第1章・パート2・新しい人生の始まり
その廃墟の地からアルビリアの中心部までの旅は、ほぼ二ヶ月かかった。
野に咲く野花が彩る谷、太陽の光を浴びて輝く川、そして遠くから白髪の少年を不思議そうに見つめる魔獣たちの住む森――それらを静かに越えていった。
その間、アキハルは多くを語らなかった。だがそれは不快な沈黙ではなく、穏やかな静けさだった。ただ必要なことだけを伝え、アラタを導き、食事や寝所に困らないように気を配ってくれた。
一方のアラタは、何を聞けばいいのかすら分からなかった。記憶も、本当の名前もない。無理に会話をしようとすれば、すべてが嘘になりそうだった。
だが、その虚無の中で、アキハルの存在は灯台のように輝いていた。
ある雨の夜、洞窟の中で野営していたときのことだった。アキハルはアラタの顔に残った傷を丁寧に拭き、痛みの走る薬を塗ってくれた。
「完全には痛みが消えないだろうが――治るさ」
そう言って包帯を巻いてくれた。
傷跡はその後もずっと残ったが、アラタはそれ以来、傷に手を伸ばすことをやめた。
彼は少しずつ、信じ始めていた。
そしてついに、最後の丘を越えたとき。アルビリア王国の首都が、まるで生きた絵画のように眼前に広がった。
白い石でできた塔が巨木の間に立ち並び、吊り橋が小川をまたぎ、街を縫うように走っていた。
そしてその道には、燃えるような鳥のようなものから、影や風のような姿のものまで、あらゆる「使い魔」が人と共に歩いていた。
アラタは思わず足を止めた。
ほんの一瞬、自分の空白を忘れた。
街の喧騒、あふれる色彩、人と使い魔が織りなす調和――それは、自分がいた世界、もしくは決して属していなかった世界とはあまりにも違って見えた。
アキハルはその表情に気づき、ただ一言だけ呟いた。
「ようこそ、エイレンヴァルトへ」
街を歩くたびに、人々は立ち止まり、軽く頭を下げ、あるいは微笑みを向けた。
「アキハル様だ」と、誰かが小声で呟いた。
アキハルは足を止めず、控えめに応じるだけだった。
アラタは、その姿から、この男が背負っているものの重みを、少しずつ感じ取り始めていた。
ベルグラン調和士学院は、街の中心にそびえていた。
庭園に囲まれ、左右対称に育てられた「生きた壁」のような木々が学院を囲んでいる。
中心の塔は夕日の中で輝き、古の契約や伝説の戦いを描いたステンドグラスがはめ込まれていた。
その門をくぐった瞬間、アラタは自分の呼吸がゆっくりになるのを感じた。
それは恐怖ではなく、ただ場所の壮麗さと美しさに圧倒されたからだった。
「……本当に、ここで暮らすのか」
受付の間では、数人の高官たちが待っていた。
彼らの衣服は整っており、姿勢も厳格だった。教師、研究者、そして戦略家と思われる人物までいた。
彼らの視線がアラタに注がれる。興味と警戒が入り混じっていた。
一人の男が口を開いた。
「これが、君が見つけたという子供か?」
アキハルは頷いた。
「名はアラタ。過去の記憶はない。だが、生きる権利、学ぶ権利、成長する権利はある」
灰色の髪を持つ女性が腕を組んだ。
「彼の記録は存在しない。リスクではないのか?」
アキハルは声を荒げることなく、だが一切の疑念を挟ませぬ口調で言い返した。
「私が責任を取る。今日からアラタは、私の息子だ」
重い沈黙が室内を包んだ。
アラタは思わず目を見開いた。
「……えっ!?」
「養子としてな」
アキハルはアラタの方を向き、続けた。
「名字も、私のものを与える。――お前さえ良ければ、だが」
何と返せばいいのか分からなかった。胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
これまで感じたことのない温もり。
それが喜びなのか、恐れなのか、新たな感情なのか――分からないまま、アラタはゆっくりと頷いた。
その決断を、大人たちは黙って受け入れた。
中には納得していない者もいたが、誰も、アキハルに異を唱えることはできなかった。
その夜、アラタは自分の部屋を与えられた。
質素だが、温もりのある空間だった。
きちんと整えられたベッド、まだ何も置かれていない本棚、新しい紙とインクのそろった机。
ドアを閉めると、しんとした静けさが室内を包んだ。
鏡の前に立つと、見知らぬ少年がそこにいた。
閉じられた左目。その目を横切るように、頬まで伸びた傷痕。
そして、白髪――まるで時の流れに触れられたかのような色。
ゆっくりと、ベッドに腰を下ろした。
自分が誰だったのかも、なぜここにいるのかも分からない。
でも――アキハルのことを思い出した。
あの穏やかな眼差し。無償の優しさ。
何の見返りも求めずに、自分を「息子」と呼んでくれたこと。
そしてアラタは、はっきりと心の中で答えた。
「俺は、以前の自分を知らない。記憶もない。……けど、生きたい。誰かになりたい」
新たな居場所の静けさの中で。
アラタは、いつか世界を震わせる運命への、最初の一歩を踏み出したのだった。