ケツにダイナマイトを射れたばかりに。
知恵とはそのような事に使う物ではない。
歯を食いしばり涙を堪える三吉の手から、ずっしりと重い発破を取り上げる。
「よいか三吉。いくら政治が腐敗しようが、これ即ち人の成す事なり。欲に塗れ、欲に溺れ、欲に沈む。こうして人類は繁栄と衰退を繰り返してきたのだ」
項垂れる三吉の肩に手を添えた。
今は力弱き若輩も、やがては大空を飛び立つ時がこよう。我々先人は、その道標と成らねばならぬ。
「しかしだ三吉。彼等から学ぶべき事が無いわけではない。彼等は政治により自らの繁栄を成し遂げた。政治には国の地盤諸共全てを覆すだけの力があるからだ。三吉、政治を学べ。目には目を、歯には歯を、政治には政治を──だ」
「先生……!」
堰を越えた涙が三吉の眼からぽつりぽつりと零れ落ちる。ちと心が痛んだ。
我が息子の道標になれなかった者として、他者に何を示せるというのか、未だにその答えは出ないが、それでも一人でも標として頼る者があるのであれば、私は教えを説こうと思うのだ。
見違えた顔付きで帰路についた三吉を見送り、部屋へと戻ると、既に日が落ちていた。
すっかり暗くなった机の上に、三吉から取り上げた発破──所謂ダイナマイトが鎮座している。
どういう訳か良からぬ企みが顔を出しては、もたれ掛かるようにずっしりと思考を支配してゆく。
「ふむ」
頷き、そして自己肯定。
案外悪くはないのでは。
腕を組み、地に足をつけてしっかりと己の存在を認知した。
「──?」
それは、いつの間にか溢れていた墨汁が染み込んでいくような、そんな取り返しの付かない鈍い痛みだった。
確かめようとするも、意識が朦朧とし、首が一切回らない。
助けを呼ぼうと口を開けるが、舌がぴりっと固まったかのように動かない。
何より此奴を抜かねばと、先程から指を向けてはいるのだが、何も掴めずに机の上からぼたぼたと万年筆や資料、知り合いから譲り受けた香が落ちてゆくばかりだ。
死の予感がした。
酒に溺れ、意識が途絶える時に近い感覚。
鈍く、そしてゆっくりと、裏でははっきりとした感覚が、終わりを迎え全てが途絶えた。
「あなた!」
私を最初に発見したのは、妻の鹿子だった。
夕げの仕度を終え、私を呼びに来た際に発見に至る。
すぐに駐在所へ駆けていったが、その前に此奴を抜いていって欲しかった。しかしその願いは伝わらなかった。
「これは一体……!?」
駐在所の横島君がやって来たのは、それから間もなくだ。二人とも息が荒く、余程慌てて駆け付けたと見えた。申し訳ない。
「御夕食になりましたので主人を呼びに来た処、このような事に……!」
「これはいかん! 事件だ!」
すまぬ横島君。これはちょっとした事故だ。出来ればあまり騒ぎを大きくしないで欲しい。
二人と、情けなく横たわる自らを眼下に見据え、私は情けない気持ちになった。
「むむ! まだ先生の御遺体が仄かに温かいぞ!? 犯人はそう遠くには行っていないのでは!?」
「そんな……!!」
泣く泣く妻に、かける言葉が無い。
先程から横島君の頭を殴ってはみるが、どうにもすり抜けてしまい未遂に終わっている。早くこの男を止めねば、大変なことになりそうだ。
「……先生!?」
皆が寝静まる時間となったが、私の部屋は賑やかであった。
泣く泣く妻に神妙な顔の横島君。そして私の家から出て行く姿を目撃されたばかり呼ばれた三吉だ。
「夕刻にお前さんが先生の御自宅から出て行くのを、隣の婦人が見ておったそうだ。何をしていた!?」
「俺はやってない!」
「嘘を申すな!! 貴様が先生の尻に発破を入れたのだろう!?」
詰め寄る横島君の頭に私の拳がすり抜けた。
私が気まぐれで尻にダイナマイトを挿したばかりに、三吉に有らぬ疑いがかけられてしまい、なんと申し訳ない事かと何度も詫びる。
「貴様の仕業で間違いないな!?」
「違います!!」
「聞けば貴様は花火工場で働いているそうだな!? この発破は花火を改造し、造ったんだな!? すぐに分かるぞ!!」
「そ、それは……」
ああ、いかん。
革命と銘打ちダイナマイトを掲げたばかりに、三吉は要らぬ疑いで濡れ衣を着せられてしまうのか。
「貴様が先生に発破を挿したのだろう!? 今ならまだ罪は軽い! 白状するのだ!!」
「違います!!」
先程から聞いていれば、横島君は死んだ殺したよりも、挿した入れたの方ば話かりではないか。そのようなどうでも良い事は捨て置いて欲しいものだ。
私は突然死で、尻の発破は気まぐれだ。それ以上でも以下でもない。
どうにかしてその事実を伝えたいが、漂う以外に何も出来ない自分がなんとも歯痒い。
「確かにこの発破は俺が作った物だ! それは認める! だけど先生を殺してはいないし、だいたい尻になんか入れてどうしようってんだい!?」
三吉の投げた質問に横島君の勢いが衰えた。妻はまだ横で泣いている。もっと人目に付く前に、早く抜いて欲しい。何卒頼む。
「一理ある。もし先生を殺めた人間が他にいるとして、其奴は何故先生の尻に発破を入れたのか……」
横島君、それは考えても無駄な行為だ。何故なら、私自身なぜあれを射れたのか、未だに納得のいく説明が出来ないからだ。
「もしかして、犯人はこの部屋ごと先生を爆破しようとしたのでは?」
三吉が呟いた。横島君がそれを聞いて私の部屋から失せ物が無いか調べ始めた。嗚呼、その辺りはあまり手を付けないでもらいたい。
「先生の机の周囲がやけに散らかっているのは、犯人と揉みあった際のものだろうか……?」
横島君が床の万年筆を拾い上げた。申し訳ない、発作の時に少し手元が覚束なかったのだ。
「犯人は先生の自宅に現れて、何かを物色していた。そこへ先生が現れて揉みあいの末に先生を殺害。そして何かを盗んだ事を隠すため、先生の尻に発破を入れた……と言うわけか?」
横島君が推測をまとめた。が、全てが間違いである。しかし発作も尻の発破も、全てが不測の事態であるが故に、その考えに行き着く事は不可能かと思えてしまった。
「駐在さん、犯人はどうして火を点けなかったのでしょうか?」
三吉が糸口を見いだした。
彼に算術や日本語を教えた事がようやく役に立つときが来たのだと、私は強く確信した。
「火が無かった……訳じゃなさそうだな」
机の隅には燭台があり、硫黄マッチが常備してある。勿論湿気ってはいない。
「導火線は? 何秒で爆破に至る?」
「概ね十秒程です」
点火してから逃げるにはやや難しい時間だが、出来ない事はなさそうだ。
「直前になって思い止まったのでしょうか?」
「……分からん」
横島君よ、もう夜も遅い。寝て起きてすっきりと頭が晴れれば『嗚呼、この畜生先生は自らの尻に発破を捻じ込む痴態の持ち主だったのだな』と、すぐに分かるはずだ。
「そもそも先生の死因は何ですか? 血も出てないですし、目立った怪我も無いようですが……」
三吉は賢い奴だ。そうだ、それでいい。
他殺説が抹消されれば、すぐに事故死だと判るだろうに。
「……事故死だと?」
「犯人が居なければそうなります」
「ならば尻の発破をどう見る? 先生が自ら尻に挿したとでも?」
「…………それは」
「先生はそのような事はせん」
普段の真面目が祟ったようだ。
横島君よ、私は君が思うほど真面目な人間ではないのだよ。誠にすまないがな。
「鹿子さん、先生がこのような事になった心当たりは御座いますか?」
「ありません。全く……。主人はとても淡泊な人でしたので……」
息子が出来て以来、妻は夜の事に難色を示すようになったので、私は終ぞ誘う事を止めた。それをそのように取られるのは心外ではあるが、妻の中では私はそのような人物に写っていたのであろう。
菓子問屋の清香に問えば私がそのような堅物では無いことはすぐに判明するだろうが、出来れば聞かないで頂きたい。死後に判明した不誠実で家族を悲しませたくはない。
「と、なると……」
誰しもが首をもたげた。
静寂が夜に頬杖を突き家人の夢に耳を傾けていると、戸が開く音がした。家人の寝姿など気に留める様子の無い、がさつな開き方だった。
「お袋、それに駐在さんまで」
「平太、お前はこんな時間まで何処を……」
握られた酒瓶を見れば、その答えは一目瞭然だった。
「親父……?」
「平太君、お父さんは夕刻に亡くなられた。事件と事故、どちらかは分からない」
尻の発破に目が行くと、平太は鼻でそれを笑った。
酒瓶の蓋を開け、ぐびりと口に含む。口の端から溢れた酒を舐め、私に目を向けた。
「なんの冗談かは知らんが、どうせ自分で挿して倒れたんだろ?」
「先生はそのような人ではない!!」
三吉が声を荒げた。荒げたが、正しいのは我が息子の方だ。誠にすまん。
「いーや、そんな奴だ」
「平太君! 御父上を侮辱するのは止めなさい!」
横島君までもが私の名誉に尽力を賭してくれているが、残念ながら私はそんな奴なのだ。
「人には偉そうな事を口にするが、心の底では酷いねっとりとした腐った悪魔の臓物のような、悪臭染みた思考が渦巻いていて、その結果がこれさ」
「平太!!」
鹿子の平手が平太の頬を捉えた。私は涙で前が見えなかった。
私は平太の事を終ぞ理解してやる事なんぞ有りもしなかったが、平太は私の事を理解していたではないか……!
人に教える立場のくせに、全くと良いほどに人間というものを理解しては居なかった。
息子よ……誠に申し訳ない。
「あばよ親父」
硫黄マッチで香に火を点ける平太。そっと私の傍へ置き、手を合わせてくれた。
「…………」
もう一本、硫黄マッチで火を点ける。二本目の香かと思いきや、それは尻の発破から伸びる導火線に添えられた。
「何をしているのだね君は!?」
「せ、先生の尻に火が……!!」
皆が驚き戸惑いと混乱を来している。
妻もが私から逃げ去って行く。
「あばよ親父! これで末代まで笑われる事はねぇな!」
息子が最期に笑いながら逃げた。
私は泣きながら成仏した。