堕としたい騎士と堕としたくない聖女は、今日も魔王そっちのけで【ぬい活】に精を出す。
「チハル。そろそろ食べないか? 料理が冷めてしまうぞ」
「大丈夫です。冷めても、あとでスタッフが美味しくいただきますから」
ぐぅと腹の虫が鳴った俺は、目の前の骨付き肉とエールを眺めながら提案したが、隣に座る黒髪に黒い瞳の少女は柔和な笑みと共にそれを却下した。
(スタッフとは誰だ……⁉)
俺の名は、アレクサンダー・フォン・ゴルドレッド。
通称【焔炎の騎士】。魔法大国ロンドル王国の聖騎団長で、ゴルドレッド公爵家の嫡子。国一番の剣の使い手で、魔王を倒すため、聖女の護衛として旅を続けている。
そして聖女というのは、隣にいるこの少女――チハル・ササキという名の17歳で、魔王討伐のために国の魔術師らに召喚された異世界人だ。この国でまず見られない黒い髪と瞳が美しく、清楚という言葉が似合う凛とした少女だ。
ただし、黙っていたら、である。
現在進行形で、チハルは清楚というより、寧ろパッション溢れる感じだった。
「今、自然光調整してて、大事なとこで――。あっ! この角度最高! アレク可愛いよ! 可愛すぎ! 異世界肉とのコラボレーション、合いすぎてヤバい! アレク可愛い!」
チハルは「アレク可愛い」を連呼しながら、絵を切り取る魔法具――写し絵器のシャッターをパシャパシャと切り続ける。
向かい合わせになると体が写し絵器に写りこんでしまうので、俺はチハルの隣から、黙って「ぬい撮り」なる撮影会の様子を見守っていた。
そう。「アレク」とは俺アレクサンダーのことではない。
彼女が夢中になって撮影をしているのは、手のひらサイズの小さなぬいぐるみ――「アレクぬい」だ。
それは俺と同じ紅い髪に金色の瞳で、紅と銀の騎士装束に炎剣フランベルジュを携えている。マントにはゴルドレッド家の紋章が細かく刺繍されており、その再現度の高さには毎度目を見張らずにはいられない。
俺との大きな違いと言えば、大きさと愛さらしさだろう。
アレクぬいは、目がまん丸で、体は二頭身。こんな短い手足では抜剣も蹴り技もできないだろうというほどに、ちょこんとした手足がくっ付いている。
チハルいわく、これは「デフォルメ」という状態らしく、この何もできなさそうなサイズ感が最高に可愛いらしい。
そんなぬいぐるみを撮影することを「ぬい撮り」と呼ぶらしい。
「アレクサンダー様! ぬい撮りするんで、アレクに異世界肉を近づけていただいてもいいですか? アレクが食べてる感じにお願いします」
「食べてる感じ……?」
彼女はハッとこちらを振り返り、謎のオーダーを口にした。
そもそも「異世界肉」という言い方も引っかかっていた俺だが、それ以上にぬいぐるみに肉を食べさせる真似事をするというのが、もうなんとも……。
「俺がやらねばならんのか?」
「だって、アレクサンダー様、写し絵器の扱いド下手じゃないですか! いっつも逆光とか手ブレ写真ばっかりだし。アレクは動かないのに、ブレるってどういうことですか」
「わ……、分かった。分かったから落ち着いてくれ」
これまで撮った写真が相当酷かったことを根に持たれていて、最近はもっぱら黒子役をさせられている俺である。
天下無敵の騎士をアシスタントにする女など、大陸中捜してもチハルしかいないだろう。
俺はやれやれと肩を竦めながら、骨付き肉をそっとアレクぬいの小さな口に近づけてやった。もちろん、口に肉を付着させてはならない。アレクぬいを汚しでもしたら、それこそチハルは大激怒するに違いない。
「あーーーっ! 美味しいねっ! アレク、異世界肉美味しいねっ!」
「…………」
チハルは落ち着くどころが、さらにテンションを上げていた。いったいどれだけ撮るんだというくらい、写し絵器のシャッター音が鳴りまくる。
元々、写し絵器は王族や貴族の肖像写真を撮るための高級魔法具だというのに、なんと豪快な使いっぷりか。聖女特権で王城から写し絵器を拝借してきたチハルが、まさかこんな使い方をしているとは、魔法具師は想像もしていないだろう。
「……チハル。いい加減そろそろ食べよう。肉が固くなる」
「あ、はい。いい絵が撮れたので食べましょうか! ご協力ありがとうございました」
満足のいくぬい撮りができたようで、チハルはすっかり上機嫌だ。
俺はようやく食事にありつけることと、周囲からの引き気味な視線が緩んだことに安堵しつつ、骨付き肉にかぶりつく。アレクぬいに見守られながら。
(ぬぅっ! アレクぬいめ! 俺を見るんじゃない……!)
鼻歌を歌いながら肉をもぐもぐしているチハルが、意図的にそうしたかどうかは分からない。だが、アレクぬいはテーブルの真ん中にちょこんと腰掛け、俺を凝視してきていた。それはもう、じぃっと。
(食べづらい! 食べづらいぞ!)
チハルは毎食、このアレクぬいを食卓に同席させる。写真を撮影してからの実食がルーティン化しており、アレクぬいはさも当然のようにテーブルに座っているのだ。
この奇異なる状況を見て、ぎょっとする者は多い。というか、ほぼ全員が引いている。
それでも俺が羞恥に耐え、チハルのぬい活(ぬいぐるみに関する活動をそう呼ぶらしい)に協力している理由は、ただ一つ。
(俺は、チハルに惚れてしまったんだ)
◆◆◆
ロンドル王国に、チハルが聖女として召喚された日のこと。
チハルは、旅の護衛として引き合わされた俺を見るなり、「本物のアレクサンダーだ……!」と、わなわなと震えながら、無礼にもこの俺を指差してきた。
本物がいたら偽物がいるのかと問うと、彼女は「私の故郷には、あなたが登場する乙女ゲームがあるんです。あなたは私の推しキャラで……」と、顔を赤くして言った。
俺には、チハルの説明が下手くそすぎて、乙女ゲームがどんな代物なのか想像がつかなかった。だが、チハルの故郷では、俺が最強の騎士で最高の美男子として語られていることだけは分かった。
その時の俺は、異世界にまですごさが広まっているなんて、さすが俺! と自分を賛美していた。そして同時に思っていた。元々好感度がマックスのこの女、めちゃくちゃチョロそうだと。
このとびきり整った容姿と抜群の剣の腕とセレブな実家と類まれなる頭脳のおかげで、俺は女性に困ったことがなかった。いつでもモッテモテだった。
だから、まぁ、この異世界人の聖女もすぐに落とすことができそうだと思っていたのだが――。
「ロンドル王国の旗をバックに立つアレク……、可愛すぎる!」
「アレクだと? 馴れ馴れしいぞ、聖女。だいたい、この俺を可愛いなど……」
「あ、違います。アレクサンダー様のことじゃないです……!」
ばっさりと言い捨てたチハルの手には、手のひらサイズのぬいぐるみ。チハルは、王国旗の前にぬいぐるみを立たせ、地面に顔が付いてしまうのではないかという角度から、それを眺め回していた。
そう、先述したアレクぬいだ。
チハルは、俺のことを「アレクサンダー様」、ぬいぐるみのことを「アレク」と呼び分けていた。そして、この俺よりもぬいぐるみの方を溺愛していたのだ。
◆◆
写し絵器を手に入れてからは、チハルのアレクぬいへの溺愛っぷりは、いっそう顕著になった。
旅先で俺が高級ディナーをご馳走してやれば、もちろんアレクぬいは皿の前に現れた。
俺が「ぬいぐるみなど撮っていないで、俺を撮ればいいではないか」と言うと、チハルは頑として首を縦には振らず。
「アレクサンダー様と高級ディナーを撮ったら、すごく自慢げで嫌味な感じになっちゃいますけど、アレクとディナーなら、可愛い感じに収まるんで」
と、理解不能なコメントを残し、チハルはシャッターを切っていた。
◆◆
俺とチハルで森の魔物を倒したら、戦利品の宝珠や金貨に囲まれながら、アレクぬいが魔剣ふらんべるじゅを構えていた。
俺が「俺の勇姿をなぜ撮らん⁉」と食い気味に尋ねると、チハルはとんでもないと大きく首を横に振っていた。
「流血写真なんてNGですよ! 私は見る人がほっこりできる写真を撮るんです」
と、誰に見せるわけでもないくせに、謎のポリシーをアピールしてきた。
◆◆
二人でとある領地の舞踏会に参加した時は、ついにチハルは俺の写真を撮った。
俺が「ほう。チハル、ようやくこの俺を撮る気になったか。お前がどうしてもと言うのなら、一緒に写ってやってもいいぞ」と決め顔を作っていると、彼女は「とんでもないです!」と手をぶんぶんと顔の前で振っていた。
俺は、「照れるとは案外奥ゆかしい女だな」とニタついていたのだが、現実は甘くなかった。
「何をおっしゃってるんですか! 資料用なので、私が写ったら邪魔ですよ! ゲームのスチルでは、バストアップだけだったので。正面と背面と、それから側面からも撮らせていただいでもいいですか? お顔は不要なので、首から下を撮りますね」
と、チハルは職人の目をして俺を見ていた。
全てはぬいぐるみのアレクのため。
ぬい活の一環で、服飾スキルまで身に着けたというチハルは、俺の唯一の写真をアレクの服作りのために昇華した。
◆◆
そして、俺が故意に一部屋しか取らなかった宿屋では、真っ先にアレクぬいがベッドのど真ん中で就寝していた。
「おやすみ。アレク。アレクサンダー様」
にこりと微笑むチハルは、アレクぬいの寝顔を撮影すると、すぐにソレの右側に滑り込んで眠りについた。
俺は無言でアレクぬいの左側に横たわり、天井を睨みつける他なかった。
(なぜ、俺が二番目……!)
すぐ手が届く距離で、チハルがすやすやと可愛らしい寝息を立てているというのに、なぜ俺がぬいぐるみ以下の扱いを受けている⁉
この愛は俺に向けられるべきもののはずだ。だって、このぬいぐるみのモデルは俺なのだから。
このような不条理があってたまるかと、俺はがばっと身を起こし、眠るチハルに手を伸ばそうとした。
チハルも「推しキャラ」なるこの俺に抱かれるのであれば、光栄に違いない。今までも、俺に抱かれて喜ばなかった女はいなかった。皆、俺のために俺を愛したのだから。
(チハル。今日こそ俺のモノになれ……!)
だが、ある者の視線が、俺を射竦めた。
ソレは、アレクぬいのまん丸な金色の瞳から放たれる、何もかもを見通すような無垢な視線だった。
いや、本当は単にぬいぐるみが俺の視界に映り込んできただけだったのだが、その目がまるで俺の心を暴くかのようで、思わずドキリとしてしまったのだ。
(おのれ、アレクぬいめ……! 正々堂々挑めと言いたいのか!)
俺は、思い通りにならないチハルをどうにかしたくて堪らなかった。
チハルに「可愛い」と言われるのは、俺でありたかった。
チハルにとろける笑みを向けられるのは、俺だけでないと嫌だった。
チハルとの思い出は、俺とのモノにしたかった。
(アレクぬいではなくて、俺を見てくれ。チハル……!)
人生イージーモードだったこの俺が、異世界人のぬい活狂いの聖女に執着することになるなど、思いもしなかった。
これが恋か。これが愛か。そしてこれが嫉妬という感情か。
その日、俺は生まれて初めて、女性と同じ寝台にいながら、石像のように固まったまま朝を迎えた。
このままチハルに手を出しても、アレクぬいから彼女の心を奪えるとは思えなかったのだ。俺はチハルの心が欲しかったのだ。
◆◆◆
だから、俺はチハルに好かれようと必死だった。
俺様な性格を隠し、真面目で清廉な騎士を演じながら、彼女のぬい活に全力で協力しているのだ。
アレクぬいに異世界肉を食べさせ(る真似をして)、ミラーシールドを反射板にして光の調整を行い、写真映えする景色を探すチハルの後を付いて行く。
「次は、雪の町スノウタウンに行きたいです。アレクぬいサイズの雪だるまを作りたいです」
「聖女のお前の護衛をするのが、俺の仕事だ。どこへでも行ってやる」
ぬい活中のチハルの瞳は、いつもきらきらと輝いていて美しい。思わず見惚れそうになった俺は、彼女をもっと喜ばせるたくてたまらない。
もはや、魔王討伐など二の次。魔王城ははるか遠い。
上がれ、俺の好感度!
打倒、アレクぬい!
いつか純粋な好意で、俺の写真を撮りたいと言わせてやる!
必ず堕としてやるぞ、チハル!
◇◇◇
(絶対に堕とさないんだから……!)
「ぬい活」――。
それは、推しを模したぬいぐるみを好みに合わせてカスタマイズしたり、写真を撮ったりして愛でる活動のこと。
私、佐々木千春は、ぬい活に命を懸けていた日本の高校生だったが、現在進行形でロンドル王国にてマジもんの命を懸けさせられている。
せっかくの異世界映えロケーション満載なのだから、粛々と衣装と小物作りを進めさせてほしいというのに。
けれど、そんな私が魔王討伐の旅に出たのは、アレクサンダー・フォン・ゴルドレッドに嫌われるためだった。
私は彼をラスボスにしたくなかったから。
アレクサンダー・フォン・ゴルドレッドは、私の大好きな乙女ゲーム【ロンドルの愛に狂って】の攻略対象キャラではない。ラスボスだ。
彼はヒロイン聖女の護衛でありながら、ストーリー中盤でヒロインに恋をして、玉砕。ヒロインと攻略対象の誰かが結ばれることが許せずに闇堕ちし、魔王の力を奪って大暴走してしまうという、初恋拗らせ二代目魔王なのである。
当時、恋が実らず落ち込んでいた私が、最も感情移入したのがアレクサンダーだった。癒しを求めてプレイした乙女ゲームだったのに、傷口に塩を塗られたようなクリア感だったことはさておいて、私はアレクサンダーが幸せになることを強く願わずにはいられなかった。
(まさか、私がヒロインとして召喚されるとは思ってなかったけど……)
そう。だから私は、ストーリーに沿ってアレクサンダーが闇堕ちするフラグを徹底的に折り続けている。
魔王討伐の旅で出会う攻略対象たちに会わなければ、彼が嫉妬に狂うことはない。
魔王討伐に行かなければ、彼が魔王の力を奪ってしまうことはない。
そしてそもそも、ヒロインに恋をしなければ、彼が失恋することはない。
だから私は、アレクサンダーに嫌われようと、日々ぬい活に精を出している。
ぬい活は私を私たらしめるハッピーな活動なのだが、興味がない人にとっては「キモチワルイ」ものらしいから。その辺は、私の過去の失恋とトラウマで証明できるかなと思う。
きっと、アレクサンダーも、私を頭のオカシイ聖女認定するに違いないし、そんな女に惚れることはないはず――だったのだが。
「次は、雪の町スノウタウンに行きたいです。アレクぬいサイズの雪だるまを作りたいです」と、私は無茶を承知で希望を口にした。
スノウタウンは魔王城の方角から真反対。しかも、アレクサンダーは寒いのが大嫌いな温室育ちなのだ。
けれど、予想に反して彼は笑顔だった。
「聖女のお前の護衛をするのが、俺の仕事だ。どこへでも行ってやる」
不意打ちのキラースマイルに、私は思わず目が泳ぐ。一瞬喜びそうになってしまうが、あり得ないことだとブレーキを強く踏んだ。
(私のバカ。アレクサンダー・フォン・ゴルドレッドがぬい活を受け入れてくれるわけないじゃん。リップサービスに決まってるじゃん)
テーブルにちょこんと座っているアレクぬいと目が合い、「チハルも拗らせてるな」と言われているような気がしてしまう。
(いいんだよ。推しが闇堕ちしなかったら)
私はアレクぬいの写真を、追加で一枚ぱしゃりと撮った。