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輝く氷塊

作者: 麦紬

 「でかしたぞ!」

 その叫びは休憩室の隅に視線を集めた。しかし、注目を集めている当人は気にすることなく、電話を続けている。

 休憩室にいる誰もが目線を元の場所に戻すと、男は受話器を置いて呟いた。

 「成功したそうだ」

 男の言葉を聞いた研究員達は、立ち上がって両腕を高く掲げる者や静かに成果を噛み締める者と様々だった。その中でひときわ喜びの表情を浮かべているのは先ほどまで電話をしていた男である。彼はこのプロジェクトの発案者でありチーフだった。

 彼は部屋にいる研究員一人一人ときつく抱き合い、白衣にたくさんのシワを作りながら部屋の中央へと向かった。

 「ついに私たちの悲願が達成したそうだ。えー、昼飯時で悪いんだが、皆で一度成果を見に行こうではないか」

 チーフの演説を聞き終えた研究員は、我先にと実験室へ向かった。

 実験室に入ると実験の成果を間近で見ようと、静かに特等席の争奪戦を始めた研究員達を遅れてきたチーフが咳払い一つで宥めた。

 実験机を取り囲んでいる研究員達をかき分け、チーフは机の前に立って、

 「では、これからスウェルジュエル実験の成果を確認する」

 と宣言し、机に置かれた駒込ピペットを手に取った。研究員達の視線はチーフの動きをなぞっている。ビーカーから精製水を吸い上げ、銀のトレーに等間隔に並べられている赤や青、緑色の蟻大の石に一滴ずつ水を垂らした。すると鮮やかな粒は雫を吸いこみ徐々に膨張していった。表面についた水分が全て浸透すると、先ほどまで一息で飛ばされそうだった粒が500円玉と同等の大きさになり、鮮やかな光を放つ宝石へと変わった。

 「成功だ」

 チーフが魔法の石とも呼べる鉱石に目をやったまま呟くと、部屋の中は拍手や歓声で溢れた。

 「成功できたのは君たちのおかげだ、ここまでついてきてくれて本当に感謝している。貴重な時間を割いてくれてありがとう」

 チーフの話が終わるとまた土砂降りのように手を叩く音が響いた。

 ひとしきり祝福の雨を降らせた研究員達が、ぞろぞろ休憩室に戻っていく中、一人だけチーフの元へ寄ってきた男がいた。

 「どうしたんだい、若林くん」

 若林は部屋を見回して、口を開いた。

 「本当にいいんですか、あのまま企業に提供、」

 チーフは手をあげて若林の言葉を静止し、歩き始めた。

 「いいじゃないか。鉱石が取れなくなったこの時代に、水さえあればどんな大きさにでもなる宝石なんて、本当に魔法じゃないか。それを売りにすればいい」

「しかし、予想では」

 「だから、」

 チーフはドアノブに手をかけたまま続けた。

 「何度も言っているが鉱石がとれない時代にこの発明がどれだけ偉大か、わかっているか。予想とのズレが生じたからなんだ?大きさなんぞ、いくらでも工夫できるだろう。それともなんだね、君は私に間違ってると言いたいのかね」

「ですが、」

 若林の声を遮るように、チーフは扉を強く閉めた。

 残された若林は魔法の石の片付けを始めた。

 

 「いやぁ、珍しいな。君から私を食事に誘うなんて」

 「先生と今日は久しぶりに話がしたいと思って」

「しかし、実に久しいな。君が学生の時分以来ではないか?こうして二人で話すのは」

「そうかもしれないですね。あの頃は色んなアドバイスをしてもらいました」

 「そうだな。君は優秀だったが、いかんせん心の方が未熟だったから、よく喝を入れてやったもんだ」

 チーフはジョッキを呷って、また口を開いた。

 「いいか、若林くん。昔から言っているが、研究者に美学や倫理は要らないんだ。必要なのは、金になるかどうか。プライドなんぞ金にならないようなものは捨てなさい」

 若林はぎこちなく頷く。

 「ところで、君も飲んだらどうだね」

 「いえ、僕は車で来てるので」

 「やはりこういうところで、君はチャンスを不意にしているんだ。君の手腕を買っている私がいなければ、今頃君はただの貧乏学者だったろうね」

 また若林は首を縦に振るしかできなかった。

 「そろそろ出ようか」

 チーフは茶色のジャケットから財布を取り出し、レジへと向かった。後ろで立っていると、車を出してくるように言われ、若林は店の前に車をつけて待っていた。

 助手席の扉を開けたチーフは鼻歌を歌いながら乗り込み、「頼むよ」と言った。

 軽自動車の中は遠く離れた世代の歌謡曲が延々と流れている。

 「あの」

 若林が口を開くと、古臭い曲は止まった。

 「先生、やっぱり僕は科学に誠実でありたいです。想定からズレたままのものを公表すると、何が起こるかわかりません。スウェルジュエルは偉大な発明です。だからこそ、慎重に、」

 「うるさい」

あまりの大声に、車はブレーキランプを光らせた。

 「何度も言っているだろう、利益を生まない矜持はいらない。民間のことなぞ、知ったことではない。なぜ君はそこまで私に楯突くのだ、君を拾ってやったこの私に」

 チーフは鼻息を荒くして何度も何度も同じことを繰り返し、まくし立てた。

 「すいません」

 若林が謝罪の言葉を口にしても、チーフの怒りは勢いを緩めない。それどころかスピードを上げ、教え子の人格を否定するようなことまで吐き出すようになった。

 昔の流行歌から打って変わって耳を塞ぎたくなるような言葉が、小さい車の中に止めどなく流れた。


 徐々に憤怒の勢いが衰え始めた頃、車は護岸沿いの道路に止まっていた。

 「ここはどこだね」

落ち着きを取り戻したチーフの言葉に、若林は何も答えず車から降り、護岸へと足を進めた。チーフも彼の背中を追うように、助手席のドアを閉めた。

 先に護岸で星を見ていた若林の隣に、チーフもあぐらをかいて座った。

 「僕は何事にも誠実でありたいんです」

 「いい心がけだ」

 チーフは海を見ながら、言葉を紡ぐ。

 「私も君と同じ齢の頃、似たようなことを思っていた。しかしだな、誠実さだけでは人は救えないのだ。科学は時に、汚れ仕事を担わなくてはいけない」

 「じゃ、科学で誰かが犠牲なっても構わないんですか。それが自分の大切な人でも」

さざなみが沈黙を埋める。

 「わかりました」

 若林は暗闇に笑顔を浮かべ立ち上がり、ズボンのポケットに手を入れた。

 「たばこかね」

 「いえ」

 「では、なんだね」

 チーフは夜の闇に目を凝らしながら、若林の動きを追う。

 若林はポケットから取り出した小さなポリ袋のジップを開けると、つられて立ったチーフのジャケットのポケットに小袋ごと滑り込ませた。

 「ありがとうございました」

 「どうしたんだ、急によそよそし、」

 何かが水に飛び込む音が聞こえたあと、必死に誰かが海面を叩く音が護岸に響いた。

 暗闇に立っている男はじっと水面を見つめている。彼は水飛沫が上がらなくなったことを確認すると、護岸を立ち去った。


 翌日二人がいた護岸には氷塊のようなダイアモンドが、朝日に抱かれそびえていた。


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