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中編



遥か昔、人間は他の種族に踏み躙られてきた。

硬い皮膚も、鋭い牙や爪も持たぬ生物ならそれは当然のこと。


それを哀れに思った神々は話し合い、絶滅する前に知恵と力を授けることにした。


『我らの末妹の力と知恵を少しだけ貸すことにしよう』




『しかしあくまで貸すだけだ。返却の義務があることをゆめゆめ忘れぬように』



――それは古い聖書の一文だ。それを心から信じている者など一人たりともいない。

自分たちはそういった種族で、魔法で火が扱えるのも水を湧かせることができるのも、生活を豊かにするのも敵を滅することができるのも、全ては人類の力だと信じて疑わなかった。



だが、今はどうだ。唐突に現れたこの世のものとは思えない女性。いっそ恐れすら抱いてしまう美しいその女性が、人類に魔力を授けた神であると誰しもが確信した。



「……顔を上げなさい」


静かな声で命じられ、ようやく顔を上げることができる。そこにいる女神ソフィーリアに、老若男女問わず夢見心地のような表情を浮かべる。



「これにて貴方方人間との契約は終了しました、後は精進することです」


「あの……何を……契約とは何のことです?」


何とか言葉を口にすることができたものの戸惑いを隠せない王太子の疑問に、女神は目を丸くした。顔立ちこそ違うものの、その表情はあの伯爵令嬢によく似ていた。



「……まだ思い出せないのですか?」


本気で無知を驚くような声は本来甘やかされ育った彼の逆鱗に触れるようなものであるが、人間には決して届かない美を誇る女神に見つめられ、頬を赤らめながら頷くのが精一杯だ。




「やれ、なんとも可笑しい生物よ」


そんな中快活な声が頭上から聞こえ、会場にいる人間達は顔を上げ――再び、跪いて頭を下げた。

逞しい上半身を曝け出した太陽のような金の髪と女神ソフィーリアと同じく金色の瞳を持つ精悍な男性。

真雪のような髪とすべてを魅惑するかのような紅玉の瞳を持つ妖艶な女性。

深い漆黒の髪を短く刈り上げ、同じく深い闇を宿すかのような黒い瞳を持つ禍々しくも美しい印象を与える男性。


上から順にその世界を創り上げた主神、ディアール、全ての命を生み出した女神、ミケイラ、生と死を司り、全ての定命のものの死後を仕分けるケイベルだと、その場の人間たちは理解した。



「ディアールお兄様、ミケイラお姉様にケイベル兄様」


「お勤めご苦労様、ソフィーリア。とんだ茶番だったわね」


「まったく、時間の無駄だったな……こんなことにソフィーリアの手を煩わせるなど、兄上の遊び好きにも困ったものだ」



柔らかな春の日差しのように微笑んで三人に歩み寄るソフィーリアを抱き締めるミケイラとその頭を撫でるケイベル。一見すれば仲睦まじい兄弟とも見えなくはないが、その空気は人間からすれば耐えきれないほど強大なものであり、頭を下げたまま全員が小刻みに震えていた。





「お気になさらないでください。事の発端は私ですもの」


「いやいや、本当に悪かったなソフィーリア。……まさか、いくら人間に化けているとはいえ、我らが末妹をぞんざいに扱うとは思わなんだよ。加えて、同じく人に化けた我々を投獄しようなど」


それまで快活に笑っていた主神がぎょろりと人間達に鋭い視線を向ける。その圧に耐えきれず会場にいた数人は嗚咽と共に吐瀉物を絨毯に撒き散らした。

それを冷めた目で見つつ、ディアールは持っていた剣を高く掲げた。


「どれ。これ以上時間をかけるのも面倒だ。気が触れるものもいるかもしれんが……ま、良いだろう」





その剣から虹色の光が解き放たれた。そしてそれを目にした全員が頭を抱え、床に倒れ込む。

まるで脳を手で鷲掴みにされ捏ねられたような痛みと不快感に絶叫が響き合う。


そのようにして身体は耐え難い苦痛で悶ているというのに、脳は気味が悪いほど冴え渡る。

そうして、蓋をされた記憶が無理矢理こじ開けられる。





その日人間たちは、一斉に白昼夢を見た。否、それは人間として説明できる言葉に当て嵌めたに過ぎない。

実際は全人類が四柱の神々に招集された。

何もない白い空間。そこに何百万、何億人ともなる人類は押し込められた。目の前には玉座が4つ並び、そこには神々が座っている。



『あー、いきなりだがな、お前たちから魔力と知恵を没収したい!魔力の篭った道具もだな!』


主神の明るい口調に人間達は呆気に取られた。

そして次の瞬間、戦慄した。


今や世界中の人間は魔法に頼りきっている。それをなくすことは即ち、文明を壊し、最悪人類が滅亡するということだ。



『しかしお前たち、やりすぎだぞ?あまりにも魔法を乱発するせいで絶滅に追い込まれる生物が後を立たん。ソフィーリアは優しいから弱者のお前たちに力を貸したんであって、今現在生物の頂点に立ち、他の弱者を追い込んでるんじゃあ力を貸す意味がないであろう?』


肩を竦めるディアールに人間達は恐れながらも必死に食い下がった。


悔い改める。

今魔法を消されては困る。

もう少し猶予が欲しい。




『貴方方神々を一番信仰しているのは我々です!』


そんな中、一つの国の国王が声を上げた。それに対してミケイラはクスクスと笑い、ケイベルは汚物を見るかのような冷たい目で国王を眺めた。

たしかにその国は神々への信仰が厚い国だ。だが、それは数百年昔の話。今となっては神など創造の産物だと声を大にして言うものもあとを断たない。

そもそも、だ。



『それがなんだ?』


ケイベルの冷たい声に肩が跳ねる。


『別に貴方達が私達を信仰しようが何だろうがどうでもいいわ。…まぁ、八つ当たりみたいに悪口を叩かれたら腹は立つけれど。――それで、私達が貴方達人間を贔屓する事に得する理由はあるのかしら?』


『それは、っそれ、は……』


意地悪く首を傾げるミケイラに国王は冷や汗を掻く。

そんな国王と、それまで大人しくしていたソフィーリアの目があった。




『ソフィーリア様を私の息子、王太子の妻に迎え入れます!』



それを口にした瞬間、国王の首が地に落ちた。騒ぎ、泣き出す人間達だが、当然逃げ場はない。



『……やはり人間など絶滅したほうが良い』


『本当にソフィーリアから知恵を授かったの?何の恩恵も受けてない他の生物の方がずっとマシ。女神を妻に、なんて烏滸がましいにも程があるわ。ましてやそれをこっちの利益であるとばかりに話すだなんて……ああ、私としたことが醜いものを生み出したものだわ』


巨大な剣を頭上から振り落として国王の首を跳ねたケイベルは歯軋りし、それまで笑みを浮かべていたミケイラも無表情で国王の首を見下ろした。

そんな国王の首がゆっくりと宙に浮く。そして誘われるように胴体にくっつき……次の瞬間国王は激しく噎せ込みながら息を吹き返した。


『ケイベル兄様、私を思ってくださるのは嬉しいですが……』


『あーあ、治しちゃった。本当に優しいんだから』


『そんな風に甘やかすからこんな馬鹿な事を言われるんだぞ』



二柱は今しがた侮辱とも取れる発言をした人間を蘇生した妹に対してため息を吐く。息を吹き返した国王は唯一慈悲深い態度を取るソフィーリアに目を輝かせた。



『ソフィーリア様!どうか我が国で心置きなく優雅にお過ごしください!他の神々も是非!』


『貴様……』


『ケイベル、次は微塵切りにしちゃいなさい』


『大丈夫ですから。……せっかくだけれど、私はそのようなことを望まないわ、そんなことより……』


『っくく、』



血の気の多い兄姉を宥めつつ交渉を断ろうとするソフィーリアだが、それまで黙っていた主神の笑い声に神々は押し黙る。



『あっはっはっはっ!ふは、ふはははっ!!』


『……ディアールお兄様?』


『あー……これは、お兄様の悪い癖ね』


『最悪だ……』



戸惑うソフィーリア、何かを察したのか遠い目をするミケイラ、そして表情を歪めるケイベルをよそに大声で笑い続けるディアールは、涙の浮かんだ目を擦りながらこう言った。



『いやはや、まさか人間がこんなに愚かになっているとはな……よし、では賭けをしようではないか!』


『か、賭け、でございますか?』


『我々は人に化ける。そしてお前たちからここでの記憶を消し、その状態で我々を手厚く扱いソフィーリアと王太子の結婚に漕ぎ着けることができればそちらの勝ちだ。魔力も取り上げん』


『それは……』


『なぁに、そちらで言う信仰心があれば忘れはせんよ。実際千年ほど前にここに来た人間は記憶を奪っても信仰心だけで思い出したこともあったからな』


記憶を消されるという単語に自信を無くす国王に、ディアールは明るく話し続ける。その生き生きとした様に人間達は油断し、反対に兄弟たちは警戒の色を濃くした。



『神との子をもうければその国は未来永劫安泰だぞ』


とどめの言葉はきっとそれだったのだろう。

国王は恍惚とした表情で『承ります』と口にした。そしてその隣にいる国王の息子と思われる青年は顔を赤くしてソフィーリアを見つめ生唾を飲み込む。先程父親の首が撥ねられて叫んでいたのが嘘のようだ。



『おい、あの小僧……まさかソフィーリアと交わることができると思っているのか?』


『……でしょうね。神が乗り気ならまだしも、恩恵として子を作るためにそんな馬鹿馬鹿しい真似するわけないというのに』


『やはり殺そう』


『お兄様に怒られるわよ、今はだめ。……今はね』


『ですからお二人とも、私は大丈夫ですから……』



不穏な会話を続ける兄弟にソフィーリアは苦笑をうかべつつもひっそりとため息を吐いた。

……斯くして、神と人間達との賭けは始まった。とはいえ、神々はこれが本当に賭けになるとは思っていない。

人間達の愚かな茶番劇が見たいという、主神の悪趣味に付き合っているだけだ。






「思い出したか?」



その声によって意識を現実に強引に引き戻され、顔を青白くさせた王太子は震えながら神々を見上げる。

目を虚ろにさせながら固まっている者、叫び声を上げ続ける者、ひたすら謝罪と祈りを口にしながら失禁している者が目に入ったが、最早そんなことはどうでも良かった。



ああ、そうだ。


ソフィー•クレスなんて娘はどこにもいない。

クレス伯爵家が国に何の貢献もしていないのも当然のことだ。

神が人間に対して身を粉にし尽くすわけがない。そして神々が人間に仕えるはずがないのだ。






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