10 教室と非常階段
同名短編の再構成版です、付け足したり変えたり細かいところで一番短編からやりくり大変だったかも?
窓の外では蝉の声が降り注ぎ、終業式を終えた教室は夏休みの話題で浮かれていた。
「なあ、夏休みの最初に肝試しでもしようぜ」
稲葉の一言に、浮かれた空気は一気に膨れ上がる。
「おぉ、いいねぇ」
「男子と女子でペア組んで、肝試しとかどう? 青春じゃん!」
話が具体的になるにつれ、どこか悪巧みのような雰囲気が教室を満たしていく。
俺は少し羨ましく思いながら、その様子を眺めていた。
そのときだ。
「男子と女子? 男女の機微! キビキビ動く男女の機微!」
二見が突然立ち上がり、腰をグネグネさせ、両手を大げさに振り回し始めた。
「出た! またコロポックルたけおじゃん」
「バカだろお前!」
教室は爆笑に包まれる。
——が。
二見と目が合った。
その瞬間、こいつの考えてることがありありと理解できる。
もう笑いを取り終わったギャグに乗れと言っている。
誰かがため息をついた。女子の何人かが顔を見合わせている。
このままじゃ場が白けるだけじゃなく、大火傷で二見が死ぬ。
ここで突っ込むか?
透かすか?
別のギャグで切り返すか?
でも、俺に何が思いつく?
なにかいい案は……
俺も二見も『盛り上げ役』だ。
……迷う時間はない。
「キビキビ動く男女の機微!!」
俺は立ち上がり、ステップを踏みながら声を上げた。
二見を超えるキレを見せつける。
「またこの二人だよ!腰を振るな!」
「成島ァ!二見を甘やかすな!」
「おら!もっとスピード上げろー」
再び大爆笑が広がる。
よし、さっきまでの微妙な雰囲気が消えた。
俺は生き残ったのだ。
だが——。
肝試しの話は、もう誰も続けようとしない。
俺もちょっと肝試し興味があったんだけどな……でも、こんだけ場を掻き回した後に話を戻すのも無粋だろう。
そのとき、後ろから不意に声がかけられた。
「成島くん」
視線を向けると、そこに立っていたのは音羽だ。
普段とは違う少し冷たい学校での音羽が、まっすぐ俺を見つめている。
「ちょっといい?」
返事を待たず、音羽はすっと近づいてくる。
白くしなやかな指先が、容赦なく俺の襟を掴んだ。
「借りていくわね」
教室に響いたその一言で、空気が一変する。
「え、ちょっと音羽さん!?」
俺は目で助けを求めたが、クラスメイトは誰もが呆気に取られた表情で、音羽に連行されていく俺を見送るしかなかった。
♢
襟首を掴まれたまま、俺は音羽に非常階段の踊り場まで連れてこられた。
蝉の鳴き声がぬるい風と共に吹き込み、昼の空気をだるく揺らしている。
「さて、ここなら落ち着いて話せるわね」
音羽は壁にもたれかかり、まっすぐ俺を見た。
「ごめん、音羽さん。……大きな声とか苦手だったんだよね?」
俺がそう切り出すと、音羽はわずかに目を伏せて沈黙する。
その一瞬の静寂に、心臓が妙に跳ねる。しかし彼女はすぐに視線を上げ、涼しい顔で言った。
「気にしないでいいわ。そんなことより——掃除の予定を決めたいの」
「ああ、掃除ね」
夏休みの予定なんて白紙だ。どこかへ遊びに行くあてもない。
「まあ、特に予定はないし。音羽さんの予定に合わせるけど?」
俺がそう答えると、彼女はかすかに唇の端を吊り上げ、満足げに頷いた。
「ありがとう。それじゃあ、掃除は三日に一度にしましょうか」
「……へ? なんで普段より多くなってるんだよ!」
思わず声が裏返る。普段から十分やっているのに、それを夏休みに増やすなんて。
音羽は俺の抗議を意に介さず、肩をすくめる。
「当たり前でしょ? 家にいる時間が長くなるんだから、その分散らかるのも早いのよ」
「散らかすのは音羽さんだろ!」
俺のツッコミに、音羽は楽しそうに小さく笑った。
「あなたが片付けてくれるから助かるわ」
「執事かなんかだと思ってる? あくまでクラスメイトなんですけど」
音羽は俺をまっすぐ見つめ、ふっと真剣な目をした。
「……でも、成島くん。私がお願いできるのは、あなたくらいなのよ」
その言葉に、胸の奥が温かくなる。
音羽と関わるようになってわかったことがある。俺は、この目に勝てない。
声音は軽口のように聞こえるのに、不思議と拒むことができない。
それに——。
「……仕方ない。三日に一度、な」
断りたくない、という気持ちもある。
「ふふ、やっぱり素直ね」
音羽は目を細め、子どもみたいに笑う。
俺はゆっくりとため息をつき、少しだけ強がる。
「……まったく、人使いが荒いお姫様だな」
「あら、決定権は成島くんにあるのに」
涼しい顔でそう言い返してくるあたり、本当に図太い。
やがて、音羽がふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、夏休み……あなたはどこかへ行く予定はあるの?」
「そりゃお盆とかは家族と田舎に行くくらいあるけど、それ以外は家でダラダラしてると思う」
「でしょうね」
「おい」
即答で切り捨てられ、俺は肩をすくめるしかなかった。
「だったら予定は合わせやすいわね」
「え、なんの予定?」
「掃除と……あと、勉強会」
「勉強会!?」
「期末の成績、上がったでしょ? あれは私が手伝ったことが大きいと思うけれど」
痛いところを突かれた。確かに前回のテストでは全教科の先生に褒められるほど点数が伸びた。
——夏休み中も、音羽と会える。
その事実に、胸の奥が少しだけ躍る。
おやつを期待してる犬みたいでちょっと嫌だな。
俺が渋い顔をしていると、音羽はすっとスマホを取り出した。
「じゃあ、連絡先を交換しましょう」
「えっ」
心臓が跳ねた。
「予定が変わることだってあるでしょう?」
俺の返事を待たずに、画面を突き出してくる。
「いや、そんないきなり……心の準備が」
「連絡先の交換なら成島くんの方が慣れてそうだけど? 嫌なの?」
真正面からまっすぐ見つめられる。逃げ場がない。
嫌なわけがない。
でも、それを認めるのが怖い。
音羽の連絡先を持つということは、この関係がもっと近くなるということだ。
いつでも連絡が取れる。
いつでも呼び出される。
——それは、怖い。
近いということは、それだけ相手を傷つけやすいということだ。
それはいつか、この関係を壊してしまうんじゃないか。
でも——。
「QRコードの出し方って、知ってる?」
意外にも、音羽はいきなりキョトンとした表情をした。
「あ……はい。ここを押して、読み取って——」
「その前に、まずQRコード表示しないと」
「あ、そうなの?」
まさか俺が音羽に操作を教えることになるとは思わなかった。
「えっと、こう?」
「そうそう、それでカメラを——」
「あ、できた!」
音羽は少し嬉しそうに画面を見る。
その表情が、なんだか新鮮だった。
こんな顔もするんだな。
交換が完了すると、音羽はスマホを胸に抱き寄せ、満足げに微笑む。
「助かったわ、成島くん。これでいつでも呼び出し放題ね」
そのいたずらっぽい笑みと、さらりと言い放たれた言葉に、俺は視線を逸らすしかなかった。
「音羽さん……それ、もう執事どころか奴隷じゃないか?」
「ふふっ、うまいこと言うのね」
音羽は軽く笑ったあと、少しだけ真顔になった。
そして、静かに言った。
「……でもね、私、クラスを笑わせてるときより、こうして文句を言いながら付き合ってくれる成島くんの方が好きよ」
——え。
言葉が、胸に突き刺さる。
蝉の声が遠くで鳴き続けているのに、耳の奥では自分の鼓動ばかりが響いていた。
「な、何言ってんの急に……」
「事実よ」
音羽は微笑んで、階段を下りていく。
「それじゃ、また夏休みに」
「あ、ああ……」
返事をする頃には、音羽の姿は見えなくなっていた。
俺は非常階段に一人残され、手の中のスマホを見つめる。
画面には、音羽の名前が表示されていた。
『好き』か。
どういう意味だ?
以前にも似たようなことを言われたことがあったが、その時とはなんだか違う気がする。
けど多分友達として、ってことだよな。
でも——
頬が熱くなるのを感じながら、俺は壁にもたれかかった。
音羽の言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
——わからない。
安心したような、不安が深まったような、ごちゃ混ぜの感情の中、教室の中でもないのに道化にでもなった気分だ……
最後まで読んでいただきありがとうございます。
好きの意味同じ言葉でも変わったのは音羽か成島か両方かって感じでただの連絡先交換の回から成島が自分の気持ちを強く自覚する回シフトしましたね。




