323日目 アルン
私がグラムナードから帰って来て4日目。
やっと、エルドランの姫君を工房に迎え入れる準備が出来た。
まぁ、準備と言っても年末の税金を支払う為の資料を作成し終わっただけなんだけどね。
どんな立場の人が工房へ見習いに入るとしても、設備自体が変わる訳じゃない。
初日の今日は、お昼の休憩が終った後にトーラスさんが連れて来てくれる事になっている。
「そろそろですぅ」
「ん。精々可愛がる」
「コンカッセ、その言い方だと違う風にとれちゃうよ?」
ソワソワと落ち着かない様子のアッシェに、何故か臨戦態勢に見えるコンカッセ。
アッシェの反応はともかくとして、コンカッセの方はちょっと困ってしまう。
「人の恋路を~邪魔するやつはぁ~!」
「うまにけられてしんぢまえーなのですー!」
「いやいやいやいや、そう言うのは取り敢えず忘れてね?」
私達の遣り取りを黙って見ていた売り子のお姉さん達も、流石に窘める方に回ってくれた。
「あんまり喧嘩腰に見てしまうと、本質を見逃す事になっちゃうわよ。」
「むぅ。」
「ディーナさんの言うのも、分からないでもないですぅ。」
「は!」
「そう、良い人のフリをして近付いて……」
「後ろから刺す!!」
「「刺しちゃダメ―!!!」」
期せずして、ディーナさんと私の声がハモった。
「本当に刺す訳ではない。」
「コンカッセなら『つい』って言いながらやりかねない……。」
「ほんとにやっちゃうのは、一応ポッシェ相手だけですぅ」
「うむ。罪のないじゃれあい。」
「じゃれあいで本当に刺したりしちゃダメでしょう。」
前に、道のど真ん中でポッシェのお腹をコンカッセが差した時の事を思い出して、頭痛を感じながらそう口にした。押すと引っ込む玩具のナイフだというのが分かった後は、周りの人達に必死で頭を下げたんだよね……。血糊まで出るとか、無駄に手が込みすぎてる上にタチが悪いと思う。
「ともかく、新しい妹が出来ると思って接する事!」
「「はぁい」」
結局、最後には一番通じやすそうな例えで釘を刺す事にした。
これで、変な事をしないでくれればいいんだけど……。
釘を刺してからさほど時間を置かずに、トーラスさんがエルドラン公の孫娘を連れて工房に訪れた。
容姿はアッシェ達から先に聞いていた通りな感じで、真っ直ぐな黒髪に明るいアクアブルーの瞳が印象的な可愛いというよりは綺麗なイメージの女の子だ。
髪の両脇だけを下の方で結んで、後ろはそのまま降ろしているというのがちょっと変わってるかな?
「はじめまして。トーラス様からこちらの工房にご紹介頂きました、アルンです。」
そう言って微笑みながら、スカートを軽くつまんで軽く腰をかがめる。
そんなちょっとした所作をとっても、優雅で気品を感じさせた。
頭を下げないのは、大貴族の直系だからかな。
貴族としては平民に頭を下げる訳に行かないんだろうけど……。
ここで働く間だけは、その辺りの矜持になんとか折り合いをつけて貰わないといけないかな……。
最悪、奥で調薬だけとかになるかもしれない。
それは置いておくとして、初めての相手に対しても緊張を感じさせないあたりは、流石貴族ってところなのかなぁ……。
私にはちょっと、真似できない。
……出来るようにならないといけないんだろうなぁ……。
彼女の所作を見て、アスラーダさんと添い遂げるつもりならそういった勉強も必要なんだと付きつけられた気がした。
今度、ラヴィーナさんにでも相談しようと心の片隅にメモしておく事にした。
アッシェもコンカッセも、補充作業に掛かりっきりだからお願いする訳にいかないので、今日は私の方から工房の人間を紹介や仕事の流れの説明を行う事にする。
彼女は私の後に付いて、それを聞きながら必要そうな事にはせっせとメモを取っていて、それを見ているとアッシェ達は勘ぐり過ぎなんじゃないかと思ってしまう。
何と言うか……。
凄く、やる気がある様に見えるんだよね。
これが、気のせいじゃないと良いんだけど。
一通り説明が終ると、明日は開店前から来てもらう様にお願いして、彼女には引き上げて貰った。
「それでは、明日からお願いいたします。リエラ師範。」
そう言って、トーラスさんに連れられて帰って行く彼女を見送ると、ため息が口から洩れた。
今からこんなんじゃ、明日からが思いやられる。
アッシェやコンカッセの為にも、私がしっかりしないと!
思わず寄り掛かってしまっていた扉から体を引き上がすと、両頬を思いきりペチン!と叩いて気合いを入れ直した。
さて!
明日からの事をきちんと決めないと。




