⑥ 召喚された「天使」
彼に触れて慰められて… しばらく経った。
私達は帝国へと続く街道から外れ、鬱蒼とした森の中の一角で暖を取る。
辺りは既に暗くなっているが、暗くはない
その要因は「彼」が従わせている従者にあるだろう。
彼の目は光る それも眩しい程光る 彼の鉄兜ごしの目は爛々と輝き
本来は何も見えないあろう程の夜の闇を眩しく照らし出す。
その光は帝国が魔法で作り出した烈火の炎よりもまばゆい。
そして何より不思議なのはこの光 別にそこまで熱くないのだ。
彼の鉄兜の傍に寄っても、燃え盛る熱い火の圧迫感も何も感じない。
熱くもなく、何より火よりも眩い光 そんなの見た事も聞いた事も無かった。
だがそれは現実として目の前に存在する。非常に不思議に思う。
それから彼を従える「彼」を見る。
彼は従者に付けさせた焚き火に木棒を突き立てながら
道中で捕らえた大鹿の肉を焼いている。
肉の焼ける香ばしい匂いが私の鼻腔をくすぐる
しかしその焼ける肉の匂い以上に気になるのは、彼のその腕だ。
彼、そう彼はその自分の体躯の数倍はあるであろう大鹿を素手で殴り殺したのだ。
従者である彼が大鹿を追い立て「彼」がその止めを刺す。
目にも留まらぬ速さで彼は大鹿の頭を砕き、殺した。
見事な連携行動だった。
だが、ただの人間にそんな真似が出来るとは到底思えなかった。
彼の手、主にその右手なのだが
彼の右手もまた例の従者と同じく鉄に覆われた篭手である事に気付いた。
もう片方の手は何も付けていない。 そして、気のせいだろうか?
先ほど彼が捕らえた大鹿を捌く時に、彼の腕が刃物に変化したように思える。
そしてその刃物は捌き終えた後、元の腕に戻った。
人並みに体重があるであろう私を片手で担いで運んだ経緯から見て分かるように
彼の右手、いや彼自身の肉体能力であろうか…
彼は、どうやら凄まじく力持ちなようだ。
うん、そうなのだろう… 分からないけど
それからしばらく思考に浸った後、私は彼を見る。そして彼もその視線に気付く。
彼はこちらを見て笑った。それはやはりとても優しい笑顔だった。
彼はとても優しく穏やかに笑う。
それが最初の彼の厳しい目つきからは想像出来ず
意外性を持って私の心を捕らえるのだ。
元々召喚獣と言うのは従者に従うものだ。だが彼は人、獣では無い
獣でないのであれば、その意思を奪う事など不可能だ。
だとしたら、彼の笑顔は私を同情している憐れみの笑顔なのだろう。
よく考えたら当たり前の事、なのかもしれない
私の手足は既に無く、喉も潰されている
顔も殴られた痕が未だに残っている事も道中の水溜りで確認済み
まだ知り合ってそう時は経っていないが、彼が善良な人物である事は分かる。
故に、彼は私を気遣ってくれているのだろう。
しかし… その気遣いをしてくれる彼をあろう事か「召喚」し
巻き込んでしまったのは私
だがその事実をおそらく彼は気付いていない。
顔立ちや髪の色 言葉が通じない面から見ても、彼はおそらく異邦人
本来なら右も左も分からず、慌てふためいても良い筈なのに
彼は私を気遣っての事なのだろうか、ただ黙って私に笑いかけてくれる。
それはとても有り難い事なのだろう
だがそれだけに罪悪感で心が潰れそうになる。
彼の歳は中年である。若くは無い ならば家庭もあっただろう
もしかしたら私は彼の息子や娘から、肉親を奪ってしまったのかもしれない
帝国に故郷を焼かれ、家族を奪われた私が、自身のその術で
同じ環境の存在を生んでしまった。
それは私のとって後悔すべき事象であり… 「ホラ、ニクガヤケタヨ」
「ガッ、グ…」
彼が私に語りかける。言っている意味は相変わらず分からない。
だが伝えようとしている事は仕草で分かる。
彼は私の目の前に細切れにした肉を
二つに割って棒状にした枝で器用に口元に近づけている。
私に腕は無い。つまり、彼は私に食べさせてくれると言うのだ。
正直気恥ずかしい だが同時にありがたくもある
手が使えない以上、まともに食事を取る事など不可能なのだから
命を救って貰った上にこんな面倒まで…
私は初め、彼が召喚されて来た時に慈悲の無い悪魔などと言った事を後悔した。
悪魔などとんでもない むしろ彼はそれの反対の存在だ。
「ガッ、グ… ゲ… ガガ…」
潰された喉で何とか彼に礼を言おうとするが、やはり声は出ない。
だが彼には私の言おうとした事が伝わったのだろう。
優しく笑い、肉を口に運んでくれた。
口に入った肉から熱はあまり感じない。彼が冷ましてくれたのだろう
私がそれを咀嚼すると、香ばしい匂いと肉汁が口に広がる。
美味しい…
最近食べた物と言えば帝国兵に無理やり食べさせられた雑草くらいだ。
それだけに彼の優しさと肉の美味しさが重なって、ポロポロと涙が出てくる。
そして彼は私の目から流れた涙を優しく拭ってくれた。
その行為もまた私の涙腺を刺激する要因にしかならず、私はまた涙を流す。
その涙を、彼は延々と拭い去ってくれた。
それから私は彼の膝で運ばれ、静かに目を閉じ… 眠りに入る。
久しぶりの… 穏やかで温かい眠りであった。