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14 観察とカレー

夏休み終わり!

夏休み最終週。


蝉の声が少しずつ弱くなり始めた月曜日の昼下がり、俺は音羽の家のリビングで掃除をしていた。


三日に一度の掃除。


もう何ヶ月も続けているルーティンだ。


でも、今日はいつもと違う。


花火大会の後から、音羽を意識しすぎて落ち着かない。


「成島くん、そこの棚さっきも拭いてたわよ」


キッチンから音羽の声が聞こえる。


「あ、ああ。すまない」


慌てて返事をする。


いつもなら軽口の一つでも返すのに、今日はそれができない。


道具を片付けながら、ちらりとキッチンを見る。


音羽がこちらを見ていた。


視線が合う。


「……どうかした?」


音羽が首を傾げる。


「いや、はは。お恥ずかしいところを見せたなと」


ゆっくりと視線を逸らす。


——落ち着け、成島愛己。


深呼吸して、雑巾を絞った。



掃除を終え、俺は音羽にメッセージを送る。


『掃除終わったよ』


『ありがとう。今行くわ』


リビングのテーブルに、教科書とノートを広げる。


夏休みの宿題。


まだ半分も終わっていない。


音羽に教えてもらわないと、提出できないかもしれない。


「お疲れ様」


音羽が部屋に入ってきた。


「おう」


「宿題、進んでる?」


「まあ、ぼちぼち」


嘘だ。ほとんど進んでいない。


音羽は俺の隣に座り、ノートを覗き込む。


「……本当に?」


「……すみません」


素直に謝った。


音羽はくすりと笑って、自分のプリントを取り出す。


「じゃあ、始めましょうか」


「頼む」


二人で宿題に取りかかる。


午後の光がテーブルを照らす中、ペンが紙の上で滑る音だけが聞こえる。


「そこは過去形じゃなくて現在完了ね」


「あ、そうか」


音羽が俺のノートを指差す。


その瞬間、音羽の肩が俺の腕に触れた。


これまでとそう変わらない距離なのに心臓が落ち着かない。


「成島くん?」


「な、何?」


「ぼーっとしてるわよ」


音羽が不思議そうな顔で俺を見る。


その視線が、やけに気になる。


「あ、ああ。ちょっと暑くて」


「エアコン効いてると思うけど」


「代謝がいいから、俺」


誤魔化すように笑った。


音羽は少しの間、じっと俺を見ていた。


それから、何も言わずにプリントに戻った。



しばらく勉強を続けていると、ペンが進まなくなった。


教科書を見ているはずなのに、文字が頭に入ってこない。


ふと、視線を感じて顔を上げる。


音羽が、俺を見ていた。


「……何?」


「いえ、何でもないわ」


音羽は視線を逸らしたが、なんだか様子がおかしい。


さっきから、ちょくちょく俺の方を見ている気がする。


——何か変なことした?


不安になる。


花火大会で、何かまずいことを言っただろうか。


変な態度を取っただろうか。


「成島くん」


音羽が静かに声をかけてくる。


「ん?」


「この問題、わかる?」


音羽が教科書を指差す。


その声が、いつもよりゆっくりな気がした。


「あ、ああ。えっと……」


答えようとするが、言葉が出てこない。


音羽がまた、じっと俺を見ている。


——見られてる。


そんな気がして、余計に緊張した。


「成島くん、大丈夫?」


音羽が少し身を乗り出す。


近い。


音羽の顔が、すぐそこにある。


「だ、大丈夫! ちょっと疲れただけ!」


慌てて後ろに下がる。


音羽は少し驚いたような顔をした後、ゆっくりと元の位置に戻った。


「みたいね。無理しないで?」


その言葉が、やけに優しく聞こえた。



勉強を続けていると、影が伸びてきた。


「そろそろご飯にしましょうか」


音羽が立ち上がる。


「やった、ありがとう」


音羽はキッチンへ向かい、冷蔵庫から野菜を取り出し始めた。


「今日は夏野菜カレーよ」


「気になってたんだよ、この香り」


「夏野菜のローストを添えたインド風チキンカレーってところね。」


「すげーうまそう」


音羽が二つの皿を持ってくる。


オレンジ色のカレーの上に、色とりどりの野菜。


ズッキーニ、パプリカ、ナス、オクラ。


それぞれが綺麗に焼かれて、カレーの上に並んでいる。


「おしゃれなカフェメニュー的な」


「ふふ、見た目も大事よ」


二人で席につく。


「いただきます」


スプーンでカレーをすくい、口に運ぶ。


スッと抜けるようなスパイスの香りと辛味。


チキンの旨みと、野菜の甘みが口の中で混ざり合う。


「うまい!サラサラでさっぱりとしてる」


「南インドのカレーを基にしてるからとろみをつけてないしスパイスも辛いけど爽やかさ重視にしたの。暑い日にぴったりでしょう?」


「ああ、いくらでも入りそうだ」


焼いた野菜も一緒に食べる。


ズッキーニのほんのりとした甘さ、パプリカの香ばしさ、ナスのとろける食感。


「野菜も美味い。焼いただけなのに、こんなに味が違うんだな」


「焼き加減が大事なの。それぞれの野菜で、一番美味しくなる焼き方があるのよ」


音羽が嬉しそうに説明する。


その表情を見て、少しだけ緊張が解けた。


「そういえば、もうすぐ二学期だな」


「ええ。夏休みもあっという間だったわね」


「宿題、間に合うかな」


「成島くんは……普段通りにやれば大丈夫よ」


少し間があった。


「頼りにしてるぞ」


「ふふ、任せて」


音羽が笑う。


その笑顔を見て、つい安心してしまう。


「あ、そういえば休み明けすぐに体育祭の選手決めあるらしいぞ」


「そうなの?」


「ああ。音羽さん何に出る?」


「私……午前の競技に間に合ったことがないのよね」


音羽が少し考える仕草をする。そんなことを真面目ぶった表情で言うな。


「成島くんと同じ競技にしようかしら」


その言葉に、心臓が跳ねた。


「マジ?」


「ええ。一緒なら、なんとかなる気がするの」


音羽が俺を見る。


その視線が、さっきまでと違う気がした。


観察するような目じゃなく、もっと柔らかい目。


「じゃあ、一緒に出られるものにしようか」


「ええ」


音羽が微笑む。


——良かった。


嫌われてないみたいだ。


そう思って、少しだけ安心した。



食事を終え、二人でソファに座る。


「ごちそうさま。美味かった」


「お粗末様」


音羽が食器を下げようとする。


「あ、俺やるよ」


「いいわよ。座ってて」


「でも」


「成島くんはもう少し宿題進めて?」


音羽がキッチンへ向かう。


その後ろ姿を見ながら、俺は考える。


——少しずつでいい。


焦らなくていい。


この関係を、大切にしていこう。


そして、いつか。


ちゃんと伝えられる日が来るように。


「成島くん、お茶入れるわね」


「ああ、ありがとう」


音羽の声に、小さく返事をした。


窓の外を見ると、夕暮れが近づいていた。


夏の終わりの、オレンジ色の光。


もうすぐ二学期が始まる。


音羽との時間も、また少し変わるかもしれない。


でも、それでもいい。


一歩ずつ、前に進んでいこう。


ポケットの中のスマホが、軽く振動した。


父からのメッセージ。


『勉強会だと聞いたが夕飯食べたか?ラーメン行くけど迎えはいるか?』


画面を見て、少し苦笑いする。


「どうしたの?」


「いや、何でもない」


食べましたとだけ返信して、スマホをポケットにしまった。


音羽がお茶を持ってくる。


「はい、どうぞ」


「ありがとう」


湯呑みを受け取り、一口飲む。


温かいお茶が、喉を通っていく。


「また明後日ね」


「ああ」


音羽が微笑む。


その笑顔を見て、俺も笑った。


夏が、終わろうとしていた。


最後までお読みいただきありがとうございます。

夏休み中にカレー回はやりたかった。

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