肆幕 あの時の真実、目の前の事実 下
「ところで、いつまでも抱き付かれていてはぬしを下ろせないのじゃが?」
「えっ、あ、うん。ご、ごめん……」
指摘されて狐子に思いっきりつかまっていたことを思い出す。ちょっと恥ずかしいな……。
「お待ちしておりました、狐子様、慎一君」
狐子に下ろしてもらっていると、社務所の中から出てきた人にそう声をかけられた。あの人は……たしか蒼井帯人さん。昔、ケンカしてた頃はよく心配されたっけ。
「慎一君はこっちへ。ここからは人間にはちょっと早い世界だからね」
そう言って手招きする蒼井さん。狐子の方をうかがうと、それに同意を示してうなずいていた。よく分からないけど、言われたとおりにしておこう。そのまま社務所の中に入る。
「まあ、座って話でもしないかい? ここに君が来るのは、妹さんの件があって以来初めてだからね。それに、聞きたいこともいろいろあるんじゃないかい?」
「……そうですね」
勧められた座布団に座る。さて、どこから聞いたものか……。
「とりあえず、蒼井さんはいつからこの世界に居たのですか?」
とりあえず、そう聞いてみる。
「うーん……そうだね。たしか、君が生まれるよりも前だよ。神主になってちょっと後に、ここの神様にあってね。いやぁ、最初はびっくりしたけど……今では一緒にゲームをしたりする仲だよ」
「神様ってゲームやるんですか……?」
「うん。少なくともここの神様はね。人間の文化に興味があるらしいよ」
そうなのか……って、そんなことは割とどうでもいい。
「神様とか、その敵とか……正直、今でも信じられない気分です」
「はは。確かに、ゲームやマンガの世界だもんね。でも、紛れも無く現実だよ。頬でもつねってあげようか?」
「いえ、大丈夫です……痛覚のある夢を経験したばかりなものですから、つねられて痛くても多分信じられません」
「痛覚のある夢……? それ、もしかしたら精神世界かもしれないよ?」
精神世界。聞き覚えのある言葉に反応する。
「え……? それも現実に存在するものなのですか? ただの都市伝説じゃなくて?」
「僕も経験したことがあるけれど……たしかに、感覚としては夢に似ているね。ただ、痛覚だとか、普通の夢には無い物があるっていうのが違う。だから、たぶん慎一君の見た物は精神世界だと思うんだけど……」
そう言って頭をかく蒼井さん。うぅ……信じられないものが続々とでてくる。気が狂いそうだ。
「ところで、慎一君。君はどうして狐子様と――」
ドズン! そこまで蒼井さんが喋ったところで外から轟音が響いた。なんだ!? 雷でも落ちたのか……?
「うーん……今のは狐子様の方かな? 小夏様は、術は苦手だって言ってたし……まあ、どうでもいいか。で、慎一君。君はどうして狐子様と出会ったんだい?」
え、今のどうでもいいの? ものすごい音でしたよね!?
「え、えーっと、ですね……」
気にはなるけど、とりあえず狐子と出会った経緯をかいつまんで話す。
「影のように変化する体の男、か……小夏様から聞いている範囲では、覇王軍第三位、“幻惑する幻影”に近いかもしれない」
「幻惑する幻影……?」
なにそれ。厨二病?
「二つ名というか、通り名というか……とにかく、戦闘スタイルとかによって付けられる名だね。狐子様が金色の戦姫と呼ばれていただろう? そういう物なんだよ。名前が分からない以上、何かつけないと個人認証がややこしいし……」
「あ、はい。その辺はなんとなくわかりました」
「とりあえず、その男はものすごく強い、ものすごく高位の霊体だってこと。狐子様相手だったら、それくらいの相手が出てもおかしくないか……」
蒼井さんは一人で納得しているようだけど……一つ聞きたいことができた。
「ところで、覇王軍というのはいったい?」
「あ、そのあたり教えてもらっていないのかい?」
「はい。今聞いた限りでは、神様である狐子の敵なんだから、たぶん悪い奴なんだろうな、くらいの認識です」
僕の言葉にうなずく蒼井さん。
「まあ、覇王軍というのは悪神や悪魔の集まりだと思ってもらえればいいよ。ある日、覇王を名乗る者が現れて、神や魔に向けて宣戦布告を行った。それに同調する悪神や悪魔が集まって、いつの間にかかなりの規模になっていた……聞いていないから分からないけれど、狐子様はおそらくそいつらを討伐するために各地を転々としていたはずだ。そして、力を使いすぎた……だから、神野さんの家に普通の人間という感じで入ったんだろうね。僕のような神主以外にも神や魔に協力する人間はいるから」
えっと……悪神というのは文字通り悪いことをする神様の事だったよな。悪魔と神はそのまま受け取ればいいはず。じゃあ、魔というのは?
「うーん……人間の概念で受け取りやすいように説明すると、良い事をする悪魔というか、世界の秩序を守るための必要悪というか、負の存在というか……」
なるほど、そう言う存在なのか……って、あれ? 僕、口に出していたかな……?
「あの、蒼井さん……」
「口には出ていないけど、顔には出ていたよ。神様相手にいろいろやっているとこれくらいはできるようになるものさ」
それって、読心術なんじゃあ……。
「慎一君はどこかわかりやすいからね。疑問があります、って顔されたから、たぶんここが引っ掛かっているんだろうな、と思ってさ」
「は、はぁ……」
うーん……蒼井さんって、僕が思っているよりすごい人だったりする?
「まあ、話をもどそうか。狐子様を襲っていたのは、その集まりの中でも最強クラスに位置する相手だと思われる。確実に狐子様を消そうって考えがひしひしと伝わってくるけれど……戦闘狂か。強い相手と戦いたい、っていう考え方をする相手だったからこそ、狐子様も、慎一君も助かっているわけだね」
「確かに……もしも狐子を確実に殺すような相手だったら、最初に出会った時点で僕、死んでますもんね」
そう考えると、僕も狐子も運がいいというかなんというか…でも、狐子が全力を出せる状態まで戻ったらそいつも本気を出すのか……?
「恐ろしいですね……そんな相手に殴り掛かっていたとは」
「そうだね。もしもその場に僕が居合せていたら全力で止めていたであろうくらいの事をしてる」
「ですよね……」
今生きていること自体、奇跡みたいなものか……。
「ちなみに、そいつの名前は自分の体から影を一部分だけ使って分身するような能力があるからつけられたらしいよ。小夏様いわく、瞬間転移術を使った反応はなかったらしいから、慎一君が会った幻惑する幻影は分身かもしれないね。構成する影をその場で消去すれば一見瞬間転移でもしたかのように見える……うん、確かに幻惑させられるね」
「よく分かりませんけど……狐子が今出せる全力を使って撃退したのは、分身にすぎないという事ですか?」
「たぶんね……分身が本体より強いってことは無いと思うから、相手の方は全然本気は出していないと思う」
狐子がかなり強いらしい、という事は蒼井さんの言葉でなんとなくわかる。その狐子が、いくら弱っているとはいえ本気を出してやっと見逃してもらえた相手。それが本気なんて全く出していないなんて……今後が不安になるな……。
「……ん、そろそろ外も落ち着いたようだね。一旦様子を見に行こうか」
そんな不安が表情に出ていたのか、僕を励ますようにどこか明るく言う蒼井さん。たしかに、さっきの落雷みたいな音以来特に何も聞こえないけど……。
「そうですね……ここの神様がどんな方なのかも興味がありますし」
神様というくらいだから、威厳のある存在なのだろうか。でも、ゲームとかやるんだよな……うーん、どんな存在なのか想像できない……でも、狐子を見てると神様と言っても意外と人間味にあふれているのかもしれないと思う。
蒼井さんの後について社務所を出る。さあ、どんな神様なのか?
「うぇ~っへっへっへ……狐子の尻尾モフモフ! いやぁ……たまりまへんなぁ~」
社務所の中に戻る。
……本格的に精神に来ているのかもしれないな。狐子の尻尾に顔をうずめる、狐と思わしき尻尾を九本と、同じく狐らしい耳を生やした女性の幻覚が見えるなんて。
「慎一君、どうかしたのかい?」
中に戻った僕に気が付いて、蒼井さんも戻ってくる。
「いえ、変な人がいたように見えたので……」
気のせいかな? 気のせいだよな? 外見的には狐子と同じような存在だとしか思えないけど、神様と呼ばれる存在が巫女服着ているわけないもんな?
「変な人なんていないよ。気のせいじゃないかい?」
「そう、ですよね……幻覚か何かですよね」
蒼井さんの言葉を信じて再び社務所の外に出る。
「ツルペタがっ! このツルペタがたまらない! 成長してなくて良かった! ね、ね! 直に見ていい? 触っていい? 撫でまわしてもいい~!?」
……おかしいな。蒼井さんに騙されたかな?
「あの……変態がいるんですけど」
「……えーっと。一応、その変態がここの神様だよ。変な人っていうから、神様である小夏様の事じゃないかと思って」
「いや、普通分かりますよね!?」
思わず叫ぶ。それに気が付いてか、へんた……もとい、神様がこちらを向く。
「……コホン。よく狐子を守ってくれましたね。感謝します、人の子よ」
「えっと……すいません、威厳ある姿を見せたいんでしょうけど、さっきの姿を見た後では凄く今更です」
とりあえず、威厳ある姿を見せたいんだったら抱きかかえている狐子を下ろしたほうがいいと思う。
「どこから見ていたのかしら……?」
「狐子の尻尾に顔をうずめているところと、胸のあたりに頬ずりしているところは見ました」
「……チッ。畏敬されるにふさわしい神様やってみようと思ったのに」
「どうでもよいが、そろそろ下ろせ」
うわ、本当の姿を知ってからは一時間も経ってないけど、たぶんこれ以上はないであろうと思うくらいに狐子の顔がいらだちに染まっている。
「とりあえず、おひさね。慎一君。狐子を守ってくれたこと、いくら礼を言っても言い足りない思いよ」
「おひさも何も、お前があやつの前に姿を現したのは今日が初めてじゃろう。あと、下ろせ」
「あっあ~、そうだったわね。じゃあ、初めまして、遠坂慎一君。私は日向小夏。ここ、遠坂町近辺を担当する土地神よ。ちなみに狐子とは……一言では言い表せない関係ね」
「ただの腐れ縁じゃ。大丈夫だとは思うが勘違いするでないぞ。それと小夏。いいかげん下ろせ」
「もう、狐子ったら冷たいんだから……私にとっては一言では言い表せない関係なのよ? 裸の付き合いだってしたじゃない!」
「はっはっは、わしが冷たいか。ならば温めてやろう。狐火」
狐子がそう言うと同時に神様……小夏さんの体が燃え上がった。なにこれ、人体発火現象?
「あひぃぃぃ! あっつい! でも、狐子が私にしていることだと思うと……ンギモヂィィィ!」
……だめだ。この人、凄くどうしようもない。何をしても逆効果。典型的なストーカータイプだ。
「やれやれ。ここまでせねば手を離さぬとはのぅ……相変わらず、ある意味尊敬に値するな」
僕のそばまで歩いてきてぽつりと言う狐子。
「あの、さ……狐子。あれ、狐子がやってるならそろそろ消したほうがいいんじゃあ……?」
いまだに燃え盛っている小夏さんの方を指さしながら言う。大丈夫? 死んでない?
「前から時折やっておる事ゆえ、心配はないと思うが……まあ、ぬしがそう思うなら消しておこう」
そう言って狐子は指を鳴らした。それと同時に小夏さんを覆っていた炎が消える。
「はあ……はあ……ヘヴィなツン、いただきました!」
「……本当に消した方が良かったと思うか?」
「……社会的に消したほうがよさそうだとは思うよ」
口ではそう言いつつも、少し心配なので小夏さんの方へと歩み寄る。しかし、燃やされたのに外見に変化が無いってどういう事だろう……。
「大丈夫で……わぶっ!?」
地面に倒れている小夏さんを引き起こそうと手を差し伸べる。それと同時に思い切り引っ張られて小夏さんに全身を固められる。
「……あなた、狐子とどういう関係かしら?」
「狐子とどう、って言われても……偶然知り合ったとしか痛いぃぃぃぃ!?」
まずい、関節を極められている!?
「なら、なんで呼び捨てにしているのかしら……? だめよ、私くらい狐子と親密じゃないと、呼び捨てになんてさせないわ」
「そ、んなこと言われてもぉぉぉぉ!? 妹みたいなものだと思えって本人に言われた以上さん付けするのも変な気が痛い痛いいたいぃぃぃ!」
まずい……! 狐子と同様、ものすごい力が強い……! このままじゃ……外されるどころか、折られる!?
そう焦っていると、狐子が笑顔で……仮面のような笑顔でこちらに歩み寄ってくるのが見えた。
「ふんっ!」
そして、小夏さんの顔面を思い切り踏みつけた。
「……気が済んだか?」
「ええ……今は足裏で目をふさがれているけれど、このまま足をあげれば、スカートの中……すなわち、狐子のおぱんちゅが見える! そう考えればこの程度の痛みぃ!」
「そうか……」
「見え……! スパッツ、だと……!?」
「果てよ」
ごっ、ごっ、ごっ、ごっ……何度も、何度も踏みつける音が聞こえる。回数が増えるたびに、拘束が緩むのを感じた。
「ぬしよ、無事か?」
「うん、少し痛いけど、大丈夫」
それより、狐子の靴に返り血めいたヒスイ色の液体がついているようだけど、大丈夫? とは聞けなかった。
「まったく……くだらぬやきもちを焼くでないわ、小夏」
そう言いつつも足は小夏さんの顔からどかさない。
「許さない……! 私以上に親密でないくせに呼び捨てにするなんて許さないぃぃぃ!」
うわ、ものすごい怨念を感じる……。
「やれやれ……それほど親密さにこだわるのならば……」
ぐりっと小夏さんの顔を踏みにじってから僕の腕を取る狐子。え、何?
「おにーちゃん……今晩は、いっしょにお風呂に入りたいです……」
恥ずかしそうに頬を染めながら口にする狐子。それは、恥ずかしがり屋の少女が精いっぱいの勇気を出して言っているようにしか思えなくて、思わずうなずいてあげたくなるものだった。
「ゆぅぅぅぅるぅぅぅぅさぁぁぁぁなぁぁぁぁいぃぃぃぃっ!」
実際、こんな強大な怨念が向けられていなければうなずいていたと思う。
「一応、年頃の男女だから一緒にお風呂っていうのは問題があるんじゃないかな……? というか、今の流れでどうしてお風呂にいっしょにはいるという話になるのさ」
「むぅ……年頃も何も、わし千歳超えておるのじゃが……まあ、裸の付き合いをすれば少しは親密になれるかと思ってな」
「異性でそれは親密ってレベルじゃないと思うわ、狐子」
あざだらけになった顔で起き上がる小夏さん。一応女性相手にあそこまでやっていいのだろうか……。
「あー、いた気持ち良かった……足つぼマッサージで悪い部分のツボを押された気分ね」
そう言って手で顔をこすりだす小夏さん。こすり終えるころにはあざや傷が一つ残らず消えていた。なんていうか……神様の力の無駄遣いだなぁ……。
「やれやれ……お前は何でも快楽に変換するのぅ」
「狐子にされることの九割九分九厘は快楽に変換できますが何か?」
「そこまで行くと快楽に変換できぬ一厘が気になるから不思議じゃな。さて、いいかげん本題に入ろうではないか」
「ええ。いつでもいいわよ? まったく、入れなかったのは誰のせいだか……」
「お前のせいじゃろうが。まあ……助けてくれたことには礼を言うぞ、小夏」
助けてくれた? という事は、あのカラスは小夏さんが?
「どういたしまして。今度本人にも言っておくわ。会えたらの話だけど」
「と、言う事はあのまま帰ったのか?」
「ええ。報酬は先に払っておいたから、次に会う時がいつになるか……」
「八咫の連中はいつもそうじゃな……まあ、監視役としては優秀だという事は否定できぬが」
よく分からないけど……あのカラスは八咫というのかな? と、なるとヤタガラス? 神話の中の存在じゃないか……って、神様と会っているのに今更か。
「それにしても、希薄化するまで力を使うなんて……ずいぶん無茶をしたのね。アレと戦う前に何があったのよ」
「ああ……その件か」
ん、僕も気になっていた事だな。希薄化というのは、たぶん狐子の体が半透明になっているのと関わりがあるはず。力を使いすぎるとなることのはずだ。
狐子がかなり強いであろうという事は蒼井さんとの話の中で悟った。そんな狐子が力を使いすぎるなんて、何があったのだろうか?
「少し、な……覇王と戦った」
沈黙が走る。今……なんて?
「覇王って……あの、覇王?」
恐る恐る、という感じで小夏さんが尋ねる。覇王って……さっき蒼井さんの言っていた、覇王?
「その覇王以外に覇王がいたら教えてほしいものじゃな。覇王軍元首……“絶対なる者”。その二つ名にふさわしい強さじゃった……今こうして存在していることが不思議なくらいにな」
「ちょ、ちょっと待って。その時、狐子は全力を出せたのでしょう? それなのに、そう感じたの?」
動揺を隠しきれない様子で聞く小夏さん。それだけ動揺するという事は、やはり狐子はかなりの力を持っているんだな…そして、覇王はそれ以上の力を持っている。
「ああ……わしは本気も本気。これ以上ないだけの力を出した。それでもなお、彼奴は倒せなんだ……それどころか、本気を出させることができたかすら怪しいものじゃ」
「そんな……それだけの強さなら、覇王一人で一個連隊規模の力を持っていてもおかしくないじゃない!」
連隊!? 国によって規模が違うとはいえ、ものすごい人数だぞ? たしか、戦時中の日本で千から三千人規模……。
「まあ、彼奴一人で人間界制圧が可能と言われている理由はよくわかった、とだけ言っておこうかの」
「そうね……連隊規模ならそれぐらいの力は有しているわ。人の世界を敵に回せる存在、という事なのね……」
人の世界を敵に回せる……つまり、人間の世界に存在する兵器群は通用しない、と考えてよさそうだ。それにしても、そんな相手と戦える狐子って、どれくらいの力を……?
「さて、ぬしよ。再確認するが……そんな世界に足を踏み入れるのか?」
僕の方を見てそういう狐子。地球が束になってもかなわない相手と戦う可能性がある、と知ってなお狐子の事を守りたいと言えるのか。そういう事なのだろう。
「そんな相手がいるなんて知らなかった……正直に言って、僕がどれだけ矮小な存在なのか思い知らされたよ。でも、狐子の足手まといにならない程度の存在でありたい。僕は……狐子の兄なんだからね」
「……やれやれ。そんな恐ろしい世界とは知らなかった、やはり術をかけてほしいなどと言うとは思うておらなんだが、まさかまだそのようなことが言えるだけの気力があるとはの」
あきれた様子の狐子。やっぱり、そう思われるようなこと言ってたのか……。
「小夏、良かったらこやつを鍛えてやってはくれぬか。気力だけは新人よりよっぽど強い」
それって……僕が戦ってもいいってこと!?
「狐子の頼みは断れないわね。私としてもたまには体を動かしたいところだったし……いいわ。きっちり育ててあげる」
「うむ、すまぬな」
「えっと……小夏さんって、強いんですか?」
正直なところ、今は変態という認識しかないのだけど……。
「ふっふっふ……これでも、敵さんには白銀の舞姫と呼ばれて恐れられているのよ? 狐子ほどではないけれど、それなりに強いわ」
「たがいに全力を出せると仮定すれば、近接戦では小夏が、術などを使用した中、遠距離ではわしが勝つじゃろうな。ここまで言えば白銀が意味するもの……分かるな? ぬしよ」
「うん。刀とか、そう言う金属のきらめきを指しているんだよね? 狐子」
僕がそう言った瞬間、小夏さんの姿が消えた。
「まずい! 後ろじゃ!」
「え――」
振り返ることもできず、後ろから倒され、首を押さえられる。
「断罪スル首刈乙女」
その声は小夏さんの物。小夏さんが僕に何かしているのか? でも、ついさっきまで僕の目の前にいたのに!
「慎一君。さんをつけなさい。狐・子・さ・ん。はい、言ってみなさい?」
「ぬしよ……ここは従うのじゃ。斬首台を一瞬で作り上げるとは……予想外じゃ」
斬首台……ギロチン!? そんな状態になっているの!?
「分かりました! 呼び捨てにするのはやめます! ちゃんとさんをつけます!」
「そ、ならいいの」
押さえつけられていた体が自由になる。た、助かった……。
「小夏……そろそろ怒るぞ?」
小夏さんの顔面を握りながらいう狐子。
「もう怒ってるじゃないですかー、やだー。まあ、私の今出せる範囲での全力を体感してほしかったのよぅ……他意はないわ」
「他意が主な目的じゃろうが……さて、ぬしよ。そのまま起きあがって、小夏が作り出した物を見てみるがよい」
「うん。分かった、狐子……さん」
……今一瞬すさまじい殺気を感じた。とりあえず、狐子に言われたとおりにしてみる。
「……本当にギロチンだ」
ほぼ透明だけど、うっすら青みがかった金属らしきものでできたギロチン。いったいどこからこんなものを……?
「仕組みが気になるかしら?」
小夏さんが言いながらギロチンに触れる。それと同時に、あんなにしっかりしていたギロチンが、飴のようにぐにゃりと曲りだす。
「え?」
戸惑っている間にもギロチンだったものはゆるく、液体になっていく。そして、最終的にはただの液体になってしまった。地面に広がっている……これ、触っても大丈夫なのかな?
「さ、戻ってきなさい。マダチ」
小夏さんがそう言うと、突如ギロチンだったものに変化が。一つの巨大な玉のようになって、小夏さんのそばへとふわふわと、浮かびながら移動していく。
「さてと、それじゃあちょっと……そうね。霊弓に変化して」
小夏さんの言葉に従うかのように、巨大な玉は分裂し、形を変えていく。
「よし。慎一君にはこれを貸すわ。弓道部所属なんだから、弓は使えるでしょう?」
そう言って僕に弦のない弓を手渡す小夏さん。え……これ、金属なんだよね? まるで羽のように軽い……。
「ふふふ……動揺してる動揺してる……」
「そろそろ説明してやれ、小夏」
「分かったわ。慎一君、これはマダチって言ってね。今は製法が失われた神造金属で作られているの。その金属は、持ち主の意志に従って形を変えるという特性があるの。そして、力を注ぎこむことで量を増やしたり、減らしたりすることすら可能なの! さっきだしたギロチンも、この原理を使って作ったのよ」
「は、はあ……」
よく分からないけど……すごいものなんだな?
「ところで狐子。慎一君はあなたの式神なのよね?」
「うむ。霊力……多少はそやつの中にあるはずじゃ」
「よし、それじゃあ、慎一君。まずは霊矢を作り出す訓練よ!」
「……すいません、話についていけません」
誰だってついてこられないよね? こんな会話……。
「状況が状況だったから仕方ないとはいえ……本当に何も知らないのねぇ」
苦笑いしながら小夏さんはそう言った。
「基礎から話していくわね。私達神と魔、そして悪神と悪魔にはとある力があるの。神と悪神は正の力、魔と悪魔は負の力を持っているわ。正の力の代表例としては、何かを発生させて利用するとか……つまり、プラスにする力ともいえるわね。で、負の力の方は何かを消し去るものが主。だから、マイナスにする力と受け取ってもらってもかまわないわ。ここまでは分かったかしら?」
「はい、何とか……」
発生、与える。これが正の力、プラスの力なら、消滅、奪う。それが負の力、マイナスの力ってことか……。
「で、それ以外にも霊力というのもある。それは……これよ」
そう言うと小夏さんは手を僕の方へと出してきた。小夏さんの手の中には、白く発光する球がある。その輝きはまばゆいばかりだ。
「ありとあらゆるものになる可能性を持つと同時に、ありとあらゆるものの終着点でもある力よ。これは、いろんな神術、魔法に使う力。一番大事なものね。で、これはそのままぶつけてもそれなりの威力があるの。だから……ちょっと弓借りるわね」
「あ、はい」
小夏さんに弓を手渡す。
「この弓は霊弓……つまり、霊矢を……霊力を打ち出すための物!」
弦の張られていない弓を持って、矢を放つための構えを取る小夏さん。すると、その手の中の光……霊力に呼応したように弓が形を変える。うらはずと、もとはず……弓の端の部分が伸びて、光に突き刺さる。そこまで来てようやく、あれが弦の役目を果たすのだろうと理解する。
光を手の中に持ったまま、思い切り弦をひく小夏さん。それとともに、光は矢の形へと変わっていった。
「要するに……これが本来の使い方よっ!」
そして、手を開く小夏さん。光の矢はすさまじい勢いで空へと放たれ、雲に大穴をあけた。
「……あら、ちょっとやりすぎたかしら。も~……これだから術系統の事は嫌なのよ。微妙な調整とか難しいし……」
「結界はちゃんと張っておるのじゃろう? なら、普通の人間にはわかるまいよ」
「まーねー……はぁ、危ない危ない……まあ、今みたいに霊力を矢に変えて放つ弓。それが霊弓よ。そして、霊力は普通の人間でもある程度はあるもの。慎一君は狐子の式神だから、間違いなく常人より霊力が強い。さあ……あとは実践あるのみ! 最初の、霊力を体の外に出して維持する事ができれば後は簡単だから!」
……それ、ものすごく難しい事のような気が気がするんですけど。
「えっと……それってどうやればいいんですか?」
「うーん……説明しろと言われると難しいわね……とりあえず、自分には力があると信じて、自分の中を流れる力を感じなさい。それを見つけることができたら、手の上に球でも何でもいいから、何らかの形で出すとイメージするのよ!」
自分の中を流れる力を……力を…………感じられない……どうすれば……?
いや、あきらめちゃだめだ。僕にだって力があるのだから。それを感じ取ることが出来さえすれば……!
力、力……そうだ、丹田を意識してみよう。精気が集まるとされる場所に力を集めるイメージ……来た! なんかそれっぽいのが!
これを手にうつす……よし、できてる。あとは、右手の上にその力が玉として現れるイメージを……!
「頑張って~、もうちょっとよー」
「う、うぅ……! てぇい!」
渾身の一念と共にイメージをより強くする。これでダメなら……!
その時、体の中から何かが抜けていくような感覚が走った。
「お、できたな」
狐子の言葉に右手の中をよく見る。そこにはとても小さいけれど、確かに光の玉があった。や、やった! できた!
「初めてでできるとは……上々ね。まるで、何度もやったことがあるみたいな抜群のセンスよ。訓練中の子にはできない子が多いから、誇っていいわよ、慎一君」
「そうなんですか? よ、よしっ!」
小夏さんの言葉に喜ぶ。それと同時に光の玉が揺らぐ。っとと、危ない危ない……。
「それじゃあ、そのまま霊弓、放ってみましょうか。はい、これ」
空いている左手に霊弓を渡される。とりあえず、さっき小夏さんがしていたようにしてみよう。右手の光を霊弓に近づける。それに呼応して、霊弓が形を変えていく。
「そうそう、そんな感じよ。それで、弦を引くの……って、弓道部のあなたに説明する必要はないかしら」
「自分でイメージする必要はないんですね?」
「ええ、そのあたりはマダチにプログラムしてあるから」
その言葉にうなずいて、弦を引く。そして、狙いを空に向け、手を離す!
バシュッ! 空を割いて飛んでいく矢。小夏さんがやった時のように雲に穴をあけることは無かったけれど、普段放っている矢よりずっと威力があるであろうことは感じられた。
「これ、射程ってどのくらいあるんですか?」
「霊力は自分の体を離れると減衰していくの。だから、力によって射程は異なるわ。今の規模だったら……有効射程は五十メートルってところね」
「短いですね……普通の弓矢の方が長いじゃないですか」
「そうね。でも考えてみて。街中を弓と矢筒持って駆けまわれる?」
……警察官に見つかったらまずいな……注意ぐらいはされるかな?
「でも、弓は持って走らないといけないんじゃないですか?」
「あー、その辺は大丈夫よ。マダチは持ち主の思い通りに形を変える、って言ったでしょ? だから……やろうと思えばこう言う事もできるの」
そう言うと小夏さんはまだ浮かんでいるマダチの大きな塊に手を当てた。
「着☆装!」
小夏さんがそう叫ぶと同時にマダチの塊が彼女の体を包む。
「トゥォーウ! 爆・的・参・上! 白銀の舞姫……日向小夏!」
一瞬マダチの色が濃くなり小夏さんの体が見えなくなる。その直後、マダチの塊の上の方から何かが飛び出す。いや、まあ小夏さんしかいないわけだけど……とにかく、飛び出して着地し、決めポーズを決める。特撮ヒーローも見てるのかな……?
「ちょっと、狐子? 一緒にポーズとってよ! これは二人一組で初めて完成するポーズなのよ!?」
「お主の趣味にわしも付き合っていると誤解されるようなことを言わんでくれ。で? 外見的には変化が無いわけじゃが、どこが違っているのかをこやつに教えてやらぬか」
たしかに、見た目は変化がない。マダチに包まれて飛び出して、決めポーズを決めたようにしか見えないけど……。
「要するに、体の表面にマダチをまとっているのよ。さっきみたいに色を濃くするとこうなります」
そう言って指を鳴らすと、小夏さんの全身が青に包まれた。その青にもまた濃淡がある。
「で、これを一か所に集めてやると…」
小夏さんの体表の青が移動を始める。右手へと集まり、つららか鍾乳石のように長くなっていく。
「じゃーん。マダチで作った太刀! これがマダチ本来の姿なんだけどね」
「なるほど。目立たない形で持ち歩くことが可能なんですね。最悪、一つの塊にしてカバンにでも放り込んで……」
「そういうこと。体の表面にまとっておけば鎧にもなる。不意打ち対策もできるってわけよ」
「確かに……あ、それでは、その分のマダチも貸していただけませんか?」
「ん~……ま、いいわよ。あなたに何かあったら狐子が悲しむもの。転ばぬ先の杖、ってね。じゃあ、この中に入って」
そう言って小夏さんが指さすのはマダチの塊。
「……液体の金属って、触ったら大変なことになるんじゃあ……?」
溶けた金属って、湯気が出ないから温度が分かりにくいけれど、実際はすさまじい高温だもんな……あ、でもこの距離で熱気を感じないという事は、大丈夫だったりする?
「あはは、大丈夫よ。マダチは特殊だから。溶けていても、高温だったりしないわ。むしろ冷たいくらいよ」
「はい。それじゃあ、安心して……」
マダチの表面にそっと触れる。あ、本当だ、冷たい……。
思い切って中に飛び込む。水の中に入るのとは違う感覚だけど、何と言い表せばいいか……。
『…………?』
『……。…………』
……? 今、声が聞こえたような……男女の声……でも、皆特に話している様子はない。気のせい、かな……?
……ところで、いつまで入っていればいいんだろう? このままじゃ……息が……!
「慎一くーん? もう出ていいのよー?」
あ、もう出ていいのか……危うく金属の中で溺死するところだった。
「採寸完了。慎一君の体の表面はマダチでおおわれました。これで防御力はアップね! ただ、マダチがいくら神造金属だからと言っても、ごくうすい膜だからそこまで強いわけではないから。アレにまた会った時に影でやられたら、普通に貫かれると思うわ」
「う……いやな例えですね。分かりました。油断はしないでおきます。これ、外したいときは?」
「普通に外れろー、ってイメージしたら外れるわ。慎一君に貸している部分は主人を慎一君だと認識しているから、私がそれを超える権限で指示を出さない限り、慎一君の思い通りに動くわ。やろうと思えば、体を覆わせたマダチで刀とかも作れるし」
「言っておくが、刀など使うなよ、ぬしよ。後ろの方で矢を放っておれば、それでよい」
そう言う狐子。やっぱり、前に出ることは許してくれないのか…。
「はい、がっかりしないの。アレを見たならわかるでしょう? 今の慎一君が私達と覇王軍との戦いにガチで入るなんて不可能だって。ま、今後も不可能だとは断じないでおくけれど」
それは分かっていたけれど、武器を手にしてなお、ここまで言われるとなぁ……でも、今後も不可能だと断じないってことは、僕も戦えるようになる可能性があるってこと?
「ちなみに、僕が戦えるほど強くなるにはどうすれば?」
「馬鹿者。そのような事、知る必要はない」
即座に狐子に叱られる。よっぽど僕を前線に出したくないんだな……心配されていると考えれば、悪い気はしないんだけど……。
「まあまあ、いいじゃない。知る権利ぐらいあるわよ。そうねぇ……いっぺん、死んでみる?」
「はい?」
「ああ、言い方ぼかしすぎた? じゃあ、はっきり言うわ。死になさい、慎一君」
「え、いや、その辺は分かるんですけど……」
強くなるには……死ぬ? 何かでそんな教えがあった気もするけど、それは死にそうな状況に陥って、死にたくない! と思う事による底力の事を指していたんだよな……。
「まあ、死という普通超えられない壁を越えて初めて見える境地があるからね。狐子が言っていたと思うけれど、私たちは霊体……それが、霊感の有無にかかわらず見えたり、触ったりできるほど高位の存在になっているだけの存在にすぎないわ。今狐子が半透明に見えているとしたら、慎一君には霊感が無い証拠ね」
「はあ……それで、死の壁を越えて見える境地とはいったい?」
それにしても、霊感すらないとは……どこまでも僕は一般人なんだな……。
「ま、それは人によって異なるわ。でも、それが強くなるのに欠かせないことはたしかよ。私たちを見れば分かるでしょう?」
さっきの矢を見れば小夏さんもかなりの力を持っているらしいことは分かる。それに、霊体に挑むには霊体の方がいいだろうというのも何となく察しが付く。
「でも……死ぬ、かぁ……」
「まあ、普通その気にはならないわよね」
「なったとしてもわしが全力で阻止するがな。ご両親や友人が悲しむ」
いくら狐子を守りたいと思っているとはいえ、自殺というのは……正直に言って、できそうにない。まだ生きていたいという思いがあるし……そんなことができたらとっくにやっていた。
「まあ、人間なんて、生きてせいぜい百年。私達、死の壁を越えた者から見ればはかない存在よ。老衰してから強くなろうと努力しても遅くはないわ。それまで狐子は私が守るから……だから、狐子。今晩は一緒にお風呂に入りましょう?」
「断る」
抱き付こうとする小夏さんを全力で防ぐ狐子。でも、力の差があるのか徐々に押されている。えっと……こういうときは……とりあえず、手に持っている霊弓をハンマーに変えようとイメージして……よし、変えれた。それで、小夏さんの背後に回って……。
「い、っせーの……っ!」
思い切り振りかぶる。さっきまでのを見た後では、手加減は必要ないように思えた。たぶん狐子の踏みつけ、僕のハンマーより威力あると思うんだよね……。
「液体化」
小夏さんがそう言うと同時にマダチが溶けて、地面に落ちる。あ、あれ? こんなイメージしてないのに……。
「まあ、これが慎一君以上の権限による強制命令ってことね……痛い痛い、狐子、眼球ひっかくのはやめて。目を治すのは大変だから」
背後に立ったから見えないけど、狐子、ずいぶんバイオレンスだなぁ……小夏さんに対してだけだと思いたい……って、そんなことはいい。
「嫌がってるんだからやめましょうよ……ほら、こっち来て……って、力強い……っ!?」
小夏さんを羽交い絞めにして狐子から引きはがそうと試みるけれど、想像以上の力でとてもそんなことはできそうにない。
……やれやれ。まあ、本当に危ないことはしてこないだろうし、こういう手段を取るとするか。狐子たちからいったん離れる。
「……狐子ー」
視界がコマ落ちしたかのような速度でこちらに迫りくる小夏さん。一瞬見えたその顔は、狩人のそれだった。
「ヨビステ ダメ ゼッタイ」
そして、僕を押し倒して言うカタコトの言葉は狂人のそれだった。
「すまぬのぅ……助かった」
こちらに歩み寄りながら言う狐子。そして、手が届く距離にまで歩み寄ると何ら躊躇を見せることなく小夏さんの横っ面にいいストレートを放った。
「困った時はお互いさま、っていうからね」
「まったくじゃのぅ」
数メートル吹っ飛んだ小夏さんを放っておいて笑いあう僕たち。うん、小夏さんの扱い方は狐子のそれを見て十分学べた。これくらいでちょうどいいはず。
「ふぅ……このツンもなかなかね。ところで狐子。デレはまだ?」
「お前にくれてやる分はない。真面目な話をしていたのだから続きをするぞ」
「えー? 私シリアスにがてー……」
ちなみにしゃべりながらも小夏さんは傷を治している。本当に、神様の力の無駄遣いだなぁ……。
「で? シリアスの続きって言っても何話すのよ?」
「そうじゃな……とりあえず、わしらの今後についてでも話すか」
今後……確かに重要だな。真面目な話になりそうだし……。
「今後!? 狐子ったら……とうとう私と身を固める決心を……!?」
訂正。小夏さんさえいなければ真面目な話になる。というか、よくここまで思考を跳躍させられるな……。
「せぬからな?」
「と、言うことは……私以外と!? 誰!? そいつ、殺しきる!」
「結婚せぬからな?」
ああ、また狐子がイラついている……せっかくのかわいい顔が台無しだ。
「と、とりあえず……覇王軍って言っても、影の男……幻惑する幻影レベルの相手ばかりというわけではないんですよね? ユキちゃんや、本田のような奴もいるようですし……」
それにしても、ユキちゃんはどうして本田の味方をしているのだろう……原因を作ってしまった僕を憎むなら、実際にひいた本田の事も憎んでもおかしくないはずだ。
「当然よ~。覇王軍がみんなあいつレベルだったらとっくに世界がどうにかなっているわ。それと、慎一君。その悩みだけど、今考えても答えは出ないわよね? だったら、考えるのは戦いが終わってからにしなさい」
「……小夏さんも読心術を?」
さっき蒼井さんにされたばかりだから、そこまで驚きは感じない。非日常にどんどん慣れていくのはちょっと不安があるけど。
「いえ? あなたの心の声を、この耳でしっかり聞いただけよ」
そう言って狐の耳を指さす小夏さん。ついでにピコピコと動かしている。
「私は土地神だもの。この土地に住まう人間の考えていることなんて、ある程度勝手に聞こえてくるの。お参りにやってきて願いを口に出すなんてそうそうしないでしょう? そういう物なの。強く考えていることは自然と伝わるの……で、ユキちゃんとやらと本田とやらだけど……私が思うに、本田の方はギルティ、有罪ね。それなりに力はあるようだから、狐子の力がそれなりに回復するのを待って確実に仕留めた方がいいわ。で……ユキちゃんの方は……慎一君。あなたが受け持ちなさい。それが、あなたの責任。そして、ユキちゃんのためだから」
そうなのか……って、ちょっと待てよ?
「小夏さん……そこまでわかるなら、どうして力を貸してくれないのですか? 二つ名をつけられるほどの力、ここで使わずいつ使うのです?」
僕がそう言うと、小夏さんは表情を変えた。それは、狐子が神野家の人間が皆殺しにされたと知った時に、愛紗を演じつつも見せたもの……つまり、恐怖を感じるほどの無表情だった。
「慎一君、覚えておきなさい」
そして、その表情のまま言葉を紡ぐ小夏さん。そこには先ほどまでのおちゃらけた雰囲気は一切なくて、そのかわりに思わず膝をついてしまいそうなほどの威厳が満ちていた。
「神は、完全にして万能、全能にして無欠かもしれない。けれど……いつも、慈悲に満ちているとは限らないの」
その圧倒的なまでの威圧感に、思わずつばを飲み込む。そして、次の言葉を待ってしまう。
「要するに……自分のこと、自分にしかできないことぐらい、自分で何とかしなさい。私が言いたいのは、それだけよ」
じっとこちらを見据えながら話す小夏さん。その瞳に自分のすべてを見透かされているような気がする。少しでも気を抜いたら体が震えだしそうだ。
「なんてね。私だって、シリアスやろうと思ったらできるのよ?」
小夏さんがまばたきをした途端、雰囲気が元に戻る。その落差に思わず尻をついてしまう。なんていうか……神様が畏敬される理由を垣間見た気がする。
「……小夏よ。微妙に質問の答えになっておらぬぞ。まあ、あの娘の事も見ていたであろうお前の言う事なら、当たっているのじゃろうが……どうして力を貸さないのか、という答えにはなっておらぬ」
「あら、それもそうね。まあ、自分の事は自分でやれっていうのもあるけど……貸したくても貸せない、って言った方が良かったかしら。とりあえず、脅かして悪かったわね。腰、抜けてない?」
苦笑しながらこちらに手を伸ばす小夏さん。先ほどの雰囲気がまだ印象に残っているから、なんとなくその手を借りることをためらう。
「大丈夫です……それより、貸したくても貸せないというのは、どういう意味ですか?」
一人で立ち上がりながら尋ねる。
「えっとね、私は土地神だってことは話したでしょう? 実は、土地神にはその地に住む人間にこちら側の世界の事を知られないため、そして、こちら側の世界の住人に悪事を働かせないようにするための結界を張る責務があるの。そのために、力のほぼすべてを使ってしまうの……だから、術は使えない。そして、その結界を張るためにはこの神社のように、地脈の走っている場所が好ましい。ここから離れたら、私の霊力では希薄化どころか、消滅するまで使って張れるかどうかよ。だから、マダチを使って近接戦闘専門として戦う事もできない。と、言うか、できるなら狐子を助けるのに高い金払って八咫に依頼なんてしないわ。自分で向かって、一緒に敵を倒したほうがよっぽど安心できるもの」
「長文ご苦労。ちなみに、結界というのはこう言う事じゃ」
そう言うと狐子は鳥居の方を見た。なんだろう? 誰か来るのかな?
「あらあら。神主さんに遠坂さんのところのぼっちゃん……それに、かわいらしいお嬢ちゃんだこと。見覚えが無いけれど、どこの子かしら?」
境内に入ってきたのは近所のお婆さん。だけど、そこで違和感を覚えて、狐子と小夏さんの方をそっと見る。
狐子は少し色濃くなってはいるけれど、半透明のままだ。それに、耳も尻尾も出している。小夏さんはというと、同じく耳も尻尾も出しっぱなしだ。それどころか、奇妙な踊りを踊っている。二人とも明らかに普通ではない……だけど、お婆さんは普通に話しかけてくる。
「いろいろあって、おにーちゃんのいえの子になりましたです……おばーちゃん、だれですか?」
狐子は即座に愛紗としてしゃべりだす。耳も、尻尾も出したままで。でも、お婆さんはその事に何も言わない。
「ほら、慎一君。狐子のフォローしてあげて……それにしても、ロリっ子の振りする狐子……ハスハス!」
にたにたと笑いながらそう言う小夏さん。狐子にも袖をそっと引っ張られる。とりあえず、この場をごまかした方が良いようだ。
「え、えっと……この子は愛紗って言います。実は、神野さんのところの……」
後半はお婆さんのそばまで行ってそっと耳打ちするように言う。それだけでお婆さんは理解してくれたようだ。警察がいたから話題になっていると推測したけど、正解だったようだ。
「そういえば、大学生の子が助けた、ってニュースになっていたねぇ……ぼっちゃんだったのかい。優しくしてあげるんだよ」
「え、ええ。もちろんです」
お婆さんの言葉にうなずいて、狐子たちの方に戻る。耳も尻尾も出したままの狐子たちのそばへ。
「お疲れ様。それにしても、あのお婆さんもよく来るわね……願いの程度によっては叶えてあげなくちゃ」
お婆さんは小夏さんの事に興味を持たずお参りに行ったようだ。そこから考えられることは一つだけ。
「……これが結界の力という事ですか。ずいぶん便利なのですね」
お婆さんには小夏さんの姿が見えていない。それに、狐子の事も普通の女の子……愛紗にしか見えていない。そうとしか考えられないだろう。
「ふっふっふ……こちら側に害は与えられないし、こちら側からも害を与えることができない。概念拒否結界だから、できたこと! ……と、言っても限界もあるのよね。近衛坂の子は新人だったのと、相手が悪すぎたから、結界破られてるし……」
「そうじゃな。しかし、わしの姿が普通に見えるとは……結界から人間と判断されるまでに弱っておるのか?」
「あー。それは概念拒否結界の特例手順使っただけ。そもそも、愛紗状態は人間として生活するときのでしょ? 本来なら特例手順必要かどうかも怪しいわよ。概念拒否結界って周囲の認識に左右されるところもあるし……」
「そうじゃったな……じゃが、特例手順はかなり高度な術のはず……術が苦手なお前がなぜ使える?」
「そうなんだけど、長い事やってるからね。ふと気が付いたらできるようになってたの。すごいでしょ!? 褒めてくれていいのよ?」
「…………」
沈黙の狐子。また何か豪快なツッコミをするのだろうか…?
「……チラッ、チラッ……」
まあ、小夏さんだったらどんなものであろうと快楽に変換しそうだけど。実際、今も何かを期待しているような表情だし。
「はぁ……よく頑張ったな」
何をしたって無駄。それをわかっている表情であきれたようにつぶやく狐子。うん、もう面倒くさいんだろうね。僕だってこんなに面倒な相手、まともに相手したくない。
「わーい! 狐子に褒められたー! でもなんで!? 何か物足りない!」
「ぬし。何とかしてくれ」
「…殴っておけばいいかな?」
とりあえず殴っておこう。お婆さんはまだこっちを見ていないし……うん、行ける。
「おっと。狐子の命令とはいえ、狐子以外からの攻撃はノーセンキュー」
一撃を繰り出すも、たやすく受け止められる。本当に、無駄なところで力を使うな、この人は……! いや、人じゃなくて神様だけど!
「隙だらけじゃな」
「はうっ! 弁慶の泣き所……! で、でも狐子直々の蹴りだからちょっと気持ちいい……!」
そう言って右足を抱えながら地面を悶え転がる小夏さん。
「やれやれ……これだからいやなのじゃ」
「これだから僕に殴らせようとしたんだよね……」
「あぅ……! 軽蔑の目つきすら心地良い……!」
相変わらず悶えている小夏さんを見下ろしながら話す僕たち。
こうして……僕の非日常は本格的に始まるのだった。
肆幕 了