第七話
王の死は、表向きには病死だと発表された。
先祖返りと言われるほどに竜の血が色濃く出ていた王は、竜にのみ現れる病に長年侵されていて、それで亡くなった――ということになっている。
言葉選びの上手い者がリブロの側近にいるようで、事実の半分を巧妙に混ぜたその嘘は、国内外を走り抜け、多くの者が王の死を悼んだ。
王の葬儀後、すぐに後宮の解体が決まり、そこにいた妃たちは皆、多くの金銭を渡されて実家へと帰ることとなった。口止め料と賠償金という奴だ。ようやく解放された妃たちは晴れやかな笑顔を浮かべて「ありがとう」とイリアを抱きしめ、後宮を出て行った。柔らかくて豊かなものに包まれたイリアは、ここへ来た頃と同じように「ここは天国……?」などと思ってしまったが。
さて、そんなイリアだが、他の妃たちと同じように後宮を――出ていなかった。リブロから「待った」が入ったのだ。イリアは王の死に深く関わっている。だからその処遇について、彼らは少々頭を悩ませているのだそうだ。
というのも、一部の貴族たちが今回の王の死について、リブロが仕掛けた暗殺なのではないかと訝しんでおり、その実行犯としてイリアが疑われているのだ。王が死んだその場にいて、なおかつ第一発見者なのである。そう見られるのは当然だ。
「本当にやっていたら、それで良かったんですけどね」
イリアは誰もいなくなった後宮の自室で、紅茶のカップを片手にソファに座り、ため息を吐いた。テーブルを挟んだ向かい側には目の下にくまを作った、疲れ顔のリブロが座っている。王が死んだことにより、その事後処理で忙しいらしい。
リブロが何故ここにいるかと言うと息抜きだ。王宮にいるとひっきりなしに人が訪ねてくるため、それを見兼ねた側近の勧めにより、後宮で休憩を取るようにしたのだそう。
「すまなかった。父上から話があるまでは、私たちもそのつもりではいたんだ」
「事前に教えてくれれば良かったのに」
「教えたらその前にやろうとするでしょう」
「当然じゃないですか」
「だから言わなかったんだよ……。父上の提案は……思うところはあれど、誰に対しても一番、丸く収まるものだったからね」
どこがだとイリアは思ったが、表情に出すだけに留めておいた。一応、リブロの言葉はイリアにだって分からないでもないのだ。結果としてイリアもリブロも王を殺せなかった。王以外の誰も、王を殺さなかった。王は自分自身で命を絶ち、誰の手も汚させなかったのだ。王にとってはそれがせめてもの罪滅ぼしのつもりだったのかもしれない。
――これから、どうしようか。
イリアは紅茶に映った自分の顔を眺めながら、ぼんやりとそう思う。王を殺して、それで自分の人生を終えるつもりだったのに、こんな形で生き延びてしまった。何もかもが本当にままならないものだ。生き延びたところで、イリアはもうやりたいことは何もない。
「……そう言えば、何で一部のお偉いさん方は、暗殺がどうのって騒いでいるんです?」
「あれはね、私を王座につけたくないんだよ」
「どうしてです? 陛下の子は……確か何人かいらっしゃったみたいですけれど、次期国王に指名されたのはリブロ様だけだったでしょうに」
「さてね。私は彼らにとって、都合の悪い存在らしい。私の代わりに弟妹たちの誰かを担ぎ上げようと躍起になっているようだ。まぁ、弟妹たちは賢いので、そんな話にのったりはしないけどね」
言って、リブロは片手を軽く開いてみせた。ああ、とイリアは頷く。
「リブロ様、我が強くて傀儡にできなさそうですもんね」
「そこはお世辞でも、私が優秀だからとつけるものじゃないかい?」
「優秀なリブロ様は我が強くて傀儡にできなさそうですもんね」
「頭につけたらいいってものじゃないよ」
やれやれとリブロは肩をすくめる。面倒な人だと、イリアも少し遅れて同じように肩をすくめてみせた。
「……ついでに、別件で厄介な話もある」
「まだあるんですか? 大盤振る舞いですね。ちなみにどんなお話なんです?」
「釣書が殺到している」
「あらまぁ」
釣書――つまり自分の娘を嫁にどうですか、という話である。
周りがどう騒いでいようとも、リブロは次期国王だ。王が不在となった今、この先にどう転がるとしても、一時的であっても、彼はその空いた王座に座ることとなる。そうなれば妃の座を狙う者が現れ始めるのも不思議ではない。むしろ遅すぎたくらいだ。
「良かったじゃないですか、より取り見取りで」
「簡単に言う……」
「だって他人ごとですからね。たくさん届いているなら、一人くらいはお好みの相手がいるかもしれませんよ? 簡単に死なないような体が丈夫な人とか」
「……よく憶えているね」
リブロが少し驚いたふうに言った。
「やると決めたこと以外は暇でしたからね。リブロ様との話は、良い暇つぶしになりました」
「君は本当に正直者だよ」
「私の唯一の美点ですから」
イリアはふふんと笑ってみせる。それから、前にも同じ会話をしたなと思い出す。あの時のイリアの心にあったのは、王への恨みと殺意だった。そんなものを胸に抱いていたものだから感情も荒んでいて、下手をすれば、何かの拍子に弾けて外へ飛び出していたかもしれない。だからリブロとのどうでも良い雑談は気分転換になったし、本当に良い暇つぶしだったのだ。
「ねぇイリア。君はこれが終わったら何がしたい?」
「前にも訊かれましたね。あいにくと、スリジエが見たい以外は、何のプランもないですよ。リブロ様と陛下に全部めちゃくちゃにされましたので」
「そうか。なら、私に協力してくれないか?」
「協力?」
「そう。少しの間でいいから、私の妃をやってほしい」
「はい?」
思いもよらない提案にイリアは目を丸くした後、渋面を作った。それを見たリブロがふはと噴き出す。
「そういう顔をすると思った」
「分かっていたなら妙な冗談を言って、こんな顔させないでくださいよ」
「ごめんごめん。だけど、別に冗談ではないよ。本気の提案だ」
「なお悪いですよ……」
うんざりした気持ちでイリアはため息を吐く。とんでもなく失礼な態度だが、リブロは気にしたふうでもなく楽しそうに笑っていた。
「私は簡単に死なないような体が丈夫な人を妃にしたい。簡単には死ななそうという点で考えると、私の知る限りでは君がぴったりでね」
「不死身じゃないんですから、私だってナイフで刺されれば死にますよ」
「それは私だってそうだよ。そうじゃなくて、図太そうって意味」
「褒めてませんよね?」
「褒めてはいるよ。一応ね」
片目を瞑るリブロ。このやろうとイリアは唸った。
「それにこれなら君の処遇について、色々と考える必要がなくなるから都合が良いんだ。目の届くところにいてくれれば守りやすい」
「体面が悪いでしょう。私はアルマリオ陛下の妃ですよ。式も挙げました」
「そうだね。だが籍はまだ入れていない」
「――何ですって?」
イリアはぽかんと口を開けた。後宮に呼ばれて数日、王はあれだけ式を楽しみにしておいて、未だに籍を入れていないとはどういうことだ。
「言っただろう? 父上はすべてお見通しだったと。まだ若い君の人生に、自分のせいで汚点をつけたくなかったのだろうね」
「…………馬鹿じゃないですか、あの方は」
「そうだね。馬鹿だと思うよ。番にさえ狂わなければ、そういう人だったんだ」
「…………」
イリアは口を結んで、しばらくして「絆されませんよ」と返した。まるで、だから赦せと言われているように錯覚したからだ。恐らく、リブロにそういう意図はないだろう。けれども、自分でそう感じてしまったから、イリアは言葉にして否定した。リブロは「そうしてくれ」と頷いた。
「……だから式を小さく行ったんです?」
「だろうね。外には、まだ情報はほとんど出ていない。父上が新しい妃を迎えたというくらいさ。体面を気にしてくれているなら、そこはどうとでもなる。だから……駄目だろうか?」
懇願するような目を向けられて、イリアはうっと言葉に詰まった。本音を言えば嫌ではあるが――一応は世話になった相手でもある。どうせこれからやりたいこともないのだ、少しという話なら協力してもいい、というくらいは思う。しかしだからと言って彼の妃など自分に務まるのかと、イリアがしばらく考え込んでいると、
「これは駄目押しをした方が良さそうだ」
などとリブロが言い出した。
「駄目押し?」
「そう。今言った、君を妃にしたい理由はある意味で建前だ。もうひとつ私の個人的な理由がある。引かれそうだから言うか迷ったけど、聞きたい?」
「伺いましょう」
「即答」
リブロはくつくつと笑ったのち、胸に手を当ててイリアの目を真っ直ぐに見つめる。
「私がいつか番に狂うことがあったら、君なら殺してくれると思ったんだ」
あまりにも物騒な本音に、イリアはぽかんと口を開けた。それから、何だか納得してしまって、思わず吹き出すように笑ってしまった。
「ずいぶん私好みの理由ですね」
「だろう?」
リブロは口の端を上げた。そして「どうかな?」と期待するような眼差しをイリアに向けてくる。
「いいですよ。その時は、ひと思いにやってさしあげます」
「決まりだ」
言って、リブロは右手を差し出した。その手をイリアは握り返す。
この結婚に愛はない。だからきっと、この先もイリアは愛なんてものは分からない。分かるのは体の血が沸騰するくらいの怒りと殺意だけ。それをリブロへ向ける日が来るかどうかは、イリアには分からない。来ない方が良いとも思う。
この感情に、関係に、相応しい言葉は何だろうかと、ふとイリアは思った。そしてややあって、頭にふっと言葉が浮かぶ。
「よろしくお願いします――共犯者様」
するとリブロは虚を突かれた顔をしたあとで、何とも嬉しそうに笑う。
「いいね。よろしく頼むよ、共犯者殿」
――その後リブロは国王となり、四十年に渡る良き治世を敷いた。
彼には一人の妃がいた。リブロは先王と違い、生涯彼女一人を妻として愛したという。その姿は竜の血を引くこの国の王らしい一途さだと、国の内外で評判だった。
「外からは良く見えるものですね」
「そのようだ。だけど、仲が良いのは確かだろう?」
「何を仰います。人を騙しておいて」
「心外だな。私がいつ君を騙したって?」
「あの時あなたは、少しの間でいいからと言ったんですよ。それなのに子供が三人もいるんですが?」
「あー……言ったね、確かに。うん、それは確かにそうだ。ごめん」
「いいですよ。許します。子供はかわいいので」
「私の妃は寛大だ」
「思ってもいないことを……まぁいいですけど。ああ、でも……」
「うん?」
「あなたを殺す機会が来なさそうで、どうしたもんですかね」
「残念?」
「そうでもないですよ。あなたは嫌いじゃないので、狂わないでくれて良かったです」
妃は人前にあまり姿を現すことはなかった。
けれども祭りや記念日などの行事では、王に寄り添い、その隣で微笑んでいたという。
「……吃驚した、告白されたかと思った」
「何を今更。そんな関係性でしょう」
「そうだね。あー、びっくりした」
その姿を見た人々はこう話す。
彼らは仲の良い夫婦であり、時として――まるで親友や、唯一無二の戦友のようでもあったと。




