捌幕 化物もどきはバケモノにはなれない 肆
気まずい空気のまま、僕たちは一通り遊園地内を回り終えた。まるでデートだね、という軽口が叩けたら、どれだけ気分が楽だったろう。
「……そろそろ、お昼ご飯の時間かな」
でも、僕が言えたのはそんなことだけだった。
「食べるなとは言わぬ。空腹では力が出ぬ…じゃが、ほどほどにしておけ。満腹まで食べては、いざというとき動けぬぞ」
いざというとき、という言葉を狐子は迷いなく言い放った。そうした意味は、わざわざ考えるまでもない。
「動くようなことにならないように、善処するよ」
そう言いながら、遊園地の関係者の目が届かなそうな場所で母さんが作ってくれた弁当を広げる。
「狐子は、何も食べないの?」
狐子は、表向きは小学生だ。だから、いつも昼食は給食で済ませている。つまり、狐子専用の弁当がないということなんだけど……僕の弁当をあげるとか、ここで売ってる何かを買ってあげるとかしたほうがいいかな…。
「ああ。本来、わしにこの世の食事は必要ないからな。食おうと思えば食えるというだけの、一種の娯楽にすぎん」
「そうなんだ……」
そういえば、睡眠も精神的な休息以外ではとる必要がないって前に言ってたっけ。毎晩僕の隣で寝ているけれど、それはつまり気苦労が多いということだろうか。
「まあ、狐子がいらないって言うなら、一人で食べるよ」
「ああ、そうしておけ」
そっけない言葉を聞いて、僕は箸を進めだす。母さんの作ってくれた弁当は、いつもどおりおいしかった。
食べ終え、一息つこうとした時、全身に微かな圧力を感じた。それは、先日狐子が使った探知術式の時感じたものと似ている……いや、全く同じものだった。
「……向こうに勘付かれたか。ぬしよ、準備はしておけ。これで向こうがどう来るかはわからなくなった」
「奇襲されてもおかしくない……そう考えていいんだね?」
「うむ。おそらくはそうとらえてよいじゃろう」
言いながら、狐子は指を鳴らす。再び圧力を感じ、狐子が探知術式を使ったのだと理解する。
「……まだ距離はある。まともな手段で来ようとすれば、数分かかるが…彼奴等に距離など関係ないじゃろうな」
その言葉でピエラータたちはテレポートができるのだと思い返す。つまり、いくら距離があっても安心はできない。僕に戦意がなくとも、向こうがそれを知らない以上、不意打ちされる危険はあるのだ。
視覚を、聴覚を研ぎ澄ます。どこから二人が来てもいいように。
だけど、それは杞憂と終わる。
「……しつこい人は嫌われる、という言葉をご存知でしょうか」
その声が、正面から聞こえてきた。それは、敵意がないからか、それとも、不意打ちをしたくないからか……するまでもないからか、わからない。
「ほう、そのような言葉もあるのか。覚えておこう」
少なくとも広くはない通路。僕たちの正面から歩いてきた眉目秀麗な男性に、狐子は挑発するかのような言葉を返した。
「狐子、まずは僕に話をさせて」
「……よかろう」
「ありがとう……ピエラータ、少なくとも僕は、今日、この場所に戦いに来たつもりはない」
「……禊を受けろ、と言いに来たのですか?」
ぞっとするほど冷たい視線を向けられ、思わず一瞬言いよどむ。
「そのとおりだよ。ピエラータ、もうわかっているだろう? 僕たち――と、言うよりも、狐子の考えは、今すぐに禊を受けないなら、君を消すというところまで来ているんだ。今、どれだけ善良であろうと、悪の一字をつけられた以上……君は、放置しておくには危険な存在だから」
でも、視線にひるんではいられない。狐子が許してくれる選択肢の中で、最善の未来を選びとるためには、僕がピエラータを説得しなくてはならないのだから!
「ええ、そのあたりの事情はあなたより私のほうがくわしいでしょう。それと、その考えは、正しい。立場が逆なら、私は同じ選択をあなたたちに迫ったことでしょう」
「だったら……!」
「ええ。大多数が正解とするのは、あなた方の提案にのること。そうして、私のしたことを赦され、平穏な生活に戻ることでしょう。ですが、常に正解を選ぶというのは、時にプライドが、時に思想が、時に感情が許さないものです」
あくまで冷静に、無感情に話し続けるピエラータ。
「そのあたりも、あなたならわかるはずです。戦姫を愛する、あなたならば」
でも、その言葉には何よりも強い感情が込められているのが、僕にはわかる。
「君が言う愛と、僕が狐子に向けている愛は、違うものだと思う。でも、分かるよ。僕は、例え罪が赦されるとしても、狐子のことを存在すら忘れるのなら、その選択肢は選びたくない」
「ならば、分かってください。あなたが戦姫を忘れたくないと思う以上に、私はカレンを忘れたくないのですから」
「分かるよ! だけど、そうしないと……! そうしてくれないと、僕たちは君を――!」
続きを言おうとした時、ピエラータが感情を見せた。それは、優しい笑顔だった。
「……ありがとうございます。金色の戦姫の式神であるあなたにとって、敵でしかない私の事で、ずいぶん悩んでくれたようですね」
そう言うと、ピエラータは空中に指先を躍らせ始めた。
「……交渉決裂。分かりきってはいたが、な……」
「待って、狐子! まだ話は終わって――!」
ない、と言い終える前に、狐子は懐から木刀を取り出し、ピエラータのほうへとつっこんでいく。直線的で、軌道は十分読める動き。だけど、あまりにも早すぎて、常人ならば知覚すらできない動きだ。
あまりの早さゆえか、ピエラータはその場を動けない……けど、そう思ったのもつかの間だった。指の動きが止まる。それと同時に、宙からまっくろで、全ての光を吸収しているようでありながら、自ら発光しているような……まばゆい闇としか描写できない何かがあふれ出す。
そう、ピエラータは動けないのではなく、動かなかったのだ。それは、このまばゆい闇をこの場所に出現させるため。
しかし、狐子は止まるどころか、ためらうことすらとなく、むしろ速度を上げながらピエラータのほうへ……まばゆい闇へと駆けて行く。
「はあっ!」
一閃。木刀にふれたまばゆい闇は切り裂かれていくが、すぐに元に戻りだす。本田の時とは、話が違うようだ。
「ふっ! はぁっ!」
だけど、狐子は前進を止めない。絶え間なく放たれる、まさに神速としか言いようのない斬撃で、少しずつ……ほんの少しずつだけど、道を文字通り切り開き、進んでいく。その勢いは、まばゆい闇の再生速度を上回っている!
そしてとうとうピエラータに切っ先が届くところまで迫る。そこで狐子はためらうことなくピエラータの首のあたりを横に薙いだ。
しかし、ピエラータもそれで倒されるほど弱くはないらしい。影を手甲のようにし、狐子の木刀――霊的にも物理的にもよく斬れる――の力をそらす。真っ向から受け止めるのは不利だとわかっているのだろう。
「……っ! 狐子、お願いだから剣をおさめて! ピエラータも! こんな事しなくたって、話し合いで解決できるはずなんだ!」
僕がそう叫んでいる間にも、狐子とピエラータの超速の戦闘は続く。目で追うことすら許さない斬撃の嵐。その嵐を耐えきろうとするまばゆい闇。闇は嵐を巻き起こす人物に対する反撃のためか、両腕のみならず、第三、第四の腕を作りだしている。
嵐と嵐のぶつかり合い。超自然的存在同士の戦闘。
そこには、話し合いでなんとかできるはずという生ぬるい考えの僕が、割って入る隙間はなかった。
「こんな……! 戦う必要なんてないはずなのに…!」
そんな僕のつぶやきは、どこまでも無力。誰にも届かないし、届いたところで力を持たない。
……力を持たない? そうだ、力を持つ言葉を、僕は知っている。言霊だ!
「『戦うのをやめるんだ!』」
気のせいか、一瞬二人の動きが鈍る。でも、まだだ。まだ足りない。これでは、戦いを止めることはできない! せめて、あと一人でも声をかけてくれる人がいれば…!
「先生? そこで……何してるんですか?」
その言葉に、ピエラータは一瞬視線を狐子から外す。だって、それはピエラータの最愛の人物……カレンの声だったのだから。
「あなたは下がっていなさい。この先は人間には――」
そこまで言ったところで、ピエラータはカレンの前に闇の壁を作りだした。
そして、その壁は一瞬にして粉砕される。
「……っ、逃げなさい、カレン!」
狐子の放った雷。それを防いだピエラータは、そう叫ぶ。
「でもっ、先生!」
「いいから逃げなさい! 人間が立ち入ってはいけない世界があるのです!」
ためらいを見せるカレン。ピエラータは一秒も惜しいといった表情で再び叫び、闇の棒を作りだす。
「はぁっ!」
容赦なく繰り出される狐子の木刀による斬撃を、ピエラータは棒で防ぐ。
その動きは、まさに神速。それを見て、カレンは自分がここにいても何もできないと理解したのだろう。泣きそうな表情で逃げ出した。
「ふん、戦いのさなかに敵から視線を外すとは、愚の骨頂よな。だが、防ぎきったことは誉めてやろう」
「金色の戦姫! カレンに罪はありません! だというのに……あなたは!」
「……悪魔の力を借りた時点で、咎人じゃ。それに、貴様との戦いのさなか余計なことをされては面倒故な」
「ええ、おっしゃる通りです……ですが、貴方は私の逆鱗に触れました!」
防戦一方だったピエラータ。そのピエラータから、初めて敵意、あるいは殺意を帯びた一撃が放たれる。
棒による突き……いや、よく見れば、先端がとがっている。どちらかというと、槍に近いものに棒を変化させたのだろう。
「私は、カレンを守りたい……あなたが、彼を守りたいように! それを邪魔するのなら、世界のすべてから悪と呼ばれようが、あなたを殺します!」
「はっ、大言壮語もその程度にしておけよ! 貴様風情に殺されるわしではないわ!」
どうすればいい? 戦いを止めるために、僕はどうしたら?
言霊の効果はあまりにも薄く、力づくで止めるには僕の力はあまりにも弱い。
いや……でも、もう一つだけ、力を持つ言葉を、僕は、知っている。
「ナーよ、我が内にありて、我でなきものを開放する!」




