30話『妹は兄を財布と思っている』
「どこ行ってたの? 今日」
妹の春乃がカレーうどんをちゅるちゅると吸う。口の端に黄土色のカレースープが付着していてなんだか間抜け。
晴太は春乃の質問に少し悩むしぐさを見せる。言おうか言わないか、何かやましいことがありそうなふくみを入れてみた。実際は可愛い女子二人と映画を見に行ったわけだ。十分やましいことに含まれてしまいそうだ。
「言えないことなの? 春乃のご飯がコンビニうどんになるくらい」
「板チョコだってあるぞ」
「……話しずらした」
「隙を与えるのが悪い」
「で? 何してたの?」
「映画を見てきた」
「珍しい、なんの?」
タイトルは忘れたのでネットで調べてきた映画を適当にスマホに表示させてみせた。
「誰と?」
「誰と? まぁ……友達、とかかな」
春乃はむむむ? と疑い、難しいことを聞いた時のような顔をした。そして少し低めの声音で訊いてくる。
「お兄ちゃん、友達、居るの?」
「あぁ、そりゃな……いるよ。兄は実は学校でボッチです……なんて嫌だろ?」
「あー、そういうね……」
春乃はちょっと体を乗り出して晴太の肩をぽんぽんと叩いた。
それから夜中。
日付は既に変わり日曜日。まだ夏休みが明けてから二週間ほどしか経っていないことに晴太は……特に何も思わなかった。
日曜日だから特別何かしようという気は起きない、したとしてもゲームあるいは読書、究極には寝る。
そう悩んで黒い天井を眺めているとノックがした。次いで声がした。
「お兄ちゃん」
晴太の許可を待たずしてドアが開かれ、後光とばかりに強い光が漏れ入る。もちろんそこにいるのは神聖ではなく春乃だ。
「お兄ちゃんがナニかしてたらどうすんだよ!」
「そんなこと家でしないでよ! って、そうじゃなくてさぁ――」
「――家でやらないでどこでするんだよ!」
「もういいからその話」
春乃はきっぱりと食い下がる晴太のテンションを切り伏せ、まずゴミ箱に視線を向けてから部屋に入ってきた。ぼすんと一人掛け用のソファに腰をかけ、膝頭をくっつける。
春乃はなんだかもじもじとしていて気持ち悪い。遊ぶ指をいったん止めて言う。
「明日さぁ……暇?」
「……どう思う」
「…………暇」
しばし悩んで出した答えに晴太はそっと息を吐いてみせる。すると春乃は「え」ととても心配そうな顔をする。
「暇だよ、当たり前だろ?」
「うぅ、真面目に聞いてんだからちゃんと答えてよほんっとサイテー、そんなんだから彼女出来ないんだ」
晴太は抗議の視線を送る。春乃は気が強そうに胸を張る。小さくもなく大きくもなく、とりあえず晴太の手が完全に包めないくらいにはある。
「と、とりあえず! 明日、ちゃんと起きてよ」
「ちなみに今日がもうその明日なんだけど」
「え」
春乃にスマホの時計を見せつける。一応本当に明日、月曜日という可能性も無きにしも非ず。
「はいはい、今日ですよ……いちいち言わなくたってわかってるし、私の中での日替わり時間は四時だし」
春乃はログインボーナスがどうのこうの言いながら晴太の部屋を後にした。
そして翌朝。晴太と春乃は兄妹仲良く家を出て駅へとバスに乗り向かう。まだ気温の高い季節ということもあり袖が短い、スカートが短い。厚底サンダルから覗く爪はなんだかつやつやと光沢を放っていた。今まではしきりにスマホを確認していたのだが最近そうでもないことに晴太は気が付く。
「なに?」
「いんや? 今日はどこに行くんだと思ってな」
「散歩」
「散歩ってバスも使うのか」
言われてみたら散歩番組でもバスも電車も使う。自転車はダメなのだろうか。
「ほんとは秋物の服が見たい」
「じゃぁ要するに僕は荷物持ちってことだ」
「まぁそれもある」
力のある男が荷物を持つのは当たり前。だから春乃のリュックをもってさしあげようとしたのだが拒否られた晴太。
ICカードに千円チャージして改札をくぐりホームへ。階段を駆け上るとすでに電車が到着していた。全力疾走の末に駆け込み乗車。
駆け込み乗車はご遠慮ください――とアナウンス。
「ふぅ、まるでアクション映画のワンシーンだな」
「そんなかっこよくないし」
「まぁ、確かにな」
悩み事も少ない分、晴太は若々しい。小島なんてたぶんコンビニで酒を買っても止められないだろう。あんな男でも苦労してんのかと晴太はしみじみと思う。
乗り継ぎ二回ほどで一面の海。海にまたがる橋が遠くに見える。そんな場所。
夏の高い日差しを一面に受けて乱反射。キラキラと光る海面に晴太は目を眇める。春乃は適当にスマホのカメラで一枚。
「全然映えない」
「撮るのが下手くそなんだろ」
「じゃぁ撮ってよ」
「やだよ、恥ずかしい」
「……」
むすぅと不機嫌そうな顔をする春乃。これ以上言うと喧嘩別れしそうだった。晴太は先に口を慎んだ。
特に海の香りがするということはなく、もちろん下水の匂いがするということもなかった。
観覧車(カップルがいちゃつく場所)がトレードマークの大型のショッピングモール内は日曜日ということもあり、カップルをはじめとして親子なんかも多くみられた。その中で僕らは一体どちらに入るのだろう。もちろん家族なのだが。はたから見たらカップルみたいなのではないだろうか。そう思い晴太は頭一つ分斜め下を見る。
不思議そうな顔で見てくる春乃。勉強出来なさそうな顔してんのに。と思った。
「なに? なんか怖いんだけど」
「ゴミついてんぞ?」
「え、マジ。うそぉ……マジサイアク」
春乃はさささっと通路わきに移動してスマホの液晶で確認する。
「どこ、見当たんないんだけど」
「あー、もうないな」
「ほんと? はぁーよかった」
嘘だとカミングアウトしたら鳩尾に重たい一撃を食らいそうだったので晴太は嘘を突き通した。
安堵した春乃と肩を並べ、休日を過ごすというのは一体何年振りなのだろう。たぶんそんなにない。最後に記憶しているのは小学三年生の時、家族旅行で沖縄に行ったとき二人して迷子になったときの事だった。割と簡単に当時のことを思い出せた。思い出は時々思い出さなければすぐに忘れる。暗記科目と同じだ。
「んー、こっちもいいなぁ~あー超なやむ」
春乃は真剣を両手に持つ服に交互に向けていた。
晴太は目を細め、猫背気味に店内を見渡すと女性店員と目が合い、スッと何事もないように逸らされたことに軽くショックを受ける。ため息を吐いて背筋を張る。これも三度目。かれこれ一時間程が経った。体感的には十時間だろうか。
「とりあえず試着してくる、ちょっと待ってて」
「おう、ちょっと、ね」
たたたんと店員に促され試着に向かう春乃の背中を見送って晴太は近くのベンチに腰をドンと下ろした。磐木といてこんな足腰に悪い思いをさせられたことはない。いつも気を遣ってくれる。やはり春乃は妹なのだと思う。あれじゃカレシなんて千年早い。
晴太はカップルと思われる男女組を数える遊びをして時間を潰した。
「お兄ちゃん! なんでいきなりいなくなってんの! 超探したんだから!」
なぜか目の下を赤くした春乃に袖を引っ張られて再び店内に戻ると晴太は財布を出した。
「え? お兄ちゃんが金出すの?」
「当たり前でしょ?」
「は? もう一度」
「だから、女の子に財布ださせる気?」
「……春乃」
「な、なに」
「いいや、なんでもない。わかったよ。今日はお兄ちゃんが全額もってやる」
「わーい」
当たり前と思っているからだろうか、感謝の言葉が薄い気がしなくもない晴太だったがどうでもいい。ようやく奢ることが出来た晴太はそういう快感を得た。
服が三着ほど入った紙袋は意外と軽い。けれど長時間もっていると指の関節が悲鳴を上げる。
春乃は一度たりとも「持とうか?」などと口に出すことはなかった。
春乃はアクセサリーを見つけては「かわいい」などと言い、晴太を見るようになった。
たぶん春乃は相良同様『甘やかしたら枯れるまで甘えるタイプ』。
「そろそろお昼だしなんか食べようよ」
「何が食べたいんだ?」
「んー、ここー」
いかにも人が集まりそうな食べ放題。金がなくてたくさん食べたい学生にはうれしい場所だろう。晴太のように人ごみが嫌いな人間にとっては食事に適さない場所だったりする。それになんだか衛生的に気になってしまう。
「ほかにないのか?」
「逆に何がいいの?」
「お兄ちゃんが食べたいものか……そうだなぁ」
晴太は掲示板に指を向ける。
「パスタ? あーいいね。じゃそこでいいよ」
「こっちが良いんじゃないのか?」
「いいよ。お兄ちゃん行きたいんでしょ? 今日ずっとわがまま聞いてくれてるし選択権をあげるよ」
何様だコイツと晴太は思いながらも嬉しそうに口角を上げた。
三十分ほど並んでようやく店内へ。
「バイキングだったら絶対もっと並んでたぞ」
春乃は早速紙袋からアクセサリーを出してうっとりと眺めていた。晴太はメニューを上から下へと眺める。
「決まった」
「はや! ちゃんと見てんの?」
「当然」
「えー、ちょっと待ってよ、今見るから」
速攻で注文を決めた晴太と十分、じっくり時間をかけた春乃。
注文を済ませると春乃は再びアクセサリーに手を伸ばす。
「ねぇ見て」
「へー、似合ってんじゃん」
春乃は髪留めを側面に飾った。そんなちっこいアクセサリーひとつで印象が変わるとは恐ろしきかな。
「でしょ、まぁ家でしかつけないんだけど」
そう言いながら髪留めを外して紙袋にもどし、今度はネックレスなんかを取り出した。
「ん……んんー……ふん! あぁ……ねぇ。つけて」
晴太はやれやれと腰を上げ春乃の隣に腰を下ろす。春乃は反対に身体を向け、後ろ髪を上げる。生憎うなじフェチではない。
「ついたぞ」
「ありがと。どう?」
「似合う」
「……かわいい?」
「……まぁかわいいんじゃないか」
「まぁ、って?」
「…………」
しばらく困る晴太に春乃は、
「くふっ……変な顔」
前菜のサラダが届き、すぐにパスタが来た。当然まずいなんてことはない。
食後にパフェまで平らげた。
それから晴太は春乃に引っ張られゲーセンを巡ることになる。そうこうしている間に長い日は沈み、都会の稜線が茜に染まっていく。
「あれ乗りたい」
そう春乃は観覧車を指さして言う。晴太はしばらく悩み了承。
「あれはな、カップルで乗るもんだぞ?」
「うわ、その考えがキモい」
観覧車が頂上付近に差し掛かり、奥の方で広がるサイリウムの光。
「なんかのライブか?」
「ねぇ、」
下界を覗き込んでいた晴太は春乃の言葉に目を向ける。そこにいたのはもちろんほかの誰でもない春乃。
「……な……」
「……別に……深い意味はない――あんま見ないでよ」
そっと肩に乗った春乃の手が離れていく。元の席に座り込んだ春乃は髪を指に巻き付けて視線を合わせようとはしなかった。
晴太は、春乃にキスをされた。頬だけど。
結局兄妹は終始無言に駅まで帰った。
春乃は帰りの電車内で椅子に深く座りうとうととしていた。
「最寄りになったら起こしてやるよ」
「ん……あっがと」
肩を貸すということはなく、仕切り板が安定だった。
結局その後、晴太もつられて寝てしまい、春乃に叩き起こされるという事態に陥ったのだった。
晴太は今日のことを努めて気にしないに決めた。
「今日ありがと……私、がんばるから」
「ほどほどにな」




