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12/24

12 夏休みと肝試し

同名短編の再編版です。

前半戦の区切りとしていい感じになったと思います。

蝉の声が熱を煽る昼下がり、住んでいる街を見下ろす大きなガラス窓を磨き上げる。


輝きを放つその表面には、広いがシンプルな内装と、まとめられたゴミ袋、そして掃除を押し付けられた薄幸の美少年が一人。……そう、この俺が写っていた。


ストロベリーレッドに染めた髪が、窓ガラスに反射して見える。


「窓は鏡じゃないし、薄幸の美少年なんて自称する物ではないと思うわよ?」


背後から聞こえたのは音羽の声。振り返れば、今日に限ってアトリエの入り口に立っていた。どうやら、俺の考えが口から漏れていたらしい。


「俺が美しいのは事実だし、窓は拭けば拭くほど家の格が上がるんだよ」


「家の格なら必要以上にあるから窓掃除は簡略化して良さそうね。それから姿見も磨いてもらおうかしら? ちゃんとした鏡で自分を客観視できるわよ」


言葉の棘はとても鋭い。


音羽との距離感は、お互い遠慮というものが少なくなってきていた。


最近は頼み事をしている立場なのに、いちいち起きていられないと合鍵を押し付けてくる始末だ。


……まあ、嫌ではない。


むしろ最近は——。


「掃除が終わったら勉強会よ。それまでアトリエにいるから」


音羽の声で思考が途切れる。


「おう」


「終わったらメッセージを送ってちょうだい」


ひらりと手を振って音羽は奥へ消える。


その後ろ姿を、つい目で追ってしまう。


——また意識してる。


前回の掃除の日から、どうも音羽の存在が気になって仕方がない。


『私、クラスで笑わせてるときより、こうして文句を言いながら付き合ってくれる成島くんの方が好きよ』


あの言葉が、まだ頭の中でリピートされている。


俺は首を振って、雑巾を手に取った。



ゴミ出しを終え部屋に戻ると、俺はスマホで音羽に連絡を入れる。


『掃除が終わりました、お嬢様お勉強のお時間です』


『ありがとう。どちらが講師かわかっていないようね』


返事を確認して、リビングのテーブルに教科書とノートを広げる。


少し待つと音羽が静かに部屋に入ってきた。軽く会釈を交わし、手にしていたプリントを広げる。


「じゃあ、始める?」


「うん」


俺たちはそれぞれ宿題に取りかかる。


「そこはmuchじゃなくてmanyね」


「あ、すまん」


「意味で覚えればいいわ。数えられるものがmany、そうでなければmuch」


午後の光がテーブルを照らす中、ペンが紙の上で滑る音だけが聞こえてくる。


——いつもと同じなのに。


隣に座る音羽の存在が、やけに近く感じる。


「そこの訳、『疲れを感じて早くベッドに行った』じゃなくて、『疲れたので早く眠った』のほうが自然よ」


音羽の声が耳に心地よく響く。


「……直訳になってたな」


「集中できていないだけじゃない?」


図星を指されて、少しドキッとする。


しばらくすると影が伸びていき、テーブルに差し込む日差しが柔らかくなる。


「暗くなってきたわね。そろそろご飯にしましょうか」


「確かに良い時間だな。腹へった」


「ふふ、あなたの勉強の成果に報いなくちゃね」


「……水だけってこと?」


「黙って、大人しく座って楽しみにしてなさい」


音羽はくすりと笑ってキッチンへ向かう。


キッチンからは、洋食らしい香りが漂い、包丁がまな板に当たる軽いリズムが聞こえてくる。


リビングからキッチンを眺めると、奥に音羽の真剣な顔が見えた。


何度も音羽の料理をご馳走になったが、いまだにこの時間は慣れないものがある。


緊張をほぐすように目を瞑り、深く息を吸い込んだ。先ほどの料理の香りに加えて、木材の焼けるような香りが——。


「火事!?」


「燻製よ。仕上げに全体を燻してるだけ」


立ち上がりキッチンを覗き込んだ俺を、呆れるような顔で音羽が一瞥して言った。


「できたわ。持っていって頂戴」


音羽の言葉に従いパスタを受け取る。二人で配膳をして席に着いた。


「今日はパスタか。おしゃれだな」


「燻製マグロとトマトの冷製パスタとコンソメスープよ」


窓の外は柔らかな夕暮れに染まり、街並みがオレンジ色に光る。


「いただきます」


音羽の声に合わせ、俺もフォークを手に取る。


「うま……これめちゃくちゃ好きだわ」


「そう? ありがとう」


音羽の返事はそっけないが、笑顔は柔らかい。


その笑顔を見て、少しだけ胸が高鳴る。


「燻製の香りとトマトの旨みに、マグロの旨みと塩味がついていって、めちゃくちゃしっかりした味なのにすっきりしてる」


「塩漬けのマグロを低い温度でじっくり燻したものだから、トマトの旨みに負けないの。それと最後に全体に軽く煙に当てることで、全体の香りを合わせてるからマグロが浮くこともないわ」


音羽は自分の料理を一口口にすると満足そうに微笑む。


「コンソメも冷たいパスタに合わせて、少し低い温度にしてあるわ」


「へぇ」


スプーンですくったコンソメを口に含むと、柔らかだがしっかりとした旨みが口の中を優しく包んだ。


「すごい飲みやすい。それに、普段飲むコンソメよりツンとこない」


「手作りで風味が違うのと、普段は少し濃くしすぎてるのかもしれないわね」


「コンソメって手作りできるんだなぁ」


「半日仕事よ。ものすごく面倒くさいんだから」


やれやれと言わんばかりの音羽の表情を見て、俺はコンソメをもう一口飲み込んだ。


——言うなら、今だ。


「そういえば、今日クラスの有志で肝試しがあるんだよ」


思い出したように言った。実際には、さっきからずっと考えていたことだけど。


「ええ、前にそんな話してたわね」


音羽がスプーンを置き、ちらりと俺を見る。


「男女ペアらしくてさ……」


言葉が詰まる。


どうして、こんなに緊張するんだ。


「……よかったら、一緒に行かないか?」


「一緒に?」


音羽が少し驚いたような顔をする。


「いや、音羽さんが嫌なら無理に誘う気は無いんだけどさ!」


焦って付け加える。


「そんなしょげた顔をされると弱いわね……そんなにきて欲しいの?」


困ったような、幼児を見守るようななんともいえない表情を向け、音羽が笑っている。


「もちろん」


何とか答えを絞り出す。


音羽は少しだけ考えるような仕草を見せた後、小さく微笑んだ。


「わかったわ。行きましょう」


「マジ!?」


「ええ。せっかくの夏休みだし、たまにはこういうのも悪くないわね」


音羽の言葉に、思わず顔がほころぶ。


「ありがとう! 絶対楽しいから!」


「ふふ、そこまで言うなら期待してるわよ」



夜。


旧校舎へ続く山道の入り口に、クラスメイト達が集まっていた。


俺たちを見たクラスメイト達は、挨拶をするものや驚きを表すもの、からかい半分に冷やかすものなど様々だ。中には露骨に眉をひそめるやつもいた。


「成島ァ! 音羽様とペアとはどういうことだー!?」


「音羽さん、こんばんはぁ!」


「おいーすナルシー。やるじゃん」


ざわめきを切るように、主催者の声が響いた。


「よし、全員揃ったな! ルール言うぞ。ペアごとに順番に、この階段を登って旧校舎へ。三階の奥に置いてある手作りの御札を一枚取って戻ってくる、それだけ! 簡単だろ?」


「旧校舎の玄関、鍵ぶっ壊れてるから最初のやつが開けっぱなしにしてくれ。ただし重いから開ける時は気をつけろよー」


冗談めかした口調のはずが、闇に包まれた山道を前にすると妙に胸に刺さる。


最初のペアが足を進め、懐中電灯の光が木々の間に飲み込まれていった。


「はーい、そろそろ次のやつ行けよー」


もう一組が出発してしばらくすると、最初の二人が駆け戻ってきた。二人の肩は大きく上下し、灯りのある場所に戻り安心したようにへたり込んだ。


「なんかバサバサ音してさ、びびったぁ!」


「御札以外仕込みないんだよね? 嘘じゃないよね?」


「なんもねぇよ、てかお前ら速すぎ! 全力疾走だろ! 怪我してないよな!?」


主催者が声をかけると、二人は強がるように笑い返した。


「成島くん、次よ」


音羽が小さく言って俺の手を引いた。


その瞬間、心臓が跳ねた。


驚いたが、女性が手を取ったというのに振り解く訳にはいかない。俺は手を握り返し、彼女の背を追い越し、前へ進み出る。


——音羽の手、柔らかいな。


そんなことを考えながら、階段に足をかける。コンクリートの端がごとっと少し沈んだ。闇の中、音羽へと振り返り、小さく頷く。その仕草に、音羽は黙って頷き返した。


スマホの光だけを頼りに、二人で山の闇へと踏み込んだ。


階段を登りきった先の山道を進むと、旧校舎の正面玄関が視界に入った。扉はしっかり開きっぱなしにしてある。


「旧校舎の靴箱って蓋付きなんだな」


「成島くん、肝試しをしているのよ? 風情がないわね」


音羽の声が少し笑っている。


廊下に足を踏み入れると、古い木の匂いと夏にしてはひんやりした空気が肌に触れる。音羽が静かに息を吐き、俺の手をもう一度握る。


その感触に、また胸が高鳴る。


「成島くん、足元に気を付けてね」


「わ、分かってる」


言いながらも、少しでも彼女を守りたいと思う自分がいる。


背の高さで手を引かれた俺は、いつの間にか前を歩く音羽の後ろ姿を見つめてしまった。くそ、歩幅が違い過ぎる。


足音が古い廊下に響き、どこかから風が吹き込み、白い塊が前を横切る。


「きゃっ!」


音羽が声を上げ、手を引っ張られ思わず音羽の方へ飛び込む形になる。


近い。


音羽の髪の香りが鼻をくすぐる。


「だっ大丈夫か? 正直俺は今、音羽さんの声にビビった……」


「恥ずかしいところを見せたわね。大丈夫よ」


現状など存在しないような嬉しそうな微笑みと共に答えが返ってきた。俺は気恥ずかしさに視線を下げる。


「はは、あいつらが言ってたガサガサ音ってこのビニール袋か。このイケメンをビビらせるには役不足だったみたいだな」


「ふふふ、緊張の次は緩和? 脚本作りの基本がよくわかってるのね」


軽口をたたきつつ階段を上がり、二階、三階と進み、三階奥の目的の部屋に辿り着く。置かれたお札の中から一枚とり、胸ポケットにしまう。


すると音羽が俺の肩に手を置き、後ろから顔を近づける。


「取れたわね。帰りましょうか」


「あ、ああ……」


耳元で発せられる声に、自然な声で返すのが精一杯だった。


月光に照らされて目の端に映る長いまつ毛に胸が高鳴る。


そのまま音羽に背を押されるようにして集合場所に戻る。


正直、変に意識して音羽の顔を見られなかったので好都合だ。


「音羽さん、成島おかえり」


「なんだぁ成島、あれだねぇ。お母さんに頑張って連れてきてもらったちびっこみたいだねぇ」


「音羽様ご迷惑をおかけして申し訳ありません!」


クラスメイトたちがそれぞれ迎え入れてくれる。誰が迷惑なチビだ、後で覚えていろよ。


「俺たち美男美女が戻ってきたからってそう色めき立つなよ」


「月と同列になれると思うなよ、蓄光テープが」


音羽も珍しくみんなと一緒に笑ってくれている。


なんかこういうのっていいなぁなんて、温かい気持ちを胸に抱く。



肝試しが終わり、俺と音羽は駅へ向かって歩いていた。


街灯が道を照らし、夏の夜風が頬を撫でる。


「楽しかったわね」


音羽が静かに言う。


「そうだな。音羽さんが来てくれて良かったよ」


「ふふ、誘ってくれてありがとう」


その言葉に、また胸が温かくなる。


少しの沈黙。


虫の声だけが聞こえる。


「また、こういうの……一緒に行けたらいいな」


言ってから、少し恥ずかしくなる。


音羽は少し驚いたような顔をした後、柔らかく微笑んだ。


「ええ、また誘ってちょうだい」


その笑顔を見た瞬間。


ああ、そうか。


俺は——。


「成島くん?」


「……なんでもない」


首を振る。


でも、もう分かってしまった。


俺は音羽が好きだ。


いつからだろう。


一緒に掃除をしている時?


軽口を交わした時?


それとも、『好き』って言われた時?


分からない。


でも、今ははっきりと分かる。


俺は音羽美玲が好きだ。


「どうしたの? ぼーっとしてるわよ」


「あ、ああ……ちょっと考え事」


「そう」


音羽は不思議そうな顔をしたが、それ以上は聴いてこなかった。


駅に着き、エントランスの前で立ち止まる。


「じゃあ、また明後日」


「うん。また」


音羽が手を振ってエントランスに入っていく。


その後ろ姿を見送りながら、俺は心の中で呟いた。


——この気持ち、どうすればいいんだろう。


外へ出て夜空を見上げる。


夏の星が、いつもより明るく見えた。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

成島が自分の気持ちを理解して一安心しました。

これから一年の後半戦十数話がんばりまーす。

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