「未来」の先祖
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ねえ。つぶつぶは自分が死ぬとき、棺の中に何を一緒に入れてもらう?
うちのお兄ちゃんは、お気に入りの漫画全巻セットだって。ついでのパソコンの中のデータも一緒だとか。
後者はともかく、前者は少しもったいないかなと私は思う。新古書店の宣伝でもいってたけど、「しまい込んじゃったら、もう誰にも読んでもらうことができない」じゃない。その先があの世だったら、なおさらのこと。
いつかはその本も絶版になり、この世に限られた数しか存在しなくなる。話に聞いただけで、読んだ気にならざるを得ない人も出てくるでしょ。著作権が切れた後に、ネットでさらされでもしない限り。
でも、紙の感触とページごとのコマ割り。それを活かした演出なんかは、じかに触れなきゃ分からない。その限りある機会が、死者と共に永久に失われてしまう……私はどうしても、もったいないと感じてしまうの。
死して、何をこの世に遺すのか。それをどう生かすのか。
根っこの考えが違ったとしても、ずっと昔から人間が考え続けてきたこと。これに関する昔話、最近仕入れたんだけど聞いてみない?
その男は、諸国をめぐる盗人だったというわ。
盗みに入る相手は、生きている人間じゃない。建物の装飾品、墓の中の副葬品、はたまた社のご神体に至るまで、彼はその手中におさめていったらしいの。
彼の標的は、いずれも生者の目に留まらないものだった。装飾品に関しても、盗み出すのはもう誰も利用せず、参拝者もいないような古い寺などからいただいてきたとか。
「誰も見ないということは、この世にないも同じだ。それを後生大事にとっておいたところで、我々をとりまく大気と同じだろう。あって、なきがごとしものだ。
本来ならないものを、自分は確かに存在する金へと換える。金の存在は絶大で、たいていのものを動かし得る。いわば自分は、陽の目を浴びぬままである彼らに、活躍の機会を与えているのだ」
数少ない盗人仲間に、彼はしょっちゅう、そのようなことを吹いて回っていたらしいわよ。
そんな彼の今回の標的は、とある小山の山頂にあるといわれるご神体。
数十年前までは、代々管理する神主の一族がいたらしいけど、疫病によって絶えてしまう。
代わりを引き受けようとする者も現れず、周辺の村人は生前、神主にいわれた通り、中腹からぐるりとしめ縄を張り、中へ人が入るのを禁じたの。「みだりに立ち入るならば、祟りがあるだろう」とも、言い添えてね。
盗人の彼にとっては、噴飯ものだったわ。
聞いたところによると、神主の一族以外にご神体の正体を知る者はいないらしいの。彼らは盲目的に教えを守り続け、その実態を探ろうとしない。本当は価値あるものが眠っているかもしれないのに。
いや、それどころか神主の息がかかった者が、体のいい隠れ家としている可能性もある。そうだとすれば神主の生前の策によって、誰からも干渉されず悪事を続ける、絶好の蓑を手に入れたことになるのよ。
――だったら俺が暴き立ててやる。無視と敬遠に守られた蓑の裏側をな。
夜が更けると、盗人の彼はさっそく行動に移ったわ。
木々がうっそうと茂る山の肌。身軽さが自慢の彼は、枝から枝へ猿のように飛び移っていく。素質と修練によって身に着けたこの技は、木の葉一枚、枝のたわみひとつすらも、地上へ届けることはない。
やがて眼下へ、話に聞いていたしめ縄が姿を現わした。幹たちに結わえられて、線を成すそれらの紙垂は、ところどころで破れかけたり、土に汚れていたり。獣の気配はあっても、人が手を入れた形跡はなかったとか。
その様子を、彼は冷ややかな目で見下ろしたわ。
――本当に、愚直に守っていたのか。たわけのすることだな。
しめ縄を越え、どんどん先へ進んでいく彼は、やがて足元の地面にちらほらと、墓石らしきものが現れるのを見て取ったわ。
はじめは握りこぶしほどの大きさだったのが、一抱えほどに、更には大人と遜色ない背丈に。しめ縄から遠ざかるにつれて、どんどん図体が増していく。
数もそれに比例した。まばらに散らばっていた墓石は、先へ進むにつれてその密度を増していく。ついには木立の間をほぼ埋めてしまう、集まり具合を見せたの。
彼のように樹上を移動していないなら、墓石の頭を踏んでいくことになっていたでしょう。さすがの彼も、もはや床石のごとく肩を寄せ合った墓たちの姿には、ちょっと気味の悪さを覚えたようね。
やがて木立も途切れる。
半径わずか数畳程度の地面を残し、もはや石垣と変わりない高さをそなえた墓石に囲まれる小さな社。それはまるで、土に浮かぶ島のように思えたとか。
必要以上に地面へへ足をつけるのをよしとしない彼は、樹のてっぺんまで登る。そして一番高い枝に腕をかけてぶら下ったかと思うと、ぐうん、ぐうんと身体を上下に振って、勢いをつけ始めたの。
枝は無茶な負担に、悲鳴をあげながらも付き合ってくれる。彼が見立てた通りでもある。
もっと勢いをつけて、目指すはあの社の三段ある階段の最上段。それより低い場所だと、落ちてくる自分の重さに耐えきれないとみた。
かといって、屋根の上に直接足をつけるわけにもいかない。盗み出す相手がいる場所より、高みに足をつけるのは傲慢で礼を失する。自分の足より下にいるというだけで、対象の品格もまた落ちてしまうと、彼は考えていたの。
盗むものに対し、並び立つことこそが払うことのできる敬意。もしもしくじって屋根に乗ろうものなら、中を見ずに即退散する腹積もりだったとか。
彼は一段目に着地してしまう。跳ぶ瞬間、屋根に乗るのを恐れて、腕を広げながら風を受け過ぎた。
彼の体重を受けかねて、木の板はきしんだ。その身の一部を飛び散らせ、真ん中から腰を折られた姿を見せて、彼の不手際をだまって責める。
すっと彼は小さく頭を下げ、非礼を詫びたわ。そのあと残りの二段を慎重に上り、観音開きとなっている戸の格子から、中をのぞいてみる。
およそ四畳程度の板の間に、うっすらと浮かぶほこりの影。その正面奥に、三方がひとつだけ乗っかっている。
他で見る三方とは形は似ていても、高さが違う。ひとつで男の腰近くまであるその上には、むき身で乗っかっているものがある。
手首。
一見した彼は、そう思ったわ。五指のうち、四本はそろってこちらを向き、親指だけはほぼ直角に顔を背けている。その先にあるべき腕や胴体は、そこにない。
息を呑みかけた彼だけど、よくよく見ると、その肌はあまりに白い。仕事柄、死体を見ることも少なくなかったけど、ここまで血の気が失せたものは見たことがない。
もっとよく確かめよう。彼は戸にかかっていた鎖を苦もなく外し、両手で握って力を入れる。
ギリギリギリ……。
木でできているとは思えない、重々しい音を響かせながら開帳となったけど、すかさず社の中から声が。
「伏せろ、たわけ!」
その声に前後して、三方の上の手首。その四本の指から飛び出してきたものがある。
とっさにかがんだ彼の頭上を、その黒い固まりが通り過ぎる。一瞬だけ見たそれらは、無数のナマコが絡み合って、玉になっていたとか。振り返ったときには、その姿はもう空のかなたへ消えてしまっていた。
「くそったれが! これでまた数百年は逆戻りじゃ」
ぶつぶつとつぶやきながら、三方の影から出てきたのは、腰の曲がった老人だったわ。この三方に隠れてしまうほどの背丈しかない彼は、そのうえに乗る手首を、いたわるようにさすり出す。
男はしばらく目をぱちくりさせていたけど、我に返るやこの老人に、先ほど見た光景を尋ねたらしいの。
老人はぎょろりと彼をにらみつけ、「あの神主一族以外に話すことはない」と突っぱねてきたわ。
彼も引き下がらず、神主一族が絶えてしまったこと。残った村の皆がしめ縄を張り、この一帯を囲って誰も入らないようにしていることを告げたの。
「なら、お前はどうしてここに来た? 禁を破って?」
老人は彼の話の一部始終をいぶかしげに聞いていたわ。さすがにご神体を盗みにきたとはいえず、黙りこくる彼。
老人は手首をさすりながら、彼の顔をじっと睨みつけ出したわ。やがて「神主の件はウソではないようじゃな」と漏らして、ぽつりぽつりと話してくれる。
この手首は何百年も前に、石膏を加工して作られた「砲」なのだと。有事のときに備えて、中に弾を溜め込んでおいたものだとか。
「いずれこの世に、人を滅ぼしかねん恐ろしきものが訪れる。それがいかなる災禍かは、いまだもってはっきりせん。この砲は、そのための備えじゃ。
時と共に、砲の中には弾が込められていく。いずれはいかなる厄災も打ち倒す力が宿ろうが、それには途方もない時間がかかる。人が何代、何十代、その先もつないでいかねば、とうてい見届けられぬくらいにな。
それが、お前の訪れでフイになったわ!」
老人は指をつきつけ、彼を喝破する。
「数百年分が無駄うちされた。本来、撃つべく相手もいないままにな。
もはや手遅れ。あれは弾け飛び、その毒は周囲を蝕もう。お前もかわさねば立ちどころに死ぬところだったが、長くはもつまい。
なにより、貴様のせいで一からやり直しだ。もし災禍が訪れたとき、迎え撃つこと叶わねば、すべてが貴様のためなのだ!
未来永劫、地獄の窯の中で己が不届きを悔いよ。立ち去れい!」
どんと、老人が彼を押す。その小さい体躯からは想像できない力に、彼は社の外。階段の下まで一気に突き飛ばされた。その目の前で戸は勝手に閉まり、転がした鎖もひとりでに巻き付いて、社を封じてしまったとか。
老人の予言通り、それから一年足らずで彼は世を去ったわ。その少し前から、しめ縄を張った村とその周辺で、全身に無数の黒い筋を浮かばせながら、次々に人が亡くなっていく事態が発生する。
原因をつかみかねる彼らは、「祟りじゃ、祟りじゃ」とうめき、ついに誰もいなくなってしまったというわ。