しがない下町の解呪屋なのに呪いで喋れなくなった公爵令嬢の解呪を依頼されました。
『うわぁ……………すっごい豪華…………。』
帝国に三つしかない公爵家に呼び出しを受けた俺は、応接室だと通された豪華絢爛な部屋を眺めながら、心の中で小さく感嘆の声を上げた。
無造作にポイと置かれた壺や絵画が一体いくらか見当もつかない。
出されたティーカップでさえ、きっと俺の年収では一脚も買えないだろうと思うと手が震えて、紅茶の味もわからなくなる。
フワッフワのソファーは大人3人が座れる大きさだというのに、身の置きどころがなく端っこの方にチョコンと座っていると、コンコンとドアをノックする音がして、俺をこの部屋まで案内してくれた執事の男が入室してきた。
「お待たせ致しました。ご案内致します。」
「は、はい!!」
ビシリと決まったたお仕着せを着て歩く執事の後に続いて、白い大理石の廊下を歩いていく。
緊張から足がもつれそうになるのを、チロリと見た執事が無機質な声で話しかけた。
「今日は貴方で3人目になります。………つまり貴方の前の2人は失敗していると言うことです。
しかしお二方とも謝礼を受け取り、無事お帰りになっております。」
「えっ……?」
「もう何年にも渡って沢山の有名な魔法使いや高位神官達が、お嬢様の呪いを解こうとして駄目でした。
お嬢様はすでに諦めておいでなのに、下町の解呪屋である貴方が呼ばれたのは、それでも何かしたいという旦那様の親心でございます。」
「え、………えっと………?…」
「…………つまり誰も貴方に期待しているわけではないので、そんなに気負わなくても良いと言うことです。」
「!!な、なるほど!」
無愛想な見かけによらず、執事はどうやら緊張する俺を気遣ってくれたらしい。
貴族の家は遠回しな言い方をするなと思いながらも、おかげで少し肩の力を抜く事が出来た。
俺は下町で呪いを専門にした解呪屋を営んでいる。
解呪屋と言っても、やっている事はちょっとしたお清めや呪いの元となる媒体を探す事くらいで、高度な呪いそのものを解けるわけじゃない。
そういうのは魔法使いや神官の仕事だ。
それが数日前、そんな俺の所に突然公爵家の使いの者だという人がやってきてお嬢様の呪いを解いて欲しいと依頼されたからビックリ仰天したのだ。
半ば強制的に連れて行かれ、公爵家ならいくらでも高名な魔法使いや神官を雇えるだろうに何故俺のところに来たのかと、裏を勘ぐって戦々恐々としていたのたが、もう既に有名どころの方達に片っ端から当たって駄目だった結果、巡り巡って俺のところにまて話が来ただけだと知って納得した。
(これなら失敗してもお咎めは無さそうだ……。良かった。)
ホッと息をつくと、執事に心の内を見透かされた様に釘を刺された。
「……期待はしていないとは申しましたが、全力は尽くして下さい。」
「は、はい!それはもちろん!!)
長い長い廊下の先に案内されたのは、繊細で美しいレリーフが刻まれたドアの前。
「お嬢様、解呪屋の方をお連れ致しました。」
執事がドアをノックして声をかければ、中から侍女がドアを開けた。
開いたドアの先にいたのは、18歳くらいの美しい女性。
お日様の光を集めた様なキラキラな金の髪にルビーの宝石をはめ込んだ様な美しい赤い瞳が印象的な、正に絵から抜け出てきたかのような綺麗なお嬢様だった。
こんなに綺麗な女性を見るのは生まれて初めてで、ドクリと心臓がはねた。
(この方が噂の公爵令嬢なのか…………………。)
まじまじと顔を見つめる訳にもいかず、チロチロと盗み見る。
この帝国でお嬢様は悲劇の公爵令嬢として有名だった。
公爵令嬢であるお嬢様は帝国の第二王子の婚約者だった。
ところが結婚も間近に迫っていたある日、お嬢様は王宮の図書館で倒れている所を発見された。
その日以降、お嬢様は喋れなくなった。
いや正確には喋れなくなったのとは、チョット違う。
『あの………い、いいい…………』 や『ああっ……いや…………うう………えっと』など文章にはならないが、言葉を声に出すことは出来るらしい。
身体に異常はなく、近くに落ちていた本から微量の魔力が検出された事から、直ぐに呪いであると判断され、宮廷魔法使いや神殿の神官達が呪いを解くために集められたのだがお嬢様の呪いを解くことは誰にも出来なかった。
そして結局喋ることの出来なくなった令嬢では王子妃は務まらないと婚約を解消されてしまったのだ。
以来お嬢様は表に出ることは一切なくなり、世間ではおとぎ話に出てくる茨姫のようだと噂されていた。
(呪いにかかった茨姫か…………。確かにおとぎ話から抜け出してきたみたいに綺麗な人だ……。)
お嬢様の美しさに気圧されて呆けていると、お嬢様がペンを手に取りサラサラと紙に何か書いて侍女に渡した。
「お嬢様………。ですが物は試しと言うではありませんか…………せめて試されてみてからでも……。」
紙を見た侍女が悲しげな顔をして渋るも、お嬢様はふるふると首を横に振った。
侍女は溜め息を吐くと、傍にあった机から小さな袋を取り出すとツカツカと俺の前に立った。
「……解呪はもういいので、こちらを持ってお帰り下さいとのことです。」
「えっ?」
差し出された小袋の中には金貨が3枚と、『今後は公爵家からの依頼を受けることを免除する。』と書かれた紙が入っていて驚く。
「うわっ、金貨!さ、3枚も!?………あ、あとこの紙は……?」
「わざわざご足労下さった事へのお嬢様のお気持ちですから遠慮なくお受け取り下さい。
それと、そちらの書き付けは今後もしまた公爵家から呼び出しがかかった際に、断る用にお使い下さいとの事です。」
「えっ、でも…まだ俺……何もしてないのに……………。」
「それで宜しいそうです。………貴方の前にいらした二人も、そちらを持って何もせず帰って行かれましたから。」
そう言って侍女は困ったように微笑んだ。
執事の方を見れば、こうなる事を分かっていたのか小さく溜め息をつくと頷いた。
「………旦那様には今回も駄目だったと伝えておきます。」
執事の言葉を受けて、お嬢様が無言で頷いた。
もう何もかも諦めてしまった顔で。
(どうしよう……………………。)
手に持った金貨の袋を握りしめながら俺は葛藤していた。
執事には先ほど『全力を出せ』と言われて、調子よく『はい』と答えてはいたが、本当はもともと適当にお茶をにごして帰るつもりだった。
喋れないと言っても、天下の公爵家のご令嬢なのだし、別に生活に困ることなんてないんだから、喋れないだけなら特に問題はないだろうと思っていたからだ。
だけどお嬢様の虚ろな瞳を見ているとチクリと胸の奥が痛んだ。
きっと有名な魔法使いや高位神官、我こそはと名乗りをあげた者たちが呪いを解こうとする度に、期待を込めては失敗するを繰り返し落ち込んできたんだろう。
お嬢様の表情からは、もはや呪いが解ける希望すら抱いていないことが伝わって来た。
最初から期待などまったくしていない事を虚ろな目が物語っていた。
それでも、恐らく心配する父親の為に、形だけでも会っているのだろう。
そして大した力もないのに、父である公爵に一縷の望みをかけて無理に連れてこられた俺のような者に対し、申し訳なく思っているらしい。
強制的にまた連れてこられることがないように一筆したためているのが彼女の優しい性格を表しているようだった。
(姿が美しいだけでなく………心も綺麗な人なんだな。)
俺はどこか夢見心地でぽーっとしていた。
「どうぞこちらへ。出口までご案内致します。」
声をかけられハッとする。
執事が俺を案内しようとドアを開けてくれていた。
ところが俺の足はそちらへ動こうとはしなかった。
少しだけ逡巡して、俺はドアの方ではなくお嬢様へ向き直った。
「…………あの、試すだけ試させて貰っては駄目でしょうか?」
「……………?」
お嬢様がキョトンとした顔で俺を見つめた。
執事と侍女の視線も俺に集中した。
「……やっぱりお金だけ貰うのは申し訳ないです。一度だけでいいんです。
俺に…解呪を試させて貰えないでしょうか?」
ペコリと頭を下げれば、お嬢様が困惑した表情を浮かべた。
恐らく今までお金を渡してそんな申し出をした者はいなかったんだろう。
お嬢様はどうしたものかと視線を彷徨わせた。
「いいではありませんかお嬢様!やって頂きましょうよ!」
侍女がパンと手を叩いて俺に賛同した。
「……………まあ試してみても損をするわけではございません。
この様に仰っていることですし、暇つぶしのつもりでお受けになってみてはどうでしょうか?」
執事がコホンと咳払いをして俺に同意した。
完全に諦めてしまったお嬢様とは違い、どうやら侍女や執事はまだ呪いを解く事を諦めきれていないようだった。
お嬢様は二人の顔を見ると、仕方ないというように溜め息を吐くと、コクリと頷いた。
「えっと…………それではまずは、呪いについて調べさせていただきます。」
お嬢様の前に立ち手をかざせば、お嬢様は何の感情の色も見せずに俺を見上げる。
とても美しい顔だが、生気がないからか整った顔の人形のようにも見えた。
(笑ったらもっと可愛いだろうに。)
(もしも解呪が成功したら笑ってくれなかな?)
なんて考えがふっと頭をよぎり、『こらこら相手は雲の上の存在の公爵令嬢だぞ?』『そんな事考えるなんてどうかしている。』と頭を振った。
実際どうかしていると頭の片隅で思う。
あのままお金を貰って帰る事だって出来たのだ。
それなのにどうして俺はこんな申し出をしたのか。
後悔しないのかと警鐘がなる。
本当にどうしてなのか自分でも分からない。
(せっかく目立たないように生活してきたというのに。)
「それでは始めます……………。」
ふーと深く深呼吸する。
「………これからご覧になることは出来れば内密にお願いします。」
そう言えば、お嬢様が不思議そうな顔をする。
そして俺は最悪この街を出ていくことを覚悟して口を開いた。
「スクロール表示!」
すると俺が言葉を紡いだ瞬間、お嬢様の体から金色の光る文字がリボンのように飛び出した。
そしてクルクルと旋回すると、俺の周りを囲う壁のように並びだした。
ぐるりと俺を取り囲む文字の壁。
「状態ステータス開示!」
そう言うと今度は金色の文字列の一部分が赤く光る。
俺はその部分に近づくと目を走らせる。
状態……………暗示魔法継続中…………………。
(暗示魔法?呪いじゃないのか………。)
なるほど今まで呪いが解けなかったのは呪いじゃなく暗示魔法だったからなのかと納得する。
ならば暗示魔法とはどんなものなのか?
「暗示魔法の内容を提示!」
すると赤く光っていた文字列がグニャリと崩れオレンジ色に変わり文字の形も変化した。
内容…………あいうえお魔法
この魔法にかかった者は、あいうえお順で話さなければ話せない。
※ただし対話者がいる場合は、あいうえおの順番さえ合っていれば、どちらが話そうと、一方が続けて話そうと会話になっていれば問題ない。
解除条件は、あいうえお順で最後まで話すこと。
チャレンジ残り回数 1回
(なんだコレ………?)
なんだコレとは思うものの、呪いの正体は分かったので、展開していたスクロールを閉じる。
「スクロール 解除」
すると俺を取り巻いていた金色の文字の壁が、またリボンのようにバラけて、お嬢様の中に吸い込まれるように戻って行った。
お嬢様は自分の中に文字が飛び込んで来る感覚に身を縮こまらせながら、呆然とした表情を浮かべていた。
侍女は口を押さえて目を見開いている。
執事もポカンと口を開けて呆気に取られていたが、最後の文字がお嬢様に吸い込まれ消えると、ハッと我に返り俺に聞いてきた。
「………………今のはもしや……『ギフト』でございますか?」
「……はい、そうです。」
もう見せてしまった以上、隠しても仕方ないので正直に答えた。
この世界には『ギフト』と呼ばれる神から授けられる能力がある。
その能力は千差万別で様々な物があるが、どれも通常の魔力や能力では考えられないほど大きな力であり、それ故か『ギフト』を与えられる者は世界でも数名いるかいないかのレアな存在だった。
そして俺はそのレアな能力『ギフト』を与えられた人間だった。
「すごいです……。『ギフト』なんて、初めて見ました。
でも『ギフト』をお持ちなら最初から仰って下されば宜しかったのに………。」
落ち着きを取り戻した侍女が、ほんの少し恨みがましい目で俺を見た。
「すいません……正直あまり知られたくなかったもので………。」
俺の能力『ギフト』は対象となるもの全ての状態や情報を把握出来るスクロールを作り出し読み取る事が出来るというものだ。
今回はお嬢様の状態を見たが、対象は人間でなくとも構わない。
つまりやろうと思えば、この国の財政状態から軍事情報全てのステータスをスクロールとして表示して読み取れるチート能力だった。
しかしこんなチート能力を平民が持っていても良いことなど一つもない。
過去に俺の『ギフト』能力を狙った権力者に襲われたり、囲われそうになったり、家族を人質に情報を教えろと脅されたりと、とんでもない目に会う事が度々あったからだ。
「俺みたいな平民には過ぎた能力ですから………。」
色々と暗い過去を思い出し口ごもれば、侍女も何となく察したのかバツが悪そうに俯いた。
執事も『なるほど』と頷いてから、それはそれとして……と俺に尋ねた。
「………それで、お嬢様の呪いは解けそうでしょうか?」
「あっ、はい!そうでした!」
そうだったと思い出し、俺はスクロールで読み取った情報を頭の中で整理する。
「えっと………………解けると思います。」
呪いは呪いではなく暗示魔法だった。
暗示魔法を解くためには、あいうえお順で会話をすればいい。
そして対話の場合はどちらが話しても片方がずっと話しても会話にさえなっていればいい。
なら……………………
("しりとり"の要領で行けるんじゃないか?)
要は『あ』で始まる会話を始めて、『ん』で終われば良いのだ。
例えば俺が『あ』から始まる言葉で話しかけて、『い』で始まる言葉で話を続けて、次は『う』の順番で会話を続ければいいのだ。
交互に話さなくても会話が成り立てばいいというなら、俺が一方的に話しかけて最後にお嬢様に『ん』と言って貰えるようにしてもいいかもしれない。
俺は頭の中で軽く文章を組み立てる。
内容に指定がある訳ではないので簡単な会話でいいはずだ。
しりとりは結構得意だしイケる気がした。
しかし問題は残り回数 1回 の表示だ。
残り回数があるということは、この魔法はチャレンジ出来る回数が限られた魔法だということになる。
まだチャレンジ出来る回数が残っていて幸いだったが、
残り1回ということはもう失敗は許されないということだ。
ならお嬢様にもしっかりと協力してもらわなければならない。
説明しようとお嬢様に向き合うと、先程まで暗く諦めていた表情が
期待を込めた表情へと変わりキラキラと輝いていた。
表情が変わっただけなのに、明るい表情となったお嬢様はとんでもなく綺麗だった。
まるでお嬢様だけが光り輝いているように感じられて、心臓の鼓動がドキドキドキと高鳴った。
「……た、多分解呪出来ると思います。ですがその為にはお嬢様の協力が必要なのですが宜しいでしょうか?」
そう伝えるとお嬢様はコクコクと首を縦に振った。
何だかその姿もとても可愛らしくて、どうしてだか目が離せない。
喋れなくなった事で第二王子に婚約解消されてしまったそうだが、これほど美しくて可愛らしい女性だ。あいうえお魔法なんていうふざけた暗示魔法が解けて、喋れるようになれば、きっと直ぐに新しい婚約者候補者達が列を成すことだろう。
(そしたら二度と会うこともないだろな………。)
そんな事を考えると、何故だかズキリと心が痛んだ。
なんの痛みだ?と不思議に思う。
(お嬢様に会えないと心が痛いのか?)
と首を捻る。
何でだろう?とお嬢様の顔を再び見る。
そしたら思わず俺の口から無意識にポロリと言葉がこぼれた。
「ああ………俺、お嬢様に一目惚れしたのか。」
「!!!!????」
お嬢様の目が驚きに見開かれた。
言った俺も驚きに目を見開く。
(俺…今なんて言った!!!???)
自分で言った言葉が信じられず心臓がバクバクと鳴った。
しかし口をついて出てしまったものは取り消せない。
(公爵令嬢に告白したなんて下手したら首が飛ぶかもしれない!)
ドバッと冷や汗が流れた。
どうしようかと思った瞬間、お嬢様の喉元に『い』の文字が浮かんだのが見えて更に冷や汗が流れた。
(まさかさっきの台詞がカウントされたのか!?)
あの独り言の様な台詞は、どうやら会話として"あいうえお魔法"に認識されてしまったらしい。
ヤバイ!!残り回数1回なのにどうする!?
どうするもこうするも始まってしまった以上どうしようもない。
残り回数は1回なのだ。
それならばこのまま続けるしかないと、次の台詞をひねり出した。
「い、いきなり告白して驚きましたよね?」
「う、嘘みたいな展開ですが本当なんです。」
「え、絵から飛び出て来たかのような貴女の美しさに惹かれました。」
「お、俺は貴女のように綺麗な女性に会ったの初めてです。」
いきなり始まった愛の告白劇場に、お嬢様初め侍女も執事もポカンとしていた。
ただ解呪と関係があるのかもと思ってくれたようで、誰も止めないでいてくれるのが助かった。
『明日は晴れらしいですよ〜。今時分は朝晩冷えますよね〜。』とか適当に会話を続けようと思っていた筈なのに何故にこうなったと、一人焦りながらも何とかあいうえお順に会話を絞りだしていく。
とりあえず、お嬢様の喉元のひらがな表示が次々と変わっていくので、やり方に問題ないことだけが救いだった。
「か……勝手に告白をしてすいません。」
「き、急に困りますよね?」
「く、く、苦しい胸の内なんて聞かされて……。」
「け、けれど本当なんです。」
「こ………こんなに誰かを好きになったのは初めてなんです!」
「さ………さ…すがに身分が違うのは分かっています。」
「しょ…せん貴女は俺には届かぬ高嶺の花です。」
「す……きになってはいけないと思っています。」
「せ!せつなく、苦しい思いに潰されそうです。」
「そ、そそ、それでも、そんな俺の気持ちを少しでもいいんで受け取って貰えないですか?」
苦しみながら告白会話を続けていけば、お嬢様の顔に段々と熱が集まり、自業自得とはいえ俺の顔も赤く染まっていく。
『恥ずか死ぬ!』と思うもやめる訳にもいかない。
「だ、大好きですなんです!」
「ち、ち、近づいては行けない存在だとわかってます。」
「つ……つ……強く貴女に惹かれて仕方ないです。」
「て……で、出来るならずっとお傍にいたいです。」
「と、隣で歩いて行けたらどんなに良いでしょうか。
「な、な、な何故俺は貴族に生まれなかったのでしょう。」
「に、に?にに、似つかわしい地位が俺にあれば良かったのに。」
「ぬ、ぬ!?…ぬ…ぬ抜け出せない思いに胸が張り裂けそうです。」
「ね、願いが叶うなら貴女に愛を告げる立ち場になりたい!」
「の、の、望んでも仕方ないことなのに考えてしまいます。」
ここまで来ると俺が解呪の為に『あいうえお順』で、何とか会話を続けている事に気づいたのか、侍女は緊張した面持ちで『カンバって下さい』と無言のガッツポーズで応援し始め、執事は俺が言葉に詰まった時に備えて国語辞典をめくり始めた。
お嬢様は顔を真っ赤にしながらも、俺が会話を捻り出すのを祈るように見つめ始めた。
己のせいで格段に難易度が上がってしまったが、危ういながらも『あいうえお順』の俺の告白は続いた。
「は、は、初めてのこの気持ちをどうしたらいいでしょうか?」
「ひ、一目惚れするなんて今も信じられない思いなんです。」
「ふ、ふられるのは分かっていますが言わせて下さい。」
「へ、返事がほしいわけではないんです。」
「ほ、本当に貴女が好きなんです。」
「ま…、まだ出会ってほんの数分ですが本気です。」
「み、見つめていたくて仕方がないんです。」
「む、胸が高鳴ってドキドキが止まりません。」
「め、迷惑だとしても止められそうにないです。」
「も、もし貴女に拒絶されたら、俺は生きていけません。」
「や……ヤダと思われるかもしれませんが拒絶しないで下さい。」
「ゆ、 許していただけるのなら、貴女ともう少し話したいのです。」
「よ、宜しければ少しだけでも会話して頂けませんか?」
「ら…ら…らら、埒もない話題でいいんです。」
「り、理解して欲しいなんて贅沢は言いません。」
「る、ルビー色に輝く貴女の瞳を見つめながら話したいだけなんです。」
「れ、れ、怜悧なお声だけでも聞かせてもらえませんか?」
「ろ、ろろ、ろくに知りもしない俺なんかでは駄目でしょうか?」
「わ、わ私の小さな願いを叶えて、どうか声だけでも聞かせて下さいませんか?」
途中怪しいところもあったが、どうにかこうにか『わ』まで来た。
あと残すところは『を』と『ん』のみだ。
次は『を(お)願いします。』と俺が言い、お嬢様が『ん』と答えてくれれば、あいうえお順会話は終了するだろう。
執事と侍女が固唾を呑んで見守り、お嬢様も緊張した面持ちで俺の言葉を待っている。
そして『を(お)』と言おうと口を開きかけた時だった。
お嬢様の喉の表示が『わ』から『ゐ』に変わったのだ!
(ゐ!!!???)
ここに来てまさかの旧字体である変体仮名の登場に驚愕する。
(嘘でしょ!『ゐ』なんて今使われてないよ!)
(『ゐ』ってどうしたらいいんだ!?『ゐ』で始まる言葉なんてあるのか!?それとも『い』で答えてもいいのか!?)
この魔法を作った魔法使いは、変体仮名が使われる時代の人間だったのかもしれない。
だったら『ゐ』の発音も正確にしなきゃ駄目なのかもとパニックになる。
キョロキョロと目線を彷徨わせるも、お嬢様の喉元の『ゐ』の文字は恐らくギフト持ちである俺にしか見えていない。
(どうしよう!どうしよう!どうしよう!)
早くしないと会話が途切れたと判断されて失格になってしまうかもしれないと思うとますます焦った。
(だ、駄目だ!何も思い浮かばない…………。)
挫折しかけた俺の前に、執事によってスッと辞書が差し出された。
『ゐ』発音 (wi)
使用例 ゐ(居)ゐなか(田舎) ゐど(井戸)など………
「!!!!!!!!!」
(執事様ーーーーーーー!!!!!!)
心の中で執事様の察する能力に大感謝した。
「ゐ、ゐ、田舎者の俺の願いを叶えて下さい!」
執事様のおかげでかろうじて会話が繋がった。
そしてお嬢様の喉元の文字は、ホッとするのも束の間、『ゐ』から発音が重複する『う』が抜かれ『ゑ』に変わった。
(うわっ!やっぱり『ゑ』がくるのか!!)
しかし今度は慌てない。
何故なら執事様が次の『ゑ』もスタンバってくれていたからだ。
『ゑ』発音 (we)
使用例 ゑ(会) ゑ(恵) ゑがお(笑顔)など………
「ゑ!笑顔の貴女もみたいです!」
そして無事『ゑ』から『を』に変わる喉元の表示。
予定では『を』を『お』として『お願い』と続ける筈だった。
しかし『ゐ』と『ゑ』の発音が必要だった事を考えると、恐らくそれでは不合格になると思われた。
だから俺でも知ってる『を』から始まる有名な古典に出てくる言葉を使う事にした。
「をかし(哀れ)と思ってお願いします。」
俺の推測は正しかったようで、喉元の表示は『を』から無事に『ん』へと変化し、ホッと胸を撫で下ろす。
さあこれで後はお嬢様が『ん』と声を聞かせてくれれば、あいうえお順の会話は完成だ。
感無量な気持ちでお嬢様を見つめれば、自分がすべきことがわかったのかお嬢様は潤んだ瞳でコクリと頷いて声を発した。
「ん。」
その瞬間、お嬢様の喉が淡く光りパキンと何かが割れるような音が響いた。
ご自身でも魔法が解けた感覚が分かったのだろう。
震える両手で喉を触り、歓喜の涙を流しながらお嬢様が口を開く。
「の…呪いが解けたわ………。わたし……喋れてるわ。」
「お…お嬢様!!!!!」
感極まった侍女が泣きながらお嬢様に抱きつく。
「お嬢様……ようございました……。」
ずっと落ち着いた姿勢を崩さなかった執事様も口元に手をやり喜びに声を震わせる。
『解けたわ!呪いが解けたわ!』と泣きながら侍女と抱き合って喜ぶお嬢様を見ながら、俺はやりきった達成感と疲労感に大きく息を吐いた。
(良かった……。本当に………。)
『ギフト』のせいで散々嫌な目にあってきたが、生まれて初めて『ギフト』があって良かったと心から思えた。
それから1ヶ月後……………………。
本来であれば、『ギフト』持ちであるのがバレた以上、疾うの昔に出国していてもおかしくなかったのだが、俺の姿はまだ公爵邸にあった。
というのも、お嬢様がまた喋れなくなってしまったからだ。
いや、喋れなくなっと言うと語弊がある。
時々喋れなくなるというのが正しい表現だろうか。
俺の『ギフト』能力を使い、お嬢様のあいうえお魔法を解いたあの日、お嬢様の父上である公爵様は歓喜し、宝石でも金でも爵位でも、俺が望むものを何でも褒美として下さると言ってくれた。
しかし身の丈に合わない物を持つ事の恐ろしさを俺は知っている。
それに俺はお嬢様が喜んでくれただけで十分満足していた。
なので一度は辞退したのだが、それでは公爵家の面子に関わるからと引いて下さらなかった。
それで考えた末に、少し欲を出して公爵様にお願いをしたのだ。
「それでは……ほんの少しでいいのでお嬢様に微笑みかけて貰っても良いでしょうか?
俺にとっては宝石なんかよりも、お嬢様の笑顔の方が何倍も価値があるので……。」
俺はこの後すぐに保身の為に国を出るつもりだった。
『他言無用』とお願いしたとはいえ、お嬢様の呪いが解けた事が広まれば、自ずと俺の事も知られてしまうだろう。
そうなればまたどんな悪い奴等に狙われるとも限らない。
だから
もし叶うなら、最後の思い出にお嬢様の笑顔がもう一度見たい、この目に焼き付けておきたい。
そんな気持ちでの申し出だった。
「ほう………。」
俺の願いに公爵様は面白そうに目を細め、顎を撫でさすった。
それからお嬢様に問いかけた。
「……だそうだが、どうする娘よ?」
お嬢様は目を皿のように見開いて驚いていたが、頬をほんの少し染めると、可憐な花が綻ぶような笑顔を見せてくれた。
その後からだ
お嬢様がまた喋れなくなってしまったのは。
真っ赤な顔で絶句したかと思うと
「わわわ………も、そそ、……あ……あの……。」
とどもりだすようになった。
毎回ではないものの、それ以来その症状は時々現れるようになってしまったのだ。
お嬢様の暗示魔法は完璧に解いたと思っていたのに、何かミスがあったのかもしれない。
あんなに喜ばせて褒美まで貰ったのに申し訳なくて恐縮していたら、公爵様からお嬢様の専属の解呪係として側で見てやって欲しいと依頼された。
『なに娘の恩人の能力を悪用したりなどせんよ。ただあの子の為に見てやってほしいだけだ。』
公爵家の人達は皆いい人達ばかりなので、俺に害意はないだろうとは思ったが、色々と『ギフト』のせいで恐ろしい目にあってきた俺は、公爵家に迷惑をかけることを懸念した。
しかし
「天下の公爵家に属する者に、手を出すような愚か者はそういませんよ。」
という執事様の言葉が決め手の1つになった。
何よりお嬢様をこのまま放って去る訳にもいかないし、もう少しだけお嬢様の側にいられるという邪な想いもちょっぴりあって、俺は公爵家にお世話になることを決めたのだった。
それから毎日、お嬢様の状態をスクロールで確認して、何か異常がないか探しているのだが、お嬢様のどもりの原因はいまだ分からない。
今も赤い顔のまま「わ、わ、……あ……あ…す…す…。」と意味不明な言葉を繰り返しているお嬢様の状態を確認しているのだが、展開したスクロールのステータスを隅から隅まで読んでみてもまったく駄目だった。
「う〜ん、やっぱり何度ステータスを確認しても『正常』としか出てきませんね。健康状態も『正常』ですし……せっかく専属の解呪係として雇って頂いたのに力が及ばず申し訳ございません……。」
申し訳なくて謝れば、お嬢様は慌てたようにブンブンと顔を横に振った。
「まあまあ、これからはお嬢様の専属としてずっとお側にいらっしゃる訳ですし、時間はたっぷりあるのですから、焦らなくても宜しいのでは?」
侍女が紅茶の乗ったワゴンを押しながら楽しそうにのんびりと話す。
「旦那様も解呪の仕事はゆっくりで構わないとおっしゃっておりますから問題ございませんでしょう。」
執事様もティータイムの為のテーブルをセットしながら無機質な声ながらも穏やかに言った。
旦那様からも『まあ、のんびりやると良い。焦ることもない。』と有り難くも寛大なお言葉を頂いている。
皆様に優しいお言葉を頂けて嬉しい反面、何の役にも立てていないことに無力感が募った。
「あの……もしかして私に『ギフト』を使ったこと、後悔されていますでしょうか?」
「えっ?」
暗い顔で俯いていると、今は"どもり"が治まっているのか、お嬢様が心配した様子で聞いてきた。
「その……貴方は『ギフト』をお持ちなのを誰にも知られたくなかったと仰っておりました。それなのに私の為に『ギフト』を使うことになり、公爵家に縛られることになって……もしかして後悔されているのではないかと………。」
お嬢様の悲しげな表情に驚いて、俺はブンブンと頭を振る。
「い、いえ!まさか!!『ギフト』を知られたくなかったのは悪い奴等に狙われるからで、こうして公爵家に保護してもらえて有り難いくらいです!
それにお嬢様に『ギフト』を使ったことも後悔なんてしてません!!
むしろ感謝してるくらいなんですから!」
「感謝ですか?」
「はい!俺いままで『ギフト』持ちで良かった事なんて一度もなかったんです。
使えば危険に晒されることばかりで、何度こんな『ギフト』いらないと思ったことか。
だけど『ギフト』なんていらないと思っていても、本当は心の何処かで『ギフト』で誰かの役に立ちたいって気持ちがありました。
下街で解呪屋なんて真似をやっていたのも、今にして思えばそんな気持ちからだったんだと思います。
それがお嬢様に出会って、お嬢様にかかっていた暗示魔法を解くことが出来て、俺は凄く嬉しかったです。
初めて『ギフト』があって良かったと心から思えました。
だからお嬢様には感謝しかないです。」
「ほ、本当に?」
「もちろんです!それにお嬢様の可愛いい笑顔の報酬まで受け取って後悔なんてするわけないですよ!!」
心からの満面の笑顔で答えるとお嬢様が胸を押さえて後ろに倒れた。
「はぅ!!!!!!」
「!!??お嬢様!?だ、大丈夫ですか!?」
「あっ…、…わわ…すすす……」
「あ、あれ!?何でまた急に"どもり"が…………?」
慌てる俺を他所に侍女は『うふふ』と楽しそうに笑い、
執事様は『……これは時間がかかりそうですね。』と無表情に呟いた。
それからお嬢様の『どもり』が治ったのは数年後
まったく症状が改善しない事に責任を感じて、出て行こうとする俺に
『違うの!喋れないのは貴方の前だと恥ずかしくて上手く喋れなくなるだけなの!貴方が好きなの!』とお嬢様がカミングアウトして、
貴族の世界では『笑顔がみたい』という言葉がプロポーズであったと知らされて
『貴方に救われて、プロポーズされて好きになってしまったの……貴方にとってアレはプロポーズじゃなかったのかもしれないけれど……こんな私とは…結婚したくはありませんか?』と可愛い上目遣いで見つめられて
公爵様に打ち首覚悟で『お嬢様と結婚させて下さい。』とお願いしたところ、
『やっとか?もう孫の顔が見れぬかと焦ったわ。』
と大笑いされて、実はとっくに許して貰っていた事を知って
「実は一目惚れでした!結婚してくださいお嬢様!」と本当の事を暴露すると共にプロポーズするまで続いたのだった。
おしまい
オマケ 1
お嬢様が倒れた時に落ちていた『あいうえお魔法』のかかった本がなんだったのか、そして何故お嬢様が魔法にかかってしまったのかは、後に主人公が『ギフト』持ちであることが王家に知られて、危険な魔法書として封印されていた『あいうえお魔法』の本を解析する依頼を受けた事で知ることが出来た。
それは何代も前に外国から来た王妃様がこの国の言葉を学ぶために遊びで作った本だったらしく、お嬢様は不運にも経年劣化で本にかけられた魔法が綻んだところを手に取ってしまい暗示魔法にかかってしまったと判明した。
そしてあいうえお魔法が実は会話じゃなくとも、『あいうえお』順に正しく発音するだけでも解除された上に、残り回数が切れれば自動で解除される仕組みだったと知って、主人公はスクロールの前で崩れ落ちた。
オマケ 2
執事と侍女の会話
二人で銀食器を磨きながら
「あの解呪の時の『一目惚れしました!』って台詞完全に素でしたよねぇ。あの方本当に誤魔化せてると思っているんですかねぇ?」
「……そうですね。」
キュッキュッ
「それにしてもあの方天然ですよねぇ。お嬢様からあんなに好き好きオーラ出ているのに何で分からないんでしょうね?」
「……そうですね。」
キュッキュッキュッ
「身分が低いこと気にしているみたいですけど、『ギフト』持ちって王族とだって結婚望まれますよねぇ?旦那様だってお許しになっているからお嬢様のお側に置いているのに、どうして諦めモードなんですかねぇ?」
「………そうですね。」
キュッキュッキュッキュッ
「明らかに二人とも両思いなのに焦れったいですよねぇ?あの調子ですとご結婚まで何年かかるんでしょうねぇ?」
『……貴女が私の気持ちに気づくのと同じくらいですかね。』
(超小声)
キュッキュッキュッキュッキュッ
「?何かおっしゃいました?」
「……なにも。仕事しますよ。」
「はーい。」
※執事と侍女の最初の設定が老夫婦だったので……。(作中では主人公より少し上くらい)
最後までご覧頂き有り難うございました。
日光の『いろは坂』にて思いついたお話になります。
『ね』が抜けていた事をご指摘頂いたので修正しました。
色々とミスが多いので教えて頂けると助かります。