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漆幕 化物もどきの日常 参

 そして、部活動も終え、僕たちは帰路についた。

 そこで、一つ気になることがあった。


「里奈さん……さすがに、くっつきすぎじゃあ……?」


 いや、腕を組む程度なら恋人同士だし、普通だと思う。ただね。里奈さんのスタイルの関係上ね。腕に、その……いや、あえて言うまい。


「だって……私、今朝は一緒にいられなかったので寂しくて……恋人になった次の登校日が慎一さんの誕生日だなんて、タイミングがいいのか悪いのか……」


 そう言って寂しそうな表情を浮かべる里奈さん。


「でも、これからはいつも一緒でしょ? 大丈夫だよ。約束したじゃないか」

「そう……ですね。一日くらいで、こんなに落ち込むことはないですよね」


 でも、僕の言葉でちゃんと明るい顔に戻ってくれた。ちなみに、後ろのほうでは双葉が気まずげに歩いてきている。双葉も家の方角が同じだから、同じ電車に乗るんだよね……。


「そういえば、誕生日祝いのプレゼントは何が良いですか? せっかくですから、何か差し上げたいのですが……」


 そう言ってますます近づいてくる里奈さん。サラサラとした髪からはシャンプーの良い香りが漂ってくる。疑問気にこちらを見つめる瞳は、夜空の星をちりばめたようにキラキラとしている。そしてますます腕に感じる感触。


「気持ちだけでいいよ。僕は里奈さんの思いだけで十分うれしいから」

「そうは言いますが……やっぱり、記念として何か残しておきたいな、と思うのです。記念品は毎年増えてしまいますが、それが私たちのつながった時間の証明になる……と言いますか……」

「なるほど……形に残るものかぁ……何がいいかな……」


 話をしながら駅へと進んでいくと、アクセサリーショップが目についた。


「それじゃあ、あのお店のぞいてみない? 指輪とか、ネックレスとかさ。学生向けの店だって噂で、そこまで高くもないそうだから。ちょうどいいんじゃない?」

「そうなのですか……あ、デザインもいろいろそろってますね……少し、見てみましょう!」


 二人でアクセサリーショップへと向かう。ようやく甘ったるい空気から解放された……という雰囲気の双葉に手を振っておこう。


「慎一さん、アクセサリーって身につけたことありますか? 私の記憶が確かなら、なかった気がするのですが……」

「うん、そうだね……身につけたことないや」


 アクセサリーショップに入りながら、そう話をする。まあ、ネックレスくらいなら見につけてもいいかな……。


「いらっしゃいませ」


 おしゃれな店員さんが出迎えてくれる。


「今日は何を探していらっしゃいますか?」

「えっと……こちらの方が誕生日なので、何か記念になるようなアクセサリーはないかな、と思ったのですが……」

「なるほど……では、ペアリングなどいかがでしょう? お見受けしたところ、お二人はお付き合いをされているのでしょう? 例えば、こちらなど……」


 ペアリング、という単語が出た途端に僕の腕に抱き付く力が強くなる里奈さん。


「ああ、こういうのいいですね。里奈さんはどう思う?」

「ふえっ!? え、えと、あの、その……! たしかにですね? 私は遠坂里奈になりたいわけですが、この間早くそうなりたいとも言ったわけですが、その、こんな急では……!」


 慌てて僕から少し離れて、全身で慌てていることを表す里奈さん。


「……落ち着いて? これはそういう特別なのじゃないよ。ただの普段使いのアクセサリーだよ?」

「え、あ……そう、ですね。す、すいません、お見苦しいところを……」


 僕と店員さんに頭を下げると、里奈さんはあたりを見回しだした。


「あ、これ! これなんてどうですか、慎一さん!」


 そして、一つのネックレスを指さす。


「これは……十字架型だね。里奈さんが普段身につけてるのに似てるかも」

「そうなんです! これだったら、完全にお揃いとまではいきませんが、ちょっとはつながりを感じられるかな……って思ったのですが……どうでしょう?」


 そう言ってこちらを見上げる視線は不安げで、小動物的なかわいさを感じた。

 思わず頭をそっとなでる。


「そうだね。これにしよう」

「はい! 店員さん、お願いします!」


 不安げな瞳はすぐに明るく輝き、レジへと駆けて行った。


「かわいい彼女さんをお持ちですね。うらやましいですよ」


 ショーケースの鍵を開けて、ネックレスをもってレジへと向かう店員さん。

 そうだな……僕は、幸せだ。化物、なのに……こんなに、幸せであっていいのだろうか……。

 でも、今日を過ごしてだいぶ気が楽になったのは確かだ。昨日の僕が心配していたようなことは一切なかった。これなら、僕はまだ人間として、過ごすことができる。


「慎一さん! さっそくつけてみてください!」


 レジから駆け戻ってきた里奈さんは僕の前にネックレスをつきだす。それを受け取って、首にかける。


「どう? 似合うかな?」

「もちろんです! すごくかっこいいです!」


 とても嬉しそうに言う里奈さん。こんな店員さんがいたらひやかすつもりで入ったとしても商品を買ってしまいそうだ。


「せっかくですから、この辺りのお店を回ってみませんか? お揃いのアクセサリーをつけて、デート……と……言いますか……」


 そう言ってこちらを見上げたり、視線を逸らしたりする里奈さん。


「僕はいいけど……里奈さんは大丈夫なの? 遅れたりしたらご両親が……」

「あ、そうでした……でも、慎一さんと一緒にいたいですし……うーん……」


 少しの間悩むと、いいことを思いついた、とばかりに両手を合わせる里奈さん。


「それでは……その……お部屋デート、というのは……いかがでしょう……?」


 もじもじとしながら言う里奈さん。

 えっと……僕と一緒にいたい。でも家に帰るのが遅くなると親がうるさい。だからお部屋デートにしよう。そこから導き出されるのは、里奈さんの部屋に僕が入るという結論。


「え……いいの? それはそれでご両親心配しない?」


 かわいい娘が部屋で男と二人きり。それはそれでご両親が心配しそうなものだけど……。


「大丈夫です。今日は両親が家にいないので……門限までに家の中にいれば問題はないというか……」


 そう言って口元を手でかくし、頬を赤らめる里奈さん。


「あっ! も、もちろん慎一さんが嫌なのでしたら、この案は廃案ということに!」

「いや……里奈さんがいいなら、それで……僕だって、里奈さんと一緒にいたいし……」


 前に、先輩が送り狼に気をつけろ、と言っていた。里奈さんにではなく、僕に。

 大人の階段を上る気分とは、こういう感じなのだろうか。

 とりあえず、これだけは言っておこう。里奈さんになら、食われても一片の悔いなし。


「それじゃ、まずは駅ですね。家に帰りましょう」


 そう言って里奈さんは再び僕と腕を組む。

 むにゅっ。

 いや、今の擬音に特に意味はない。


「そうだね。まずはそこからだよね」

「はい。まずはそこからです」


 僕の肩に軽く頭を預ける里奈さん。

 こんな幸せな時間が、永遠に続けばいい。そう思わずにはいられない。

 明日のことすら忘れそうになりながら、僕たちは家路につく。


「里奈さんの家に行くの、初めてだっけ? 小学校からの付き合いだけど、行く機会がなかったような……?」

「そうですね。私が慎一さんの家に上がらせていただくことはありましたが……慎一さんが私の家に上がることはなかったかと。前まで一緒に歩いたことはありましたが」


 電車に揺られながら、雑談をかわす。そっか、やっぱり里奈さんの家に行くのは初めてだよな。

 そのあとは心地よい沈黙の時間を過ごし、電車を降りる。会話なんてなくても良い。この手のひらのぬくもりを感じているだけで、僕たちはつながっていると感じられるのだから……さすがに、電車酔いになった里奈さんを介抱するときは手を離したけど。

 そして、里奈さんの家の前につく。


「何回見ても、立派な家だなぁ……」


 西洋のお屋敷を思わせると言ってしまえば言いすぎかもしれないけれど、里奈さんの家はそれぐらい横に広い二階建てだ。人によっては威圧感を覚えるというか、圧倒されてしまうかもしれない。


「そんなことないですよ。さ、入りましょう」


 そう言って僕の腕を引く里奈さん。

 鍵をとりだし、里奈さんは扉を開ける。それと同時に、その表情が曇るのが見て取れた。


「里奈さん? どうかした?」

「あ、いえ……なんでもありません」


 そうは言うけれど……何か無ければこんな表情はしないだろう。僕も玄関をのぞき込むと、そこには二足の靴が並んでいた。


「あれ? ご両親……帰ってきてるの?」

「そ、そのようですね。おかしいですね……今日は出かけると言っていたのですが……」


 狼狽の色すら見せながら、里奈さんは言う。それと同時に、家の中から足音が聞こえてきた。慌てて僕の腕を離す里奈さん。


「おかえり、里奈。それと、いらっしゃい。君は……遠坂君、だったか。噂はかねがね里奈から聞いている」


 そう言う風格漂う男性。里奈さんのお父さんだ。小学校か中学校の授業参観で見覚えがある。


「こうしてお会いするのは初めてですね、里奈さんのお父さん。僕は遠坂慎一です。里奈さんには常日頃お世話になっています」

「うむ……まあ、立ち話というのもなんだ。家にあがりたまえ」


 そう言う里奈さんのお父さんの視線からは真剣なものを感じる。なんか……昼ドラあたりで娘と付き合っている男性が家に来た時の父親の目というか……え、品定めされてる!?


「し、失礼します……」


 一挙手一投足に気を使いながら、玄関をくぐり、靴を脱ぎ、家に上がらせてもらう。


「……里奈。いつまでそこに立っているつもりだ? 早く上がらないか。外はまだ寒い。風邪を引くぞ」

「あ、はい、お父さん……」


 その言葉で里奈さんは我に返ったかのように家の中へと入る。

 そしてそのままお父さんを家の奥へと連れていく。僕にはハンドサインでちょっと待っていてほしい、と伝えながら。

 二~三分ほどだろうか。待っていると、里奈さんとお父さんが戻ってきた。


「すいません、お待たせしました。とりあえず、リビングのほうへ」

「あ、うん……お邪魔します」


 少し長いと感じる廊下を歩き、リビングへと通される。

 そこでは、里奈さんのお母さんがけわしい顔で椅子に座っていた。


「あ、お邪魔しています。里奈さんのお母さん」

「いらっしゃい。なるほど……ふぅん……」


 う、また品定めされるかのような視線……。


「授業参観の時にあなたのことは里奈から聞いているわ。その話と外見の限りでは、なかなかの好青年ね、里奈」

「はい、お母さん。慎一さんはとてもいい人です」


 硬い口調で話すお母さんに、里奈さんはそう返す。


「一時期はケンカに明け暮れていたそうだけど……」

「それは妹と、その友達をいじめから助け出すためにしていたことです。慎一さんは決して不良だとか、そういった類の人ではありません!」


 熱のこもった口調で里奈さんは答える。いや……これもう、品定めされてる感が半端ないんだけど……。


「そう……なら、良いのだけど」

「そんなことより……お父さん、お母さん。今日は出かけるっていっていたのに、なぜ家に?」

「ああ、あれは嘘だ。里奈、お前が昨日、長年想ってきた人とお付き合いを始めることになりました、と言っただろう。お前のことだから、今日あたりに家に連れてくるのではないかと思ってな。お前が彼氏に誘いの言葉をかけやすいように、そう言っておいた」

「お父さん……なんでそんなことを?」


 里奈さんがそう問いかけると、お父さんは目を見開いてこういった。


「決まっているだろう。娘を傷物にするだけしておいて責任をとらないような男だったら、殴り飛ばすためだ。遠坂君。君もひしひしと感じているだろうが、私たちは君を私たちの娘にふさわしいか否かを見定めるつもりでいる。そのうえでふさわしくないと判断したら……二人の付き合いに口を出させてもらうこともありうる」


 その口調は厳しく、本気であることは明らかだ。お母さんのほうも、それに同意するような目でこちらを見つめている。


「お父さん、お母さん、僕は……」

「先ほどは言い損ねたが……君にお父さんと呼ばれる筋合いはない!」


 うわ、創作物の中ではよく聞くセリフが!? 現実に言う人、いたんだ……。

 そう思っていると、里奈さんは握りしめた拳を震わせていた。叫び出したいのを我慢しているかのように。


「私も、あなたにお母さんと呼ばれる筋合いはありません。そういうことを言うからには、それなりの覚悟を――」

「お父さんとお母さんのバカ!」


 お母さんがそこまで行ったとき、里奈さんの我慢は限界に達したようだった。


「慎一さんは、優しくて、真面目で、私との付き合いにも真剣で……っ! 私にふさわしいかどうか? それどころか、私が慎一さんにふさわしいかどうかを二人に考えてほしいくらいです!」


 そう声を荒げる里奈さん。その様子を見る二人の様子は驚きに満ちていて、こういうことがめったにないのだろうと判断するには十分だった。


「……っ、慎一さん、部屋に行きましょう。こんな人たちのことは放っておきましょう!」


 そう言うと僕の手をつかみ、歩きだす里奈さん。その力に引きずられるように僕も部屋を後にする。


「里奈さん、良かったの? 二人とも、びっくりしてたみたいだけど……」

「いいんです……そんなことより、ごめんなさい……本当だったら、お父さんが買ってくれた私の生まれ年のワインでも、一緒に飲もうと思っていたのですが……そんなムードじゃ、なくなってしまいましたね……」


 そう言う里奈さんの瞳にはこぼさまいとする涙がたまっている。僕の事で、そんなに真剣になってくれたのか……。


「慎一さん、帰りたいと思うのでしたら、帰っていただいて構わないのですよ? あんなことの後では……不快でしょうから」

「ううん、大丈夫。不快なんかじゃないよ。それどころか、里奈さんはご両親に大切にされているんだ、って感じてうれしいくらい」


 僕がそう言うと、里奈さんはふいに抱き付いてきた。


「……慎一さんは、優しいですね」

「大切な一人娘がつきあいを始めるんだから、これくらい心配されて当然なんだよ。僕の家が奔放すぎるっていうか、男だから心配いらないとされているというか」


 そっと抱き返しながら言う。


「普通、あんなこと言われたら面倒くさいって思いますよ?」


 そう言って僕を見上げる里奈さん。


「本当に好きな人のことで、面倒くさいって思う発想は僕にはないよ」


 そう本心を口にすると、里奈さんの抱き付く力が強くなった。


「そうでしたね……私が、あんな重いことを言ってしまっても、慎一さんは普通に接してくれた……慎一さんは、本当にいい人です。私なんかにはもったいないくらいに……」


 そういって、里奈さんは瞳に涙をためたまま、うれしそうに微笑みを浮かべた。


「ずっと、一緒にいたいです……慎一さんのぬくもりを、こうして感じて……一緒に笑っていたいです」

「一緒にいるよ。里奈さんがそれを望んでくれるなら」


 そっと頭をなでた時、妙な気配をリビングのほうから感じた。


「…………!」


 慌てた様子で顔をひっこめる里奈さんのご両親。

 ……あんな威厳あふれる雰囲気だったのに、うちの両親みたいなことをしないでほしい。


「……部屋に、行きましょうか。鍵をかけることもできますから」


 僕が視線を向けたのを里奈さんも感じて、見ていたらしい。


「分かった、そうしようか」


 若干気まずい雰囲気の中、そう言葉を返す。がたがたとリビングのほうで物音がした気がした。けど、とりあえずは……ね。落ち着きたい。

 そんな若干複雑な思いの中里奈さんに手を引かれて歩く。


「ここが私の部屋です」


 そう言って里奈さんが立ち止まる。そこにあった扉は、いたって普通の木の扉でなんとなく安心感を覚える。


「とりあえず、入りましょうか」


 そう言って扉を開ける里奈さん。片付けをするので、とか言わないあたり、さすが里奈さんだな。いつも部屋をきれいにしているのだろう。


「うん、お邪魔します」


 部屋に入った僕の目に広がったのは、天井まであるような本棚とそれにいっぱいに詰められた難しそうな本の数々。本棚も一つではないどころか、壁を覆い尽くす勢いだ。それにもかかわらず、本棚に入りきらない本が床に敷かれたカーペットの上に積まれている。それらの中に申し訳程度の小さな机が置かれ、その上にノートパソコンが置かれている。あれでチャットとかをしているのだろう……それよりも、机に置いてある本の方が気になるけど。その隣にシングルベッドが置かれている。ああ、寝る前にあの本を読んで、寝るときに机に置くのかな?


「すごいね……この本、全部読んだの?」

「はい。休みの時には、部屋からほとんど出ないで一日中本を読んでいることもしばしば……すいません、やっぱり散らかっていますよね」

「ううん、そんなことないよ。でも、すごいね……背表紙を見た限りでは、何ヶ国語もあって……」

「やっぱり、名作は原典で読みたいですからね。日本語訳された物では感じられないものもありますから。一通りの読み書きはできます」


 そう言いながら扉を閉め、鍵をかける里奈さん。

 部屋の中には里奈さんのシャンプーの甘い花の香りと、古い本特有の香りが漂っている。異質に思える組み合わせだけど、なんだか里奈さんのイメージにはあっている気がした。


「……そういえば、お部屋デートって何をするのでしょう……なんとなく、一緒にいてお話をするというイメージしか……」


 ふと気が付いたように言う里奈さん。言われてみれば、僕もそんなイメージしか……。


「まあ、立ち話もなんですから、慎一さんには……ベッドに座っていただいて」

「あ、うん。ありがとう」


 言われたとおりベッドに座る。ふわふわだな……。

 その一方で里奈さんは床に座り、机の上にある本に手を伸ばしかけたところで止まる。


「どうかした?」

「あ、いえ……つい、いつもの癖で本を読もうとしてしまって。昨日買ったばかりの本をここに置いていた物ですから」


 なるほど。里奈さんは普段床に座って本を読むのか。


「気にしないで読みなよ。僕も何か探して読むからさ。デートっぽくはないけど、ね」


 まあ、したいことをするのが一番だろう。僕も里奈さんがどんな本を読むのか気になるし……。


「慎一さんが退屈でないのであれば……」


 そう言って里奈さんは先程手を伸ばしかけた本に再び手を伸ばし、読みだした。体育座りで。


「それじゃあ、僕もちょっと本探させてもらうね」

「はい、ご自由にどうぞ……あ! そこの箱の中の本はだめです! その……ちょっと、慎一さんには見せらない内容の本といいますか……!」


 僕が立ちあがると、慌てて言う里奈さん。そう言って指さす先には大きめの漫画雑誌が四~五冊ほどはいりそうなふた付きの箱があった。


「? うん、わかったよ。見ないでおく」


 隠されると逆に見たくなるけど……嫌がることをするわけにはいかないよね。

 とりあえず、その箱には目を向けないようにして本棚を見ていく。まずは、日本語の本を探そう……。


「……ん? この本って……」


 その最中に、見覚えのある本を見つける。昔流行(はや)っていた児童文学書だ。本棚に入っているほかの本と比べると、妙な気がするけど……。


「里奈さん、この本って……」

「あ! 懐かしいですね……そういえば、そこにしまっておいたのでした」


 里奈さんのほうに児童文学書を差し出すと、驚いたようにそう言った。


「他の本はどれも難しそうなのにこれだけ子供向けだから、なんか気になってさ。見覚えはあるんだけど……」

「慎一さん、ひょっとしてお忘れですか?」


 そう言って首をかしげる里奈さん。うーん……たしかに見た覚えはある。でも、それ以上のことが思いだせない……。


「まあ、あの頃はそれほど親しくなかったですから、覚えていなくても仕方ないかもしれませんね。その本は、慎一さんがプレゼントしてくれたんですよ?」

「えっ!? そうだっけ!?」

「はい。私がいつも本を読んでいるからって、慎一さんがくれたんですよ? 親からもらったけど僕は読まないから、みたいなこと言って……すごく、うれしかったのを覚えています。だって、私はあの頃から慎一さんのことが好きでしたから」


 はにかんで、僕が手にした本にそっと手を重ねる里奈さん。それは積み重なった思い出を思いだしているように見えた。


「ごめん……なんか、大事なことなのに忘れちゃって」

「いえ、お気になさらず。先ほども言ったとおり、その頃はまだ親しくありませんでしたから。その分は、これからたっぷり埋め合わせていただく予定です」


 そう言って僕のほうをじっと見つめる里奈さん。


「埋め合わせかぁ……じゃあ、まずは……」


 そっと里奈さんへと顔を寄せる。里奈さんも目を閉じ、僕がこれからしようとしていることを受け入れようとしている。


「……んっ」


 触れ合った唇が離れ、若干上気した里奈さんの顔を見る。


「ふふ……こういうことは、やっぱり慣れませんね」

「慣れないほうがいいんだよ。僕はこういう事に恥じらいを忘れたらいけないと思うんだ」

「そうですね……それに、こういうことに慣れを感じたら、互いを飽いてしまいそうです」


 そう良いムードで話していると、突然ドアノブをガチャガチャと動かす音が聞こえた。


「里奈、紅茶を淹れたんだ。ここを開けてくれ」


 ……このタイミングで? ひょっとして、ドア前で聞き耳を立てていた!? さっきもこっちをのぞいていたし、否定はできない……!


「慎一さん、喉は渇いていますか?」


 小声でたずねてくる里奈さん。


「いや、別に……」


 だから僕も小声で答える。


「喉が渇いていないので、どうぞお母さんとお父さんで飲んでください」

「……そうか。なら、そうするとしよう……」


 残念そうに言って、その場を離れていく里奈さんのお父さん。

 だが、僕の耳は聞き逃さなかった。そのあとこちらに戻ってくるかすかな足音があることを。


「……里奈さん、お勧めの本ってある?」

「え? そうですね……双葉ちゃんが貸してくれた、アイ色の空なんてどうでしょう? ライトノベルですから読みやすいですし……」


 そう視線を向ける先の机には、たしかにアイ色の空が置かれている。真ん中あたりにしおりが挟まれている。


「全部読んでも、内容は言わないでくださいね? しおりを挟んだところまでしか読んでいないので……」

「ネタバレ厳禁だね。分かった」


 それだけ言って、里奈さんの後ろに背中合わせになるように座る。


「こうやって里奈さんのぬくもりを感じながら読みたいんだ。ダメ……かな?」


 動揺して何かを言おうとしている里奈さんにそう告げる。


「そ、そう言う事でしたら……でも、いいのですか? ベッドのほうが、座るのが楽ですし……」

「せっかく二人でいるんだからさ。座り心地なんかより触れ合うことを考えようよ」


 里奈さんのほうへと首をまわしながら言う。視界の端で里奈さんが小さく頷くのが見えた。

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