遍路ころがしの怪
ある人の依頼(?)で、”恐い話”を書くことになった。
毎年夏にはテレビ等で、怪談など恐い話を聞くことが多くなるが、最近の話では、鳥肌が立つような本当に恐いモノには出会わない。
私が子供の頃には恐い話はいくらでもあり、その中でも「四谷怪談」などは本当に恐かった。今でもそれが原因で、暗い夜道を一人で歩けなかったり、夜中トイレに行けなかったりと、トラウマになっている方は私を含めたくさんいると思う……?
今回、私が恐い話を書くからには最近のテレビのような甘いモノではなく、本当に恐い話を書くつもりである。 大人になってやっと子供の頃のトラウマが解消できたと安心している方は、本文をどうか読まないで欲しい。読んでしまうと、又きっと夜中に一人でトイレには行けなくなると心配するのである。
四国は遍路の地である、それぞれの想いを持った人々が八十八ヶ所の霊場を回り、お大師様に願を掛ける。昔は重い病気で死を覚悟、と言うか、最初から
”死ぬつもり”で遍路に出かける人も多くいたそうだ。お遍路さんが着る死装束がその名残なのである。
私の父も何度か四国遍路をしていたので、子供の頃からよくお遍路の話を聞かされていた。
「遍路ころがしと言うところがあるのだよ」
大体山深い峠などの遍路道で、村と村の境界にあたる所などは間違いなく”遍路ころがし”らしい。 ”遍路ころがし”ってなんだ? 単に道が険しくて”お遍路さんが転ぶ”と言うことではない。
今も昔も人が死ぬと、検死と言っていろいろ面倒な事になる、山の中で身元も分からぬ”へんろ(旅人)”が亡くなった場合はなおさらである、そこで村境で亡くなっている”へんろ”を見つけたときは、隣り村の方に転がしておくのだそうだ。 酷い時には一度投げられた遺体をまた違う村の方に投げ込む事もあったそうで、遍路ころがしが恐れられる所以なのである。
幼い頃から野山を駆け回るのが好きな俊夫だった、大学生の夏休みにかねてから興味を持ち、憧れであった四国遍路に行く。
彼は父親から聞いていた”遍路ころがし”に興味を持っていてソレを中心に見て歩こうと入念に計画した、特に気になったのは、愛媛県にある42番札所と43番札所間の峠にあるソレである、ここは三っの村が境界となっていて、昔はそれぞれ三方の村人が厄介を恐れ、へんろを投げ合ったそうだ。
夏も真っ盛り、蝉の声が途切れることがない熱い日だった、俊夫が42番大師堂をお参りし、般若心経を唱えた後、ふっと指先に冷気を覚えた、妙だなとは思ったが、あまり気にも留めず43番へ向け、期待の峠を登って行った。
俊夫は22歳、若いとは言っても日暮れは怖いので峠には午後1時前に入る、向う側に降りるのは3時過ぎか? 十分に余裕のある工程だ。
峠の遍路道にはおへんろさんが迷わないようにと、道案内や励ましの立て札が所々にあった。『峠まであと800m 近道→』さすがにヘトヘトの俊夫は近道を選んだ、ところがこの道は凄く険しく樹木も鬱蒼として、昼間なのに、だんだん薄く暗くなってゆくのだ、樹木のせいか? 不思議なことに今までの汗は引き、指先にまたもや冷気を感じてくる……。
もう近道の800m来たんじゃないか?と思うが、鬱蒼と茂った薄暗い空間は、この先どこまで広がっているのか分からないほどだった、そういえば先程まで聞こえていた鳥の鳴き声、木々のざわつき、風の音さえ聞こえないのである。
「おかしいな~、この道は何か違うような?」少し不安になる。
ふと見ると前方の大きな岩の向こうに白いモノが横たわっている、怖い!
白いモノとは”人”のようだが動かない、頭から降りてくる恐怖で心臓が凍りつくようだったが、よく見ると華奢な女性のようだ…… 恐る恐る近付く、白装束でうつ伏せの若い? 女性はかすかな声で息をしているようだった。
「どうしたんですか?」
返事はない、どうしよう? おそるおそる抱きかかえ正面を見ると、彼女の顔は目が真っ黒に落ち込み、頬から顎にかけては白骨化している。一瞬にして俊夫の心臓は止まった、慌てて白いモノをはねのけた。 ただ、その時彼女は俊夫に対し、確かに微笑んだのだ……。
俊夫が正気に戻ったのは実家近くの病院だった、あれから3日後である。
昔と違って”ころがされる”ことも無かった、もちろん生きているのである、 両親やたくさんの人が世話をしてくれたおかげで、徐々に回復し、退院後は大学にも通えるようになった、いつしか心の傷も癒えたかの様だった……。
真っ暗な闇の中に何か白いモノがある、うごめいているようにも見えるし、全く動いていないようにも思える。若い女性だ、それは意識の中でそう思うの
であって決して確かめてはいけない事だと思った。 だがその白いモノは毎回突然振り向く、落ち込んだ真っ黒い目と顔半分の白骨…… だが、微笑んでいるのだ。
俊夫がこの夢を見だしてからもう3ヶ月、大学にも行けず来春の卒業も危ぶまれる。 それよりも俊夫自身が頬は落ち込み、目は瞬きを忘れ、骸骨のようになってきているのである。
両親も心配して病院に掛かってはいるが、回復の見込みは一向に無い。
見かねた親戚の者がいろいろ当たってくれて、同じ様な経験をしたという話から、一度診て貰ったら? と言うところを探してきた。
それは例の遍路ころがしからさほど遠くない所にある霊媒師だと言う。
両親は霊媒師と聞いて最初拒否したが、日に日に悪くなる俊夫の様子を見るに見かねて、とうとうそこに連れて行く事を決断した。
四国と言っても冬には雪が降る山間部、愛媛県の山の中、日頃訪れる人もない山道を、足取り重く歩く三人の姿があった、もちろん俊夫と両親である、三人が行き着いた山小屋には老婆が一人、昔ながらの生活を営んでいる。
父親が事情を告げる、事前に伝えていたので老婆も普通に出迎えてくれた、祈祷は夜になるとの事で三人は老婆の家で時を待つ、麓で買ってきた弁当などを食べた。老婆はそのまま畑仕事を続け日常と変わらない様子だ。
夜、離れの祠に案内される、薄暗い部屋だ、詰めれば十人ほど座れるであろうか?正面に祭壇が組まれ、脇にも色々なものが供えられている、明かりは祭壇と部屋の四隅に置かれた蝋燭の灯りだけ、静かだが時おり山から聞こえる野生動物であろうか奇妙な叫び? が身を竦めさせる。
老婆が入ってきた、巫女のような白い木綿の衣装をまとい、白髪を麻縄で括っている、昼間とは違うおどろおどろしさを感じるのである。
日頃こう言ったモノには無関心な父親であったが、無言で老婆の所作を見守っていた。 霊媒師は最初小声で呪文のようなものを唱え、次第に呻き? や泣き声? を発する。 正面で護摩を焚きながら怒る声、あやす声、いずれも言葉とは程遠い奇妙な音声で語る? のである。
しかしその奇妙なモノにも三人が少し慣れてきたとき、突然護摩焚きの炎が激しく天井まで届き、同時に老婆がこの世の物とは思えない奇声を発したかと思うと、祈祷の座姿のまま1メートル程を飛び上がった、足を組んだまま、空中で180度回転して三人の方を向いたのだ。
「だぁ~~ああああぁぁ……」
突然の奇声と振り乱した白髪の奥に異様に見開いた目があった、霊媒師はうつ伏せしそのまま動かない、三人も度肝を抜かれ平伏すのみだ。 どれくらい時間が経ったのか、どうすれば良いものか、全く分からずに時を待った、老婆が静かに起き上がり、自分の家で休むよう静かに言う。
部屋に戻り三人だけになったが、両親は眠れたものではなかった、でも俊夫は穏やかな顔ですぐに眠りについたのである。
翌朝、老婆は畑で草取りをしていたが三人の為に朝食を作ってくれた、両親は食べる気になれなかったが、この3ヶ月間何を食べてきたか分からないような俊夫は美味しそうに全てを平らげた。 見ると俊夫の表情が昨日とはあきらかに違っているのである、そして明るく言った。
「おとうさん、遍路ころがしに行って来るよ」
両親が反対しても聞かないので途中までタクシーを使うことにした。
四国42番札所と43番札所の間である、峠に入ってから俊夫の様子が一変する、相変わらず頬はこけているのに体が元気なのである、当然両親は彼の足について行けず置いてきぼりになった。
(この辺にあるはずだが……)俊夫が探しているのは峠へ近道の立て札だ、4ヶ月ほどは経っているが無いはずはない、見覚えのある山道だし別れ道もないのだ。何かにとりつかれた様に辺りを探すがそれらしいものは一つもない。
(あの枯れ草が盛り上がっているところに道があるのでは?)
枯れた草むらに足を踏み入れたとたん。
「あっ!」
深い穴に落ちてしまった。
落ちてゆく間に腹を打ち、足を打ち、腕も顔も、最後に大きな岩で頭を打った、目が飛び出し、頬から顎にかけては肉が削げ落ちた…… 体が動かない、目も開かない真っ暗な世界だ。
(これで死ぬんだ……)
確実に”死”しかない暗闇の中でその時を待っていると、遠くから誰かがゆっくりと近付いてくる音が聞こえてきた。 今まで聞いたことのない音と言うか気配、知らない世界の感覚だった、昨日の老婆の奇声も遠くで聞こえている。
近付いてくる気配が顔の前で止まった、相手も恐れているようだ?
「どうしたんですか?」
手を取った相手はあの微笑んだ黒い目のガイコツだった、不思議に恐怖心はない。 だが、一瞬にその顔が自分(俊夫)の顔に変わった、二人は入れ替わりあの日に戻ったのだ、俊夫には分かっていた黒い眼のガイコツは前世の妻であったのだ。 人は死んで終わりではない、祖先から引き継いだ遺伝子を未来永劫繋いでいるのだ。そして、潜在意識の中に深く埋もれて、知っているはずの無い記憶がふと蘇ることがあるのである。
縁側でお茶を飲む、いま俊夫は82歳、妻は4年前に他界した。
時おり若い日の不思議な経験を思い出すのが楽しみだ、もう少しでまたあの”黒い目の彼女”とも逢えるかもしれない、今度迎えに来たときは決して手を離すな、一緒に連れて行って欲しい……と。
そしてあの遍路ころがしについては、最近数人が行方不明になっていて、決して一人で近付いてはいけない!との噂が地元で広がっていると言う。
完
日本人は昔から縁起を気にする方が多い、4と9は嫌われる数字である。
私が通うジムの下駄箱でも4の付く数字は必ずと言って良いほど空いているのである。(9はそれ程でもなく、まだ許せるのであろうか?)
私はそういうところは無頓着であり、昔電話番号を選ぶとき、「2242」が子供たちも覚えやすいと思い、飛びついたことがある。「なんでこんな良い番号が空いているのかなぁ、ラッキー!」だとも思っていた。
四国遍路は88ヵ所の霊場があり、それぞれ1番から88番まで番号が打たれている、42番と言うのは日本人にとって最悪!ではないだろうか? だが、巡礼者は4だから、9だから、と言って避けることはしない。当然である、物事は多角的に見て判断しないとダメなのである。
四国遍路がブームになったきっかけはNHKの「花へんろ」と言われる、随分前の話だ、今でもお遍路人気? が続いているのはその魅力が”まやかし”でないことの現れであると思う。
1200年も前のこと、空海の人々を救う気持ちが本物であり、皆の心を揺さぶるからこそ、現代もこれからも失われること無く続いていくのである。
「恐い話」を希望したのは息子である。
フィクションであり、皆さんは怖くてトイレに行かれなくなる様なお年でもないはずなので、私もそう心配はしていない。 読まないで、と言ったのは少し大袈裟で反省しています。
だが、息子の話によるとこの怪談? を読んだ者の中で、何人かが実際”へんろころがし”を見に行き、行方の分からなくなった者が2人いると言う、2人がどうなったか尋ねると。
「どうなったんだろう、あまり付き合いは無いからね~」と笑っていた。
「そうだな、でも、もうあまり人には見せないほうがいいぞ!」私が言う。
「うん、42番と43番の間なんて具体的に書いてあるから、行くのかな」
「そうか、若いからそうなるのかなぁ?」
「いや、若いから? 年寄りで試してみたら?」
「ああ、こんど機会があれば試してみるよ」
「大した事では無いけどさ、実際行方不明者が出たらスゴイね!?」(笑)
こんな会話をしたのを思い出したのは、これを投稿した直後だ。
(ちょっとオカシイが気にしなくて良い!)
ああ、読ませたのは失敗かも知れない! 今(読んだ後)伝えられることは、もしも四国遍路に行くならば、絶対42番と43番の間は絶対通らないこと!
コレさえ守れば私たちの生活は安心安泰!なのである。