〜静かに、燃ゆる〜
「・・・・・・はぁ〜」
その日、俺は魔王城の執務室で、盛大にため息を吐いていた。
理由は勿論、例の面倒な集まりの事だ。
「すっかり頭から抜け落ちていた・・・。と言うか、もう行かなくて良いんじゃ無かろうか?」
「それは、私に言っているのですか? それとも独り言ですか?」
俺の斜め向かいに設られた補佐用の執務机の方から、抑揚の無い声が飛んでくる。
ちらりと視線を向ければ、手元の書類を淡々と処理しているメルロが、相変わらず似合っているメガネをくいっと上げていた。
「両方、かな。まあ愚痴だよ。聞き流してくれ」
「愚痴を言うなんて、珍しいですね。いつも文句一つ言わず山の様な公務に勤しんで、何なら自分でどんどん仕事を増やしてしまうくらいですのに」
「うっ! ・・・すまんな。いつも余計な苦労までかけて」
「いえ。それを補佐するのが私の仕事ですから。・・・それに、愚痴を言いつつも今手を付けているこれは、『魔王会談』の為に用意した資料ですよね? 何だかんだで、きちんと行くつもりではあるのでしょう?」
「・・・・・・まあ、あれも外交と言えば外交だからな。疎かには出来んよ」
『魔王会談』。世界でも有数の列強魔国の魔王達による、情報の共有や貿易の取り付けを目的とした年に一度の集まり・・・・・・と言う建前の、牽制と腹の探り合いだ。
当たり前だが、他国の魔王達はその殆どが俺より遥かに長い時を生き国を治めて来た、百戦錬磨の化け物ばかりだ。近年玉座に着いた若い魔王も居ない訳では無いが、それでも俺の倍くらいは年上で、最年少はやはり俺だ。
一癖二癖どころか、少しでも油断すればあっという間に足元を救われる曲者ばかりで、若輩の身で相手をするには骨が折れる。
「でも、実質『魔王会談』とは、シャンベル君に如何にして大人しくしていて貰うかを決める会議なのでしょう?」
「それを言うなぁーっ! 半分は俺の黒歴史なんだから!」
俺は彼女の言葉を遮るように大声を上げながら耳を塞いでイヤイヤと首を振る。
「別に、そこまで気にされる必要は無いのでは? 元々は、過去のブルガーニュ王のお歴々があまりに傍若無人に戦争を仕掛けて他国を侵略したり、滅ぼすだけ滅ぼして放置したりと好き放題していたのを、見かねた他の魔国が会談を開いて鎮めたのが始まりだと聞いておりますよ?」
そうなのだ。元々『魔王会談』とは、暴虐の限りを尽くしていた過去のブルガーニュ王を列強魔国が実質的な同盟を組む事で押さえ込む為に開かれた会談だった。・・・・・・と言うか、人族の国どころか魔国からも危険視される国って、改めてとち狂ってるよな。
とは言え、代が変わるごとに多少はまともにブルガーニュ王も話し合いに応じていたし、俺は当然他国と積極的に争う意思も無かったので、互いに牽制こそすれど、そこまで殺伐とした雰囲気では無かったのだ。・・・・・・三年前までは。
「・・・まあ、他国からしたら『え? そんな事で?』と思われてしまうような理由で、一国丸ごと滅ぼしかければ、警戒されるのは当然でしょうけど」
「ぐあああああああああっ!?」
そう、俺はとある理由で激昂して、と言うか端的に言えばブチギレて、『魔王会談』に参加した魔国の一つを滅ぼしかけたのだ。・・・・・・くっ、今思いだしてもあの時の俺は色々とどうかしていた。
「配下想いなのも結構ですが、まさかお付きの世話係を挨拶ついでの軽口で揶揄された程度で、自国の魔王城が消し飛ばされるとは、彼の国の魔王も思っていなかったでしょうね」
「ぐっ・・・・・・」
そもそも、三年前の俺は『魔王会談』に出向く前から、間違いを犯していた。
『魔王会談』には、どの魔王も世話係兼護衛の‘‘お付き’’を一人付けるのが慣例になっているのだが、その話を聞いたソアヴェが、自分が行きたいと言い出したのだ。
彼女はその頃、屋敷に来てから既に四年経ち、言葉遣い等礼儀作法を含めメイドの仕事も完璧にこなしていた。だからと言えば言い訳になるのだが、気が進まないとも思いつつも、珍しく自分からワガママを言った彼女を無下にも出来ず、軽率にも連れて行ってしまったのだ。
そして、会談の場に彼女と共に入室したその時、主催を務めていた魔王が、ほんの会話のきっかけ程度のつもりだったのだろうが、『お若いブルガーニュ王は妾の趣味も随分と可愛らしい』と、発言したのだ。
それを聞いた瞬間、まだ自制心が未熟だった俺の頭は一気に沸騰し、気が付くと、運悪く会談の開催場所だったその魔王の城ごと、彼を消し飛ばしかけたのだ。・・・・・・まあ、その魔王城は半分以上実際に消し飛んだのだが。
幸い、これも『魔王会談』の慣例で他の魔族達は城に居なかったので被害者(死んではいない)はその魔王だけだったのだが、揶揄されたソアヴェ自身と他の魔王達の制止が無ければ、本当に国を滅ぼす勢いだったのだ。
ソアヴェはともかく、いつもは如何にも曲者然として余裕を崩さない魔王達のあんなに必死な顔を見たのは、後にも先にもあの時だけだな・・・。
「あの時は遂にシャンベル君も歴代と同じように‘‘覚醒’’してしまったのかと、驚いたものです」
「・・・・・・先生、さては楽しんでるな?」
「いいえ。釘を刺しているのですよ。また軽率な真似をされて、‘‘外交’’が‘‘脅迫’’に変わらないように」
「おぅふ・・・・・・・」
な、何も言い返せない・・・。
「・・・ん? この気配は・・・」
と、俺がメルロの諫言に撃沈したところで、ドアの外に彼女とどこか似通った気配が生じる。
「御前、失礼致します。魔王様。急ぎお知らせしたい事がある故、許可無く入室することをお許し下さい」
「グリュナー! 帰って来たのだな。長旅ご苦労。お前のことだから心配はしていなかったが、随分と遅かったな? まさかとは思うが、バルドーで拘束を受けていた訳ではあるまい?」
珍しく断りもせず扉を開けて執務室に入って来た侯爵に、俺は労いの言葉と疑問を口にした。
「遅くなり申し訳ありません。国外に出るのも久方ぶりだった故、バルドーの報告はカベルネめに任せ、私は‘‘あの方々’’の様子を確認しに、中立国家『カリフォニア』に出向いていたのですが・・・」
「っ! そう、だったのか・・・。まさか、二人に何かあったのか?」
表情こそいつもの厳しいそれと大差無いものの、侯爵のただならぬ雰囲気に、俺は不安を掻き立てられ前のめりに問い返す。
「・・・・・・恐れながら、申し上げます。あの方々の行方が、不明となりました」
「なっ!? どういう事だ!? 二人の身の安全は彼の国の王たちに保証させていた筈だぞ!?」
思わず声を荒げた俺の様子にも眉一つ動かさず、侯爵は淡々と言葉を紡ぐ。メルローもまた、驚きを見せながらも静かに彼の言葉を聞いていた。
「私も不審に思い、王城へと足を向けました。ですが、返ってきた答えは、『魔王会談にて事情は説明する』という物だけでした。・・・・・・役立たずのこの老兵の処分は如何様にも。ですがその前に、魔王会談への同行、補佐だけは務めさせて頂きたく存じます」
「っ! ・・・いや、処分など必要無い。寧ろこちらから改めて頼む。万が一俺が暴走した時は、お前の判断に全て任せよう」
「はっ! このフェルト・グリュナー、身命を賭して務めを全うしてみせまする」
一見、侯爵の様子はいつも通り冷静に見えるが、その瞳には、決然とした意思が見て取れた。
「メルロ。俺が出た後の事は任せたぞ。・・・・・・最悪、戦争になる。俺一人で戦うつもりではあるが、そうなった場合いつもより遥かに大規模の争いになる可能性が高い。覚悟と準備はしておいてくれ」
「はっ! 魔王様の仰せのままに」
祖父と孫娘でよく似た恭しい一礼を見せる二人に頷き返し、俺は己の中で今にも爆発しそうな感情の炎を、静かに燃やしていた。
 




