玖幕 そこはどこでもあり、どこでもない
ふと気がつけば、真っ暗だった。
まぶたを閉じたり、開いたりしている感覚はある。けれど、どちらの時でも目に映るのは黒一色。光の一切ない世界があるとしたら、きっとこのような風景なのだろう。
「……死んだのかな、僕」
そうつぶやくけれど、どこからも返事なんてない。
けれど、なぜか僕は、まだ死んではいないと心のどこかで思った。
「……じゃあ、僕は生きているのかな?」
もちろん、返事はない。
けれど、今度は少しだけ周りに変化が起きた。
僕の視界に、蛍の光のような小さな、か弱い光が浮かび上がった。
その光は、僕の方に少しずつ近づき、胸の位置で止まった。
その光でかろうじて分かったけれど、僕の胸には穴があいていた。
でも、なぜだろう。そこに、痛みはない。
そう感じると、光はそのまま僕の胸の穴の中へと入っていった。
あのこも、かわいそうなこなの。だから、ゆるしてあげてね。
そんな言葉が頭に浮かぶと、光は大きくなり、僕の胸の穴をふさぐように形を変えていった。
そして、またふと気がつけば、また真っ暗だった。
けれど、今度は顔に重みを感じる。顔に何かを押し付けられている?
その何かをどかそうと、僕は手を動かした。
「あら、慎一君。目が覚めるなり人の胸を触りに来るなんて……そんなエロガキだったかしら?」
手を叩かれた感覚と、聞き覚えのある声。この声は、小夏さんの物だ。
何かを言おうとするけれど、もごもごとした声にしかならない。どうやら小夏さんは僕を膝枕しているらしい。そのせいで胸が僕の顔にあたっているのだろう。
だから、僕はまず起き上がることにした。
「小夏さん、いったい、何があったんですか?」
背を向けたままの僕の言葉に、小夏さんはあきれたようにため息をついた。
「……なにも、覚えていない?」
「はい……狐子が、僕の胸を刺して、それからあとが分からなくて……」
「……そう」
大きく息を吸って、吐く音。
「……安心して。誰も、死んではいないわ。あなたが護ったのよ」
「僕が……護った? いったい、どうやって?」
「さあ? 弱っているとはいえ、忌術まで使った狐子を無理やり止めるなんて、今の私にもできないわ」
「きじゅつ……?」
「ええ。忌まわしい術と書いて忌術。その術の性質上、悪に堕ちる危険性が大きいとされて使用を禁止されている術式よ。その一つである怨憎雷化法を使った狐子は……己の憎しみに応じた速さを手に入れ、貴方を危うく殺しかけた。けれど、どういうことか死にかけのあなたは狐子を止め、ピエラータにもカレンにも手出しをさせなかった。どういうことかなんて、私が聞きたいくらいね。狐子も話してくれなかったし……」
その言葉に、僕は何を言うべきかわからなくなった。
狐子は、悪魔だからという理由だけでピエラータを殺そうとしていた。その狐子が、自ら悪に堕ちかねないほどの術を使った?
「狐子は、今どこに?」
「……今のあなたがいってはいけないところ。そう言って、伝わるかしら?」
思わず漏らした言葉に、小夏さんはそう返した。
「それって……あの世、ですか?」
「そうね、この世界だとそんな呼ばれ方もするわ。まあ、強制送還ってやつ? 使うのを禁じられているものを使ったのだから、当然といえば当然だけれど」
平然とした声で語る小夏さん……おかしい。小夏さんなら、狐子がそんなことになったら大騒ぎするだろうに。
「なんでそんなに平気そうに――」
言いながら、ようやく振り向いて。やっと気付く。
小夏さんの目からはとめどなく涙が流れ、顔には涙痕ができている。巫女服の胸元は、もう涙でびしょぬれになっている。いったい、どれだけの間、声も上げずに泣き続けていたのだろうか――。
「……ごめんなさいね。冷静なふりをしていないと、心を殺していないと、頭とか、気とかが、どうにかなりそうなの」
「いえ……謝るべきは、僕の方です。あなたという方が、狐子の一大事で冷静でいるはずがありませんから」
「ありがとう。私の事を分かってくれて……でも、少しの間、一人にしてもらえないかしら。まだ昼よ。あなたが来ないことを、みんな不安がっているでしょうから」
「……そうですね。では、また後で」
「ええ。また後で」
少し不安に思いながらも、僕は小夏さんに背を向け、神社の境内を後にした。
玖幕 了




