弱いからだよ
1章 無法都市ロードバンの浮浪児
弱いからだよ 1
ガツンと頭を鉄の棒で殴られた。
視界で火花が弾けて明滅し、膝が笑って石畳の薄汚い路地裏に崩れ落ちた。
「最近派手にやってるらしいじゃねぇかクソガキぃ?」
手のひらで鉄の棒をパンパンと音鳴らしながら、僕を見下ろしてくるのは、髪をそり上げて、側頭部にタトゥーを彫った、見るからにチンピラという風貌の若者。
「あそこの露店区画はよぉ、うちがケツモチしてるから。お前みたいなコソドロのガキがちょろちょろしてると、俺らに相談がくるわけよ。わかるぅ?」
鉄の棒が跳ね、肩を打ち据えられる。
手に持っていたカビの生えたパンが地面に落ちる。
「どうせ……捨てるゴミじゃないか……」
露店でパンを売っていた商人が、ゴミ箱に捨てたカビの生えたパンを拾って逃げた。
露店通りから歓楽街の裏道を抜け、馬車通りを横断して、スラムに繋がる路地裏に入ったところで、このチンピラに足をかけられて、すっ転んで今に至る。
「ギャハハハ! ゴミってお前、ゴミはお前だろ、ぶわぁ~か」
太ももを鉄の棒で打ち据えられ、激痛に足が跳ねる。
「なんだぴょこぴょこしちゃってよぉ、なんの踊りだそれわぁ」
笑いながら振るわれる棒は、肩を、足を打つ。
大怪我はしないけれど、痛い部分を狙って嬲ってくる。
「おい。捕まえたか」
チンピラに嬲られていると、その仲間だろう男が馬車通りの方から路地裏へと入ってきた。
太い首と広い肩。見るからに屈強そうな男だ。
「ええ。捕まえましたよアニキ。こいつどうします? 腕の一本くらい見せしめに切り飛ばしておきますか?」
アニキと呼ばれた男は、僕の横に落ちたカビの生えたパンを拾い上げると、カビが生えた部分だけを僕に放り、残りを手の中で潰して排水路に捨てた。
「阿呆かよ。こいつらみてーなクソガキがいるから、俺らに仕事が回ってくるのよ。平和な街じゃ、俺らの仕事はねーだろ」
「なるほど流石っすねアニキ。じゃあ、こいつらはしっかりコソドロして、俺らに捕まってボコられる仕事をして貰わないといけねえ」
ゲラゲラとチンピラが笑う。
「いくぞ。クソガキはそいつだけじゃねえんだ」
「へい。……命拾いしたな。ガキィ!」
去り際に強烈な一撃が背中を打つ。
息が詰まり、呼吸が止まる。
「そうそう、明日は俺ら休みの予定だから、明日は悪さすんじゃねーぞ」
路地裏に一人取り残され、残ったカビの生えたパンを見る。
『弱いからだよ』
脳裏を駆ける、あの日、ファナティが僕に告げた言葉。
弱いから、力が無いから。
だから、この手には何も残らないのか……。
あの日、ファナティは残った村人を狩りつくしてから、迎えに来た他の獣人族と協力して、死体を持って去って行った。
「僕も、ヴィーネも、……殺すのか?」
「狩られた獲物を横取りする趣味はないかなー」
ボロボロになって縄で縛られている僕は、彼女の眼にはすでに狩られた獲物に映ったのだろう。
……そう、獲物に。
その日の夜。
縛られ転がされたままの僕たちの元に、20人ほどのガラの悪い男衆がやってきた。
見るからに性質の悪い連中に僕は抵抗したが、両手を縛られている状態でどうしようもなく、無骨な武器で滅多打ちにされてしまった。
そいつらがこの都市、無法都市ロードバンの連中だった。
彼らは僕とヴィーネを、このロードバンに連れてきて、ヴィーネを奴隷商に売り払った。
僕の事も売ろうとしたのだが、顔中が怪我で腫れあがっていて、呼吸も荒く高熱を出していた男の子供は買取を拒否された。
そして、僕は捨てられた。
路地裏に、本当に、ゴミのように。
路地裏の壁に縄を擦り付けて解き、僕は縺れる足で奴隷商を訪れた。
門前払いだった。
入店料、金貨2枚。
あるわけがない。
衛兵を探して、窮状を訴えようとした。
この街に、衛兵はいなかった。
無法都市。
その名の通り、治安のための都市機能は愚か、行政すら存在しなかった。
金を稼ぐために仕事を探したが、初等教育すら受けていない子供を雇ってくれる所は無かった。
9才の、元農家の倅。
読み書き計算、一切できない。
街を出ようとして、無法者らしき男たちに止められた。
出国料金貨20枚と。
完全に、出す気がない。
都市は、傷んではいるが高さ20mはある巨大な城壁で囲まれていて、南北にある門以外から出る事は出来ない。
両親を失った。
幼馴染の妹分であるヴィーネも守れない。
今日のご飯も寝床もない。
コソドロみたいな真似をして、食い繋ぐ事すら、難しい。
腹が鳴る、口が乾く。
カビの生えたパンの切れ端を見る。
お腹を壊して下痢になると、身体の水分がなくなる。
そんな時は水を飲みなさいと、そう教わった。
けれど、この街では水すら有料だ。
お金は無い。
けれど、食べる物が無いのも事実で。
(もう1度、露店を狙うか? いや、2度目なんて)
チンピラの面目を潰すようなものだ。
今度はそれこそ、腕の一本くらい取られかねない。
腹が鳴る。
明日、雨が降る事を願って、カビを袖で擦り、カビを僅かなパンの切れ端ごと口に放り込んだ。
翌日。
腹の調子が良くない。
とはいえ、腹に違和感がある程度で、痛くて苦しいような症状はなく、このまま路地裏で横になって1日を終えてしまおうかと考えていた。
(今日はチンピラども、休みって言ってたな)
そんな事を思い出す。
つまり、今日ならアイツらに捕まる心配が無いという事だろうか。
通りに繰り出して、物色するべきか?
都合の良い希望が首を擡げて来たが、思い直す。
(態々、休みの日を教えてくれる? なんのために?)
アイツらが僕を生かしているのは、自分たちのためだ。
休みの日を狙って、僕が好き放題に蓄えたとして、どうだ。
そんなやつ、生かしておく必要があるか?
「ーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
路地裏に走ってくる人の気配を感じて、とっさに日の届かない陰に身を隠す。
走って来たのは子供だ。
僕と同じ年くらいで、両手に果物を持っている。
薄汚れた服で、靴を履いておらず、顔も髪も汚れている。
僕と同じように、路地裏暮らしの少年なのかもしれない。
「手間かけさせんじゃねぇよクソが!!」
頭にタトゥーを入れた昨日のチンピラが子供に追いつき、組み伏せると、猛烈な勢いで鉄の棒で子供の頭を殴り始めた。
「ゴメンナサイ! ゴメンナサイ! ヤメテ! ゴベッ?!」
「今日は休みだっつったろうがボケが! 言う事聞けねーガキを、生かしとく必要なんてねーんだよクソが!!」
本気だ。
明確な殺意を持って、チンピラは子供の頭を殴っている。
「はぁ、はぁ、はぁ……。へっ。舐めた真似しやがるから、こういう目に会うんだよ」
チンピラが立ち上がる。
その足元には、頭の中をぶち撒けた子供。
両手で口を押えて、悲鳴が漏れないように堪える。
巻き添えなんて、真っ平ごめんだ。
「おい。ガキ、お前はあっちのガキとグルか?」
気付かなかった。
すぐ背後、反対側のスラムから来たのだろう。
僕の背後に、アニキと呼ばれていた男が立っていた。
感情の無い、無機質な眼で、僕を見下ろして。