リングトーンは君の声
1.
今年も日暮れを迎える——。
パトリック国王の命により、ブレイクとオーウェンは年末を都市から離れて過ごすこととなった。
理由は簡単、またいつもの「ご乱心」だ。ブレイクが彼の実父である自身に対して謀反を企てている、そうリューク国王が思い込み、ブレイクを廃嫡しようとしたのだ。だがこの1ヶ月前には毒を盛ったと、さらに数ヶ月前には兵を養成したと、ことある毎に騒ぎ立てている。そのためかパトリック国王の対応には、もとい彼から見て兄の「おもり」にはスピーディーさがあった。
スプレンダーのナイトフォードからクレスティアのレットルプールへ、車で約2時間半の道のり。
ナイトフォード宮殿から出てすぐには群がる群衆へ手を振ったり会釈したりと忙しかったが、ものの数十分で人々は消え、車は田園風景に包まれた。
都市から田園へ、森へ、そして森を通り抜けるとまた都市へ。
「今回は信じられないほど静かだ。まるで人々が俺らを忘れたかのように」ブレイクはそう、オーウェンに語りかけていた。
車内でパトリック国王から贈られたいくつかのお菓子を食べ比べるうち、景色は3、4回ほど入れ替わりを繰り返していた。
もう間も無くレットルプールの旧城門が見えてくる。新たな年は、どうやらここから始まるらしい。
「殿下方、もう間も無く宮殿に到着いたします」旧城門を過ぎたあたりで使用人のマルクがそう声をかけた。
ちょうど小高い丘を走っているせいか、窓からは市街地中央に位置する森が見えた。数ヶ月前に来た時には紅葉の少し前で落胆したが、今回は見事な雪化粧だ。とはいえ路面にはさほど雪が積もっておらず、ただただ景色を楽しむことができる。
前のように森を散歩するのもいいが、今時期なら市場も盛り上がっているだろうな。そうだ、ルナドゥボートの本店があるはずだからお母様にプレゼントしよう。それにあそこのオリジナルブレンドはお兄様が大好きなやつだから、お茶もしたいな。
森のすぐ近く、クレスティア川を越えた向かい側ではガラスのアーケードが光を反射して輝いている。
「お兄様、市場に行かない? クリスマスは過ぎたけど、まだイルミネーションとかはやっているはずだよ」
振り返ると、お兄様はティーポットとカップにお湯を注ぎながら頷いてくれた。
「白湯でも飲むの?」
「いや、こうした方が茶渋が付きにくいんだ」
そう言って入れたばかりのお湯をそばの容器に捨て、白い布で水分を拭き取って箱に戻した。
少しの間見つめていたが、僕の手は思い出したかのように手伝いを始めていた。
その間にも車は進み続け、森の中へ侵入したかと思うといつの間にか宮殿の前に停車していた。
止まってすぐにマルクが降り、その隙に少しだけ風が流れ込んできた。少し松の香りがする、冬の風だ。
「到着いたしました」
先に降りていたマルクが外からドアを開けてくれた。
「先に降りていいよ」という声に従い先に車外へ出ると、肌寒い風がコートの裾から吹き上がってきた。
思わず身震いしてしまう一方、お兄様は似た姿勢でティーセットの入った箱を抱き抱えていた。
「足元にお気をつけください」
マルクの先導で、僕らは宮殿に足を踏み入れた。
2.
「コートはこちらでよろしいでしょうか」マルクの腕には2着のコートがかけられていた。
「うん。ありがとうマルク」
手を伸ばして受け取ろうとすると、先にお兄様が2着とも持っていってしまった。
「オーウェン、右手を」
「え? ——えぇ」
右腕を少し広げるとコートの袖が通され、肩にかけられた。動揺しながら左手も広げ、まんまとお兄様に着せられていた。
「自分で着れるのに」
「いいんだ。それとも、俺は嫌か?」
「え? そんなことないよ」
「ならいいだろう」
目の前ではマルクが笑みを浮かべている。
「マルク!」
「……こっち向いて」なんと袖を通すだけに止まらず、ボタンまで閉めてくれた。
なんだか申し訳なくなってくる。もしくは——恥ずかしい? そんな感情を感じている気がする。と同時になんだか悔しくも感じたので、僕からも些細な感謝と仕返しをすることにした。
「お兄ちゃん、貸して」
「へ?!」お兄様は明らかに動揺している。
その隙に、持っていたコートを奪ってお兄様の手を取った。
「さ、早く右手出して」
「あぁ——」
悔しそうな嬉しそうな、そんな表情を見せた。コートを着せながら、胸の中では盛大にガッツポーズを決めたのは言うまでもない。
コート争奪戦の後、僕らはマルクには宮殿に居るよう言いつけて2人で街に繰り出した。
12月末の夕方。街灯には既に灯りが灯り、それに負けじとイルミネーションが煌々と輝いている。
道端にはカップルだったり家族だったりが紙袋を抱えている。時々魔法使いがショーを行なっていたり、キャラメルの香りが漂ってきたり、チョコレート細工があったかと思えば雪像もある。もちろん、雪像の上では魔法の雲が雪を降らせている。
「あっお兄様、クレープだ!」
道端のガラスの向こうではクレープを焼いている。
ヘラは円を描き、生地を伸ばしていく。あっという間に乾いて狐色に染まったかと思えば、すかさず端をつまみ、隣の皿に移した。待っていたのは生クリーム。星型の切り口から溢れる真っ白な雪、宝石のように輝くフルーツ。チョコを振りかけ左右をふんわりと中央に寄せると、あっという間にクレープの完成だ。
できたクレープは横の窓口からお客さんに手渡された。
「どうしたの?」鏡に映るお兄様は僕を見つめていた。
「いや」
取り留めのない会話がなんとも心地よい。繋いだ手はとても暖かくて、他には何も要らないとさえ口走りそうになる。
「あった、ルナドゥボートだ!」もう一方の手で少し先の看板を指し示した。
「思いの外小さいんだなぁ」
周囲がレンガ調の大きな建物であるのに対し、ここはその間に挟まる小さな白い店だ。聞いた話ではパーティー会場のように広いとのことだったが、誇張していたのか? ともかく、目的地へ歩を進めた。
疑いつつドアを押し開くと、軽いベルの音に見合わない壮大な空間が広がっていた。
おそらく魔法で広げているのだろうが、そこはまるで舞踏会のホールのようだった。大きなシャンデリアがいくつの天井からぶら下がり、吹き抜けの階下には図書館のような棚が立ち並びんでいる。その間で店員が紅茶をブレンドしていたりするあたり、きっと立ち入ることはできないのだろう。ちょうど先程見たクレープ屋のごとく、ショー形式のようだ。
「お兄様、これって……」
お兄様は黙ったまま、ただ強く手を握りしめている。
普段と似た階段を下ると、上から見るのとは違って温かな喫茶店スペースになっていた。
「いらっしゃいませ——殿下!?」
店員は驚いて壁際に退いてしまった。さらに、その言葉に反応したのか周囲のお客さんを何人か立ち上がらせてしまった。
どうしたものかと思う暇もなく、お兄様が僕を庇うように前へ出た。
「皆さん、どうか席について。私たちはただ、皆さんと同じようにここの紅茶を楽しみに来ただけです」物腰柔らかな声が響いた。
「席は空いていますか?」今度は先程の店員に向かって話しかけている。
「えぇ——もちろんです殿下」
背を丸め、頭を低くし、震えた手で個室へ案内してくれた。
「大丈夫ですよ。取って食おうなどとは微塵も考えていません」
——お兄様は作り笑いをしている。
ふとそんなふうに感じた。ここに来たのは楽しんでもらうためで、気を遣わせるためじゃない。久しぶりの外遊で、すっかり基本を失念していた。
「お兄様、出よう」店員が個室を出た瞬間に、小声で囁きかけた。
「嫌だったか?」
「いや……。ただ、お兄様が——辛いかなって」
「気にするな」青色の瞳が僕を覗き込んだ。
「オーウェンとの2人だけの時間。少し面倒でも、俺はオーウェンが望むことをしたい」
優しい笑みに曇りはなかった。
「そうだ、何か贈り物をしよう」
話題を変えるためか、急にそんなことを言い出した。
「ぬいぐるみはこの前あげたから——ナイフなんてどうかな?」
ナイフ? 一瞬そう思ったが、すぐにその意味が飲み込めた。愛する人に、自身の致命傷となるものを贈る文化が中央界にはある。お兄様はそれを意識したんだろうと。
「うん。楽しみにしてる」
この場にいることを迷いながらも、手はメニューを開いていた。
モンブランやショートケーキはもちろん、中には季節限定のガレット・デ・ロワまである。その右ページには小さな字で紅茶のブレンド名とその雰囲気がびっしり。
「オーウェンはどれにする?」
「えっと——」ふと腕時計に目をやった。針は4時の少し下を指している。
「じゃあこれがいい」ケーキセットを指さした。
好きなケーキがひとつと、好きな紅茶が1杯。もちろん、おかわりは自由だ。
「お兄様は?」
「俺も同じのにしよう」
店員が来るまでの間、他のページを物色していた。クロックムッシュから溢れる美味しそうなチーズ。湯気が沸き立つチョコスフレ。パスタのページは一種の暴力だ。
「何か買って帰るか?」表情に出ていたのか、お兄様に笑い混じりにそんなことを言われてしまった。
そうしている間に店員が伝票を取りに来たが、先程のお詫び言ってクッキーをサービスしてくれた。
「よかったなオーウェン」
といいつつもお兄様が先にクッキーへ手をつけていた。それが少しおかしくて、笑いが込み上げてきた。
「文句でもあるのか?」
「いや——フフッ」
「あるみたいだな」
クッキーを1枚手に取り、無理矢理僕の口元へ持ってきた。開けてもいない唇へ押し付け、実にご満悦の様子だ。
3.
紅茶に舌鼓を打ち、ガレット・デ・ロワから出てきた人形を危うく飲み込みそうにはなりながらも、楽しい時間を過ごした。
その後はナイフショップに寄ったりお母様へのお土産を買ったりとしたが、ずっと手は握ったままだった。
先程は子供が多く見えたが、今はほとんど見えない。それどころか人通りもまばらになっている。
お兄様は少しつまらなそうだったが、僕はお兄様が余計に気を使う心配がなくて心底安心している。なにせさっきルナドゥボートに入るまでも、目があった人にはそこはかとなく会釈をしたり手を振ったりとしていた。けれど今はそんな様子はほとんど見えない。それが何より嬉しかった。
そうしているうち、時計は12時を指そうとしている。
「マルク、怒ってないかな……」
「礼拝堂から入ろっか」お兄様が僕の手を引いた。
正面玄関から左に大きく周ると、石レンガ調の重厚な礼拝堂が見えてきた。
「そういえば今日、大晦日なんだね」
以前は静まりかえっていた柵の外の道路に車が何台も走っている。それに加え、人々も同じ方向へ向かっている。目的地はきっと教会だろう。
「オーウェン。いろいろと気苦労をかけたな」
礼拝堂の扉が開いた。だが中は真っ暗で、蝋燭の1本も立っていない。
「座ろう」
いくつもの紙袋を置き、お兄様は長椅子に腰掛けた。部屋に行けばいいのにと思いながらその隣へ腰を下ろすと、急に肩を抱かれた。
「お兄様?!」
「黙ってろ」
——遥か遠くから車のエンジン音が聞こえる。風が窓に当たる音も。
「——俺のせいだ」
細い声が宙を舞った。
「俺が、——俺がうまく立ち回っていれば……」肩を抱く手に力が入った。
「ごめんな——」
何度目だろうか。毎度のごとく難を逃れ、行き着いた先でこのように涙を吐露するお兄様を眺めるのは。
だが今日は様子がおかしかった。
紙袋を漁り、ある箱を選び出して封を切った。ラッピング用の紐を床に落とすが、そんなのはお構いなしのようだ。
「オーウェン、これをお前にやる。使いどきは……今だ」
振り返り手渡されたのは真っ赤な鉱石ナイフだった。
これを使う? つまりは——
「——殺せってこと?」
お兄様は静かに頷いた。
ナイフを差し出す手は明らかに震えている。
「色々と迷惑をかけた。だがもう1個だけ、迷惑をかけたい」
無視しようかとも考えた。だがそれを打ち砕くかのごとく、お兄様は自分の首へナイフを添えた。
「オーウェン、決めてくれ」
——この声が僕の何かを震わせた。
「いいよ。貸して」手を突き出した。
そのまま首を切ってしまうかとも思ったが、案外あっさりとお兄様はナイフを明け渡してくれた。
柄の部分も鉱石で出来ている。受け取ったナイフは氷よりも冷たく、なによりも重い。
「さ、思いっきり刺し——」
言い終わらないうちにナイフを遠くへ投げ捨てた。
驚く声とナイフが床に落ちる音が途切れ途切れで耳に響いてくる。お兄様はというと全てが終わったという顔をしているではないか。数時間前、お兄様が辛い思いをするのは嫌と言ったのは誰だったか——。
「僕がそれを望むとでも?」
お兄様はついに崩れ、椅子から落ちてしまった。ボロボロと涙を流し、されど声は全くと言っていいほど出していない。まさに虚無の涙だ。
床に座り、へたり込むお兄様を抱きしめた。だいぶ前、苦しかった時にお兄様がそうしてくれたように。
「いかないで——」
混乱したのか、お兄様は表情を変えられずにいる。
「離れないで——」
その瞬間、鐘が鳴った。年明けだ。
だがそんなのは心底どうでも良い。目の前の、まさに死のうとしている兄を救う方がよっぽど大切だ。
「——ずっとそばにいたい。僕らはそうじゃなきゃ、ずっと一緒にいなきゃダメなんだよ!」
ナイフを取りにいかないよう、強く抱きしめた。
お兄様の涙は止まることを知らない。このままではこの礼拝堂など、軽く浸水してしまいそうだ。
——鐘はまだうるさく鳴っている。
打開策を考えようとも、この鐘が邪魔で仕方ない。あまつさえ、くだらない解決方法まで思い浮かばせた。
脳内の戦乱に悩むうち、とうとうお兄様は暴れ出した。もちろん向かう先はナイフを投げた方向だ。
「だめお兄様!」
「離せ!!!」
これではまるで僕がわがままをいって抱きついているようだ。ムカつく。
振り解こうとする合間をぬってお兄様の正面に回った。目的はそう——。
「お兄様、こっち向いて!」
顔を掴んで無理矢理とも考えたが、そもそも顔にすら触れられない。
「お兄ちゃん!!!」不意にそう叫んだ。
ピタッと動きが止まった瞬間に、頬に手を伸ばして唇を狙った。
これしか手段がないが、これが確実だと思う。
柔らかな唇、驚く瞳。まじまじと目を開けキスしたのは初めてかもしれない。
深く、浅く、優しく、強く、僕ができる最善を。
「——落ち着いた?」
お兄様は再びキョトンとした顔に戻った。先程の狂気の瞳はどこにもない。もう、心配はいらないだろう。
「お兄様、ハッピーニューイヤー」
鐘はもう鳴り止んだ。
新たな年が、また始まる。