6 深淵
「綺麗だよ、姉さん・・・・・・父さんと母さんも喜んでる・・・・・・」
「ありがとう、冬くん」
真っ白なドレス姿、こんなに着飾った姉を見た事が無い冬樹は鼻を啜り、擦れた声で呟く。そんな弟に春子は笑みを深くする。
季節は夏。
室内は冷房のおかげでちょうど良い快適空間が作られているけれど、一歩外に出れば立っているだけで汗が吹きだす真夏日、そして窓越しに見上げた空は雲ひとつ見当たらない快晴。
客は冬樹一人という質素な結婚式が今日、教会で開かれようとしていた。
「姉さん、ボク、義兄さんになる人にも挨拶してくるよ」
「うん」
頷く春子の声を聞き、冬樹はそっと室内を出る。
本当なら二人だけの結婚式を挙げる予定ではなかったのだけど、春子がどうしても冬樹だけに見て欲しいと願い、冬樹だけしかこの会場には呼ばれなかった。
友達も親戚も、新郎である朔夜の両親でさえ拒んだ春子の真意が分からず戸惑う冬樹に春子は「冬くんだけに見て欲しいの」と何度も告げてきた。
ノックをすると間を置かずに肯定の返事が返ってきたので迷う事なく冬樹はドアを開け中へと入る。
「シンプルだね、新郎の控え室って・・・・・」
花一つ飾られる事のない部屋に白い燕尾服の朔夜が鏡の目の前の椅子に座っていた。
「結婚式の準備に時間がかかるのは花嫁だけだろ? 春子さんの方は?」
「うん、ほとんど。 後はメイクと髪だけだって、見に行く?」
「いや、良いよ・・・・・・妻か・・・・・」
「どんな気分?」
「・・・・・・オレに聞くのが間違ってるだろ? 世間一般の妻を持つ奴らとオレは違うよ・・・・・冬、おいで」
手を伸ばし名前を呼びかける朔夜にドアの前、立ち止まったままの冬樹は誘われる様に足を踏み出した。
すぐに手を引かれ抱きしめられた腕の中、そっと息を吐く冬樹の耳元に朔夜はそっと触れるだけのキスを送る。
「言わなかったな、お前・・・・・結婚止めてくれって、一度も・・・・・」
擽ったくて首を竦める冬樹の耳元で朔夜はそっと囁く。
「言わないよ・・・・・やっぱり、姉さんも大切だから・・・・・ボクとは止めにする? 姉さんのモノになるし・・・・・」
「無理だって、冬が一番分かってるだろ?」
顔を上げ問いかける冬樹の声に朔夜は微かに眉を顰め苦笑を浮かべたまま顔を近づけてくる。
軽く済ませるつもりで、目を閉じた冬樹の予想に反して、舌を絡めとられ、くちゅくちゅ、と湿った音を出されるキスを交わされるから微かに目を開く。
慌てて離れようとする冬樹の意思に反して、朔夜は更に腕の中へと引き寄せてくる。必死に先を求める自分になりそうなのを抑えこむ冬樹の心の葛藤を朔夜はあっさり無視して抱き寄せた冬樹の服の中へと手を入れてくる。
「・・・・・朔夜、だめ・・・・・」
これから、神聖な式が始まるというのに不埒な行為をしてこようとする朔夜を必死に宥めようとする冬樹を無視した朔夜はきっちり整えた服を次々と乱していく。
「朔夜!」
「終わらせない、無理な事言うなよ、欲しい? オレは冬が、冬だけが欲しいよ・・・・・」
「・・・・・朔夜・・・・・」
耳元で囁く様にだけどきっぱり、と告げてくる低い声に冬樹は微かに息を吐く。
どこまでもどこまでも堕ちていく。
だけど、それは冬樹も望んだ事。
二人一緒でいられるなら、間違っている事だと分かっていても後戻りはもうできなかった。
抱きしめられた腕の中、躊躇ったのは一瞬。すぐに冬樹は朔夜の背へと手を伸ばすと同じくらいの力で抱きつく。
もうすぐ始まる神聖であるべき式。今頃きっと幸福を夢見ているだろう姉である春子の顔を一瞬頭に描いた冬樹はすぐに瞳を閉じると、朔夜の促すまま密やかな行為に没頭する。
小さな部屋の中、聞こえていた衣擦れの音はすぐに消え、そこから先は交わす擦れた息遣いと粘着質な音がひっそり、と聞こえだし濃厚で濃密な空気が部屋中を覆っていた。
小さな教会で愛を交わす二人を祝福するのは、花嫁の唯一の身内である弟の冬樹、そして式の為に呼ばれた神父、たった二人だけ。
白いウェディングドレスに身を包んだ春子の姿をじっと見ていた冬樹は目頭が熱くなるのを感じた。
自分よりも冬樹を優先してくれた姉だった。
そんな姉を裏切っている罪悪感は未だに胸の奥を痛める、だけど、彼女の花嫁姿だけは純粋に嬉しかった。幸せになれるだろう夢を描いているだろう姉を裏切っている。それなのに、花嫁姿に感動する自分が身勝手だというのは分かっている。真実が白日の下に晒されたら、きっと今よりもっと深い罪悪感が自分を責めるだろう事も分かっている。それでも、手を掴んでしまったのは自分だ。
罪は一生背負うだろう。
必死に笑顔を浮かべ祝福している自分の心の奥底がどんどん黒くなっているのも感じる。
笑顔を向ける姉の表情が冬樹にはとても眩しく感じる。
そんな姉から冬樹は朔夜へと視線を向ける。
同じ罪を背負った男、同じ様に笑顔もどことなく不自然なそんな彼に冬樹はただ笑みを向けた。
どこまでも質素で静かな式はそうして幕を閉じた。
嬉し涙で少しだけ目元を潤ませる姉を間に挟んだ冬樹と朔夜はそっと共犯者の視線を交わし、微かに笑みを浮かべる。
触れ合う事もしない相手、だけど交わす視線が語る。
共犯者の二人だけが分かる、笑みを知らないのはたった一人。
「今日はそんな気になれないんだ、だから別に部屋を取ってあるから」
式が終わり、借りていたホテルに戻った直後に言われたその言葉に春子はただ頷く。式自体は質素なものだったけれど、きっと格式ばった形式だけは求められた。その事で疲労したのは自分も同じだから、二人の為に借りた部屋から出て行った夫となるはずの朔夜の言葉にも疑問は抱かなかった。
だけど、広い部屋に一人残された春子は大きなベッドにダイブすると、微かな胸騒ぎを覚えそっと溜息を吐くと、早々に眠りにつく為、瞼を閉じた。
「なんて、言ったの?」
「今日は無理?」
「・・・・・結婚式までしといてそれは無いんじゃ・・・・・」
微かに溜息を吐く冬樹を抱き寄せ、朔夜は無言のまま胸元へと頭を擦りつける。
その頭をただ撫でながら、冬樹は今頃一人ベッドの中にいる姉を思う。
思えば罪悪感が募る。当然だ、式まで挙げた相手なのに、その当日に花嫁を置き去りにしてきた男は今、自分の傍にいるのだから。
だけど、伝わる温もりには愛しさが募るから、冬樹は頭を振ると自分に抱きついたままの朔夜を上からそっと抱きしめる。
真実が露呈するその時まで、その時になったって罪悪感は消えない。
それでも選んだのは自分、そして目の前にいるこの男だ。
上から覆いかぶさる様に縋り付く冬樹を朔夜は改めて腕の中へと引き寄せると顔を近づける。
深い深いキスを何度も繰り返し、二人分の体重で軋むベッドの上、更に軋んだ音を出す行為へと移るのはそんなに遅くはなかった。
あの式の前に始めた行為を今度は誰にも邪魔される危険の無い先よりも広い部屋の中、前よりも性急に前よりも大胆に深く互いを求めだした二人はベッドの上、夜が明けるその時まで行為に没頭しだした。
ネームというか下書きを紛失させてしまい、何となくの勘で書いております。
次回で終わらせたいなと思っていますが、さて;




