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22 手巻きと家族

申し訳ありません、また遅刻しました。

土曜日。


窓の外の陽射しは、もうすっかり斜めで弱々しかった。


街路樹の葉はほとんどが茶色く色づき、散る準備をしている。


そんな中俺がしていることは、音羽家のいつもの掃除だ。


いつも通りの家、いつも通りの作業、少し変わったお互いの呼び名。


「愛己くん、お疲れ様」


美玲が、暖かなほうじ茶を持ってきてくれる。


暖かさが喉に染みる、ありがたいお心遣いだ。


「ありがとう」


冷たい缶を受け取り、すぐに一口飲む。


美玲の視線が、やけに意識された。


「だいぶ片付いてきたな」


「ええ。愛己くんのおかげよ」


美玲が微笑む。


ちょっと油断すると、俺の心臓を鷲掴みにしそうな威力だ。


「いや、美玲さんもちょっと手伝えるようになったもんね!」


俺は、照れ隠しのように、少しだけ勝ち誇った口調で言った。


「ええ!私もなかなかできるようになったわ」


美玲が、可愛らしく胸を張る。


もう少し頑張りましょうと言ってもいいがその姿がなんだか可愛くて、俺は口を噤んだ。


二人で、また掃除を始める。


リビングの棚を拭きながら、ふと美玲が口を開いた。その声が、いつもより少し低い気がして、俺は身構える。


「ねえ、愛己くん」


「ん?」


「うちの父親と呼ばれる存在はあんなだけど……愛己くんのところは、どんな人?」


「え?」


俺は、持っていた雑巾を棚の上でぴたりと止めた。


——まずい!俺の親父なんて、話せることが少なすぎる!


「俺んちの親父……どうっていうと変な親父?って感じかな。一般的な父親とはちょっとうちも違う気がする」


床を拭くふりをして、美玲から目を逸らし、俺は言葉を選んだ。


変、という言葉でごまかそうとする自分が、ちょっと情けない。


「変?」


「ああ」


「仲は、悪くないと思う。むしろ家族仲は、まあ、いい方?」


どうにか無難な答えを返す。


「そっか」


美玲が、小さく息を吐き、少し寂しそうに笑う。


「羨ましいわね」


「そうかな」


俺は窓の外に目をやった。バルコニーに観葉植物の枯葉が風に舞っているのが見える。


「まあ、その……変って言ったけど、ちょっと思考が独特っていうか」


「独特?」


美玲が手を止め、俺をまっすぐに見つめる。


その瞳のせいで、俺は急に居心地が悪くなる。


——どう言えばいいんだ。正直に言うのは、やっぱり恥ずかしい。


「仕事が、その……ちょっと変わってて」


声が小さくなる。


「変わってる?」


美玲は、ただじっと俺の次の言葉を待っている。逃げ場はない。


「うーん。えっと……その……」


言葉が出てこない。顔がどんどん熱くなっていくのが分かった。


美玲が、少し首を傾げる。


「言いにくいこと?」


「セクハラになるかも」


最悪の言葉を選んでしまった。美玲が、少し目を見開く。


「そ、そんなことあるの?」


——こんな話題、今話すべきか?いつか話すとしても美玲に今話すべきじゃないんじゃないか?


「うーん。その、性に関する衛生商品とかぁ、お役立ち商品を扱ってる会社で」


顔が熱い。美玲が、少し驚いたような顔をする。だが、すぐにその表情は穏やかなものに戻った。


「へえ」


「だから、その……なんか、学校とか女子の前では話しづらいよね」


俺はほとんど早口で、自分を正当化するように言った。


「でも、人が生きていく中で大切な仕事よ」


美玲の声が、少し大人びて聞こえた。それは、父親が言っていたことと同じ。


恥ずかしがっていたことが、少し馬鹿馬鹿しくなる。


「父さんも、『大事なことだ』って『もっと明るい話題にして行きたい』っていっつも言ってる」


俺は、窓の桟を何度も拭きながら、これまでのことを少し考える。


「思春期の男の子にはどうにも恥ずかしいんだけどね?」


「それはそうよね」


美玲が、優しく笑う。


「でも、愛己くんのお父さんは正しいと思うわ」


「え?」


「三代欲求はあって当たり前のこと、それについて悩み学び話すことも当たり前にすべきって言うのはおかしな意見じゃない」


美玲は、迷いなくきっぱりと言い切った。


その真剣な眼差しに、俺の胸の奥のモヤモヤが、少し晴れた気がした。


「……そう、かな」


「ええ、それに芸術は性のおかげで広がりを得たものも多いのよ」


美玲が、真剣な顔で言う。


「愛己くんも、いつかそう思えるようになるわ」


「……ありがとう」


しばらく、無言で掃除を続ける。


さっきまでの緊張感が嘘のように、その沈黙は居心地が良かった。


俺は本棚の埃を拭きながら、そっと尋ねてみた。


「美玲さんの……父さんとは、あんな感じなのか?」


美玲が、少し寂しそうに笑う。


「ええ。ずっと、あんな感じ」


「……そっか」


俺は、それ以上何も言えなかった。


ただ、雑巾を持つ手に力を込めた。


「母が生きてた頃もあの人は母を虐げてた。私にの代わりに母が、父と私の間に入ってくれて」


美玲が床を拭きながら、淡々と話す。その淡々とした口調が、かえって事の重さを物語っていた。


「でも、母が亡くなってから……」


美玲の声が、少し震える。俺は掃除の手を止めて、彼女の背中を見た。


「母とは、よく料理をしたの。和食や洋食、料理の原体験ってやつね」


「そうなんだ」


「父にも和食の基礎なんかは叩き込まれたけど、私が料理を好きなのは母との思い出があるから」


美玲が、少し遠くを見るような、翳りのある目をする。


「母と過ごした時間が、一番幸せだった」


「……そっか」


俺は、気の利いた言葉が一つも出てこなかった。ただ、黙って美玲を見ていた。その孤独を、どうにかして和らげたいと、強く思った。


「父は、私の才能を認めてくれてる。料理も、芸術も、学問も」


美玲が、少し苦笑する。


「でも、私の生き方は認めてくれない」


「……」


俺は、美玲の抱える痛みが、自分の親父の仕事の羞恥心とは比べ物にならないほど、重いものだと強く感じる。


「あの人にとって、才能は突き詰めるためのもので、誰かのために使うものじゃないの。だから、クラスメイトと楽しくお料理なんて怠惰なお遊び」


「それは、違うだろ」


俺は、思わず声を荒げてしまった。


美玲が、俺の方を見て、少し驚いた顔をした後、笑った。


「ええ。私もそう思う」


美玲が、その笑みをすぐに消し、淡々と言葉を続けた。


「だから、一人で暮らしてる」


「……大変だな」


「まあ、掃除以外は慣れたわ」


美玲が、淡々と言う。でも、その声には、少しだけ寂しさが滲んでいた。


「家族って、色々あるわよね」


「そうだな」


俺も、美玲から目を逸らし、頷く。


二人で、また掃除を再開する


喉が少し掠れた……ちょっと長話をしすぎたのかもしれない。



掃除が終わり、リビングにも夕暮れの陰影が濃くなってきた。美玲がキッチンに向かう。


「今日は、手巻き寿司を作るわ」


「手巻き寿司かぁ、お祝いとか?」


俺の問いに、美玲はキッチンに入っていく直前、背中越しに答えた。


「母と初めて作った料理なの」


その一言に、俺はリビングのソファに座ったまま、動きを止めた。


美玲の後ろ姿が、キッチンの奥にわずかに見える。


料理をしている時の美玲は、いつもと違う。


集中していて、でもどこか楽しそうで。その姿は、母親と向き合える時間そのものなのだろう。


そう思うと、胸が温かく、そして切なくなった。



「愛己くん、できたわよ」


テーブルに座る。美玲が料理を持ってきた。


細長く切られた魚介のネタと、卵やたくあんにきゅうり等、わさびとお醤油。


「この葉物はなに?」


「わさび菜よ。擦ったわさびには及ばないけどそれなりに辛いから気をつけて、漬けマグロと一緒に食べるのがおすすめよ」


言われるがままに、おすすめを一つ作って、一口食べる。


——美味い。


わさび菜の青い香りと辛味、そして漬けマグロのねっとりした旨味が口いっぱいに広がる。思わず目を見開いた。


「これ、すごく美味いな」


「ふふ、よかった」


美玲が嬉しそうに笑う。


その笑顔を見て、また胸が温かくなった。


「母が、何かあるたびよく作ってくれたの」


「そうなんだ」


「母は、料理が本当に好きだった。色んな料理を作っては、私に食べさせてくれて」


美玲が、少し遠くを見るような目をする。


「私も、そうやって色んな味を知って、料理が好きになった」


「……いい思い出だな」


陳腐な言葉しか出てこない。だが、美玲は優しく頷いた。


「ええ」


美玲が、優しく笑う。


「愛己くんに食べてもらえて、嬉しいわ」


「こっちこそ。こんなに美味いもの食べられて、幸せだよ」


俺が少し照れて笑うと、美玲も笑った。


その笑顔が、やけに眩しかった。俺は、手巻き寿司に夢中になるふりをして、俯いた。



食事が終わり、片付けをする。外はすっかり暗くなっていた。


「今日も、ありがとうな」


玄関で、美玲に声をかけた。


「こちらこそありがとう」


「今日も疲れたから帰ります」


今日はいつもより少しだけ、早く美玲の家を後にしたかった。


さっきまでの感傷的な気分を、早くリセットしたかったのかもしれない。


「ええ。また学校で」


美玲が手を振る。俺も手を振り返して、美玲の家を出た。


外に出ると、冷たい晩秋の夜気が肌を刺し、思わず身震いする。


——本格的な冬も近いなこれは……

最後まで読んでいただきありがとうございます。

明日から11月まで無職なのでラストスパートかけて行きます!!

急に意地悪したくならない限りこの二人をハッピーエンドに連れてくぞ!!

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