世界は、静かに
異変は、派手じゃなかった。
だからこそ、
気づいた時にはもう、遅かった。
◆
朝。
宿屋の女将が、ルミナを見るなり言った。
「あれ……お客さん、今日泊まってましたっけ?」
一瞬、耳を疑った。
「昨日も、その前も、ここに……」
「うーん……名簿に、名前がないんですよ」
悪意はない。
困惑だけ。
カイルが口を挟む。
「俺と一緒に泊まってたじゃないか」
女将は、首を傾げた。
「……お兄さんは、泊まってますよ?」
ルミナの名前だけが、
抜け落ちている。
◆
市場でも、同じだった。
「これください」
店主は商品を差し出し、
代金を受け取り――
ルミナの顔を見ずに、次の客へ。
「……あの」
「はい?」
視線が、合わない。
存在は認識している。
でも、“記憶に残らない”。
◆
「これって……」
カイルが、低い声で言う。
「お前、世界に消されかけてないか?」
ルミナは、苦笑した。
「たぶんね」
予想はしていた。
痛みを可視化する存在は、
世界にとって都合が悪い。
◆
夜。
無色の少女が、現れた。
今までで、いちばんはっきりした姿。
皮肉だ、とルミナは思う。
「……始まったね」
少女が言う。
「うん」
「怖い?」
少し考えてから、答える。
「……正直、ちょっと」
少女は、頷いた。
「私も、そうだった」
前作の記憶が、重なる。
周囲に気づかれなくなり、
名前を呼ばれなくなり、
最後には、自分が消えても
世界が何も変わらないと知る。
「……ねえ」
ルミナは、問いかける。
「世界に嫌われたら、
どうすればいい?」
少女は、少し間を置いて言った。
「嫌われたまま、いる」
それは、抵抗でも反抗でもない。
ただの、存在の主張。
◆
その瞬間。
風が、逆向きに吹いた。
世界が、歪む。
無色の少女の輪郭が、
さらに安定する。
「……どうして?」
ルミナが聞く。
少女は、静かに答えた。
「あなたが、私と同じ場所に来たから」
救われるためではない。
選ばれるためでもない。
同じ場所に、立っただけ。
◆
その夜、ルミナは夢を見る。
自分の名前が、
一つずつ削られていく夢。
呼ばれなくなり、
書かれなくなり、
最後には、思い出されなくなる。
目が覚めても、
胸のざわめきは消えなかった。
世界は、敵になった。
それでも。
無色の少女は、
確かにここにいる。
「……独りじゃない」
その事実だけが、
ルミナを現実に繋ぎ止めていた。




