37話『密室にふたりきり』
晴太が教室に戻るころには授業が始まってから五分が過ぎていた。遅刻理由は腹痛。当然遅れて入ると好奇の視線が向けられる。気にしない。
晴太は薄々わかっていた。磐木が東吾に告白されたことを。
「どこ行ってたの?」
「……トイレ」
「ずいぶんと長期戦だったね? 大丈夫?」
「食物繊維も取ってるし、ヨーグルトも食べてるんだけどなぁ」
しばらくしてしっかり授業を受けて昼食。
昼食時と言うと放課後のように喧騒に溢れるものだ。けれど今回はいつも以上に騒がしかった。
「廊下騒がしいな……」
「だね、なんだろ」
女子の歓声が沸きあがる。それは次第に近くなり、クラスに座していた女子生徒数人が立ち上がり戸の方に集まりキャッキャする。そんな高い声に晴太は眉根を寄せつつ戸から目を離せないでいた。そして現れたのだ、
「やぁ、磐木ちゃん。お昼、一緒にどう?」
白い歯を見せる笑顔の東吾が。顔の高さに弁当箱を掲げて見せる。
その磐木の向かいに座る晴太になど一瞥もやらないで言う東吾に、晴太は苦く口を結ぶ。
「う、うん!」
磐木は笑顔を固めて、晴太の机に置かれたピンクの弁当箱を入れ物に戻し、席を立った。
晴太は硬直して瞳孔を開いて、何度も瞬きを繰り返した、拳は膝の上に押し付けられたまま。
――ごめんね。
小走りで磐木は東吾の方へと向かった。すると喧騒は次第に収束していく。残るのは向けられる憐みの同情の視線だけ。
誰もあの、皇帝には逆らえないし、敵対もできないというように。
そんな晴太も弁当を包んで教室を出て特別棟へ走った。
「仕方のないことだ。それが人間の生物としての本能。優秀な遺伝子を残そうと、イケメンな方に好意が向くのは仕方がない。どれだけ性根が腐っていようとも、結局は顔だよ……けど私は違う、うまい飯を作れる才能こそが遺伝にもっとも必要な――つまりは、晴太君には需要がある」
志良はもじもじと気持ち悪くそういう。
「東吾先輩って、どんな人なんですか?」
「そうだな左利きで……執念深い男だな……私が初めて彼に告白をされて……ちなみに初めてじゃないぞ……まぁ、告白されて知っての通り断ったんだ」
「顔はいいのに、良く断りましたね」
「まぁ、私の野生の勘が働いてね、反射的に断ったんだ。それからというものあらぬ噂をいろいろとたてられてね、クラスの顔的女子のカレシを寝取ったとか」
「それが原因で学級崩壊」
「まぁ、ほかにもあるのだが……聞くか?」
「遠慮しておきます」
「とにかく、晴太君。東吾に関わるのはよせ。どうせあと半年で私たちは卒業するんだ、禍根を残され、残りの二年を足掻いても、息が詰まりそうになりながら過ごすことになるかもしれない……私のようにな――ふっ」
志良は絶対に許さない人間リストを愛でるように不敵な笑みを浮かべた。
「いや……先輩の場合は料理が……」
まぁ、それだけが原因ではない。志良がまともに通えるのはその噂全ての誤解を解いたから。それでも未だに女子からは嫌われ者。
「だが所詮は学生の付き合い、二か月続けば大台だ、別れたらもう一度チャンスは来るさ」
「動く方がかえって遠くなる」
「そうだな」
晴太は結局弁当を食べずに午後の授業に挑んだ。
教室に戻るころには授業開始一分前、磐木は座っていた。
一瞥寄越し、気まずそうにうなずいて前に向き直った。
「磐木、あとで、放課後少し時間作れない?」
「……あはは……ちょっと難しいかも」
「ちょっとでいいんだ」
「東吾先輩と、帰る約束しちゃったから……」
「一分で良い」
「……一分、だけなら」
少し磐木の呼吸が上がる。
そして放課後。ホームルームが終わると同時に晴太は磐木を連れて教室を出て特別棟、調理実習室に駆け込んだ。ここなら誰も来やしない。ついでにカギもかけた。
この時点ですでに二分が経っていた。結構速足で歩いたと思うのに。
戸に背を預けた磐木がしきりに腕時計を確認する。
「早くして、そうしないと……」
「磐木は、東吾先輩と、付き合う感じ?」
「……聞いたんだ……」
磐木は口を堅く結んで、優しく息を吐いて、努めて微笑んで言う。
「うん……付き合う」
「そうか……」
「訊きたいのは、それだけ? 言いたいこととか……ある?」
「…………」
「ないの?」
「……何だろうなぁ」
晴太は用意していた言葉を忘れた。飲み込んでどこかへ行ってしまった。
磐木は腕時計を確認して言う。
「もう限界、行かないと……だから、じゃぁね」
戸のロックが解除され、磐木は晴太に背を向けたまま帰っていった。




