肆幕 あの時の真実、目の前の事実 上
電車に揺られながら、愛紗をそっと見守る。目はまだ赤くて腫れぼったいけど、泣きそうな様子は見えない。たぶん、無理はしている。でも、それを指摘したほうがいいとは思えない。泣くのは時に大切だけど、泣き続けて停滞してしまってはいけない。
愛紗は車窓から見える景色をじっと見ているのか、正面から視線を外さない。
「……学校も、かわらないといけないですよね?」
ぽつりとつぶやく愛紗。
「そうだね…転校することになると思う」
「変、ですね……おとーさんとおかーさんにはもう二度と会えないのに、またあえる友達とバイバイすることの方が、つらいんです」
若干震えた声の愛紗。
「仕方ないよ。お父さんとお母さんは、もう亡くなってしまって、亡骸もまだ見ていない。それに対して、友達は生きているし、姿だって見れる。反応の有無っていうのかな……そういうのもあると思う。きっと、亡骸を見ればお父さんとお母さんとお別れする方がつらいって思うようになるよ」
もっとも、その亡骸を見せてもらえるかどうかは分からないけど……久世警部の言う事が本当ならば、顔の部分にだけ肉のついている骨格標本とでもたとえられる状態の亡骸なのだから……。
『次は~、遠坂駅、遠坂駅です』
車内アナウンスが流れ、電車が徐々に速度を落としていく。少し早めに席を立って、乗降口の前に立つ。少し遅れて愛紗も続いてきた。
扉が開き、冬の外気が車内に流れ込む。それを感じながら冬の空の下に出ていく。車掌さんが車両から降りて、切符を回収しているのが見えた。愛紗の背中をそっと押し、切符を渡すように促す。僕も一旦カバンを地面に下ろしてICカードを取り出す。
無人駅の遠坂駅。そこに暖房なんてあるはずもない。早く家に帰って暖房を入れて温まろう。それと、愛紗にミルクセーキを作ってあげなくちゃ。
愛紗と二人、カバンをもって家路につく。駅から家までの距離は短いというわけではないけれど遠いというほどでもない。愛紗の歩調に合わせてゆったりと歩いていく。
そして、家の前に着き鍵を取り出す。
「ただいまー……まあ、誰もいないわけだけど」
「はやく、暖房いれましょうです。さむいです……」
「そうだね。まずは暖房を入れよう」
荷物をリビングまで持って行き、エアコンのスイッチを入れる。少し時間を空けて温風が出だした。いやぁ、文明の利器万歳って感じだ。
「さて、部屋が暖まるまでちょっと時間があるし……その間はあったかいミルクセーキを飲んで寒さをしのごうか!」
「お願いしますです」
リビングの床に座って荷物の整理を始めている愛紗。よし、それじゃあさっそく作って行こうかな。
「えーっと……砂糖に、卵に……あれ? 牛乳、牛乳……参ったな、牛乳がない……」
そこで問題発生。牛乳がちょうど切れているのだ。水で作るわけにはいかないよなぁ……。
「ごめんね、愛紗。牛乳がきれちゃってるんだ。近くのスーパーですぐに買ってくるから、ちょっと待っててくれるかな?」
キッチンから移動しつつ愛紗に告げる。
「お留守番ですね? わかりましたです」
愛紗を一人にするのはちょっと不安だけど……まあ、行くとしようかな。
「えっと、財布は持った、鍵も持った……うん、じゃあ、ちょっと買ってくるね!」
「はーい! 行ってらっしゃいです!」
愛紗に見送られてリビングを、家を後にする。念のため鍵はしっかり閉めておいて、と……。
さて、最寄りのスーパーまでは廃ビルの敷地内を通ると近道なんだよな。できる限り早い方がいいだろうし、そこを通って行き来しよう。
体力が持つ範囲で走り、スーパーまでたどり着く。牛乳と言ってもいろいろ種類があるわけだけど……せっかくだから一番いいのを買っていこう。低温長時間殺菌牛乳はそれ以外の物とは味が全く違うもんな。
レジに並び、会計を終え、スーパーを後にする。
「うわ、もう暗くなりだしてる……さすが冬」
思わずひとりごちり、行きより若干ハイペースで走る。
そして、廃ビルに差し掛かる。
「家まであとちょっと……うわったぁ!?」
敷地に入ると同時に、何かが足に引っかかって転んでしまう。うまく受け身が取れたからケガはないけど……いったい何に引っかかったんだ?
「……なにこれ、真っ黒な……ひも?」
おかしいな…来る時はこんなものなかったはずだ。あったら、今みたいに転んでるもんな。
「……こんな単純な罠にかかるとはな」
ゾクリ。その声を聴いた瞬間、全身の肌が粟立った。なぜなら、僕の記憶では、その声を聴くのは二回目だったのだから。その一回目は……今朝、病院で。
つまるところ、その声は、僕の胸を刺して、愛紗の両親を、警察の人間に悪魔の所業と言わせるほど残虐な殺し方をした男の物だった。
「……今朝は何の用だったのか知らないけど……ただで済むとは思ってないだろうね?」
精いっぱいの威嚇。でも、ただで済ませる気が無いのは事実だ。一発殴るくらいはしてやる……!
「……ここはいいところだな。人通りがない。ここなら、本性を出せる」
「は? 何を言って……!?」
振り返り、思わず絶句する。男の両手が、常識ではありえない形になっていたからだ。
それは、例えるならば狂った野犬の口。それをより大きく、鈍くしたような……食いちぎることに特化した、それでいて相手を苦しませるための拷問器具のような形状。何、これ……夢でも見ているのか?
でも、なぜか既視感を感じる。この男の手……影が変化したような、そんなものを見たことがあるような気がする……。
「呆けるな……殺すぞ」
男がそう言う。それと同時に野犬の口がこちらに伸びてくる!
「うわっ!?」
反射的にその場から飛びのき、かわす。僕がいた場所の地面は野犬の口によって大きく食い抉られている。それは、よけなければ死んでいたことを示す何よりの証拠だった。
「お前……いったい何なんだ!? その手は……!?」
「……説明されて納得するのか? 人間の世界から大きく外れた世界の事を? ……いや、お前もその世界に足を踏み入れているのだったな」
そう言う男の口の端は若干歪んで、笑みを浮かべているように見えた。
「どう言う意味だ」
「思い出せ。お前はすでにその答えを知っている。ただ、忘れているだけだ」
思い出せもなにも……こんな異常な物の事、知っているわけが……いや、あるか。
男が覚えていて、僕が忘れていること。それは、最初に愛紗が襲われた時の事。そこに僕が助けに入った時の事。あの時も、男があの立体の影のように変化する手を使っていたとしたら……僕は、この異常な物を見ているのだ。
そこで一つの疑問が浮かぶ。どうして愛紗は、こんな異常な奴に襲われて助かったんだ?
……どうして今まで思わなかったんだ? 僕は胸を刺されて、愛紗を助けることなんてできていないのに。
いくつもの疑問が浮かんで、思考をうめていく。どうして助かった? どうして思い出せない? どうして? どうして? どうして――。
そして、一つの答えにたどり着いてしまう。
もしも、愛紗も僕の常識の外の存在だったら?
「おにーちゃん!」
声が響く。その声は、紛れも無く愛紗の物だ。
「愛紗……?」
逃げるんだ。そう言おうとしているのに、たどり着いてしまった答えがその邪魔をする。愛紗が自分自身の力で……目の前の男のような、異常な力で助かったとしたら、それに頼らないと僕はこのまま殺されるのでは? そんな、最低な考えのせいで、妹をかばう言葉の一つも叫ぶことができない。
「兄妹ごっこは気が済んだか? イナリココ」
イナリココ。その言葉に、何かを思い出しそうになる。
「……何のことか分かりません。早くこの場所を去ってください。お兄ちゃんに、その影の一片たりとも触れさせないでください」
その言葉に、僕の中の何かがささやく。
――愛紗にとって、あの影は当たり前の物なんだよ。
そんなわけない。その言葉に反論しようとするけれど……それなら、どうして愛紗はあの影を見て動揺していないんだ?
「いつまでも遊ぶな……金色の戦姫!」
男がそう叫び、野犬の口を愛紗の方に伸ばす。それは、僕に伸ばされた物とはけた違いの大きさとなって愛紗に襲い掛かる!
「危ない!」
思わず叫ぶ。しかし、愛紗は冷静な表情のままだ。
そして、愛紗は跳んだ。
「………え?」
それは、跳ぶというより、飛ぶと表した方がしっくりくるほど高い跳躍。ビルの三階くらいまで跳んでいる。当然、それは人間ならば不可能な高さで。
そして、愛紗はその高さから僕の眼前に平然と着地する。それもまた、人間ならば不可能なことだ。
「ようやく、その男に自身が人外であるという証拠を見せる気になったか」
「……こうでもせねば、貴様は納得せんのじゃろう」
老人めいた口調。でも、それは、紛れも無く愛紗の口から放たれている言葉だ。
「そのとおりだ。だが……この程度で済むと思っているわけではないだろう」
男がそう口にすると、野犬の口は形を変えだした。それは、より大きく、より禍々しく……!
「……! 聖なるかな、万物の偉大なる父にして母なる者よ。聖なるかな、草木を育みし者よ。聖なるかな! 人を育てし者よ!」
それを目にした愛紗は早口でそう唱えだす。
「……守ってばかりでは俺には勝てんぞ」
「……其の名は光。不浄より人を守る者。闇より人を救う者。其の力をもって我らを守りたまえ!」
男の言葉を聞かず、言葉を紡ぎ続ける愛紗。その周りには、うっすらと金色の光が浮かぶ。そして、その直後、更にありえないことが起きる。愛紗の頭の上に金色の狐の耳のようなものが出て、腰のあたりからも四本の尾がはえたのだ。
「本気で来い……!」
男の手は変化を終えた。基本は先程までと変わりない。だけど、大きさが、禍々しさが圧倒的に増している。先ほどまでの物が野犬の口ならば、これは神すら一飲みにするフェンリルの口……!
その口が愛紗を、僕を飲み込もうと迫ってくる。愛紗を連れて逃げないと。そう頭に浮かぶけれど、あまりの威圧感に体が動いてくれない。
そして、大きく広げられた口は地面を抉りながらこちらへと向かってきて……。
「我らを救いたまへ……“聖光の塁壁”!」
その途中、突如現れた半透明の光の壁に止められる。見た限りでは、その壁に触れている影は蒸発していっているようにも見える。
それは、あまりにも現実離れした光景。ファンタジーの世界にしか見えなくて……思わず己の正気を疑う物だった。
「いつまで耐えられるか……我慢比べでもしてみるか? イナリココ!」
「くっ……!」
光の壁が確かに影を蒸発させてはいる。でも、徐々に影に押されている。このままでは……!
「かくなる上は……我、契約の元に汝の力を欲す。天上に住まう者、その力の一端を我に貸したまえ」
再び愛紗の周囲に金色の光がほのかに浮かぶ。だけど、そのただでさえか細い光は先程よりさらに弱いように見える。
「やめろ……今のお前では、下手をすれば消えるぞ」
男が初めて動揺を見せる。
「敵の心配とは……ずいぶん優しい事じゃの……我が求めるは、敵を討つ力。故に、我は汝の名を呼ぼう。“断罪の神槍”、ナガテノミコト!」
愛紗が叫ぶと、その手中に槍が現れる。でも、その槍はただの槍ではない。なんというか、ただそこにあるだけで威厳を感じるというか……それと、愛紗の体が少しだけ、ほんの少しだけど……透明になりつつある。いったいどういう事なんだ?
「……自己を希薄化させてまでそれを使うか。いいだろう、その渾身の一撃、受けよう!」
「……戦闘狂が!」
愛紗は再び跳ぶ。先ほどよりさらに高く。フェンリルの口を飛び越え、男の姿をとらえているだろう。
「“断罪の一投”……食らうがよい!」
振りかぶって槍を男に投げつける愛紗。それと同時に衝撃波が巻き起こり、僕のところまで届く。
「本当に……なんなんだよ、これ……」
僕には、そう呟くことしかできなかった。
「やはり……やるな、イナリココよ。それでこそ金色の戦姫!」
フェンリルの口が霧散していく。それと同時に光の壁も消えた。これでようやく状況を見る事ができる。
そこには、腹に槍が刺さった男の姿と、先ほどまでよりさらに透明になった愛紗の姿があった。
「はぁ……はぁ……まだ、終わりでは、無い……! “断罪の――」
「それ以上はやめるんだな。俺はこれで去る。お前に消えられてはつまらんからな」
そう言うと男の全身が影のようになり、槍が地面へと落ちる。それと同時に、槍が落ちた地面の周りが少しだけはじけ飛んだ。
「我が主に下された命はお前を倒すことのみ。いつまでになどという指定はない。それならば、俺が一番楽しめる状況で戦うまでだ。手負いの獅子を仕留めて喜ぶような性質ではないのでな」
「……何度でも言ってやろう。この戦闘狂が」
「褒め言葉と受けとっておこう。さて……またあおう。イナリココ。その式神、次までには少しは使えるようにしておくんだな」
そう言うと再び男の全身が影のようになり、霧散していった。
「はぁ……少し、やりすぎたか……」
そう口にすると、その場に倒れ込む愛紗。慌ててそのそばに駆け寄る。
「愛紗……教えてほしい。今のが一体何だったのかを」
愛紗を抱きかかえ、聞く。
「……ここまで見られては、仕方ないのぅ……」
やれやれ、といった様子で、手で目を覆う愛紗。
「……今、そなたにかけた術を解こう」
そっと僕の頭に触れる愛紗。それと同時に、忘れていたことを思い出す。あの日、里奈さんに警察官を呼ぶようにと言って、愛紗を助けるためにマフィン・プランカ脇の路地に入っていったこと。
そこで、あの男に、影が変化したかのような鋭い杭で胸を貫かれ、倒れたこと。
普通なら死んでいる。だけど、僕は死ななかった。その理由を、やっと思い出せた。
‡ ‡
そのまま、僕は――意識を、保っていた。
なに? どういうこと? 胸を貫かれて、どうして生きていられるの?
「とっさに式神にしたか……たしかに、それが一番の方法だな。その男も助かれば、お前の回復も早くなる」
「……巻き込みたく、なかったのじゃがな。じゃが、これ以上は巻き込まぬ。ここで貴様を消す。捨て身でかかれば、何とかなるじゃろう……わし自信が消えるとしても、こやつをこれ以上巻き込むようなことはさせぬ!」
式神? 消える? いったい何の話をしているんだ……?
「……冗談はよすんだな。聡明なお前の事だ、今のお前にはそれが不可能なことくらいわかっているだろう」
「……何事も実践してみねばわからぬよ」
そう言って二人はにらみ合う。
「……くだらんな。ああ、実にくだらん。今のお前のような脆弱な存在と戦うなど、実にくだらん。せいぜいその男から力をもらう事だな。一日でどこまで回復できるか…見定めさせてもらう」
そう言うと男の姿は揺らぎだし、やがて影となって消えていった。
「……見逃してもらえたか。さて、今は何より、お主の傷を癒さねばな。やれやれ……今の状態で高位治癒術を使っては希薄化しかねぬが……」
ぶつぶつと言いながら僕の胸に手をかざす女の子。
「天上に住まう偉大なる母よ、我が眼前の魂を籠の内に保ちたまえ……さて、ここからが本番じゃな。我らの主よ、その力の一端を我に貸したまえ。方向性は治癒。程度は損失せし心臓の回復、および傷口の回復。そして、世界を包む愛の元に、この者の魂に安息を……」
女の子がそう言うと、胸元の傷が徐々にふさがっていくのを感じた。そして、先ほどまで見ていたものが、記憶から薄れていくのも……。
「全てを忘れて眠るがよい…それが、お主の為じゃ」
その言葉をきっかけにしたように、意識が徐々に遠のいていく。
抵抗することもなく、僕はそのまま意識を手放した。
‡ ‡
「……こんな、ことが……? 気でも狂ったのか……?」
「残念ながら、正気じゃ。この世界には、人の知らぬ世界があるのじゃ」
「それじゃあ、君も、愛紗じゃないの……? あいつの言っていた、イナリココ…それが、君なの?」
「……失敬した。本当のわしとしては、自己紹介もしておらなんだな」
そう言うと愛紗……いや、イナリココが立ち上がった。
「我が名は稲荷狐子。稲荷神社の稲荷に狐の子と書いて狐子じゃ。外見はこの通り子供じゃが、一応は千年……まあ、二千までは行っておらぬと思うが、それくらいは生きておる。一応神と呼ばれる存在である……まあ、固くならず、今のところは妹だとでも思って接してもらえるとうれしいのぅ」
その説明に戸惑う。千年? 神様? 訳が分からない……卒倒しそう……。
「むぅ……まあ、初めてでは誰でもこうなるのぅ……じゃが、先ほどまでそなたの眼前で繰り広げられたものを否定することなどできぬじゃろう? 人間にできぬという事くらいは分かってくれるな? 要するに、特別な力を持った霊体がわしや、あの男のような存在なのじゃ」
霊体? え? ……え?
「それじゃあ、君は、ゆ、幽霊……的な……?」
「うーむ……近からず、遠からず……といったところじゃな。とりあえず、わしは人間でなく狐で、千年以上生きている精神体、というところまでは分かるか?」
こくりと首肯を返す……けど、よく分からない……。
「しかし、ずいぶん口調かわったけど……今までのって、演技だった……のですか?」
「敬語はよしてくれ。妹だと思ってくれといったじゃろう……まあ、そうなるかのぅ。じゃが、神野の者たちは力を使い尽くし、消えかけていたわしを救ってくれた……それが殺されたと知った時の涙などは、真実じゃ。信じてもらえるとは思っておらぬが、な……」
そうなのか……よく分からないけど、一つだけわかった。あの涙は、本当の物だったんだな……感情はちゃんとあるのか。
「さて、聞きたいことはこれで全てか? それなら、もう一度術をかけ直すが」
「術……って、どういうこと?」
「お主と初めて会ったときや、今の戦闘の記憶を強制的に忘れさせる。おぬしとて、このような世界の事、忘れてしまいたいじゃろう?」
確かに……あんなものを覚えていては、いつかどうかなってしまうかもしれない。
――だからと言って、忘れていいのか?
でも、そんな思いがあるのも事実で。
――守りたいという意思は、この程度で挫けるものなのか?
その思いも事実。よくわからないけど、今の愛紗……狐子は、非常に弱っている。だったら、僕がいることで何か助けられることがあるかもしれない。
だったら、僕に術は必要なのだろうか――
「……その術、っていうのは、ちょっと待ってほしいかな」
「は……? 何を言っておるのじゃ? 死にかけたのじゃぞ!? そんなもの、忘れてしまった方が良い!」
「僕は……狐子。君を守りたいんだ」
「な……っ!?」
僕の言葉に動揺を見せる狐子。たたみかけるなら今しかない!
「今の狐子は弱っているんでしょう? だから、そんなふうに少し体が透けたりしているんでしょう? そんな状態の妹を放っておく事はできないよ……僕は、狐子の兄なんだからね」
「馬鹿者! それはあくまで今まで通りに接してくれれば構わないという例えであって、そのようなこと、わしは望んでおらぬ!」
「だとしても、僕は君を守るために戦うよ。だって、僕は君の式神なんだから……ちがう?」
式神。僕の記憶が正しければ、陰陽道で用いられる単語で、主人の命に従って様々なことをする存在の事だ。そんな存在になったからには、主を守るくらいの事、させてもらわないと。
「違わぬ……違わぬが……」
「まあ、そんなに重くとらないでいいよ。狐子を守れなくても、僕自身を守る事で狐子の負担を減らすことはできるでしょう? それくらいの事はしたいんだ。あんなものを見た後なのに、こんな発想ができるなんて、自分でも不思議なんだけど……どうしても、ダメかな?」
「むぅ……」
唸って考え込む狐子。
「これ以上巻き込みたくない、とか言っていたけどさ……はっきり言うと、僕は巻き込まれたい。そう思った時の姿が本当の姿でなかったとしても、一度守ると決めた人を途中で放り出すような真似、したくないんだ。男としての誇りというか、子供っぽいわがままというか……僕の勝手な思いだけど、これくらいは、叶えさせてほしいんだ!」
僕の言葉により一層考え込む狐子。答えはいかに……?
「……分かった。そこまで言うのなら、今は術をかけないでおく」
「本当!?」
「じゃが、あくまで忘れさせないだけじゃ。自身を守る事でわしの負担が減るというのには一理あるからの。故に、わしと並んで戦うなどという事は許可しない。それでよいな?」
「分かった。僕だって、あの中にはいれるとは思えないからね……後ろの方で自分自身を守っているよ」
僕の言葉に狐子はため息まじりにうなずいた。見るからに不承不承という感じだ。でも……よかった。足手まといになるのだけは、ごめんだもんね。
「やれやれ……まさか人の子に戦う事を許す日が来るとはの……」
「その事を後悔しないように頑張るよ」
「当然じゃ。これ以上わしとかかわった者に死なれてたまるものか」
死ぬ、か……そう言う世界に、足を踏み入れるんだよな。ケンカの時に刃物を持ってきた奴もいたけど、さっきの戦いと比べれば、そんなの本当に子どもの遊びだ。
「む……続けざまじゃな……ぬしよ、わしの後ろに隠れておれ」
「え?」
どういう意味、と聞こうとした時だった。
「いぃぃぃぃぃぃやっほぉぉぉぉう!」
聞き覚えのある声が、上空から響いてきたのは。
どすん。その声の元は僕たちの前に着地する。おそらく、廃ビルの屋上から飛び降りてきたのだろう。
そして、その姿を見ると同時に、僕の理性は――はじけ飛んだ。
「本田……剛志ぃ!」
「な……っ! よせ! 行くな!」
狐子の制止も耳に入らない。こいつは……こいつだけは!
「紫織を……紫織をよくもぉぉ!」
全力で一撃を繰り出す。しかし、それはやすやすと受け止められてしまう。
「ヒャハッ! おいおいぃ、焦るなってぇの!」
つかまれていない方の腕で殴ろうとするも、片手で放り投げられる。
「危ない!」
狐子に受け止められ、地面にたたきつけられることは無かった。
「落ち着け! あやつが一体何だというのじゃ!」
暴れる僕を抑えながら狐子がそう聞く。
「あいつは本田剛志……僕の妹を……紫織をひき殺した張本人だ!」
「あぁ? 人聞きがわりいなぁ! お前が気を付けてりゃ……いや、ケンカに明け暮れるようなことしなけりゃ、俺だってあんな事しないで済んだんだぜぇ? 全ての原因がどっちにあるかなんざ、一目瞭然だろ?」
「ふざけるなぁっ!」
狐子の拘束を解こうとするけど、凄い力で押さえつけられていて、無駄だと悟る。
「ところで、遠坂よぉ、“お前は俺に殺される”……あの手紙は気に入ってくれたかぁ?」
その言葉を聞いて、思考が一瞬止まる。
「あの手紙……お前の物だったのか……? でも、なんでユキちゃんが……?」
「だから、その呼び方をあなたに許可した覚えはありません、お兄さん」
その声も、聞き覚えのあるもの。ほんの一日前に、聞いた声。
「……え?」
廃ビルから出てきて、そこに立っているのは、紛れも無く雪慈ちゃんだった。
「どうも、お兄さん……まあ、こういう事です」
そう言うと、雪路ちゃんの半身が黒い霧で包まれた。なんだ……あれ?
「……その力……彼奴に近しいものと見た」
けわしい顔で呟く狐子。彼奴? 彼奴って……さっきの男?
「ヒャハッ、まあ、そう言う事だなぁ!」
その声と同時に本田の体を黒い霧が包み込む。それからは、雪路ちゃんの周りの霧以上の何か……人間の恐怖をあおるものを感じた。
「影の旦那に分けてもらった力を、さらにこいつに貸してやったってわけだ。そして……この力でてめぇらをぶっ殺す!」
霧が渦巻きだし、徐々にはれていく。その中心には、体の表面を黒い影のようなものでおおわれた本田がいた。
「……やれやれ。今のわしで二人相手となると……危ういのぅ」
半透明の体を揺らがせながら狐子はそう呟く。ダメだ。止めないと――なぜか、そう思う。このままでは、狐子が消えてしまうような――そんな予感がする。
「狐子、一旦引こう。相打ち覚悟なんて、ダメだ」
「……引きたいのはやまやまじゃが、彼奴らがそれを許してはくれぬじゃろうて」
たしかにその通りだ。でも、このままじゃ……!
そう思った直後、辺りが暗くなった。
「ああ? なんだ? 雲……って、なんだありゃあ!?」
本田のその声につられて空を見上げる。そこには、カラスが一羽飛んでいた……いや、こう言うと語弊がある。言い直すなら……そう。あまりにも大きすぎるカラスが一羽、空を飛んでいた。あたりが暗くなったのも、このカラスのせいだ。それくらい、そのカラスは大きかった。
そして、そのカラスは一声鳴いた。
「……! ぬしよ、行くぞ!」
「え……うわっ!?」
僕を抱きかかえると、狐子はそのカラスの方へと跳んだ。あまりにも突然の事だったのと、跳ぶ勢いが早すぎたので、何も言う事が出来なかった。
そして、カラスの足に狐子はつかまった。それと同時にカラスはどこかへとはばたきだす。
「な……っ! 待ちやがれ!」
本田が体を覆う黒い何かをこちらに飛ばしてくるけれど、ある程度の距離を飛んだところで蒸発していく。
「ふぅ……危機一髪、じゃな」
「危機一髪……じゃないよ! なに!? このカラス!?」
「心配せずとも、こやつにつかまって飛んでいけば安全なところまで連れていってくれる……少なくとも、ぬしにとっては安全な場所にな」
その顔は苦笑していると同時に、どこか嬉しそうで……よく分からない表情だった。
そのままカラスは空を飛んでいく。この方角は……僕の家の方?
「……ところで、少なくとも僕にとって安全な場所って、どこの事? 狐子にとっては安全じゃないの?」
「……敵の眼前よりははるかに安全じゃが、ある意味危険な場所じゃな。八千代神社と言ったか。そうじゃったな?」
狐子がカラスの方を見てそう叫ぶと、答えるようにカラスは鳴いた。
「うむ、八千代神社じゃな。まあ、心配せずとも良い。そこに行ってもわしは傷一つ負わんじゃろうて……傷物にはされるかもしれんがの」
…それって、下手に傷を負うよりよっぽど危険なんじゃあ……?
「まあ、あやつがやりそうな事で最悪を想定するとなるとそうなるというだけじゃ。そうならぬように、わしも精いっぱい抵抗する」
僕が心配そうな顔をしていたのか、笑いながら、安心させるように狐子はそう言った。
「さて、そろそろ着くのぅ。わしにしっかり捕まっておれよ」
……何か、嫌な予感。少しずつカラスが高度を下げていく。
「さて、行くぞ!」
そう叫ぶと同時に、狐子はカラスの足から手を離した。
「やっぱり……!? わあぁぁぁ!」
当然、自由落下を開始する僕たち。パラシュート! 誰かパラシュートを……!
ズシャアアア! 派手な音をたてながら狐子は着地する。僕もその衝撃を若干受けるけど、何とか怪我はしないですんだ。
「いやぁ、今のような事、たしか英語ではスリリングというんじゃったな。なかなか悪くないではないか」
「わ、悪くないじゃないよ! 死ぬかと思ったよ!?」
「はっはっは。なに、じき慣れる」
……これからもこんなことが時折あるのだろうか。できる限り経験したくないなぁ……。