
女がいた。
大きい。
圧がある。
そして何より――
“強い”。
「ここは私有地だ」
マルタが、腕を組んで立っていた。
「用があるなら名乗りな」
男は、すぐに姿勢を正した。
「失礼した。私はグレイン。しがない行商人だ」
「行商人が、こんな奥地に何の用だ?」
「匂いを辿ってきた」
正直に言う。
「……匂い?」
「ええ」
目を細める。
「“価値のあるもの”の匂いです」
マルタの口元が、わずかに歪む。
「……通れ」
柵の中へと促す。
その一言で、空気が変わる。
試されている。
そう理解した。
男は、一歩踏み出す。
その瞬間――
『敵か?』
『排除するか?』
無数の声。
魔物たちが、一斉にこちらを見る。
汗が滲む。
だが――
「敵ではありません」
はっきりと言う。
「“買い手”です」
沈黙。
次の瞬間。
「……通していい」
別の声がした。
振り向く。
そこにいたのは――
冴えない青年。
だが、周囲の魔物たちが自然と道を開ける。
その時点で、理解した。
――こいつが“中心”だ。
「ペーターっす」
軽く頭を下げる。
「用があるなら聞くっす」
グレインは、ゆっくりと笑った。
「話が早い」
視線を巡らせる。
土地。
魔物。
構造。
どれも異常だ。
だが――
本命は、別にある。
「“それ”を見せていただけますか」
指差す。
牛型魔物。
そして、その足元。
器に溜まる、白い液体。
ペーターが一瞬、マルタを見る。
マルタが頷く。
「……いいっすよ」
器を差し出す。
「飲んでみてください」
グレインは、それを受け取った。
近づける。
香りを嗅ぐ。
その瞬間――
「……っ」
表情が変わる。
甘い。
だがそれだけじゃない。
体が、反応する。
これは――
「……冗談でしょう」
震える手で、口に運ぶ。
一口。
飲む。
次の瞬間――
「なっ……!?」
体が、軽い。
疲労が消える。
視界が澄む。
心臓が強く打つ。
「これは……」
言葉を失う。
知識が、警鐘を鳴らす。
これは“食べ物”じゃない。
これは――
「“資源”だ」
はっきりと言った。
「しかも、国家級の」
沈黙。
ペーターが首を傾げる。
「そんなにっすか?」
「そんなものじゃない」
即答だった。
「これは、軍を動かせる。戦争を変える。国を救う」
息を整える。
視線を、真っ直ぐに向ける。
「いくらで売る?」
単刀直入だった。
マルタが笑う。
「いくらに見える?」
「……値段はつけられない」
正直に言う。
「だが、それでは商売にならない」
指を立てる。
「まずは小口。流通テスト」
「テスト?」
「市場に流す。反応を見る」
視線を細める。
「その瞬間――」
言い切る。
「世界中が、ここを探し始める」
静寂。
ペーターが、ミルクを見る。
その表情は、どこか楽しそうで。
どこか――
覚悟を決めていた。
「……やっぱりっすか」
「気づいていたか」
「なんとなく」
肩をすくめる。
「これ、隠せないっすよね」
「無理だ」
即答。
「もう匂っている」
外を指す。
「今この瞬間も、“嗅ぎつけている連中”がいる」
その言葉と同時に。
――ガサッ。
森の奥で、音がした。
全員が、そちらを見る。
気配。
一つじゃない。
複数。
そして――
明らかに、さっきまでの魔物とは違う。
「……早いな」
グレインが呟く。
「予想よりも」
マルタが、拳を鳴らす。
「来やがったか」
ハナは、静かに土に触れる。
「準備はできてる」
ペーターは、ゆっくりと前に出る。
魔物たちが、その背後に集まる。
自然に。
当たり前のように。
グレインは、その光景を見て――
確信した。
これはもう、ただの農家じゃない。
これは――
「一つの“勢力”だ」
その言葉に、ペーターが小さく笑った。
「まだ牧場っすよ」
そして、前を見る。
森の奥。
近づいてくる気配。
「……でも」
静かに、言う。
「奪いに来るなら――」
魔物たちが、唸る。
土が、脈打つ。
空気が、張り詰める。
「守るだけっす」
その一言で。
場が、完成した。
――この日を境に。
世界は、彼らを無視できなくなる。




