〜昇る月は満ちずとも、沈む影を背に道を照らす〜
どこまでも深く、深く闇の底へと沈んでいく。
ピニーに刺されて死にかけた時の感覚に似ている。・・・が、あの時はまるで水の底に落ちていく様な、冷たくも安らかに終わりへ向かう様な、どこか安堵すら覚える闇だった。
だが今は、まるで泥沼に徐々に絡め取られ、身動きが取れなくなっていくような閉塞感に支配されている。
しかも、霊王の力を覚醒できた以前とは違う。このままでは、俺は・・・・・・。
・・・・・・っ!! ダメだ! 今回はあの時の様に、簡単に諦める訳にはいかない!!
俺をセントヴァンの器にするつもりなら、今すぐ殺されるという事は無いはずだ。・・・となれば、亡霊が使った暗闇の魔法は、俺を拘束し意識を刈り取る為の物。
とはいえ、このまま何の抵抗もしなければ、恐らく俺の意識は永遠に闇に閉ざされ、ピナと同じ様に身体を乗っ取られてしまうと考えるべきだろう。
何か、何か無いか。この状況を打開する方法が・・・・・・・、
『乗っ取る、とは人聞きが悪いね。僕はそんな酷いことしないよ』
っ!? 誰だ!?
『聞かなくても、君なら分かるだろ? シャンベル。僕よりずっと、賢い君ならね。ま、ちょっと短気なのがたまに傷みたいだけど」
突然俺に語りかけてきたその声は、この暗闇にあまりにも似つかわしくない飄々とした物だった。
けれどロマネの様に人を小馬鹿にした様な軽薄な印象は受けず、ただただ気安く、油断すればすぐに警戒を解いてしまいそうになる程に緊張感の無い声音だった。
『緊張感が無いって・・・・・君、自覚ある? そういう口が悪い所、大嫌いな父親にそっくりだよ?』
俺の考えている事が、分かるのか?
『そりゃそうだよ。ここは君の魂の中だからね。正確には、彼女が作り出した“檻’’に閉じ込められているから、その中とも言えるけど。言うなれば、意識で直に対面してる状態だ。考えた事は、そのまま僕に伝わる。・・・・・だから、いやらしい事とか考えちゃダメだよ?』
彼女? ・・・・・・亡霊の事を知っているという事は、お前は、まさか・・・・。
『うーん。スルーかぁ。若い子に流されると地味に傷つくなぁ。・・・・ま、確かに今は冗談言ってる場合でも無いね。遅くなったけど、改めて自己紹介をしよう。僕の名は、セントヴァン・ギブレイ。この事態の元凶となった、愚かで間抜けな魔王のなり損ないさ』
奴が自ら名を名乗った直後、目の前に、一人の男が姿を現した。
背中で束ねた漆黒の長髪。
切長な瞼はそれだけなら怜悧な印象を受けるが、柔らかく微笑むその相貌には甘さが有り、声音と同様に不思議と警戒心を抱けない。
背丈は俺と同程度で、年齢も近く見える。
・・・・・・だが、纏う雰囲気や顔の作りに違いはあれど、その面影は間違いなく、ギブレイの血族だ。
しかも、ロマネよりも、ピニーよりも、俺に、よく似ている。
『まあ、君が僕に似てハンサムなのは殆ど偶然だけどね。・・・・・僕は、子孫を残せなかったから。君や君の妹、それに父親のロマネは、僕の弟の子孫だ』
ハン、サム・・・? 容姿が整っているという意味なら、勘違いだと思うが。まあ、そんな事はどうでも良い。どうしてわざわざ俺の意識に接触してきた? 貴様の目的は、奴らと同じでは無いのか?
『お、おおぅ・・・・・世代の違いを思い知らされると共にちっぽけな自尊心を叩き折るような素敵なツッコミをありがとう。ま、まあそれはともかく、そうだね。君の視点から見れば、そう考えるのも無理は無い。けど、それこそ勘違いなんだ。・・・・・・僕はね、生き返りたいなんて、これっぽっちも願っていないんだ』
何だと・・・?
『でも、彼女は僕の死に納得してくれなかったみたいでね・・・・・。それは後先考えず無責任に死んだ僕の罪だ。余計なことはこうしてベラベラ話すのに、肝心な事を伝えていなかった。君がカケラを集めてくれたお陰で、こうして自我を取り戻した今だからこそ思うよ。本当に、僕は愚かだった、とね』
カケラを、集めた・・・・・お前が生きていた頃の歴史を調べた事を言っているのか?
『流石、話が早いね。せめて僕も君と同じぐらい賢かったら、あんな事にはならなかったのかな・・・・・なんてね。まあ、後悔は改めて地獄に落ちてから一人でするとしよう。それよりも、シャンベル。君に一つ、提案がある』
何だ?
『今すぐ、君の身体を僕に明け渡してくれないか?』
・・・・・・生き返るつもりは無いと言った舌の根も乾かぬうちに、どういうつもりだ?
『ははっ。本当に短気だな。そう結論を急がないでくれよ。冷静に考えてみてくれ。ただ僕に君の身体を乗っ取らせるだけなら、彼女はこんな回りくどい真似をしなかったはずだ。・・・・“器’’の少女を君と接触させ、妹と戦わせて‘‘霊王’’の力を覚醒させ、父親をぶつけて‘‘ギブレイの血’’を受けれさせ、そして最後は自分の手で組み伏せた。・・・・・さて。どうして彼女は、こんな周りくどい真似をしていると思う?』
知ったことか。奴の目的が何であれ、俺はピナを取り戻す。ただそれだけだ。
『ダメだよ。シャンベル。思考を放棄しては、救える者も救えない。・・・・まあ、僕は君に説教できる立場では無いけれど、同じ失敗をした先達として、忠告させて貰おう。目的に執着し過ぎて視界を狭めるのは悪手だ。・・・・辛くても、苦しくても、最後まで考えて、足掻いて、もがいて、最善の答えを探すんだ。じゃないと、たった一人の女の子すら救えず、それどころか、千年以上も苦しめ続けるような愚か者のまま終わる事になる』
・・・・・・・・・・・・・過程が、必要だったという事か? もしそうなら、奴は意図的に俺の力を引き上げ、その上で限界まで消耗させ、意識を暗闇に沈めた。一見、支離滅裂とも思える矛盾した行動だが、その二つが別々の目的だと考えれば、納得出来る。
前者は、‘‘器’’としての俺を完成させ、少しでも力をつけた状態で、お前に乗っ取らせる為だ。
後者は、お前の意識・・・・・いや、‘‘魂’’を俺の身体に定着させる為には、魔力と精神を消耗させ、奴の手で俺の魂をこの檻に閉じ込める必要があったからだ。
『うん。正解。加えて言うなら、僕の魂は彼女のそれほど安定していなくてね。さっき言った通り、自我を取り戻したのもつい最近の事だ。・・・・・でも、彼女はもう少し遅いと考えていたんじゃないかな。恐らく、本来なら君の魂が完全に闇に沈んだ後に、僕が目覚める予定だったはずだ』
どうしてそう言い切れる?
『この段階で僕が君と接触すれば、間違い無く彼女にとって都合が悪いからさ。だってそうだろ? 僕と君の利害は一致している。僕は自分を生き返らせたくない。君も僕に身体を奪われたくない。なら、当然こうして結託する流れになる』
・・・・・・お前が嘘を吐いていなければ、だがな。
『それでいい。疑うのは考えている証拠だ。でも、もう僕の意図は大体わかったんじゃ無いかな? 今の君は、まだ完全に意識を闇に沈めてはいないし、僕の魂もまだ不完全な状態だ。この状態で、君と僕の意識が入れ替われば、確実に彼女の意表を突ける。上手くいけば、この暗闇の檻を維持している精霊魔法にも綻びが生じるだろう』
だが、その後はどうする? 俺の意識が自由になった所で、状況の不利は変わらない。また同じように拘束されたら、次こそ確実に俺の魂は闇に沈められ、ピナの魂も奴に食われる。
『そうはならない。・・・・・・いや、させない。とは言え、口約束だけでは、君も納得しないだろう。だから、こうする』
そう言って、奴は俺の肩に触れる。・・・すると、奴と俺の間で、何かが繋がった。
どこか馴染み深いその感覚に、俺は目を見張る。
・・・・これは、精霊に魔力を送っている時と同じ、いや、逆か?
『ああ。完全回復とはいかないだろうけど、僕の魂に残った魔力を君に譲渡している。・・・・・でも、このやり方は吸血と違って酷く効率が悪いんだ。一言で言えば時間がかかる。だから、その間は僕が表に出て、時間稼ぎをしよう』
精霊の優先順位についてはどうする?
『それについては安心してくれ。この作業が終われば、恐らく君は、問題無く精霊魔法を使えるはずだ。・・・・・・いや、それどころか、多分今までより‘‘霊王’’の力を十全に使いこなせるようになっていると思うよ。理由は・・・まあちょっと長くなるから説明出来ないけど、保証しよう』
・・・・・・まあ良い。どの道、俺に選択肢は無いだろう。
『さて、一通り説明が終わった所で、一つだけ、どうしても君に頼みたい事がある』
交換条件、と言うことか?
『そう捉えて貰っても構わないけど、出来れば、君自身の意思で、僕の願いを聞いて欲しい』
ここまで来て、お前が何を言いたいのか予想出来ないほど間抜けでは無いつもりだ。だが、それを自分の意思で承諾するのは、俺には不可能だ。
『今の君の立場なら、当然だろうね。でも、そこを曲げて、無理を通してでも、僕は君の意思で、君の手で、救って欲しい人が居るんだ。・・・・・・だから、これから魔力の繋がりを通して、君に僕の過去を見せる。そうすれば、きっと、君も考えを変えてくれるはずだと、信じて』
・・・・・・もし、変わらなかったら?
『言っただろ。信じてるって。自我を取り戻したのは最近だが、僕はずっと君の中にいたんだよ? 君がどういう男なのかは、それなりに良く知っているつもりだ』
・・・・・・・・・・良いだろう。それでピナを取り戻せると言うなら、好きにしろ。
『交渉成立だね。じゃあ、この手を取ってくれ。シャンベル・ギブレイ』
そう言って差し出された奴の手を、俺は僅かに躊躇った後、意を決して掴んだ。
『ありがとう。そして、頼む。僕のたった一人のお姫様を、ピナ・ノワールを、救ってくれ』
セントヴァンがそう告げた直後、俺の意識は僅かな浮遊感と共に、白く染まった。
++++++
「・・・・・・おかしい。時間がかかり過ぎているわ」
自らが生み出した暗闇に囚われた青年を見つめながら、亡霊の姫君は訝しげに目を細める。
シャンベルの成長は確かに予想以上だったが、それでも十分に消耗させ、その上で意識を沈めたはずだ。
本来なら、既にこの身体は完全な“器’’となり、彼女が千年以上待ち焦がれた男・・・・セントヴァンの魂を定着させる為、次の段階に移っている。
だが、何故かシャンベルはギリギリの所で魂を暗闇に沈め切らない。そんな余力は、既に無いはずなのに。
まさか・・・・・・と、姫君が思案しようとした、その時。まるで測ったように、シャンベルの魂の気配が希薄になる。
「っ!?」
が、彼女は次の段階に移る事が出来なかった。
何故なら、‘‘器’’として空になったはずの身体には、既に彼女の待ち人が宿っていたのだから。
「やあ、僕の可愛いお姫様。今宵も君を、攫いに来たよ」
暗闇に拘束されたまま、その男は、まるでつい先日ぶりに顔を見せたように、気安く姫君に笑いかけた。
「ヴァン、様・・・・・・?」
姫君は呆然としたまま、大粒の涙を止めどなく、流し続けた。
久々に後書き失礼いたします。
今章はかなり長くなりましたが、次のお話からは次章に移り、千年前の‘‘彼’’と‘‘彼女’’の物語を描いていこうと思っております。
とはいえ、ここまでかなりロングでシリアス成分100%で来てしまったので(キャラの性質上若干ふざけた人もいますが)、もしかしたらまた閑話でほのぼの日常回も書くかもです。
ここまで読んで下さった神様方、ありがとうございます。引き続き生暖かい目で見守って頂ければ幸いです。
 




