漆幕 化物もどきの日常 肆
そのまま本を読んでいると、ふいに携帯が鳴りだした。この着信音は、僕の携帯だ。
「はい、もしもし?」
恋人と過ごす時間を邪魔されたちょっとしたいらだちから、相手も確認しないで電話に出る。
『しんちゃん? お母さんだけど~……帰りが遅いって、あいちゃんが心配しているわよ~?』
「ああ、母さん? そっか、愛紗心配してるんだ」
たぶん、悪魔とかに襲われていないかと心配してくれているのだろう。安心させるためにも、現状を伝えたほうがいいかな。
「大丈夫だって言っておいて。今里奈さんの部屋でデートしてるから、って」
『あら~、貞操はまだ大丈夫~?』
「……どういう心配なのさ、それは。とにかく、大丈夫だからさ。愛紗には安心するように言っておいて」
『わかったわ~。帰りは遅くなるの~?』
その言葉に少し考える。里奈さんといたいのは確かだけど……明日に備えた準備とかもあるかもしれない。そういえば、詠唱も言霊の使い方までしか教えてもらってないもんな。
「んー……そうだなー……もうちょっとしたら帰ろうかな。夕飯の時間も、もうすぐでしょ?」
『あら~、そうね~。準備をすっかり忘れてたわ~』
「母さん……僕はいいけど、愛紗は我慢できないかもしれないんだから、ちゃんと準備してよ……」
苦笑し、少し話をして電話を切る。
「慎一さん……もう帰ってしまわれるのですか?」
「うん。里奈さんといたいのはやまやまだけど、あまり長居したら里奈さんのご両親に迷惑だろうし……」
「そう……ですか……」
寂しそうな里奈さんの声。
「とりあえず、この本を読んでから帰る。大丈夫だよ。僕たちは、明日からだって一緒にいられる……絶対に。約束した通りだよ」
そう、絶対に。
明日は交渉で終わらせる。戦いになんて発展させない。絶対に……誰にも血を流させやしない。誰も死なせない。
そうだ、僕は絶対に守る。里奈さんや狐子のような特別な人だけじゃない。ピエラータも、カレンも……皆守ってみせる。
「そうですね。何も悲しむことはないですよね」
「うん。でも、いつか……ひとつ屋根の下で暮らそうね」
「……! はい!」
これは、プロポーズに含まれるのだろうか……そんなことを考えながら、本を読み終え、立ち上がる。
「それじゃあ、また明日……あ、そうだ。明日も先に行っていてもらっていいかな? ちょっと、用事ができて学校に行くのが遅くなるかもしれないんだ」
嘘。だけど、誰も傷つけない嘘。安心させるための嘘だ。だから……罪悪感を覚える必要なんてない。
「残念ですが、仕方ないですね……でも、慎一さんが学校にいらしてから、しっかり甘えさせていただきますからね」
「うん、僕もしっかり甘やかしてあげるから」
見つめ合って、微笑み合う。
「じゃあ、またね。次のデートは、ゆっくり二人きりになれるといいね」
「ええ。そうですね。お父さん、お母さん、ドア、開けますから危ないですよ?」
あ、里奈さんも気づいていたのか……部屋の外から慌てたような物音がした。それも二人分。本当に、里奈さんはご両親に愛されているなぁ……。
「あ、ドアを開ける前に……」
「ん? な――」
振り向くと、突然キスをされた。
「これで、明日の朝も頑張れます」
そう言って笑う里奈さんは、本当に無邪気に見えた。
「うん、そう思ってくれるなら、これくらいいくらでもするよ。それじゃあ、また明日……ね」
物騒なことは、さっさと終わらせてしまおう。平穏無事な日々。それを、狐子に過ごさせてあげるためにも。
そんな決意と共に、扉の鍵を開け、部屋を後にした。
漆幕 了




