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プロローグ 少年だった日


 プロローグ  少年だった日 1



 作りかけの防壁に囲まれた開拓村。

 防壁近くの畑で農作業を終えた後、いつも通り疲れた足を用水路の水に遊ばせて冷やかさを感じていた昼過ぎ、僕は彼女と出会った。


「ねぇねぇ、なにしてるの?」


 紫瞳の猫目が可愛らしい、クセっ毛黒髪の女の子だった。

 年の頃は、同じくらいに見えるから、9才前後だろう。


「あー……なんだろな?」


 靴を履いていない彼女を見て、農奴の子に、こんな子いたかな? と思ったのも束の間、ボンヤリとしていた頭に氷柱を突き刺されるような怖気が込み上げてくる。


「お水、やじゃないの?」

「あ……あぁ、……ああ、全然、全然嫌じゃないよ」

「? そなんだ。人族変わってるねー」


 俺を見て人族と呼んだ通り、彼女の頭には獣の耳。

 小首を傾げるに併せて揺れる黒い艶やかな尻尾。


 心臓がバクバクと音立てて、ここから逃げろと心が叫ぶ。

 心地よかった水に浸した足先から、全身の熱が奪われて、背骨が引き攣るような錯覚。


「君は、その、何しにここへ?」


 おそるおそる、相手の顔色を窺うように尋ねれば、こちらの恐怖など素知らぬ可愛らしい笑顔。


「人族、見てみたかったんだぁ~」


 人族生存圏の最南端にある開拓村は、大草原と呼ばれる場所に建設されている最中だ。


 当然、気をつけるべき存在というものは、大人から子供まで全員に口酸っぱく言い含められている。


 その中でも、魔獣よりも遥かに恐れられる存在。


 見かけたら逃げろ。

 眼が会ったら、死んだと思って周りを逃がせ。

 

 この第12番開拓村が、過去33回の入植失敗を起こしている、最大の原因。


 人族の最大敵として、幼少から教えられる存在。

 決して人族では敵わぬ、圧倒的な戦力を有した脅威。


 魔獣、鬼人族、精霊人族、魔人族と並んで語られる、人族にとっての恐怖の象徴の一つ、


「えへへ。あたしはファナティ。豹種獣人族モッディ氏族の娘、ファナティ・モッディだよ。よろしくね?」


 傾きかけた日で白い頬を朱に染めるのは、年の頃にして7才前後に見える、可愛らしい、


「ねえ、きみの名前も、おしえてほしいな?」


 獣人族の、少女だった――





 それから、毎日毎日、ファナティは仕事終わりの俺の元を訪ねて来るようになった。

 どうやら防壁を作っている大人たちや、農作業をしている人たちには見つかっていないようである。

 本人いわく、忍び足は得意技。という事らしい。


 見つかったら大騒ぎになるのだろうが、相手は子供だし、この開拓村の人族に危害を加えるような様子も無い。


 昼過ぎにやって来て、おしゃべりしたり、土遊びをしたりして、日が暮れる前に帰っていく。


 最初は恐怖から呼吸すらままならなかったが、それもファナティの気さくな態度や、幼い仕草を見ているうちに、段々と薄れてきた。


 ファナティは、好奇心旺盛で、元気なだけの、ただの少女だった。

 そんな少女を咎めるのは憚られ、俺自身も家族に少女の存在を告げずに隠していた。


 ぷれぜんと! とファナティが持って来てくれた袋いっぱいの木の実。一粒食べてみると緑の味に混じって微かな甘味。彼女にとっては特別なデザートなのかもしれない。


 尋ねれば、彼女の集落の近くに生えていて、その場所は彼女の秘密らしい。


 ファナティは、僕の知らない事を知っていて、僕はファナティの知らない事を知っていた。

 

 だから、一緒に過ごせる時間を、楽しみにすらしていた。


「明日、僕仕事休みでさ。良かったら、その……一緒に遊ばないか?」


 毎日遊んでいるのだが、何となく、もっと一緒にいたいと思ったのだ。しかし、気恥ずかしく思いながらファナティを横目に見ると、彼女は本当に申し訳なさそうに謝った。


「明日はね、氏族長が狩りの練習に連れて行ってくれる日なの。あたしはまだ狩りをしたことなくて、出来ないと一人前と認められないし、楽しみにしてたから、そのね」


「あ、あぁ、いや。いいよ。急に誘った僕が悪いんだ。もっと前以て打診するべきだった」


 それに、休みは明日だけじゃない。

 そのうち、日が会うときに遊ぼう。


 そんな、曖昧な約束をした。

 それが、叶わない約束と知るはずもなく……。





 石を叩いたような音が頭蓋骨を響き渡り、明滅する視界がぐるぐる回って、背中から家の柱に叩きつけられた。


 鼻からツンと上がる鉄の味。響く耳鳴り。顎が噛み合わず、貧乏ゆすりしているみたいに震える。


 殴られた――そう思った瞬間、涙が溢れてきた。


 

 建付けが悪くなってきた玄関の木戸を軋ませて、玄関土間を進んでいけば、居室から出てきた父さんに突然殴られた。


 殴られる直前に見た父さんは、顔を真っ赤にして、眼を血走らせ、明らかに尋常の雰囲気ではなかった。


「ステインっ! お前、最近遅く帰ってくるのは、ヴィーネと遊んでいるからだと、そう言っていただろう?!」


 怒声に滲む視界を開けば、憤怒の貌で見下ろす父さんの足元に、ヴィーネがいるのが見えた。


 ヴィーネは僕たち家族と一緒に開拓村へとやって来た農奴の子で、僕よりも3才年下の6才。兄さまと慕ってくれる、気は弱いが優しく大人しい子だ。


 どうやら、「獣人族の娘――ファナティと遊んでいると言ったら、怒られるに違いない」そう思って僕が吐いた、「ヴィーネと遊んでいる」という嘘が、露呈したのだろう。


 嘘はいけない事だと、何度も教えられて来たけれど、だからと言って力いっぱい殴るほどの事だろうか。


 悔しさと怒りと激しい痛み。

 涙と一緒に垂れてくる鼻水をすすりながら、恐い父さんの顔を見返す。


 怒り過ぎて、唇が震えている。

 部屋の奥には母さんがいて、顔を真っ青にして震えている。 ヴィーネは両手で顔を覆って泣いている。


 これは、バレたのだろう。


「ステイン……、ステイン! 

 俺の息子よ、教えてくれ。本当の事を教えてくれ!

 決して嘘を吐いてはいけない!

 ここで嘘を吐いたら、俺とお前はもう親子ではない!」


 真剣に、怒りを抑え、冷静さを思い出すかのように語られる父さんの言葉、語調、その意味。


「ステイン……、お前は、誰と……『ナニ』と遊んでいた?」


「……ぞく」


「お前……」


「獣人族の……女の子だ」



「こ、このっ! お前、この、人族の裏切りモノガァアアア!」


 視界が横にズレた。


 殴り倒されたと気付いた時には、父さんが馬乗りになって、拳を振り上げていて、「ヤメテッ!!」響く母さんの悲鳴もお構いなしに、それは叩きつけられた。


 ――殺される――


 がつん!がつん!と叩きつけられる父さんの拳。

 その度に衝撃で頭は跳ね、土間と拳で何度も何度も打ち叩かれる。


 助けて、やめて、お願いだから、ごめんなさい。


「うるせえ! 馬鹿が! 馬鹿が! 大馬鹿が!」


 痛みよりも恐怖が勝つ。

 視界は狭く、身体は固く、涙と嗚咽とヤメテだけが溢れだす。

「ステインッ!!

 お前は死ぬしかないんだよもう! 

 俺がお前を殺して、一緒に死んでやるから! 

 だから、死んでくれ!!」


 視界が霞み、鼓動は際限なく加速して、顔だけは守ろうと上げた腕を、大人の力任せで何度も何度も叩かれて、腕がズレれば鼻を、口を、頭を殴られる。


 顔中に刺さるような痛みを感じながら、タスケテ、ヤメテ、そんな言葉を繰り返しているうちに、騒ぎを聞きつけたのだろう、近所の人たちに父さんは取り押さえられた。


 解放された僕は、恐怖に怯え、身を横にして身体を縮め、震えながら、堪えきれない嗚咽を漏らす事しか出来なかった。




 正直、理不尽に殺されかけたと思う。

 この感情の矛先を父さんに向ける勇気もなく、濡れた手ぬぐいで顔を拭いてくれているヴィーネを八つ当たりで殴ってしまいたいとすら思う。


 父さんは村の人たちに囲まれて、土下座していた。

 僕への暴行を謝っているわけじゃない。

 

 僕がファナティと――獣人族と会っていた事を謝っている。


「最悪だ。いつからだ? なんでもっと早く言わなかった」

「今から全員で避難する時間はあるのか?」

「クルン王国城塞都市まで、大人の足でも2日はかかる。獣人族なら、あっという間に追い付いてしまうだろうな」


 一体、僕が何をしたというのだ。

 獣人族は、人族にとって危険な生き物だ? そんな事は知ってる。何度も聞いた。分かってる。

 

 でも、相手はファナティだ。

 危険な獣人族なんかじゃなく、ただの可愛らしい、女の子だ。 村の大人たちは、『獣人族』という言葉で括って、ファナティという女の子を誤解しているのだろう。


「なあ、ステインくん。獣人族の子は、明日も来るのか?」

 

 隣の畑を管理してるおじさんは、僕の方に話を振った。


 口が痛くいし、涙は止まらないし、鼻もすすりっ放し。

 喋りたくなくて、小刻みに首を横に振って答えた。


「逃げるなら明日か?」

「あぁ、すぐにでも荷物を纏めて、早朝に」

「まてまて、なんで明日は来ないんだ?」

「なんでってなんだ」

「だって、ここんとこ毎日帰りが遅かったってさっき」

「じゃあなんで明日は来ないんだよ」

「知らねぇよ。そりゃあ、来ない日くらい」


 大人たちの声がうるさい。

 頭がガンガンと騒ぎ立て、痛くて、苦しくて、気持ち悪いのに。

「……ステインくん? 明日来ないのは、相手の獣人が言ったのかい? そう……ちなみに、理由は?」


「明日は……狩りの練習だって」


 大人たちの、喧騒が止んだ。

 空気が変わったのが、俯いたままでも分かる。


 何か、致命的に決定的な何かが起きた。

 そんな違和感。


 顔を上げると……、見慣れたおじさんの顔が、怒りと、恐怖と、悲しみをブレンドして、絶望色に染めたような、そんな、見た事の無い顔をしていて――、


「クソがぁあああっ!!」


 何度も遊んでもらった事がある、村の若い兄さんに木の棒で頭を殴られて、僕は意識を失った。






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