第三話
イリアと王の結婚式は三日後に行われるらしい。王としてはすぐにでも式を挙げたかったらしいが、どうしても公務が片付かず、どんなに急いでも手が空くのがその日だったとか。
そんな話をイリアは、後宮へやって来た情けない顔をした王から聞いていた。
「すまない。せっかく其方と再び会うことができたのに……」
王はイリアの手を取って、そう詫びた。何が再びだ。イリアは悪態を吐きかけたが何とか飲み込んで、顔に笑顔を張り付ける。すると王は安心したように表情を緩めた。
国王アルマリオ――かつてこの国の姫君と恋に落ちた竜の鬣と同じ銀の髪と、紅玉のような赤い瞳を持つ美貌の王。統治者としての能力は高く、穏やかな人柄で慕う者もかつては多かった。
そんな王の様子がおかしくなったのは、将来を約束した番が命を落としてからだ。
王は先祖返りと言われるほどに竜の特性が色濃く出ていた。普段の王は聡明で優しく、若い頃から才気溢れる素晴らしい人物だったそうだ。しかし番を失ってから、狂おしいほどに愛しい相手の面影を追い求めるようになり、少しでも彼女に似た相手を見つけると普段の思慮深さなど消え失せて、何が何でも手に入れようとする。その様を見た者は、王のことを「番狂いだ」と称したらしいが、言い得て妙だった。
王の番が死んだのは流行り病だったと言うが、本当のところは分からない。妃の座を狙った何者かの仕業という噂も、まことしやかにささやかれていたらしいと、イリアは当時のことを調べていた際に知った。それが本当であったなら、ほんの少しだけは憐れには思う。
「イリア、どうしたんだい? 何か心配ごとでもあるのかい?」
これまでのことを思い出していたら、ぼんやりしてしまっていたらしい。リブロや妃たちという協力者が現れたことで、少し気が緩んでしまっていたようだ。心配そうに顔を覗き込んでくる王に、イリアは緩く頭を振る。
「いえ、何でもありませんわ、陛下。少し……陛下のことを考えておりましたの」
咄嗟にイリアはそう答えた。嘘ではない。すると王は目を瞬いて首を傾げる。
「私かい?」
「ええ。顔色があまり良くないように見えましたから……。ご無理をされているのではありませんか?」
「ああ……そうか、心配してくれてありがとう。公務が少々立て込んでいてね。でも大丈夫だよ。其方の顔を見たら、疲れなどすぐに癒された」
言って、王ははにかむ。すでに四十歳を過ぎているのに、どこか少年のように笑う人だとイリアは思った。とはいえイリアの顔など見たところで、疲労なんて回復しない。こちらを気遣ったのか、はたまたただの気のせいなのか。その辺りはイリアには分からないが、とにもかくにも人は良いのだろう。番に狂ってさえいなければ。
「愛しているよ」
王はうっとりとした眼差しをイリアへ向ける。しかし、その目が見ているのはイリアではなく、イリアが作った愛しい番の面影だ。何が愛だ。勘違いにもほどがある。そう言ってやらなかっただけ、イリアはまだ我慢が効いていると、自分を褒めてやりたかった。
それから王は少しイリアと話をして帰って行った。公務のためだ。名残惜しそうに何度もこちらを振り返りながら遠ざかる後姿に、イリアは微笑みを顔に張り付けて手を振る。そしてぱたんとドアが閉じ、念のため窓から後宮を出る王の姿をそっと確認して、イリアは深く息を吐いた。
「疲れた……」
王と顔を合わせると、胸の内にくすぶり続けている怒りの炎が燃え上がりそうになる。それを必死で抑えるのがひどく疲れるのだ。はぁ、ともう一度息を吐きソファへ戻ると、イリアはそこへ寝転がった。行儀が悪いし、ドレスにだって皺ができてしまうのは理解しているけれど、あまりにも疲れてしまって、どうしても一度横になって休みたかったのだ。
「……上手くやれているかな」
天井を見上げてイリアはつぶやく。最低でもあと三日は、王に自分の目的を悟らせるわけにはいかない。そうでなければ二年かけて準備をしたすべてが無駄になってしまう。リアンヌが自分に与えてくれたすべてを手放してまで、自分はここへ来たのだ。例え失敗したとしても、消せない傷の一つは必ずつけてやらねば気が済まない。
「失礼、入るよ。イリアはいるかい……おや、まぁ」
そうしているとドアが開いて、リブロが部屋の中へと入ってきた。彼はソファに嗜みなく寝そべるイリアを見て目を丸くして、おかしそうにくすりと微笑った。
「父上が見たら何と言うか」
「愛しているよ、くらいしか言わないでしょう、あの方は。文句を言うなら、王の周りの人ですよ」
「そうかもしれないね」
リブロはくすくす笑いながらやって来て、テーブルを挟んで向かい側のソファに腰を下ろした。そうされると、さすがに横になっているわけにもいかず、イリアは体を起こして座り直す。
「別にいいのに」
「そうはいきませんので。それにしても見ていたようなタイミングで現れますね」
「実際に見ていたからね。ああ、勘違いしないでほしいが、妙な趣味ではないよ。父上がおかしなことをしでかさないか監視しているだけだ」
「言い訳をするとより怪しまれますよ」
「言い訳しないで怪しまれるよりいいだろう?」
リブロは形の良い唇をにっと上げる。これは冗談だろうか。笑ってみせれば良かったかもしれないが、そんな体力はまだ今のイリアにはなかった。
「……君は今の父上を見て、どう思った?」
「別に、いつも通りですよ。まぁ、あとは気持ち悪いなぁくらい」
「気持ち悪いか」
「ええ。そりゃそうでしょう。親子ほど年の離れた相手を強引に召し上げて、愛しているだの何だの囁くんですよ。こっちに愛がなければ、ただ気持ちが悪いだけです」
「そうか」
歯に衣着せぬイリアの言葉に、リブロは苦笑しつつも「そうだね」と頷いた。王の子としては、色々と複雑な感情も抱いてはいるのだろう。これから彼は王を――自分の父親を殺そうと言うのだから。
「……リブロ様は」
「何だい?」
「陛下を殺すんじゃなくて、幽閉しようとか考えたことはなかったのかなと」
何となく、浮かんだ疑問を口にする。イリアの場合は王を殺すしか、他に復讐する方法を思いつかなかった。だから二年がかりでその計画を進めたのだ。しかしリブロは立場が違う。次期国王である彼ならば、もっと他の――それこそイリアには思いつかないような方法は取れたのではないだろうか。そう思って訊けば、リブロは視線を目を伏せて「……考えたよ」と答えた。
「何度も何度も考えた。父上を殺さなくて良い方法を。だけど、そのどれも無理だとすぐに諦めた」
「何故です?」
「父の番への執着心は、死なない限り解放されないから」
諦めにも近い眼差しで、リブロは断言した。
「以前、とある騎士が後宮から妃の一人を逃がそうとした。彼はその妃の幼馴染で、将来を誓い合っていた仲だった。それが父のせいで引き裂かれ――それでも二人は諦めず、機を見て後宮から逃げ出したんだ」
リブロの話によると、その計画には王の忠臣も複数人協力していたそうだ。このままでは我らの王は本当に取り返しのつかないことになってしまう。何とか元の王に戻ってほしい――その一心で彼らは騎士と妃の逃亡に手を貸した。やったことは、簡単に言えば王の軟禁だ。妃の一人がいないことに気が付いた王が、すぐさま探させようとしていたのを押し留め、部屋に閉じ込めたのである。そうして妃と離し、時間さえ経てば王の目は覚めるはず。彼らはそう信じていた。
しかし、駄目だった。妃を探しに行くのだと王は寝食も忘れ暴れ続け、やがて衰弱していった。番に会いたいと、うわ言のように繰り返しながら弱っていく王を見て、忠臣たちは選択を迫られた。このまま死なせるか、それとも妃を連れ戻すか。悩んで、選ばれたのが後者だった。
番さえいれば王はまともでいられる。まともな彼は歴代の王の中ではもっとも優れている。この国の繁栄のためには王が必要だ。だからこれは仕方のない犠牲だと、そう理由をつけて諦めたのだ。だから今の王宮には、王をどうにかしようと考えるものはそれほど多くないらしい。
「そいつらもまとめて殺してやりたい」
率直にイリアは言った。結局のところ、皆自分が可愛いだけではないか。怒りに震えるイリアに、リブロは「すまない」と謝った。その言葉にはっと我に返る。思わず怒りが沸々としていたが、その話の内容にはイリアは部外者だ。
「申し訳ありません。勝手に腹を立ててしまいました」
「いいや。私は怒って当然のことを話しているのだから」
リブロは頭を振って、
「……君のその素直さが羨ましい。私たちは怒ることすらしなかったのだから」
ひと呼吸分だけ間を空けて、そう続けた。それから沈黙が落ちた。困ったなとイリアは思った。こういう時にどう空気を換えたら良いのか、イリアには分からない。もしもリアンヌがいてくれたら……友人のことを思い出しながらイリアは窓の方へ顔を向けた。ちょうど空に、瑠璃色の鳥が飛んでいる。渡り鳥だろう。今の季節に珍しいことだ。
「リブロ様、ルリハナドリですよ」
「うん?」
リブロは顔を上げた。それからイリアの視線の先を追いかけて、自分も窓の方を見た。
「綺麗な色の鳥だね」
「でしょう? 春になるとやってくる渡り鳥です。まだ雪が積もっているのに珍しい。あの鳥は、花の蜜を吸うんですよ。特にスリジエの花がお気に入りで、枝の上いっぱいにとまることもあるんです」
「それは…………可愛いだろうな」
「ええ、可愛いですよ。それに綺麗なんです。花が散った後なんて、まるで瑠璃色の花が咲いたように見えましてね……」
あれを見たのはいつの頃だったろうか。確か、リアンヌの家で働き出して、一年後の春だった気がする。
庭に生えた大きなスリジエの木の枝にルリハナドリがとまっていて、それを発見したイリアは、これはリアンヌに見せてやらねばと大急ぎで彼女を呼びに行った。リアンヌは手を叩いて喜んでくれたっけと、思い出してイリアは懐かしげに目を細める。
……あの頃に戻れたら、どんなに良いだろう。
「……イリア、大丈夫か?」
すると、何故かリブロから心配された。
「何がですか?」
「泣いている。使って」
言って、リブロはハンカチを渡してくれた。白くて手触りの良いそれを受け取り、イリアは目を瞬く。泣いているってどういうことだろう。そう思いながら空いた方の手で目尻を触れば、指先が濡れた。イリアは驚いて固まった。自分では気が付かないうちに泣いていたようだ。どうして、とイリアは思いなが渡されたハンカチを見下ろす。すると目から零れ落ちた涙の粒が、ハンカチにぽたりと染みを作った。
「…………」
妙な話を聞いたり、話したりしたものだから、どうやら少々感傷的になってしまっていたようだ。こんなはずではなかったと後悔しながら、イリアはハンカチを目に当てる。そして、ああ、とイリアは心の中でつぶやいた。涙なんて、とっくに枯れたと思っていたのに。
「……ありがとうございます」
それだけは何とか言葉にして、イリアは口を結んだ。そうしないと嗚咽まで零れてしまいそうな気がしたからだ。




