003 とあるエルフとの邂逅
「ここかな?」
手にしたメモ用紙を確認し、ラトラルは呟く。
下町の一角――配達先に指定された目的地へと辿り着いた。
目前に建つのは、かなり年季の入った木造家屋。
ちょっと傾いて見えるのは、気のせいではないかもしれない。
「失礼します。ダイニング・サラマンドラの者です。お届け物に参りました」
入り口の扉をノックし、そう名乗るが、返事が無い。
ラトラルはもう一度「失礼します」と挟み、玄関のドアを開けた。
瞬間、雑然とした内装が視界に飛び込んでくる。
書物や羊皮紙、それに何に使うのかもわからない器具などが、あちこちに山積みとなっている。
なんというか、勝手な印象だが、魔女の家みたいな場所だ。
少し緊張感を覚えながらも、ラトラルは再度家主を呼ぶ。
「すいませーん、ダイニング・サラマンドラの者です。夜分遅くに失礼します。お届け物で参りましたー」
「おーい、ここだよぉ」
声が聞こえた。
しかも、何やら下の方から。
ラトラルは視線を下げる。
開けっ放しになっている窓から差し込む月光のお陰で気付いたのだが、床に散らばった本の隙間から、ニュッと出た腕が手を振っていた。
「えええええ!?」
思わず叫び、ラトラルは後ずさりする。
「いやぁ、こんな格好ですまないね」
「ど、どうしたんですか!? 何があったんですか!?」
「実はね、崩れてきた本の下敷きになってしまったんだよ」
散乱した本の下から、そう声が聞こえてきた。
どうやら、この手の主は本の雪崩に襲われこのような姿になってしまったようだ。
「外に助けを求めようと思ったのだけど、ふとダイニング・サラマンドラの女主人が手掛けるパンケーキが久しぶりに食べたくなってね。お届けのついでに助けてもらおうと思って、配達の注文をしたのさ」
書物の隙間から伸びた手が、壁際の方を指さす。
そこには鳥籠が掛かっており、中に一羽の白い鳥がいた。
「伝書鳩さ。その子に注文のメモを持たせてね。というわけで、ついでに助けて」
「は、はぁ……」
言われた通り、ラトラルは手を掴むと、力を込める。
そして、生き埋めとなっていた家主を引きずり出した。
「おおっと、君、結構力が強いね。お陰で助かったよ」
「ど、どうも」
現れた人物の姿を見て、ラトラルは一瞬息を呑む。
美しい女性だった。
小柄だが、スタイルの良いシュッとした体躯。
長い銀色の髪。
何より目を引いたのは、人間族に比べて長く、先端が尖った特徴的な形の耳。
「うん、お察しの通り、私は“エルフ”だよ」
ラトラルの視線に気付いた女性は、フッと微笑む。
「よろしくね、ダイニング・サラマンドラの店員君。私は、ウィン=フェアリーテイル」
■ ■ ■
「ふふふ、さてさて、では早速いただこうかね。本の下敷きになりながら楽しみにしていたんだ」
下町のボロ……雰囲気のある家の主、ウィン=フェアリーテイル。
ラトラルによって救出された彼女は現在、テーブルに着き、配達されたパンケーキを前にしていた。
「いただきます」
ナイフとフォークを使い一口サイズに切り分けると、切れ端を口に運ぶ。
ゆっくりと頬張り、「ん~~……!」と堪能するように声を漏らした。
こんなにパンケーキを美味しそうに食べる人を、ラトラルは初めて見た。
「好きなんですね、パンケーキ」
思わずラトラルが口にすると、ウィンは「うん?」と振り返る。
「いや、とても美味しそうにお食事されていたので」
「ふふふっ、店員君。知らないのかい?」
そこで、ウィンは目を細め、何故かドヤ顔っぽい表情をキメた。
「パンケーキは最強の魔法なんだよ」
「はい……?」
ラトラルは小首を傾げる。
「カラメル色に焼き上げられた美しい表面、まぁるく膨れ上がった可愛らしいフォルム。ほかほかと湯気を上げる焼き立ての姿など、食欲を注がれて仕方が無い」
……何やら語り始めた。
「そんなホカホカでふわふわのパンケーキに、四角いバターを乗せる。乳白色の固形物は瞬く間、パンケーキの余熱に溶かされその厚い生地に染み込んでいく。バターが吸い込まれたら、次はメープルシロップだ。甘い匂いを漂わせるシロップがパンケーキに染み込んでジュクジュクになっていく光景など、一生見ていられるだろう。これほどまでに心奪われるものはない。人は、人知を越えた奇跡を魔法と呼ぶ。ならば即ち、パンケーキは最強の魔法と言って過言ではないのだよ」
パンケーキの素晴らしさを存分に謳い、ウィンは再びドヤ顔を浮かべた。
「……ふふっ」
そんな彼女を見て、ラトラルは笑ってしまった。
「おっと、すまない、ついつい熱が入ってしまって」
「いえ、大丈夫です。僕、好きなものを語っている人を見るのが好きなので」
「ふむ、変わってるね、君」
ところで――と、そこでウィンはラトラルの腹部へと視線を向ける。
「君、怪我をしてるのかい?」
「え? わかるんですか?」
「ふふふ、見た目からじゃ判別できないかもしれないけど、こう見えて長生きしてるからね。注意力には優れているんだよ」
じゃあ、なんで本の下敷きなんかに……。
そう思ったが、ラトラルは口には出さないでおく。
「もしかして、ここに来る途中に怪我をしたとか?」
「あ、ええと、そういうわけじゃ……」
「そうかい。まぁ、どちらにしろこんな夜遅くに配達に来てくれたよしみだ。治療してあげよう」
言うが早いか、ウィンは近くのキャビネットへ向かう。
扉を開けると、中には幾つもの薬品瓶が納められており、その内の一本を持って戻ってきた。
「ちょっと失礼」
「あ」
上着をたくし上げられ、ラトラルの腹部が露わとなった。
「真っ赤じゃないか。よく我慢できるね」
ウィンは手にした瓶の蓋を開ける。
水色の薬剤を手に移し、ラトラルの患部に優しく馴染ませていく。
くすぐったいし、少しひんやりとする。
「……え?」
そう思ったのも束の間――気付くと一瞬で、ラトラルの脇腹の痛みが消え去っていた。
「安心したまえ。怪しいクスリじゃない。私お手製の『魔法薬』だよ」
「すごい……流石、エルフ族」
腫れまで完全に治った患部に触れ、ラトラルは驚嘆の声を漏らす。
「すいません、この怪我、配達とは関係無いのに」
「何かあったのかい?」
「まぁ……私闘の結果というか、身から出た錆というか」
「ふむ、何か事情がありそうな雰囲気だね」
魔法薬の瓶をキャビネットへと戻し、ウィンは再び椅子に腰掛ける。
銀色の髪の下の、美貌――その、どこか達観した雰囲気と、穏やかな目。
そんな彼女の存在を前に、袋小路に追い詰められていたラトラルの心が揺れる。
「……少し、話を聞いて頂けますか?」
気付くと、そう口にしていた。
「いいよ、ここで会ったのも何かの縁だ。それに、私もここ最近は家に籠もりっきりだったからね、外の世界の話も聞きたいし」
■ ■ ■
ラトラルはウィンに、これまでの事情を語った。
自動生成魔法具の事。
それによって友人が侮辱され、憤りを覚えたラトラルが純人間の貴族と決闘をする流れになった事。
そして、このままじゃ負けるかもしれない事。
「なるほど、純人間の権力がかなり強くなっているんだね、今のこの国は」
一通り語り終えると、ウィンは小さく頷きながら呟いた。
そう――純人間の、貴族の権力は絶大だ。
そもそも、自動生成魔法具を広めたのも貴族だ。
貴族は膨大な魔力を生み出せる魔晶と、最新技術の自動生成魔法を容易く手に入れられる。
即ち、最も得をする立場。
学院内でも学院外でも、平民は貴族の言いなりだ。
「魔法に関わる権力層の構成員はウィズが大半のはずだ。自動生成魔法は規制されていないのかい?」
「自動生成魔法具に関する技術の進歩が早く、規制が追いついていないというのが実情です。しかも……あまり大きな声では言えませんが、ウィズのトップ層は保護されているので、本気で純人間と争う気は無いのかもしれません」
「ふぅむ……行く行くは、純人間がウィズから魔法という力を完全に奪い去り、支配力を強める流れになりそうだね」
「……はい」
「しかし」
悲しそうに語るラトラル。
それに対し、ウィンは――。
「自動生成魔法も、時代の変動の中で生まれた進化だと言える」
そう答えた。
「魔法の力には、世界に危機をもたらす魔獣と戦う役目もある。異国に対抗する武力としてもだね。そう考えるなら、強い魔法使いを生み出せるのに越したことは無い。メリットは十分とも考えられる」
「……それは、わかっています」
理屈ではわかっている。
だが、それとは別の、感情の部分の問題だ。
「僕は、ただ自動生成魔法が嫌いなんじゃない」
昼間の、ジェルマンとハルカゼのやり取りを想起し……ラトラルは拳を握り締める。
「他人の魔法を模倣して、『大した事ない』と扱き下ろして、その魔法を生み出した人の想いや熱意を何とも思っていない……そんな風に魔法を馬鹿にされたのが悔しいんです」
――ラトラルは思い出す。
かつて一緒だった、“ある幼馴染み”との記憶を。
同じ『武器創造魔法』の使い手だった。
ある事情により今は離れ離れとなってしまっているが、ずっと互いに切磋琢磨してきた仲だった。
その幼馴染みと過ごした日々は、ラトラルにとって掛け替えのないもので……。
魔法を通じて手に入れた繋がりと感動は、とても大きな価値を持つ。
だから、ウィンにとって、夢や想いと魔法、この二つを同時に侮辱するようなジェルマンの言動は、許せなかった。
「………」
ウィンは、そんなラトラルの姿を黙って見詰める。
長命種のエルフにとっては、まだ青い果実と呼ぶにも相応しくない、十代の少年の純粋で無垢なエゴを見据える。
いや……まるで、彼を通して、懐かしい何かを思いだしているような、そんな眼差しにも見える。
「……うん」
そして、決意するように、そう呟いて目を閉じた。
「君の気持ちはわかった。で、どうするんだい? 君は明日の決闘、逃げるつもりなんてさらさら無い。だがこのままじゃ、圧倒的な力の前に屈するだけだよ」
「………」
本音と想いを口にし、しかし、避けようのない現実に再び舞い戻る。
苦々しい表情を浮かべるしかないラトラルに、そこで、ウィンが思い掛けない言葉を口にした。
「良い方法がある」
その発言に、ラトラルは顔を上げる。
「何か解決案が?」
「いや、簡単な話さ」
ウィンは微笑む。
「修行するのはどうだろう?」
「……ウィンさん、決闘は明日です」
一瞬、目の中に希望を見せたラトラルだったが、すぐに暗い顔に戻る。
「たった一晩の修行でどうにかなるわけ……」
「一晩じゃないよ。そうだね、“数百年くらい”、でどうかな?」
ウィンが何を言っているのか、ラトラルには即座に理解できなかった。
からかわれている? と思うラトラルの一方、ウィンは家の奥へと消えていった。
やがて、彼女は厳重な作りの箱を抱え、持って来た。
「それは……」
「【開】」
ウィンが呪文を唱えると、箱の前扉が開いた。
「!」
思わず、ラトラルは目を見開く。
箱の中から現れたのは――“頭蓋骨”だった。
人間と同じ骨格の、しゃれこうべだ。
「これは、“とあるエルフ”の頭蓋骨」
絶句するラトラルへと、ウィンは頭蓋骨の収まった箱を抱えたまま語る。
「この頭蓋骨には、そのエルフが死に際に残した魔法が掛けられている。その魔法とは、この頭蓋骨に触れた者に、このエルフの人生を追体験させるというもの」
「追……体験?」
「このエルフはね、私達の間では伝説のエルフと呼ばれる存在だったんだ」
時刻は既に深夜。
月の位置は天の頂上。
窓から差し込む淡い光に照らされ微笑むウィンの姿は、美しいと同時に妖しく怖くもあった。
その口から語られる言葉も、まるで、異界への誘いのように聞こえた。
「このエルフは、エルフ族に生まれながら魔力量が薄弱だった。だが、数百年に及ぶ凄まじい研鑽の人生により、高次の魔法使いへと成長を遂げた」
「………」
「……わかるかい? そのエルフの人生を追体験できるということは、“そのエルフに転生して修行する”ようなものだ」
先程、ウィンの言った言葉の意味がわかった。
最弱の身から伝説と呼ばれる程にまで成長したエルフと、同じ道を歩む――それが即ち、数百年に及ぶ修行。
「とはいえ、その数百年間はあくまでも人生の追体験をするだけだ。体が鍛えられるわけじゃない。成長するのは――」
――精神。
そう、ウィンは言う。
「豊潤な人生経験は知恵や知識を積み上げるし、魔法の理解や発想には精神の成長がとても重要だ。数百年に及ぶ旅路の末に、君の精神は生まれ変わるかもしれない」
「………」
「どうする? やるなら、この頭蓋骨に触れるだけでいい」
……ウィンの発言が、本当かどうか分からない。
望むような結果に繋がるのか、そもそも無事でいられるのかも、わからない。
そもそも、あまりにも突拍子も無い提案。
今日、数刻前に出会ったばかりの、正体不明のエルフの女性の口車に乗せられてしまうだけかもしれない。
でも、もしも本当なら。
ただ黙って最悪の未来が来るのを待っているくらいなら……。
「やります」
ラトラルは、手を伸ばす。
指先が、頭蓋骨に触れる。
瞬間、爆ぜるように放たれた蒼色の光が、ラトラルの視界を染めた――。
■ ■ ■
伝説のエルフ――その生涯の追体験。
それは壮絶な人生であり、ラトラルも知らない凄絶な歴史の記憶だった。
生まれ落ちたばかりの頃、母の腕の中で温かさに包まれていた記憶。
物心が付き、エルフでありながら魔力量が乏しい事を知らされた記憶。
悲しむ両親、周囲の侮蔑の目、絶望を味わった記憶。
研鑽に次ぐ研鑽の記憶。
それは、純人間やウィズの寿命を超越した、長い長い人生の歩み。
新たな知見を求め、エルフの生まれ里から旅立った。
世界中を巡った。
あらゆる国を訪れた。
人知未踏の大地――“魔族”の住む領域にも。
そこで戦争に巻き込まれた。
見た事の無い魔獣。
見た事の無い魔法。
見た事の無い兵器。
未知との遭遇に次ぐ遭遇、衝撃の繰り返し。
だが、それで終わらせない。
未知を既知へ、超常を理論へ、飲み込み嚥下し、己の血肉へと変えていく。
あらゆる経験と修練、蓄積の果てに――。
いつの間にか、いや、自然と、魔法の高みに立っていた。
やがて、一人の女性と出会う。
数多の人物と邂逅してきた人生の中で、その女性の存在は不思議なほど特別だった。
その女性との淡く幸せに満ちた人生。
時が過ぎ、突如、体が病に冒された。
死に蝕まれていく実感。
その頃になると、記憶が断片的となった。
やがて、訪れる死。
最期は愛する人に看取られながら。
銀の髪、同族の、美しい人……。
■ ■ ■
「おはよう」
「う、ううん……」
目を開けると、目前に美女の顔が見えた。
奇妙なアングル……それもそのはず。
ラトラルは、ウィンの膝枕の上に頭を乗せている事に気付く。
窓から強い光が差し込んでいる。
「……朝?」
「うん、朝だよ。寝覚めの気分はどうだい?」
「……今何時ですか!?」
自身の状況を把握し、ラトラルは飛び起きる。
「さっき教会の鐘の音が聞こえたね」
「寝坊した!」
ジェルマンから決闘に指定されたのは、日の出から十の鐘が鳴る時刻。
下町から学院までの距離を考えると……このままでは、決闘に遅刻してしまう。
「急がないと!」
「あ、気を付けなよ」
「ありがとうございました、ウィンさん! お礼や、色々とお話したいことはありますが、今はすいません!」
雑然とした室内を、よろけながら歩き、ラトラルは玄関の扉を開ける。
「ラトラル君」
そこで、ウィンが呼び止めた。
「どう、勝てそうかい?」
「……わかりません」
ラトラルは振り返り、釈然としない表情を浮かべた。
しかし直後、硬い意思を宿した眼差しを、ウィンに向ける。
「ですが、やるだけやってみます」
そう言い残し、扉の先――光の中に消えていくラトラル。
扉が閉まり、ウィンの家には静寂と薄闇が戻った。
「……どうして、彼にこんな提案をしたんだろうね」
誰もいなくなった家の中で、ウィンが呟く。
「きっと、君に似ていたからかもしれないね」
テーブルの上に置かれた木箱。
その中に座す頭蓋骨へと、ウィンは苦笑混じりに語り掛けた。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
本作について、『面白い』『今後の展開も読みたい』『期待している』と少しでも思っていただけましたら、ページ下方よりブックマーク・★★★★★評価をいただけますと、創作の励みになります。
是非、よろしくお願いいたします!