~彼方の追憶①~
視界を白く染め上げた光が収まると、俺はいつの間にか、戦場に立っていた。
だが、緊張感は無い。何故なら、俺は目の前の光景を見ているだけで、体感してはいないからだ。
この感覚には覚えがある。ピナの・・・・いや、亡霊の記憶を夢で垣間見た時の、あの感覚だ。
その証拠に、何千といる兵士たちの誰一人、俺という異物の存在に気付いた様子も無い。
そう。この光景は、セントヴァンの記憶。
奴が俺に供給している魔力を通して見せている、千年前の景色だ。
・・・・・・にしても、いきなり戦場からとはな。とは言え、亡霊が生前は“勇者”だった事を考えれば、特に不思議でも無い。
どうやら膠着状態にあるらしい戦場は、一見あまりにもアンバランスな戦力差だった。
片方の陣営は、ざっと見た限りで数千。その全てが魔族であり、セントヴァンの記憶であることを加味すれば、恐らく当時のブルガーニュの軍勢だろう。
そして、対するもう片方の陣営・・・・いや、陣営とは呼べまい。何故なら、数千の魔族に相対していたのは、たった一人の騎士なのだから。
小柄なその身に纏うのは、あまりに見覚えのある白銀の鎧。恐らく、本来は彼女が身に着ける為の物だったのだろう。
そして、その鎧兜の奥から除くのは、二つの深緑の輝き。
・・・・・間違い無い。あの騎士は、亡霊と化した千年前のピナ・ノワールだ。
だとすれば、見た目だけなら圧倒的な戦力差であるにも関わらず、膠着状態に陥っていることも頷ける。心なしか、ブルガーニュの陣営からは、腰が引けているような気配すらあるのだから。
よく見れば、戦場のそこかしこに巨大なクレーターが複数出来ている。・・・・もしかしたら、既に彼女が殲滅級魔法を何度か行使した後なのかもしれない。
彼女が俺と同等か、それ以上に“霊王の瞳”を使いこなしているのだとすれば、十分に有りうる。たかがこの程度の戦力差なら、一人でも十分だろうしな。
・・・・・・にしても、国と種族、ついでに性別も逆だが、それを差し引いても、随分と馴染みのある光景だ。
“勇者”にしても、“魔王”にしても、大きすぎる力を国が持てば、結局は“兵器”と見做され、戦場に駆り出される。
俺はまだ良い。戦場に出向くのも、一人で戦う事も、必要とは言え自分で決めて実行している事だ。
けれど、彼女はどうなんだろうか? ・・・・・・いや、そんな事は考えても仕方ない。奴にどんな事情があろうが、俺が救う相手は決まっているのだから。
・・・・と、そんな事を考えている内に、状況が動き出す。
魔族の陣営から、一人の男が前に歩み出したのだ。
単独で自分に向かって来るその不自然な動きに、白銀の騎士は僅かな動揺を見せ、身構える。
「いやぁ、これは参ったね。本当に一人で殲滅級魔法を使える人族が居るなんて。いくらうちが武闘派国家とか言われてても、これじゃ形無しだ」
飄々と、それこそ他人事の様に緊張感の無い、呑気な声音。それでいて、不思議と苛立ちを覚えることも出来ない。
その顔に浮かべた笑みはどこまでも柔らかく、交渉の為の造り笑顔にしては、余りにも親しみに溢れていた。
「さて、正直、僕としては部下を無駄死にさせるのも忍びないし、ここらで引き上げさせて貰いたいんだけど、どうかな?」
まるで友人に語り掛けるように、目の前の“勇者”という脅威へ微笑んだその男は、間違い無くつい先ほどまで俺と会話していた、セントヴァン・ギブレイだ。
あまり争いを好む性格には見えないが、やはりブルガーニュの王子である以上、戦場に出る事は避けられなかったようだ。
「・・・・・そう簡単に、帰すと思っているのか?」
対して、白銀の騎士はどこまでも冷ややかに応じる。・・・・・・どうやら、これは二人が初めて出会った時の光景のようだな。
「どうかな。けど少なくとも、君は聞いていたよりも、ずっと優しそうだ」
「っ!?」
と、そこでセントヴァンの軽口とも取れる予想外の言葉に、騎士は露骨に動揺した。・・・だが、俺は彼が何を言いたいのか、すぐに察する。
普通に考えれば、一撃で千人以上虐殺できてしまうような魔法を扱う相手を、間違っても“優しい”などとは評さないだろう。
だが、それだけの力を持っている相手が、こうして戦場で正面から対峙しているというのに、問答無用で攻撃して来ないのだ。
冷静に考えれば、何らかの意図があるのか、或いは・・・・・・殺しを忌避しているのか、という結論に行き着く。
もっとも、目の前にそれだけの力を持った相手が居て、冷静に物事の判断が出来るというのも、ある意味で化物じみた胆力だ。・・・もしくは、異常なまでに能天気なだけとも言えるが。
「君ほどの力があれば、わざわざ牽制の為に魔法を無駄撃ちする必要なんて無い筈だ。あれは、僕らの戦意を削ぐためにわざと外したんだろう?」
「ざ、戯言を! あれはただ・・・・・そう、力の差を見せつけて、絶望した所で葬り去ってやろうと思っただけだ!」
騎士は明らかな狼狽を見せつつも、その全身から凄まじい魔力光を迸らせる。・・・・・・ん? いや、だが、もしかしてこいつは・・・・・・。
「んん~? 君、もしかしてとは思ったけど・・・・・・」
「なっ!? 何を覗き込んで!? よ、寄るな!?」
と、俺がある事に気づいたタイミングで、セントヴァンも何か気になる事があるとでも言うように、騎士へぐいぐいと近づいて行く。
「・・・・・・君さ、もしかして女の子かい?」
「は!?」
は?
と、そこで奇しくも俺と騎士の反応が被った。・・・・・まあ、理由は全く別だが。
だが考えて見れば、二人の出会いはこれが初めてなのだ。それに、わざわざあんなごつい鎧を纏って戦場に来ているという事は、亡霊は正体を隠していたのだろう。セントヴァンが知らないのも無理は無い。
「な、何で分かっ・・・・は! ち、違う!? 私は、その・・・・」
「ははは。別に隠さなくたって良いじゃないか。強い女性というのも魅力的だと、僕は思うよ?」
「う、うるさい!!」
性別を見抜かれ動揺が限界に達したのか、白銀の騎士は訳も分からずと言った調子で無茶苦茶に魔力を練り上げ、目の前の青年に魔法の照準を定める。
だが、乱れていてもそれは霊王の魔力にして、全てを滅ぼす殲滅級魔法を放つ前兆。ここが戦場だと言う事を忘れそうなセントヴァンの言動で霧散していた緊張感が一気に戻り、後ろで固唾を飲んで見守っていた兵たちも、主君を守るため駆けだそうとした。
「大丈夫だ。下がれ」
「「「っ・・・・・!」」」
が、その主君が鋭い言葉と共に手で彼らを制すると、数千の軍勢は一瞬にしてその身から放つ殺気を収め、その場に待機する。
「どういうつもりだ!?」
「なに。少しからかい過ぎたようだから、悪かったと思ってね。お詫びと言っては何だが、その魔法、僕一人に向けて本気で撃ってみると良い」
「貴様・・・死ぬ気か?」
「まさか。ちょっとした遊びだよ。それに・・・・・たった今、心残りも出来たしね」
「くっ!? ・・・・・・良いだろう。指揮官の貴様が死ねば、どの道この戦争も終わりだ!!!」
半ばやけくその様な勢いで、騎士は練り上げた膨大な魔力を精霊に注ぎ込み、魔法を発動した。
「『ノア・アグニ!!』」
精霊によって生み出されたのは、マグマの大蛇。その灼熱の巨体は、触れるだけで何もかもを溶かし、呑み込まれれば跡形も無く消え去る事は必定。
だが、その大蛇が大顎を開けて目の前に迫っても、彼は微笑みを絶やさなかった。
そして・・・・・・。
「な、んで・・・?」
それまでの勢いが嘘のように、白銀の騎士は呆けた声を出した。
その光景は、余りにも衝撃的だったのだ。
セントヴァンがマグマの大蛇に呑み込まれた、その瞬間、大蛇の方が跡形も無く消え去ったのだ。
見かけの現象としては、俺が“時の精霊クロノス”を介して使う巻き戻しの魔法、『ノア・レヴォイア』に酷似しているが、実際に起こった事は完全に別物だ。
『ノア・レヴォイア』は、任意の対象の時間を巻き戻す。魔法に対して行使する場合には、その根源たる魔力にまで回帰させ、霧散させる。
だが、セントヴァンを呑み込んだマグマの大蛇は、魔力の残滓すら残さず、文字通り跡形も無く消え去った。
「いやぁ! やはり殲滅級魔法というのは凄まじいね! 大丈夫だと分かってはいても、流石にこの至近距離で目にすると、思わず死を覚悟してしまったよ。けど、これで分かって貰えただろう? 君は確かに強いが、僕を殺すことは出来ない。ここらで痛み分けにしておくのが、お互いの為だと思うんだ」
死を覚悟したという割に、彼は冷や汗一つ流していない。朗らかな態度もここまで来ると、もはや不気味ですらある。
そう感じたのは騎士も同じらしく、再び歩み寄って来るセントヴァンから逃げるように後ずさる。
「あ、あなたは、一体・・・・・?」
「ん? ああ、そう言えば名乗っていなかったね。僕の名は、セントヴァン・ギブレイ。あっさりと弟に魔王の座を奪われた、出来損ないの第一王子だよ」
殲滅級魔法を打ち破った青年は、そこで初めて、自嘲気味な笑みを見せた。
「それほどの力があって、どうして・・・・・」
「買いかぶりだよ。僕はこれしか出来ないんだ。他の魔法は一切使えないし、魔力操作はそれなりだけど、残念ながら弟には及ばない。いくらうちの国が実力主義とは言え、魔法が使えない魔王なんて、格好付かないだろう?」
「・・・・・・」
思案するように騎士が黙りこくったのを見て、セントヴァンはさらに一歩、彼女に近づいた。
「っ!? な、何を!?」
「いやね、こうして近づかないと、内緒話も出来ないだろう?」
「・・・?」
声を潜めて再び話しかけてきた青年に、彼女はより警戒を強めた姿勢をとる。
「そう構えないでくれ。僕はもう君と戦うつもりは無いんだ。・・・・・・それに、その方が君にも、都合が良いんじゃないかい?」
「っ・・・・・」
「いくら君が殲滅級魔法を使えると言っても、魔力が無限にある訳じゃない。このまま無理に戦えば、魔力切れを起こす事は目に見えている。現に、さっきの魔法、最初に君が牽制で撃ったものより発動に時間が掛かっていたよね?」
「それは・・・!」
セントヴァンが今指摘したことは、恐らく間違っていないだろう。先ほど彼女の魔力光を見て俺が気付いたのもその点だった。
いくら“霊王の瞳”を有していて、精霊魔法を自在に扱えるとは言っても、代償として支払うのは彼女自身の魔力だ。
いくら魔力純度の高い王族とは言え、その総量は限界がある。多くとも魔王クラスの魔族には届かない程度だろう。俺の様に吸血で補給できるというなら別だが、当然それも人族の彼女には無理な話だ。・・・・・先ほどの様子から察するに、恐らく、限界はそう遠くないだろう。
「あと、その鎧。多分だけど・・・・僕に触れられるのはまずいんじゃないかな?」
「っ!? ど、どうしてそこまで!?」
「嗚呼、やっぱりそうか。すまない。カマをかけた。立派な鎧と剣を装備している割に、近接戦闘を避けていたからね。何か事情があると踏んでいたんだ」
「なっ・・・・・くっ! だ、だが、ここで戦いをやめて貴様に何の得がある!? 私の魔法は通用しない。近接戦闘も貴様が言うように出来ないのだとすれば、一方的に私を嬲り殺せるだろう!」
「まあまあ、そう怒らないで。それにさっきも言ったけど、買いかぶり過ぎだよ。確かに僕は君の魔法じゃ死なない。けど、後ろの兵士たちは違う。生憎と僕の力は使い勝手が悪くてね。僕が直接触れた魔法にしか、作用しないんだ。つまり、君が僕を無視して大規模な魔法で彼らを攻撃すれば、とてもじゃ無いが守り切る事なんて出来ない。だからこうして、恥を承知で交渉しに来たのさ。君が望むなら、喜んで頭も下げるし靴も舐めよう。・・・って、ああ、触れちゃダメなんだったね。これは失敬」
この状況でどこまでも飄々とした態度のセントヴァンは、俺の目から見ても異様の一言だ。
が、どうやら騎士は、その態度よりも言葉に気になる点があったらしい。
「・・・・・良いのか? 私にそのような重大な弱点を教えて」
「別に構わないさ。何度も言うが、僕は君と戦うつもりは無い。もう二度と戦わない相手に弱点を知られても、何も困らないだろう?」
「・・・・・・・・・」
彼の言葉に思うところでもあるのか、騎士は暫くの間黙考すると、警戒を解いて背を向けた。
「・・・・・・良いだろう。だが、もし我が国にブルガーニュが攻めて来るような事があれば、次は容赦しない。覚悟しておけ」
「もちろん。肝に銘じておくよ」
「・・・ふん」
と、そこで今にも戦場から離脱しようとした騎士に、セントヴァンは再び声をかけた。
「ああ、そうだ。君の名を聞いても良いかい?」
「・・・・・私の、名を? 貴様、まさか知らずにここへ来たのか?」
「もちろん、“勇者シャサーニュ”の名は我が国にも轟いているさ。でも、それは君の本当の名前じゃ無いだろう?」
「っ・・・・・・・・私の名は、シャサーニュだ。それ以外の何者でも無い」
そう言い残し、騎士は飛行魔法であっという間に飛び去って行った。
「ふっ・・・・・・さて、どうしたものかな」
騎士の去った方角を眺めながら、 セントヴァンはどこか悩まし気に、それでいて何故か愉快そうに、何事かを呟いていた。




