〜待ち人はいつまでも遠く〜
「・・・・・・ソアヴェさん。お兄さ・・・兄は、まだ?」
私が朝の廊下掃除をしていると、清楚な純白の普段着用ドレスに身を包んだ、小柄な少女に声をかけられた。
紫がかった黒髪と、猫のようなくりりとした愛らしい吊り目が特徴的な、美しい少女だ。・・・・・・顔立ちこそ全然違うけれど、その髪色や体格は、つい先日までこのお屋敷に居た、妹のように大切に想っていた少女を思い出させる。
けれど、今目の前にいる彼女は、私が仕える主人の正真正銘の妹君だ。意味も無く憂い顔を見せるなど、メイド長の名折れ。私は表情を使用人のそれへとしっかり作り直し、彼女へと向き直った。
「おはようございます。ピュリニー殿下。・・・はい。シャル様はあれから一度もお屋敷にはお帰りになっていません。魔王城の方には何度か足を運んでいる様ですが、すぐに他国へと向かわれては戻っての繰り返しだそうです」
「そう、ですか・・・・・・」
ピュリニー殿下が目を覚まされたのは、ほんの二日前だ。魔力の消耗が激しく、また、長い間精神を洗脳されていた反動もあってか、命に別状は無く体調こそ安定していたものの、目を覚まされるまで五日もかかった。
その間、シャル様は屋敷にある書物を全て調べ終えると、次は魔王城の大書庫にこもり、遂には国内外に関わらず血眼になって飛び回りながら、何かを探している。・・・・・・この七日間、一度も屋敷に帰る事無く、だ。
「あ、それと、ソアヴェさん。私を呼ぶ時、殿下は不要です。追放された身の私は、もうこの国の姫ではありませんから」
「っ・・・・!」
「・・・? ソアヴェさん?」
「い、いえ・・・・・では、ピュリニー様、とお呼びしても?」
「様、も別にいらないけど・・・まあ、何も無いのも余計に気を使いますよね。でしたら、兄と同じように略称で、ピニーと呼んで頂けますか?」
「・・・・・・かしこまりました。ピニー様」
いつかの彼女とのやり取りと良く似た会話に、思わず息が詰まった私は、お辞儀をしてどうにか表情を隠す。
つい先日意識を取り戻したばかりという事もあってか、妹君の・・・ピニー様の雰囲気は、どこか儚げで、それが尚更、居なくなってしまった彼女と重なって、目を合わせるのも正直、辛い。
「・・・朝食のご用意が出来ておりますので、お好きな時に食堂にお越し下さい」
「・・・・・・・はい。ありがとうございます」
どうにか食事の案内だけして、私は逃げるようにその場を去った。
勝手に感傷に浸っている私のせいで、ピニー様との会話は、このようなぎこちない、事務的な物ばかりになってしまっている。
けれど、どれだけ自分に言い聞かせても・・・・・・言い聞かせれば言い聞かせるほどに、彼女との、ピナ様との楽しかった日々ばかりが頭の中を巡って、私は、表情を作るので精一杯のままだった。
++++++
「・・・・・・・」
夜空に浮かぶ月を見上げながら、私は夢のように温かった時間と、その時そばに居てくれた方々を想い、一人、冷たい部屋でただただ夢想していた。
「こんな所でどうしたの? まるで、囚われの姫のような顔をして」
「お姉様・・・・・・」
いつの間にか、私の部屋の入り口に立っていたのは、バルドー第一王女、ムニエ・ノワールお姉様だった。
「お姉様? ・・・・・ああ、なるほど。今日はあなたの日なのね。こんなカビ臭い部屋に引きこもっているかと思ったら、どうりで」
「このお城で私に許された居場所は、ここだけでしたから。・・・・・・私は、もうシャル様のお屋敷には、帰れないのですか?」
「あら、帰りたいの?」
意外そうに目を見開いた彼女に、私は躊躇いつつも、自身の想いを口にする。
「・・・・・・そうする事で、シャル様にご迷惑をおかけするなら、私はここに居ます。けれど許されるなら、あの方の、あの方々の側に! 私は居たいのです!」
「へぇ・・・・・・ここに居た頃はただの器だったのに、随分とあの子、いえ、あの子達に注がれたのね」
「お姉様達の仰っている事は、私には分かりません。・・・・・けれど、この身がたとへあなた方の道具であったとしても、シャル様やソアヴェさん、お屋敷の方々は、私に沢山の温もりを与えて下さいました! 私は報いたいのです! 私に、私自身を与えて下さった、あの方々に!」
「ふーん・・・・・・まさか、器の方とは言え、ここまで執心させるなんてね。ロマネからあの子は出来損ないだと聞いていたけれど、父親譲りで女を口説くのは上手なのかしら?」
「シャル様はそんな軽薄な方じゃありません! いつも誠実で、優しくて、少しだけ、臆病で・・・でも、誰よりも頼もしい、ご立派な魔王様です!」
「あらあら、好きなのね。あの子の事が」
可笑しそうに口元に手を当てて笑うお姉様の言葉に、私は一瞬、頭の中が真っ白になる。
「へ・・・・・・? なっ!? わ、私はただ、シャル様の名誉を守ろうと・・・」
「好きでものない男の名誉なんて、女は心から守ろうとしないわ。・・・・・ふっ。器と言えど、やっぱりあなたも、ピナ・ノワールなのね」
「私、も・・・?」
「・・・・・・いいえ。何でも無いわ。でも、一つだけ覚えておきなさい」
「・・・?」
急に真剣味を帯びた彼女の表情に、私は思わず首を傾げた。
「月を見上げるのは構わない。・・・・・・けれど、手を伸ばすのは、絶対にダメよ。愛しいのなら、尚更ね」
「え・・・・・・?」
ムニエお姉様はその言葉だけ残すと、それ以上は口を開かず、私の部屋から去って行った。
私は彼女の言葉の意味を、本当はもう知っている気がした。・・・・けれど、まるでそれから目を逸らすように、再び月を見上げて、一雫だけ、涙を流した。
後半は初めてのピナ視点でのお話でした。どうしてここまで彼女視点のお話が無かったのか、違和感を感じていた方もいらっしゃるとは思いますが、少しだけ第一王女さんが漏らしていたように、徐々にその謎も解き明かされて行きそうです・・・・・・・多分w
今話もお付き合い頂いた皆様、読み続けて頂いている神様、ありがとうございました!
若干のフラグは立てましたが、次話は久方ぶりにあのモンスターが登場しそうですw




