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参幕 片鱗

 電車を降り、遠坂駅から自宅へと向かう。その途中も愛紗と手をつないでいた。小さな手はまだ幼いからか、とてもあたたかい。

 家に近づくにつれ、愛紗の表情は暗く、険しくなったように感じる。それも当然か。僕の家に着くという事は、自分の家……そして、自分以外の家族が皆殺しにされた場所へ向かう準備をするという事なのだから。そんな状態で緊張を感じない方がどうかしている。

 それが分かるのだから、何とかして気を楽にしてあげたいところだけど……どうしようか。下手な冗談を言っても効果ないだろうし……うーん……。


「おにーちゃん。わたし、こう思うんです」


 考えていると、ふいに愛紗が話し出した。なんだろう?


「おかーさん、言ってました。人は事故やびょーきで亡くなるんじゃない、天命で天に召されるんだって。もしも、もしもですよ? それが本当だとしたら……おかーさんたちは、かみさまが、何かのために、死なせたんだ……って」


 そこまで言うと愛紗は一旦言葉を切った。


「おにーちゃんは、どう思いますか……?」


 そして、僕の方を向いてそういう。どう思うか、か……しかし、愛紗は難しいことをよく知っているな。僕なんかよりよっぽど賢い。


「そうだな……神様は愛紗を強くしたいのかもしれない」

「つよく?」

「うん。お父さんとお母さん。兄弟、姉妹がいたとしたらその子たちも含めて、愛紗と血のつながった人はいなくなってしまった。天涯孤独になってしまった。そんなことになれば、普通、人間の心は折れてしまう」

「……そう、ですね。わたしも、今こうして落ち着いていられるのがふしぎなくらいです」

「でしょう? たぶん、まだ家族が死んでしまったっていう確かな証拠を見せられてないから平気でいられるんだと思う。で、だ。神様はどうしてそんな運命を愛紗に強いたのか。それは、家族を失ったという悲しみから立ち直ることで愛紗に強くなってほしいからだと思うんだ。愛紗みたいな小さいうちにこんな試練を与えるなんて、神様はひどいよね……」


 心からそう思う。どうして…よりにもよってこんな小さな子なんだ。代われるものなら代わってあげたいと思うほどに、神様は残酷だ。


「でも、神様に負けちゃだめだよ。試練というのは、乗り越えるために存在しているんだから……なんて、偉そうに言えたものじゃないけどね。僕だって、試練をぶつけられて、くじけてしまった一人だから……」


 紫織の死は、僕にとっていまだに乗り越えることができないことだ。いろんなことを思った。こんなふうに悲しんでいたって、紫織は戻ってこないし、かえって悲しむだろうとか。でも、ダメだった。僕がもっとしっかりしていたら、僕が昔、ケンカばかりしていなければ……そんな後悔の念ばかりが頭の中をぐるぐる回って。きっと、これからも紫織の死んだ原因を作ってしまったのは僕だと、後悔しつづけることだろう。


「さて、そろそろ家に着くね。うちにカバン、いくつくらいあったかなぁ……父さんたちの旅行鞄も借りていけば足りないってことは無いかな」

「はいです。いざとなったらおーふくすれば……」

「あはは、それもそうだね。さ、家の中に入ろう。ちょっとあったまっていく?」

「やめておきますです。ゆっくりしていたら、決意がにぶりそうで……」

「分かった。それじゃあ、なるべく早く支度しようね」


 そんな話をしている間に家の前に着いた。家の中に入り、カバンがありそうな場所を考える。とりあえず、父さんたちの部屋に行ってみようかな。旅行カバンはそこのはずだ。あとは……僕が学校に持って行っているものくらいかな。母さんが使っているカバンは小さくていろんなものを入れて持ち歩くには不向きだろうし。

 とりあえず、それらの部屋を回り、カバンをかき集める。結構あるな……僕の両手じゃ足りない。愛紗にも持ってもらわないと運ぶのは無理だな。

 何はともあれ、救いだったのはキャスター付きの大きなカバンが二つあったことだ。これなら洋服もそれなりに持ってこれるだろう。一回じゃ足りないのなら、愛紗の言っていた通り往復すればいいのだ。そうだ、行きはかさばらないようにキャスター付きのカバンの中に他のカバンはしまっておこう。


「お待たせ、愛紗。いろんなカバン持ってきたよ。運ぶの、手伝ってもらってもいいかな?」

「もちろんです。わたしの物をはこぶんですから、それくらいしてとーぜんです」


 そう言って愛紗はキャスター付きのカバンを一つ引いて家の外に出た。


「おにーちゃん、わたしの決意がにぶる前に……お願いします」

「分かった。それじゃあ、愛紗の家に行こう。案内してもらっていいかな?」

「はいです。歩いていきますか? それとも電車で?」

「えっと……愛紗の家って、八大の近くだよね?」

「はいです」

「じゃあ、電車の方がいいね。ちょっと距離あるし」


 僕がそういうと愛紗はうなずいた。そして、その表情に不安があることはすぐわかる。


「……じゃあ、行こうか」


 でも、分かるだけだ。それを解きほぐすことができるような言葉は思いつかない。今の僕にできることは、せいぜい愛紗の方にそっと手を差し出すことくらいだ。


「…………」


 無言で僕の手を取る愛紗。緊張からか、握る力が少し強くなったように感じる。

 そして、先ほど降りたばかりの遠坂駅から近衛坂駅行きの電車に乗り込む。

 少しして、電車は走り出す。ガタン、ゴトン……定期的な振動はこんな状況でなければゆりかごのようにすら感じた事だろう。

 でも、愛紗の心境を察すればとてもではない。そんなふうに癒されたりできない。


「……愛紗。一つだけ約束してほしいんだけど……いいかな?」

「え? あ、はい……なんですか?」

「何があっても死のうとしないで……それだけ。家族が皆死んでしまったのだという証拠を見つけて、取り乱してもいい。でも、死ぬことだけはしちゃだめだ。絶対に……」


 みんなのいる場所に逝きたい。その気持ちはよく理解できる。僕自身、そういうふうに感じたことがあるからだ。


「わかってます。わたしがしんだりしたら、おとーさんも、おかーさんも……それに、おにーちゃんやえーじさんにゆきえさんが悲しんでしまいますから。みんなを悲しませるようなこと、したくないです」

「そっか。なら、よかった」


 愛紗の心は僕が思っているより強いようだ。それとも、病院で父さんに家族の死を告げられた後、母さんに何か言われたのだろうか。まあ、うちの親はのろけてばかりじゃなく、しっかりしているところもある。きっと、大丈夫だろう。

 この会話を最後に、僕と愛紗の会話はなくなった。愛紗はうつむき加減でキャスター付きのカバンが転がって行かないようにおさえて、床の一点を見つめている。

 僕はというと、その様子をじっと見ていた。挙動などから愛紗の心理状態を見極めることはできないかと思ったからだ。まあ、挙動を見るまでもなく、緊張、不安……それらに押しつぶされそうになっていることは想像できるわけだけれど。


『次は~、近衛坂、近衛坂でございます』


 車掌さんのそんなアナウンスに、愛紗は肩を震わせた。


「え、えへへ……けっこう、早くついてしまうものですね」


 僕の視線に気が付いたからか、そんなことを言う愛紗。


「そうだね……覚悟は、揺らいでない?」

「……びみょー、です」


 そうだよね……近づくにつれ緊張が増すのは普通だ。それと同時に、覚悟が弱くなっていくのも。


「こんな言葉、何の足しにもならないかもしれない。だけど、言わせて。愛紗は一人じゃないよ。少なくとも、僕は近くにいるから」


 少しでも励ましになればとそんな言葉を口にする。どうだろう……愛紗の救いになっているだろうか?

「そう……ですね。うん、おにーちゃんがついていてくれるなら、ひゃくにんりきです!」


 その言葉が本当かは分からない。だけど、かすかにだけど浮かべた笑み。それを守りたい、そして、より強い笑みにしたい。そう思ったのは、本当の事だ。


「それじゃあ、行こう。ほら、手、繋いで?」


 席を立ち、愛紗に手を差し出す。


「……はいです!」


 先ほどの笑顔よりは力強い笑み。僕は力になれているようだ……と、言うより、なれていると信じたい。

 愛紗と手をつないで電車を降り、改札を通り抜ける。さあ……いよいよだ。


「それじゃあ、ここからは道案内、お願いするね」

「はい……です」


 緊張した面持ちでゆっくりと歩き出す愛紗。その遅さはためらいゆえだろう。でも、確かに先に進もうとしている。その意思は、僕なんかよりよっぽど強いように思えた。

 ゆっくりとした歩みはしばらく続き、やがて止まった。


「……あそこが、わたしのおうちです。おまわりさんと黄色いテープがいっぱいですね…」


 そう言って愛紗が一軒のいたって普通の家を指さす。いや、普通というのはおかしいか。何しろ、その家には愛紗の言う通り警察官と思わしき人々が激しく出入りしていて、刑事もののドラマで見るようなKEEP OUTとかかれたテープが張り巡らされているのだから。


「とりあえず、入らせてもらえるかどうか聞いてみようか」


 愛紗の手を引いて家の近くに歩いていく。それに気づいた警察官の一人がこちらに歩み寄ってきた。


「君たち、ここは見てのとおり立ち入り禁止だよ」

「ええ。それは見れば分かります」

「なら、離れて離れて。まだ現場検証の途中で、忙しいんだよ」


 面倒くさげにそう言う警察官。うーん……事前に知らせておかないとまずかったかな?


「あ、あのっ! わたし、神野愛紗っていいます! ここの家の子です!」

「神野愛紗……ああ、生き残った子がいるって久世警部が言っていたっけ……君がそうなんだね?」

「はいです。それで、わたしのへやに置いてあったもので持って行きたいものがあるのです。だめ……ですか?」

「君の部屋か……ちょっと待ってくれ」


 そう言うと警察官は家の中に入っていった。上司にでも確認するのだろうか?

 少し待っていると、先ほどの警察官が戻ってきた。


「待たせたね。君の部屋なら大丈夫だとの事だ。ただ……リビングルームは検証中だから立ち入りはもちろん近づくことも許可できない。それを分かってくれるのなら家の中に入ってもかまわないとのことだ」

「わかりましたです。おにーちゃん、いきましょう」


 僕の手を離してテープをくぐる愛紗。慌ててその後についていく。


「愛紗の部屋はどこにあるのかな?」

「二階です……あ! おにーちゃんは下でちょっと待っていてくださいです! その……散らかっているところ、おにーちゃんに見てほしくないので……いいよ、って言ったらあがってきてくださいです」

「あはは、分かったよ。それじゃあ、僕は下で少し待っているね」


 愛紗の女の子らしい一面を見て少し和む。人が何人も殺された場所にはいるというのに、こんなのおかしいかな……そんな事を思いながら、階段を上っていく愛紗を見送る。キャスター付きのキャリーバッグは重くないかな? 大丈夫かな?


「では、自分は見張りとして同行させてもらいます。これも上からの指示なもので」

「さすがに厳重ですね…」

「まあ、状況が状況ですからね。犯人はいまだに足取りすらつかめない……何か犯人の手掛かりがないかと自分たちは髪の毛一本、砂粒一粒であっても見落とさず回収しているような状態です」


 言葉通りに受け取っていいのなら、近づくことすら禁止するのも納得する。そうか、あいつの手掛かりは手に入っていないのか……念のため、話しておこう。


「実は、今朝その男に会いました。野生動物を思わせる鋭い目つき、そして顔に走る傷……愛紗の覚えている犯人の顔そのものでした。その後どこに行ったのか、とかはわかりませんが、八重坂市立病院に来ていたのは事実です」

「なん、ですって……?」


 驚きを顔に浮かべる警察官。


「そ、それで!? 被害はないのですか!?」

「病院のホール、人が大勢いるところでしたからね……さすがに何かをしようとは思わなかったのでしょう。傷の具合はどうだと聞かれて、良好だと返したくらいですね……事件前後の記憶が無いせいで普通に会話してしまいました」

「なるほど……これは……警部に報告した方が…?」


 僕の言葉を受け、警察官はぶつぶつと何かつぶやき、落ち着きなさげにうろうろとする。


「……その話、直に警部に伝えてくれませんか。今リビングルームの方で現場検証しているので」

「え? でも、さっきだめって言ってませんでした?」

「それは……彼女のためです。ここで何があったのか……あなたは知っておいた方が良いかもしれない」


 疑問符を浮かべながらも、歩き出した警察官の後ろを歩いていく。ここで何が起こったのか知っておいた方がいい……?


「警部、少々よろしいでしょうか」


 ダイニングルームの扉を開けながら警察官はそう言う。


 そして、僕はそこにある風景を見てしまった。


 室内は、一面の赤。でも、それは壁紙の色でも、ペンキの色でもない。その事を、あたりに漂う臭気がいやでも分からせようとする。そして、床には、なにかの破片が、転がって――!


「警部、彼が……あ、もしかして、見たのか?」

「……ええ。たしかに、これは見せない方がいいですね。他人の僕でさえこれだけショックを受けるんだ。家族のなれの果てがこれだなんて、まともに見たら心が壊れかねない。愛紗には何としても見せないようにしないと……」

「――ここにあるのはごく一部。最初の地獄絵図と比べれば随分とましになったのですよ」


 ダイニングルームの中から出てくる一人の人物。鍛えられた体に白髪混ざりの頭髪。この人が警部さんかな? 顔つきからするとけっこう若いみたいだけど、白髪が多いせいか少し年を取っているように感じる。


「はじめまして、遠坂慎一さん。私は久世哲也という者です。階級は警部をやらせてもらっています。さて、どこから話せばよろしいでしょうか?」


 あんな部屋の中にいたにもかかわらず、いたって落ち着いた様子で久世警部はそう口にする。


「あ、あの……あれでましになったって、どういう事なんですか?」


 思わずそんな言葉が口を突いて出る。


「知らない方がいいと思いますが……天井、壁、床。場所を問わず肉片がグチャリと飛び散っていました。そして、そんな地獄絵図の中に全身の骨と首から上の肉だけが残された遺体が倒れていました……率直に言って、人間にできることではありません。悪魔の所業です。まったく、こんな殺し方、どうすればできるんだ……」

「……は?」


 あまりに現実離れした話に思考が付いていかない。いや、ここはついていかなかったことが幸運かもしれない。もしもついていっていたらその惨状を想像してしまって、吐いていたかもしれない。


「まあ、教えておいてなんですが……知らない方が良かったでしょう? さて。次に何か聞きたいことはありますか?」

「……いえ。これ以上は正気を保てるかわからないので」

「賢明です。さて、では今度はあなたに話を聞かせてもらう番ですね。事件前後の記憶が無いそうなのでこちらの求めている答えが出るかはわかりませんが……」


 そう言うと久世警部はいくつかの質問をしてきた。犯人の顔だとか、使っている凶器は何か、とか……でも、そのほとんどが僕の記憶から飛んでしまっていることで、答えることはできなかった。


「なるほど……ところで、わざわざ私を呼びに来た理由は? 彼にこの惨状を見せて驚かせようというわけではないのだろう?」

「はい。彼が病院にいる時に、犯人と接触していた、という話を聞いたものですから、彼自身の口から警部に伝えた方がいいだろうと」

「なるほど。詳しくお願いできますか?」


 その言葉にうなずいて、できる限り詳細にあの時の話をしていく。


「ふむ……自分でやっておきながら傷の心配をするとは……しかし、そこには何らかの目的があったはず。なら、その目的とはいったい……?」


 それだけ口にすると、久世警部は深く考え始めたようだった。


「おにーちゃーん! もういいですよー!」


 しばしして、愛紗の声が家の中に響く。片付けが済んだのかな。それじゃあ、愛紗の部屋まで行かなくちゃ。なかなか来ないのを心配して、こっちに来てここの状況を見られたりした日には……。


「愛紗さんにずいぶん懐かれているようですね。行ってあげてください。私は少しばかり考え事をしますから」


 それだけ言うと久世警部は目を閉じた。どうやら本気で考え事をする時のスイッチらしい。

 っと、そんなことを考えている場合じゃなかった。早く愛紗のところに行かないと。早足で玄関の方まで戻り、階段を上る。


「お待たせ。ちょっとおまわりさんたちに話を聞かれてて…」

「まってないからだいじょうぶです。それに、あの人をつかまえるためにひつようなことを話してたんじゃないですか? だったらいいです」


 うーん、年の割には察しがいいというか、何というか。


「それより、いろいろもって帰らないと…お片づけしながらあるていどカバンに入れましたけど、まだいっぱいありますです」

「そうだね。手伝うよ」


 さて、愛紗が持ち帰りたい物とは何のことなのだろう……ご両親からもらったものは形見として持つんだろうけど、愛紗自身の持ち物が何なのか、ちょっと気になる。

 身の回りの物で人間性は分かる。例えば、礼尾の場合バトルシーンのあるマンガ本やライトノベルなんかを数多く所有しているし、里奈さんは洋書をよく読んでいる。あと、常に身に着けているロザリオ。あれを見れば神様を信じているのだろうという事もわかる。

 双葉はどうかというと、意外と恋愛小説を持っていたりする。髪型がボーイッシュだったりするけれど、中身は乙女なのだ。

 さて、では愛紗の性格診断といきますか。


「うん、きれいに片づけれたみたいだね」

「いつもこれくらいにしておきたかったです」

「これから気を付ければいいよ」


 部屋は全体的にピンクを基調とした小さな女の子らしいかわいらしい部屋だ。本棚には学校の教科書と少女漫画をメインとして本が入っている。他には……ぬいぐるみなんかも置いてあるね。枕元に置いてあるぬいぐるみは寝る時に抱いているのかな……想像すると、さっきちらっと見てしまった狂気の世界から少しだけ抜け出せた気がする。


「さて、僕は何をしまえばいいのかな? 押し入れの中の物とか?」

「お、押し入れはだめですっ! したぎとか……入ってるので……」


 顔を赤くして、消え入りそうな声で言う愛紗。気のせいか、ちょっぴり涙目になっているような?


「ごめんごめん。そうだと知らなかったから……」

「女の子のへやの押し入れはたちいりきんしのせーいきなのです……こんごは気を付けるのです」

「分かった、気を付けるよ。それじゃあ、僕が触ってもいい聖域でない場所はどこかな?」

「えっと……教科書や本をおねがいしてもいいですか? さわられたくない物や、見てほしくない物はその間にしまっちゃいますから」

「任せて。見られたくない物とかもしまうんだったら、愛紗の方は見ない方がいいよね?」


 僕の言葉に愛紗はこくりと頷いた。よし、しまうとするか。

 さてと、愛紗はどんなマンガを読んでいるのかな……こんなこと、悪趣味といえば悪趣味だけど、大事な妹の事なんだからどんな趣味を持っているのかとかは知っておかないと。

 えーっと……アイ色のソラ……双葉も持ってたな。と、いう事は恋愛系かな? 次が紅焔の騎士。礼尾の持ってるラノベにあったな。マンガ化されてたのか。戦闘シーンと、戦う主人公の心理描写が印象深い話だったと思う。けど、女の子向けかどうかと聞かれると首をかしげる内容だったような……? で、と……これ、なんて読むっけ……里奈さんの読んでいた、ラテン語の本だという事は覚えているんだけど……うん、愛紗ぐらいの歳の子が読む本かなこれ!? 他の本がマンガなだけあって、異彩を放っている……。

 とりあえず、マンガメインだけどいろんな本を読んでいるということは分かったね。他にも聞いたことの無いようなタイトルが並んでいる。これだけ読んでいると、知識量は僕よりあるかもしれない。とりあえず、ラテン語の本を読んでいる時点で僕では敵わないような気がする……。


「おにーちゃん、もう大丈夫ですよ……おにーちゃん?」


 はっ……その声で愛紗の方に意識を引きもどされる。


「ああ、愛紗はいろんな本を読んでるんだな、って思ってね。ラテン語の本まで持ってるし、すごい知識量があるんじゃない?」

「えっと……むずかしい本はおとーさんの本ですよ? ないようは気になりますけど……」

「あ、そうなんだ。最近の愛紗くらいの歳の子はこんなに難しいものを読むのかと思ってびっくりしちゃったよ」

「よんでみたいなーとは思ってますけど、タイトルのよみ方もわからない本なので……手が出しにくいのです」

「あはは……だよねー……」


 よかった……これなら訳の分からない話を突然しだすようなことはなさそうだ。ラテン語で何か言われたらどうしようかと思った。

 しかし、愛紗に渡していたカバン、結構膨らんでるな。触られたくない物や見られたくない物はそれなりにあったようだ。年頃の女の子だもんね。それも当然か。


「さてと、持って帰りたい物は他に何があるかな?」

「ぬいぐるみさんももって行きたいです。夜ねるとき、いつもだいているので、あると落ち着きます」

「分かった。大きめのカバンがあるからそれに入れていこう」


 できる限り優しくぬいぐるみ達をカバンに入れていく。それほど数があるわけじゃなくて助かった。


「これで全部かな?」

「えーっと……あれは入れたし、あれも……はいです。これで全部です」

「よし。それじゃあ、帰ろうか」


 愛紗の持っているカバンを受け取りながら話す。なかなか重いな……持ち帰りたいものがいっぱいあるというのは本当の事だったらしい。


「おにーちゃん、重くないですか? わたしの物なんですから、一つくらい……」

「平気平気。これくらいなら軽いものだよ」


 一応は兄なんだから、これくらいはかっこつけさせてもらわないとね。とりあえず、バランスを崩して階段を転げ落ちるようなことが無いように気を付けないと。安全に気を付けながら階段を下りていく。


「ところでおにーちゃん」


 階段を下り終ったところで愛紗にそう声をかけられる。


「ん? なんだい?」


 何気なく返事を返す。


「……リビングは、どうなっていましたか?」


 その言葉に思わずカバンを一つ取り落とす。


「……やっぱり、見たんですね。それも、相当ひどいことになっていたようです」


 ……どうする? どう返せばいい? ごまかす? ありのままをつげる? 嘘をつく?


「おにーちゃん。ほんとうのことを教えてください。でないと、自分で見にいっちゃいますから」


 ……愛紗の顔を見る事が出来ない。ただ、あの光景を見せる事だけはできない。絶対に。半ばパニック状態の思考で、その結論にたどり着く。


「……世の中には知らない方がいいこともあるんだ。あの光景は、間違いなく知らない方がいいことに分類されている。僕の貧弱な語彙じゃあ、それくらいしか伝えられないよ」

「……そう、ですか……」


 沈黙が続く。僕は、身動き一つとることができない。


「……血の匂いがします」

「っ!?」


 思わず振り返り、愛紗の事を見てしまう。


「お兄ちゃん。気付かない振りをしていたのですか? それとも、本当に気付いていなかったのですか? この家に入ってから、ずっと漂っていたではありませんか。血の匂い……死の匂いが」


 そこに立っているのは、間違いなく愛紗で。でも、本当に愛紗なのかと疑わせるほど、目に込められているものが違う。それは、純粋無垢な愛紗が、浮かべるとは思えない目で……。


「知ってましたよ? ここは……死の匂いで満ちていますから。お兄ちゃんが隠そうとしてる事だってわかります。お父さんたち、きっとこれ以上ないほど残忍な殺し方をされたのでしょうね。お兄ちゃんの顔を見れば分かります」


 冷静に、淡々と述べる愛紗。そこで先ほど感じたこと、込められているものが違う目、という事が間違っていることに気が付く。その瞳には感情らしきものが無く……無だけがある、としか形容しようのない恐ろしささえ感じる瞳だった。


「……おとーさんたち、本当にみんな殺されてしまったのですね……よく、分かりました」


 そこまで言うと、ようやく感情が瞳に戻り、溢れ出す。静かな涙として……。


「うあぁ……ぁああ……」


 そして、とうとう泣き声が漏れ出す。一旦カバンをすべて床におろし、愛紗をそっと抱きしめる。


「……今まで、よく我慢したね。でも、もう我慢することは無いんだよ。全部、僕が受け止めるから……」


 そっと頭をなでながら、優しい声音で話しかける。

 しばし時間が経って、愛紗は泣き止んだ。


「……今のところは、落ち着きました」

「そっか……つらくなったらいつでも言ってね。僕なんかの胸でよければいつだって貸すから」

「はいです……」


 泣きはらした目でうなずく愛紗。こういう弱いところを見せてもらえると、かえって安心する。今まではずっと我慢していたのだから……。

 それにしても、さっきの表現は子供の物とは思えなかったな。口調もどこか普段と違って大人びていたというか……気のせいかな?


「それじゃあ、帰ろうか。ちゃんと歩けるかな?」

「はいです。カバン、持ちますね」


 僕が先ほど床におろしたカバンの二つを持ち上げる愛紗。気丈だな……普通だったら何かをする気にはなれないだろうに。

 そんな気丈さに不安すら感じるけれど、とりあえず、頭をなでておく。


「ふゃ? なんですか? おにーちゃん」

「ん~? カバン持ってくれてありがとう、のなでなで。別のお礼の方が良かった?」


 残りのカバンをうまいことまとめながらできる限り明るい声で話す。暗い声で話したらただでさえ重い空気がより重くなってしまうからね。少しでも軽くしてあげたい。


「お礼ですか……? おくちにちゅー、とかどうでしょう?」


 どさり。思わずまとめていたカバンの一つを取り落す。


「愛紗? ファーストキスは大事にしないとだめだよ。将来、本当に好きになって、結婚してもいいってくらい好きになった人のために取っておかないと」


 愛紗の方を見て真剣に告げる。いくら小さいと言っても……いや。小さいからこそ、こういう貞操観念はちゃんと見に付けさせておかないと。


「じゃあ、わたしのはじめてはおにーちゃんにあげますです! わたし、おっきくなったらおにーちゃんのお嫁さんになるんですから!」


 バタン。キャスター付きのカバンをうっかり倒してしまう。

 いや、小さい女の子特有のセリフ……別バージョンで言うと、パパと結婚する、とかそういう物だとは分かっているんだ。ただ、ここまでまっすぐ好意を向けられるのは慣れてないから……。


「そ、そっか……うん、お兄ちゃん、楽しみにしてるね」


 とりあえず、そう言って場を濁しておく。血のつながりが無ければ結婚しても問題ないんだっけ……まあ、もうちょっと大きくなればクソアニキだのなんだのと言い出す反抗期が来て、お嫁さんになる、なんて発言はすっかり忘れてしまう事だろう。

 ……想像するとちょっと寂しいものがあるなぁ……。

 って、そんなことより荷物をまとめないと……動揺が表れすぎてまとめだす前より散らばってるじゃないか……。


「とりあえず、お口にちゅーはだめだからね。ほっぺやおでこにちゅーならいいけど……ほかにしてほしい案があるならそっちにするよ?」

「どうしてもだめですか? ざんねんです……あ、そうだ! じゃあ、ミルクセーキ作ってくださいです!」

「ミルクセーキか……分かった。家に帰ったらさっそく作るよ。甘いほうがいい?」

「はいです!」


 泣きはらした瞳で、必死に笑顔を浮かべている愛紗。ミルクセーキも家族との思い出の物なのかもしれない……。

 荷物を整えて、愛紗の家を後にする。


「バイバイ、です……おとーさん、おかーさん……」


 外に出て、扉を閉める時に、愛紗がそう呟いたような気がした。


参幕 了

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