第三部:海底施設への到着と謎
■ 海底ドームへ
ゴーグルを通して見る海中世界は、相変わらず異様で、そして息を呑むほど美しかった。
巨大な構造物が視界を埋め尽くし、光を放つ謎の生物が泳ぎ回る。
まるで、開発に莫大な費用をかけた最新のゲーム世界に入り込んだかのようだ。
しかし、先ほどの物理的な衝撃を考えると、これが完全に仮想空間だとは到底思えない。
浮遊船は、その異様な海中世界をゆっくりと進んでいく。
単なる移動というよりは、まるで乗客にこの光景を見せるための遊覧船のような動きだ。
時折、巨大な魚影がすぐ側を通過する。
それらは本当に生きているのか?
それとも、高度なAIで制御されたオブジェクトなのか?
見れば見るほど、現実と非現実の境界線が曖昧になっていく。
「…なあ、ヴァン。これ、マジでどうなってんだよ…」
「海の中なのに、全然水圧とか感じねぇし…」
スタッツマンが隣で困惑した様子で呟いた。
彼の顔には、さっきまでの焦りに加えて、純粋な驚きと、わずかな恐怖の色が混じっていた。
「分からねぇ…でも、平田は『環境適応ゴーグル』って言ってたろ? きっと、水圧とか酸素とか、そういう環境情報を全部遮断してるんだ」
俺は答えたが、確信は持てなかった。
(メドウスなら、このゴーグルの仕組みを解析しようとするだろうな。マッカルモントは、この景色を見てどんな反応してるだろう?)
離ればなれになってしまった二人のことを思う。
彼らも俺たちと同じように、あの衝撃と海中降下を経験し、この異様な光景を見ているのだろうか。無事だろうか。
どれくらいそうして進んだだろうか。
視界の先に、さらに巨大な影が現れた。
それは、海中にそびえ立つ、途方もなく大きなドーム状の建造物だった。表面は鈍く光を反射しており、まるで惑星のコロニーか、巨大な生物の巣のようにも見える。
そのスケールに、俺たちの乗った浮遊船が玩具のように小さく感じられる。
「…あれが…目的地か…?」スタッツマンが息を呑む。
ドームに近づくと、その表面の一部が、まるでゲームのレイドダンジョンの入り口が開くかのように、音もなく、ゆっくりと内側へとスライドしていった。
そこに現れたのは、暗く開いた巨大な「口」だった。
「うわ…マジでダンジョン入り口みたいだ…」
スタッツマンが呆れたように呟いた。
浮遊船は、その開口部へと迷いなく吸い込まれていく。
外の異様な海中世界から、一気にドーム内部へと視界が切り替わる。
■ 水底のハプニング
ドーム内部は、外から見た以上に広大だった。
天井は高く、薄暗い照明が幻想的な雰囲気を醸し出している。
ドームの壁沿いには、複数の「ドック」のような場所が設けられていた。
俺たちの乗ってきた浮遊船は、そのうちの一つに、驚くほどスムーズに、音もなく接岸した。
まるで、巨大なゲームの乗り物イベントが終わって、次のエリアに到着したかのようだ。
「皆様、ご到着です。後方の方から順に、建物内へお上がりください」
平田の声が船内に響いた。その声には、安堵の色も、達成感も一切ない。
まるで、決められた手順を淡々とこなしている機械のようだ。
乗客たちは、指示に従って席を立ち、船から降り始めた。
俺とスタッツマンも、周囲の様子を窺いながら、ゆっくりとプラットフォームへ向かう。
ゴーグルは、外してもいいという指示はなかったので、首にかけたままにした。
少し張り詰めた空気が流れている。
皆、この異様な状況に戸惑いながらも、次の展開を待っている。
そんな中、前のグループの参加者の一人が、プラットフォームに移る際に足を滑らせてしまった。
「うわっ!」
バランスを崩し、派手に尻もちをつく。
「いっっててて…」
少し間があって、周囲から小さな笑い声が漏れた。
緊張していた空気が、一瞬だけ和らいだのだ。
尻もちをついた参加者が慌てて立ち上がろうとした時、ズボンが少しずれて、下に着ていたものが見えた。
「ぷっ…」
「あれ…」
「うわっ、マジかよ…」
見えたのは、人気ゲームのキャラクターが大きくプリントされた、派手なデザインのパンツだった。
おそらく、家でくつろぐ時などに履くような、リラックスウェアの類だろう。
こんな状況でそれを見られるとは、本人にとってはかなりの恥ずかしさだろう。
「うわっ、ダっセー!」
「〇〇じゃん!趣味悪っ!」
「ってか、そんなカッコで来てんのかよ!」
遠慮のないツッコミや笑いが上がる。
まあ、ゲーマーなんて、家では大体そんなもんだ。俺も人のことは言えない。この極限状況での、妙にリアルで間の抜けたハプニングに、俺も思わず苦笑してしまった。
「あーあー、やっちゃったねー。まあ、俺も似たようなもんか」
背後から、聞き慣れた、どこか呑気な声が聞こえた。
■ 再会、そして新たな拠点
その声に、俺とスタッツマンはハッと振り返った。
「マッカルモント!」
「メドウスも!」
そこにいたのは、俺たちが離ればなれになってからずっと気にしていた、マッカルモントとメドウスだった。
彼らも無事だったのだ。
ゴーグルは首にかけたまま、俺たちと同じようにプラットフォームに立っている。
「ヴァン! スタッツマン! お前らも無事だったか!」
マッカルモントがいつもの笑顔で駆け寄ってきた。
スタッツマンも安堵した様子で彼を迎える。メドウスも、少し離れた場所から歩いてきて、静かに頷いた。
「ああ、なんとかね…!」
「よかった…! お前らとはぐれてどうなったかと思ってたんだ!」
互いの無事を確認し合い、安堵の息を漏らす。
この極限状況で、見知った顔、それもゲームを通じて信頼し合える仲間と再会できたことほど、心強いことはなかった。
「マッカルモント、メドウス、お前らもあの揺れと海中降下経験したのか?」
「うんうん。マジでビビったよー。空飛んでると思ってたら、いきなり海ステージかよ!って」
マッカルモントが面白そうに答える。
「状況から判断するに、やはり全員が同じ体験をした可能性が高いですね。」
メドウスが冷静に付け加えた。
「にしても、マジでなんなんだよ、この展開は!」
「あの海の中の景色、見たか? まるでゲームの世界だったぞ!」
スタッツマンが興奮気味に語る。
「ええ、ゴーグルによる視覚情報の処理か、あるいは何らかの映像投影かと推測されますが…現実世界にこれほどの構造物が存在するとも考えにくいですし…」
メドウスが腕を組み、考え込んでいる。
俺たちは、この短時間の間に起こった常識外れの出来事について、矢継ぎ早に情報交換した。話せば話すほど、謎は深まるばかりだ。
その時、平田が前方の、ひときわ大きなゲートを指し示した。
「皆様、こちらへお進みください。次のステージへご案内します」
ゲートは既に開いており、その先には、緩やかに上へと続く、広々とした階段が見えていた。薄暗いホールの奥へと続いているようだ。
■ 集結、明かされる規模の謎
俺たちは平田の指示に従い、他の参加者たちと共に階段を上り始めた。
階段の先は、さらに巨大な空間へと繋がっていた。
階段を上りきると、そこは想像を遥かに超える、広大なホールだった。
天井は遥か高く、複数の巨大な柱が空間を支えている。そして、そのホールの両側には――。
「…おいおい、マジかよ…」
スタッツマンが、信じられないものを見たように呟いた。
俺たちも、同じように目を奪われた。
そこには、俺たちが乗ってきたものと全く同じ、流線型の「浮遊船」が、何隻も停泊していたのだ。
一隻、二隻…数えるのも馬鹿らしいくらいの数だ。
そして、それぞれの船から、続々と参加者らしき人々が降りてきている。
「…これ…」
「俺たちのグループだけじゃなかったのかよ…」
マッカルモントが呆然とした声を上げた。
メドウスも、静かに眼鏡のブリッジを押し上げた。
他の船から降りてくる参加者たちも、俺たちと同じように、驚きと興奮、そしてわずかな不安が入り混じったような表情をしている。
皆、自分たちが想像していた規模をはるかに超えた状況に、戸惑っているようだった。
「一体…何人招待されてるんだ…?」
「高得点者限定って話だったけど…」
「こんな規模…ゲームのテストプレイとか、そんなレベルじゃねぇぞ…」
スタッツマンが呟く。
彼の言う通りだ。
これだけの人間を集めて、これだけの設備を用意して、空飛ぶ船で海に潜らせるなんて、単なる新作ゲームの宣伝やテストではありえない。
「これは…何らかの、非常に大規模な計画、あるいは…」
メドウスが言葉を探す。
このホール全体が、まるでゲームの世界における巨大な集会場所、あるいは拠点都市のようだ。
そして、集められたのは、世界中の高レベルプレイヤーたち。
俺たちの「体験イベント」は、単なるゲームの導入などではなかった。
もっと壮大で、もっと謎に満ちた、そしておそらく、もっと危険な何かの始まりなのだ。
事態は、俺たちが想像していたよりも、遥かにスケールアップしていた。