19話『虫の知らせ』
それからしばらく経って文化祭準備が始まった。
校内は喧騒に満ちていた。
午前から放課後までの長い準備時間は不思議と短く感じるものだったりする。
それはきっと、授業というただ参加するだけの退屈とは違い、体を常に体を動かしているから。やはり汗を流すというのは気持ちがいい、それもクラスの、名前も知らない人のために。
そんな晴太は今、足りない分の机と椅子を運んでいた。それを運び終わった後、晴太は調理実習室へと行かなくてはならない。そういう約束だ。どうしても感想が欲しいらしい。
「村川くん大丈夫? もとうか?」
「いや、僕男子だから」
「椅子くらい持つよ」
「まぁ、椅子くらいなら。じゃぁ頼むよ、ちゃんと足元見てあるきなよ」
「心配し過ぎだって、私だって、それなりに体力つけてるんだから」
そう言って磐木は胸の高さまで椅子を軽々と持ち上げてみせる。「どうだ」という表情についつい見とれてしまう。
「あ、そういえば――」
磐木は思い出したように晴太に伝えた。
そんな感じで磐木もクラスの連中と協力して小道具づくりなどに精を出していた。
けれど残念なことに土曜、日曜はイベントがあるらしく磐木は不参加。仕事だから仕方ないのだが、そう思ってくれるような高校生はいるのだろうか、大抵はズルいとか言う。小学生か。
「じゃ、僕はちょっと味見行ってくる」
「おっ、晴太はサボりか?」
「うっせぇ……、……そうか。そうしようか」
「あ?」
この前の約束を思い出した晴太は志良を倣って不敵な笑みを浮かべ、小島の肩をそっと掴んだ。
そして晴太と小島はいったん準備を抜けて志良のもとへ馳せ参じる。
もちろん晴太はいやいや、表面しか知らない小島は楽しげな笑みを浮かべていた。
「で? この前のイイ事って何なんだ? 楽しいことか」
「まぁ、腹は膨れるな。楽しいかは知らないけど」
「さては味見か? そういや俺今日朝飯抜いてきたんだよ」
「なんのために」
「さぁ? 虫の知らせ、ってやつかな」
「虫の知らせ、ねぇ」
小島が意味を分かって言っているのか知らないけれど、あながち間違っていない。
けれど晴太はそこまで酷くはないだろうと踏んでいる。なぜなら晴太は週に三回ほど、放課後志良に料理を教えているから。時々創作に走るが足を引っかけてやる。とりあえずレシピに従うことが出来るようにはなった。カレーがカレーになった。
「――うっま!」
「言うほどか」
「そうだろうそうだろう、育ち盛りの男子にはやはりカレーだと思ってな。どうやら正解らしいな」
フムフムと満足げに頭を振る志良。朝食を抜いてきたおかげでスプーンが進む小島。彼には全盛期の彼女の手料理を味わわせてやりたい。
「で、結局出すものはカレーだけなんですか?」
「いいや、ほかにも麺類、具体的にはパスタなどを考えている」
料理番組さながら、出てきたパスタはひき肉とトマトのシンプルな味付け。これも食えるものだ。触感の楽しみとして企画したのは乾燥パスタを砕いて入れようというもの。歯茎に刺さってとても痛かった。もはや食い物ではなかった。これに関しては志良もふざけてやったと供述。現行犯でお縄だ。
「それとこれなんだ、まぁ晴太君が言いたいこともわかるんだが一口でいい、感想をくれないか」
そう言って出されたスープ。具材はなく、汁だけ。キラキラと黄金色の油が奇妙。
晴太は当然顔をしかめた。香りは良い。香りだけは。けれど味は正反対というのが志良の生み出す特徴。
晴太はそっと、腹をさする小島の肩に手を置いて、優しい笑顔でマグカップを差し出した。
「お、次はなんだ? ……すげぇいい香りじゃん! どれどれ」
ビグビグと液体が嚥下していく。その様子を隣で戦慄しながら見守る晴太と、固唾を飲んで見守る志良。
そしてマグカップとともに天を仰いだまま硬直したのだった。
「まさか……」
「これは……うん。死んでるな」
「……うめぇ」
マグカップを置いた小島は恍惚と天井を仰いだ。眼が逝ってる。そんな彼の様子を見て志良は。
「そうだろうそうだろう! ということだ晴太君。一杯どうだ」
小島の脱力した両手、弛緩した指に指を絡ませ、歓喜する志良がさぁさぁと危ない人みたく勧めてくる。
「……あの、変な薬とか……」
「ないない」
瞬きせずノータイムで食い気味に答える志良。
「…………後遺症出たら責任取ってくださいね」
「末代まで面倒見よう」
晴太は覚悟を決めて黄金色のスープを啜った。ほんのちょびっと、飲んでいるように見せかけてほとんど飲んでいない。はずだった。けれど晴太の口はいつの間にかしっかり開き、咽喉もしっかり開き胃袋にストレート。
ありふれたコンソメ風味なはず。けれど癖になる後味。
「これ、独占したい」
「これで私も、ようやく一人前だな。師匠!」
志良はガシッと晴太の手を強く握り、良き師弟の顔つきだった。
教室に戻ると準備は順調に進んでいるようだった。
「磐木さん、僕が代わりにやっておくよ!」「磐木さん! 俺が代わりに――」「磐木さん! お茶買ってきたんだけど――」
普段サボり気味な男子はやたらよく動いていた。それも自ら進んで。




