目的は
目的は 2
スラム街に入り、北進する事半日。
城壁の角が見える所まで歩いて来たのは初めてだった。
「いやー朝から道案内までしてくれて、ありがとな!」
「練習用にって、仲間の孤児が連れて行かれた事がある。
浮浪児のキミが尋ねた所で、間違いなく殺されるだけだと思うよ……だってここ! スラムで一番危険な地域だから!!」
「あ、仕事の時間大丈夫か? 大丈夫か。無職だから浮浪児やってんだもんな」
「話聞いてる!?」
どうなっても知らないからなー! と捨て台詞を吐きながら浮浪児先輩は元の東側に走って行った。
「さてさてふむふむ」
石造りの街並みが溢れるロードバンだが、スラム街はその限りではなく、殆どは打ち崩された廃墟や、木で作られた仮宿のような建物が殆どだ。
しかし、浮浪児先輩が一番危険な地域だと言った、この最北東の区画は割と綺麗な石造りの建物が多く存在している。
そして、浮浪児先輩が案内してくれた建物は、というと。
スラムの建物には珍しい庭付きの2階建て。
石積の頑健そうな造りだが、火災でもあったのか全体的に煤けている。木窓は破れ、両開きのドアは片方が壊れて開け放たれたまま。特に印象的なのは、玄関と敷地の門にこれでもかと塗りたくられた、紅黒い染み。
「あっれーのろわれてるぅ?」
おどけたリアクションを取ってみたが、事実は変わらない。
強くなりたいと心の底から願ったけれど、早死にしたいわけではない。
「やっぱ引き返すか?」
命あっての物種というし、ここは引き返すべきだろうか。
しかし、引き返してどうなる?
今までと同じ生活を続けて、一体何が変わる?
その先にあるのは、弱者としての死だけじゃないのか。
「無理だと思ったら、すぐに逃げよう」
幸い、日々のコソドロ稼業で逃げ足は成長してきたように思う。……なぜか、ハゲタトゥーのチンピラから逃げ切れた事だけは無いが。
膝が笑いだしてしまうが、仕方がない。
両拳で太ももを叩いて気合を入れる。
「うし、いくぞ。弱い俺なんて無視だ無視」
庭を通り抜けて建物の中に顔を入れた第一印象は、くさい。だった。
建物の中はとても修練場というような雰囲気ではなく、酒場のような作りになっていて、縦横30mほどの部屋には、カウンターと立派な酒棚、広いフロアには4人かけのソファーが2つ。
中にいたのは、3人。
1人はカウンターの中に立ってグラスを磨いている髪も肌も服も黒い、黒ずくめの男。
1人はソファーに座ってタバコの煙を燻らせる金髪で白い服を着た優男。
そして、ソファーに寝転がる、上半身裸の爺さん。
視線が俺に集中する。
冷汗が背中を伝う。
「なんだ小僧」
口を開いたのは横になったままの爺さんだった。
顔に大きな裂傷が縦に3本。左目は恐らく見えてない。
見るからに一番大物風の人物が話しかけて来たことに驚きながら、素直に答える事にする。
「浮浪児先輩に戦闘技術修練場がここにあるって聞いたんだけど」
「ほー……、今時の浮浪児は先輩後輩あんのか」
むくりと身体を起こした爺さんは、身長2mを超える筋骨隆々の巨躯だった。全身に刀傷や槍傷、火傷痕が残っていて、真っ当な人生を送っていない事が一目で分かる。
「そういやぁ、前に闘神教会のやつらが認定がどうとか言ってきてたよなぁ、カイラン」
カイランと呼ばれたのは白い服を着た金髪の優男らしい。
「闘神教会が定める戦闘教育修練場の条件を満たしたって言ってましたね」
「ふぅん。おい、浮浪児の小僧。お前、ここが修練場に見えるか?」
「いや、全然見えない」
ぐわははは。と、爺さんは豪快に笑う。
「恐らくですが、闘神教会の神官が交信で得たランキングの中に、おやっさんが上位にランクインしたんじゃないですか? で、その技を俺やコウケンに伝えてるから、修練場と認められた」
「人族ランキングなんぞ前から上位だったと思うがなぁ。むしろ、技を伝えたお前らがランキング入りしたんじゃねぇか?」
「まさか、種族限定じゃなくて、統一の闘神ランキングに入ったとかありませんかね?」
「あるわけねぇだろ。伝説の英雄様じゃねえんだから」
穏やかに談笑する爺さんとカイランとかいう白いの。それを黙って見ているカウンターの黒いの。
会話の内容も、彼らが何なのかも分かららない。
「で、小僧。お前は何をしにきた?」
剣呑な目つきの爺さん。その目と視線が合うたびに、全身の肌が粟立つ。
気を抜けば腰から床に落ちそうな重圧。
腹に力を籠め、視線を逸らさずに堪える。
「強くなりたい」
「ふわっとしてんな。いつまでに、どんぐらい強くなって、その強さで何がしてえんだ?」
「……弱いから、全部失った。もう、何も失いたくない」
「ふうん」
「……」
爺さんは興味も無さそうに鼻毛をプチリ。
「1日稽古なら小銅貨1枚でつけてやるよ」
「銭貨しか持ってない」
「銭貨なら10枚だ」
コツコツとコソドロと死体運びで蓄えた全財産だが、稽古をつけてくれるという。
機会は望んで手に入る物じゃない。
ゴクリと生唾を嚥下して、腹を括った。
「お願いします」
「ふん。コウケン相手してやれ。カイラン、椅子を壁に寄せろ」
コウケンというのは、カウンターでグラスを磨いていた黒ずくめの男の事らしい。
髪も、目も、肌も黒い。
「人族?」
「人族の地図には載ってないような遥か南からここに辿り着いたんだとよ。ただ、事情があってそいつは喋れねえから、話しかけるだけ無駄だぞ」
爺さんは壁際の椅子に再び横になっている。
「殺すも壊すも簡単すぎるからな。コウケン、小僧の心を折れ。小僧は心を折られるな。好きに反撃していいからな」
目の前のコウケンはコクリと頷くと、歩み寄って来る。
「え、それだけ?!」
ヤバイっと後ろに逃げようとしたが、スルリと距離を詰められた。
パンッ! と頬に衝撃。
――叩かれた、ビンタ。
「人間は後ろ向きに走れるようには出来てねぇよ」
倒れて腰を付きそうになるのを堪えて部屋の隅へと逃げる。 頬がジンジンと痛むが、今まで喰らった暴力の中では、まるで可愛いものだ。
「袋小路に行ってどうすんだ」
爺さんの言う通りだ、と思いながら、歩み寄るコウケンから逃げるように反対側へと走ろうとしたが、大きな手に行く手を遮られた。
スルリと近づいてくる。
こんな動き、見た事ある。
パンッ! と再度衝撃。
痛い。ただ痛い。
衝撃に床を転がるが、すぐに立ち上がって距離を取るように走る。
「こんな狭い部屋で逃げ回ってても仕方ねーぞ小僧」
いちいち御尤もだけど、だからどうしろって言うんだ!
「くっそ何だよこれ!」
歩いてるだけのコウケンが、ぬるぬると距離を詰めてくる。
逃げられないように誘導されてるのは分かる。
だが、その仕組みも対策も分からない。
「あっ――!」
肩を掴まれた!
パンッ! と強烈な一撃が頬を打つ。
パンッ! パンッ! パンッ!
何度も、何度も。
衝撃が頬を打つ回数が増える度に、呼吸が荒くなってくる。
打たれる度に身体が強張り、疲れていくのだ。
でも、疲れて、痛いだけだ。
手足を振り回しても、コウケンの顔には届かない。
一方的に肩を掴まれて顔を叩かれている状況。
肩の骨が軋む。
「うっぜえ!」
「っ!!」
肩を掴む手に噛みついた。
全力で。
肉を噛み千切るつもりでやったが、その前に俺の体が宙を舞っていた。
直後、背中に走る衝撃。
(ぶん投げられた?)
背中を打つと、呼吸が出来なくなる。
この現象は、以前にも体感している。
立ち上がる事も出来ない内にコウケンは歩み寄り、再び俺を片腕で持ち上げると、そのまま床に叩きつけた。
痛い以上に呼吸が出来ないのがキツイ。
投げられた後、身体がまともに動かないまま、再度投げられるの繰返し。
ひでぇハメ技。